ダンシング☆サムライ~秘剣・左逆手居合~   作:PlusⅨ

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第十三幕・鏡音蓮也

 あれは、いつの日の事だったか……

 

「示現流の秘伝とは、どのようなものだ?」

 

 気の置けない友人と、いつものように飲みに出かけ、いつものように剣術談義に花を咲かせていた時に、不意にそう訊かれた。

 

「どのようなも何も、ただひたすら無念無想で相手に打ち込む。この他にありませんよ」

 

 海斗がそう答えると、友人・鏡音蓮也は「ふうん」と頷いて、手酌で酒をちびりと飲んだ。

 

 安い一杯飲み屋の、安い酒である。

 

 蓮也とは役職も、通っている道場さえも違うが、同じ下級藩士、そして同じ剣士同士としてウマが合い、連れ立って飲みに行くこともしばしばだった。

 

 彼は愛洲藩内でも有数の大道場・鉄車宝蔵流の免許皆伝者であり、特にその居合は精技絶妙を極め、並ぶもの無しと称賛されるほどだった。

 

 一方で海斗の遣う示現流は、かつて城下に道場があったものの、その稽古のあまりの激しさから門弟が次々と去ってしまい、道場主が亡くなったのを機に閉鎖してしまっていた。

 

 その道場主が亡くなる前、最後まで残っていた弟子である海斗に秘伝を授けた、という噂があった。

 

 道場が閉まる前、その当時から海斗の強さは藩内でも有名になっていた。

 

 そのきっかけとなったのは、正月に愛洲神社で行われる奉納試合でのことだった。

 

 この奉納試合では毎年、剣士達が集まって技を競い合う。海斗はそこで瞬く間に十人抜きを果たし、名声を得たのであった。

 

 この時、蓮也も同じく奉納試合に参加し十人抜きを果たしたが、この二人が立ち会うことは無かった。

 

 立ち会いの組み合わせはクジ引きで決まったものであったし、この奉納試合はそれぞれ十人と立ち会ったところで勝ち負けに関わらず終わるのが習わしだったからだ。

 

 だが、このために藩内では、蓮也と海斗、どちらが強いかなどという噂が飛び交うことにもなったのである。

 

 そんな最強議論の根拠のひとつとして、海斗が示現流の秘伝を授けられているという噂があったのだ。

 

 しかし当の本人達は、こうして二人並びながら、そんな噂を肴に安酒を楽しんでいる。

 

「そういや、示現流にも居合あるんだってな?」

 

「まあ、どこの流派にも有るでしょうけど」

 

 居合は技術のひとつであり、それ自体に独自性は無い。

 

「示現流の居合は鉄車流ほど重視されておりませぬ」

 

「ウチとはまた違った工夫があると聞く。藩内じゃお主以外に遣う人間も居らんし、一度見てみたいものだが」

 

「別に構いませんが、私の知る限りそんなに大した違いは無かった気がします」

 

「ふうん。ま、俺より速い居合が居ないと判るのは、少し嬉しいな」

 

「ですね。勝てそうに無い」

 

 そこは海斗も認めるところだったが、しかし、あるいは、とも思っていた。

 

 あるいは、あの技なら?

 

 海斗は独自に工夫した秘剣を蓮也相手に思い描きながら、杯をちびりと舐めた。

 

「ま、俺もお主が大上段に構えたら逃げの一手だ」

 

 そう言って、蓮也もまた杯を舐める。

 

 だがきっと、彼も脳裏では海斗の一撃を破る工夫を考えてるのでは無いか。海斗はそう思った。

 

 その想像は不快どころか、むしろどんな手を使ってくるのか興味をそそられ、

 

(いずれ本気で立ち合ってみたい)

 

 そんな欲を掻き立てられてしまうのだった。

 

 やがて話題は、他の剣士批評に移った。

 

 どこの道場の誰それが最近頭角を表してるだの、ウチの道場にも見込みのある奴がいるだの。

 

「だが最近、困った奴がいてな」

 

「誰です?」

 

「ほら、次席家老の甥っ子だ」

 

「ああ」

 

 と、海斗は頷いた。

 

 鉄車宝蔵流は大道場だけに、上級藩士や高い役職の子弟も多く在籍していた。故に藩内の政治問題がそのまま道場内に持ち込まれることも珍しく無い。

 

 蓮也はそれを憂いているのだった。

 

「いま、筆頭家老と次席家老が激しい派閥争いを繰り広げているのは知っているだろう。あ奴、道場での人脈を利用して、稽古そっちのけで派閥への勧誘を繰り広げておる。正直、迷惑極まりない」

 

 やれやれ、と蓮也は嘆いた。だが、稽古への障り以上に、蓮也にはもうひとつ気がかりがあるのだろうと海斗は見当を付けていた。

 

「ご子息達への影響も心配ですしね」

 

「そこよ」

 

 蓮也は頷いた。

 

 彼には息子と娘がおり、どちらも道場に通いだしたばかりである。

 

「特に蓮が問題だ。あいつは剣よりも学問を好むからな。門弟どもの政治談義によく聞き耳をそばだてていて、あまり良い傾向とは言えん。逆に凛は女子の身でありながら滅法な剣法好きと来て、これはこれで頭が痛い」

 

 男手ひとつで育てたのが拙かった。と、頭を抱える蓮也を、海斗は微笑ましく眺めながら、例の奉納試合で見かけた双子の姉弟の姿を思い出していた。

 

 父の試合を、目を輝かせて見ていた少女と、冷静な面立ちで眺めていた少年。

 

「海斗、お前も子供が出来たら気をつけろよ」

 

「肝に銘じておきますよ」

 

 飲み干した杯でちょうど酒が切れ、その日はそれで終いになった。

 

 

 

 

 それからしばらくして、海斗はまた蓮也から飲みに誘われた。

 

 だがその日は、不可解な事が幾つもあった。

 

 彼が誘ったのはいつもの一杯飲み屋では無く、藩内でも有数の高級料亭だったのだ。

 

 海斗も蓮也も下級藩士であり、俸禄も多くない。一杯飲み屋でさえ、銚子一本に小鉢を一つ二つで、それさえも月に一度の贅沢に考えていた。

 

 なのに、突然の高級料亭である。

 

「何故、この店に?」

 

 本当は支払いは大丈夫か? と明け透けに訊ねたいところをグッと堪えた。相手の懐具合を探るなど、親しい相手であっても侍の沽券に関わるところである。

 

 しかし蓮也もその辺りは察したと見えて、

 

「店の主人とは懇意だから、お主は気にするな」

 

「……左様ですか」

 

 海斗は頷いたものの、蓮也の口ぶりに妙な違和感を抱いた。

 

 いつもざっくばらんな男であるのに、今日はどこか余所余所しい。

 

 それに少し緊張しているようにも見えた。懇意にしている店ならもう少し気楽にしていても良いような気もするのだが……

 

 そもそも、海斗が知る限り、蓮也の交際範囲に高級料亭の主人が居るとは想像もできなかった。

 

 しかしその辺りの疑問も含めて追い追い説明してくれるだろうと思い、海斗は蓮也に続いて料亭の敷居をくぐった。

 

 案内された座敷で、床の間の刀掛け台に刀を置いて、脇差のみ帯びた状態で差し向かいに座った。

 

 膳はすでに用意されていて、

 

「先ずは一杯」

 

 と蓮也が銚子を突き出す。

 

 いつも手酌の間柄だけに、海斗は少し戸惑いつつも酌を受けた。

 

 杯を飲み干して返杯すると、蓮也は少し舐めただけだった。

 

 いつもとは違う豪華な食事に箸をつけながら、海斗は何気無く蓮也と料亭との関係を聞き出そうとしたが、

 

「まあまあ」

 

 と蓮也にはぐらかされ、やがて話題はいつもの剣術談義となった。

 

 しかしその話題の中で、蓮也はしきりに示現流の秘伝についてこだわった。

 

「やはり俺の考えるところ、示現流の秘伝は心法のみならず技法においても工夫があるのではないか?」

 

「またその話ですか。大した事はありませんよ。ただひたすら相手に打ち込む。それだけです」

 

「しかし言い換えれば、相手より速く打ち込む事に全霊を賭する訳だ。では、居合を相手にした場合はどうなのだ」

 

「居合を?」

 

「そうだ。居合よりも速く斬り込めるかと訊いている。例えば、今この場において俺に斬り込めるか」

 

「何をおっしゃる!?」

 

 海斗は蓮也の言葉に驚愕したが、それでも反射的にその可能性を思い描いていた。

 

 互いに脇差のみ、

 

 向かい合って座した状態、

 

 果たして居合の達人相手に斬り込めるか――

 

 海斗の反応を探っていた蓮也の眉が、わずかに動いた。

 

「――できるのだな、海斗」

 

「い、いや!?」

 

 海斗は慌てて否定したが、遅かった。蓮也に見抜かれた通り、海斗はそれが出来ると確信していた。

 

「なるほど、それが示現流の秘伝か」

 

「………」

 

 海斗は答えに詰まった。

 

 違うと言えば、彼独自の秘剣の存在を明らかにせねばならぬだろうし、ならば示現流の秘伝という事にすべきだろうか。

 

 流派の秘奥義を明かす事は剣士の禁忌である。同じ剣士ならばこれ以上立ち入るのを控えてくれそうなものだが……

 

 しかし、蓮也は、

 

「お主、今まで俺を斬れると思って内心見下しておったな」

 

 すえた声音で思いもよらぬ言葉を浴びせられ、海斗は絶句した。

 

「海斗、どうなんだ。言ってみろ。お主の本音を」

 

「そ、そんなこと、私は蓮也殿を尊敬こそすれ、見下してなど!」

 

「あの奉納試合、もし俺とお主が立ち合わば必ず勝っていたと、そう高言していたという噂もある」

 

「事実無根、言いがかりだ!?」

 

 たまらず海斗は叫び、腰を浮かせた。

 

 その瞬間、蓮也が動いた。

 

 海斗が片膝を立てた時には既に、蓮也の左手は鯉口にかかり、右手が柄に触れようとしていた。

 

(斬られる!?)

 

 海斗は反射的に後方へ跳んだ。座敷の障子を押し倒し、縁側にまろび出る。

 

「蓮也殿、正気かッ!?」

 

「正気? 正気を疑うのはお主だ、海斗」

 

 蓮也は脇差から手を離していた。その鯉口は“まだ”切られていない。

 

「俺は何もしていない。なのに突然、座敷から飛び出すとは、気は確かか!?」

 

 蓮也は周囲に響く声でそう言った。それはまるで他の座敷にまで聴かせるかのようだった。

 

「何もしていないなどと、蓮也殿は抜刀しようと――」

 

「ほう、俺がお主を斬ろうとした!? それこそ言いがかり、俺は柄に手をかけてさえいない。しかしお主はどうだ!? 己の姿をよくかえり見よ!!」

 

 海斗はハッとなった。彼は既に鯉口を切り、柄に手をかけてしまっていた。鍛え上げられた剣士の本能が、意図せずに蓮也の殺気に反応してしまったのだ。

 

「ち、違う、これは!?」

 

 海斗は柄から手を離し、その場に平伏した。

 

「蓮也殿、私の態度に何か問題があったのなら謝る。この通りだ!」

 

 何故だ、何故こうなった?

 

 海斗は混乱しながらも頭を下げ続けた。

 

 しかし、

 

「ならぬ」

 

 その言葉に顔を上げた海斗は、蓮也が床の間の刀掛け台から彼自身の刀を取り上げたのを見た。

 

「先に抜いたのは、海斗、お主だぞ。……大人しく、黙って俺の剣を受けるが良い。お主が知りたいことは、その後でじっくりと教えてやろう」

 

 ゾッとする程の冷たい声に、海斗は平伏したまま後ずさり、縁側から庭へと転げ落ちた。

 

 ほとんど同時に蓮也が踏み込んできた。

 

 低い位置に座り込んだ格好の海斗に対し、蓮也は鉄車流奥義のひとつである“天白”を遣った。

 

 それは天を斬る勢いで刀を上に廻し、低い位置にある相手の首を打ち落とす技である。

 

 稲妻のような刀閃が打ち下ろされた時、しかし、海斗の姿はそこには無かった。

 

 海斗は蓮也の一撃が襲い掛かった刹那、縁側を飛び越え、座敷に着地していたのである。

 

 海斗の左手には抜き放った脇差が下げられていた。

 

 蓮也は刀を振り下ろした姿勢から、そのまま前のめりに庭へと倒れ落ちた。その右脇腹は斬り裂かれており、そこから激しく血が溢れ出した。

 

「しまった!?」

 

 海斗は振り返り、庭へと飛び降りて蓮也の側に跪いた。

 

「蓮也殿、しっかり!」

 

「秘伝……秘剣か…?」

 

 蓮也は呆然とした面持ちで、斬られた右脇腹を手で押さえた。

 

「まさか、本当に実在したとは……不覚……」

 

 蓮也の目が一瞬、虚ろになったが、しかしすぐに見開かれ、近くにいた海斗の腕を掴んだ。

 

「逃げろ!」

 

「なっ!?」

 

「逃げろ、海斗。これは罠、俺は刺客だったんだ。派閥争いに巻き込まれ、選ばれてしまった……」

 

「蓮也殿!?」

 

「奴ら、お主の腕を警戒して……敵に回る前に殺せ、と……」

 

 蓮也の目から光が消え、その手が腕から離れた。

 

「蓮也殿……蓮也殿…っ!?」

 

 海斗は訳も分からず、その場に座り込んでいた。

 

 誰かがこの斬り合いを目撃したのだろう、どこからか甲高い悲鳴が上がり、続いて料亭の中を慌ただしく走り回る音が辺り中に響き渡った。

 

(逃げろ、だって?)

 

 何故だ? 何が何だか分からない。しかし、自分が蓮也を斬り殺してしまったのは確かだった。

 

 その原因は、蓮也が斬りかかってきたから……

 

 いや、

 

「これはッ!?」

 

 海斗は蓮也の刀を見て、息を飲んだ。

 

 この刀は……こんなことがあり得るのか……?

 

 しかし何故、この刀を……?

 

 まさか、蓮也は、まさか……!?

 

 視界が回り、喉元を塞がれるような苦しさが海斗を襲った。

 

 寝返りを打ち、暗闇の中、手探りで枕元の桶を引き寄せ、その中に盛大に血を吐いた。

 

「が……ゴホ……」

 

 大量の喀血に朦朧としながらも、海斗は自分が夢を見ていたことを自覚した。

 

 あの日、蓮也を斬ってしまった時の夢を。

 

「あなた!?」

 

 隣で寝ていためいこが、夫の異変に気付いて背中をさすった。

 

 喀血の多さから当初は感染症である労咳を疑い、幼い息子は当然として、めいこにも近づかないよう言いつけていたが、しかし医者から、どうも労咳では無いようだとの診断を受けてからは、こうして寝所を共にしている。

 

 原因はどうやら、肺ではなく喉にあるらしい。

 

「めいこ……大丈夫だ。もう、落ち着いたよ」

 

「あなた……」

 

 背中をさする手が止まり、代わりにそっと後ろから抱きしめられた。

 

「……あなた」

 

 その声に、かすかに嗚咽が混じる。

 

 妻の温もりを背中に感じながら、海斗は、闇を見つめていた。

 

 その闇の中に、蓮也と、そして幼かった彼の二人の子供たちの影が、ちらり、ちらり、と行き過ぎていった……

 

 

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