ダンシング☆サムライ~秘剣・左逆手居合~   作:PlusⅨ

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第十五幕・刺客御用

 凛の父、蓮也は剣の達人でありながらも、身分はしがない下級藩士でしか無く、父と子供二人の三人、日々の暮らしは楽とは言い難かった。

 

 そんな父が剣の稽古以外で唯一の楽しみとしていたのが、月に一度、同じ剣術仲間の始音 海斗と飲みに行くことだった。

 

 父は、幼かった凛の目から見ても、世渡り下手の不器用な男だった。というより、出世に興味のない剣術馬鹿と言った方が良かった。戦国の世が終わり、侍の評価も武辺一辺倒で出世できるわけでもなくなったが、それでも剣一筋に生きようとした父は、古い男だった。

 

 かと言って、身分の低さや貧しさを苦とする男でも無かった。

 

「蓮が元服したら、俺はさっさと隠居して道場を開く」

 

 というのが父の口癖だった。

 

 その話題が出る度、凛は、

 

「だったら、その道場は私が継ぐ!」

 

 そう言って、父を苦笑させた。

 

 そんな、世の動きなど何処吹く風だった父であったが、藩内の政治的しがらみは、本人の意思とは無関係に、鏡音家の運命を狂わせようとしていた。

 

 あれは、凛と蓮が十一歳になった頃だった。

 

 そのあたりから、鏡音家に妙に来客が増えた。

 

 最初のうちは同じ道場の若者たちが多かったが、やがて道場と関係の無い知り合いを連れてくるようになり、その知り合いが知り合いを呼んで、これまで関わりの無い者たちまで訪れるようになった。

 

 そして、彼らは父を相手に剣術談義をしに来た訳でも無かった。

 

 彼らは皆、眉間に皺を寄せ、時には声を荒げながら、様々なことをまくしたてた。父はそれを、目を伏せ、腕を組み、黙って聞いていた。

 

 襖越しに漏れ聞こえてくる声から、幼い凛にも、それが政治の話であることは理解していた。しかし、それが何故、父と関わりがあるのか、それが理解できなかった。

 

 そんな凛に、耳聡い蓮は、こう説明した。

 

「今、藩内ではお世継ぎ問題に絡んで、筆頭家老様と次席家老様との対立が激しくなっているんです。近頃では派閥に属する者たちへの闇討ち、暗殺なども起きているとか」

 

「そんな恐ろしい事が起きてるの。それじゃあ父上を訪ねてきている人たちって…!?」

 

「父上の剣の腕を見込んで、自派に引き込もうとしているのでしょう。鉄車流道場には次席家老様の甥がおりますので、おそらくそちら側かと」

 

「父上が、人を斬るかもしれないってこと?」

 

 凛は、自らが示した可能性の恐ろしさに息を呑んだ。

 

「父上にその気は無いと思いますがね」

 

 そう言った蓮もまた、不安を声に滲ませていた。

 

 そして、その悪い予感は当たることになる。

 

 その日、鏡音家を訪れたのは、例の次席家老の甥だった。彼は次席家老からの使いであり、父は彼に連れられて次席家老の屋敷へと出かけて行った。

 

 父が帰ってきたのは、夜も遅くのことだった。

 

 蓮とともに出迎えた凛が目の当たりにしたのは、これまでに見たことが無いほど陰惨な気配を漂わせた父の姿だった。

 

「父上、いかがなされましたか?」

 

 そう尋ねた蓮に、父は、

 

「大事無い。お前たちはもう休め」

 

 そう言って、自分の座敷へと去っていった。

 

 凛は、父のただならない様子が気になり、父の座敷の襖の隙間から、中を覗き見た。

 

 そこで凛が見たのは、己の刀を前にして、じっと何かを考え込んでいる父の姿だった。

 

 父はしばらく腕を組んで黙考を続けてた後、やおら立ち上がり、凛とは反対側の襖を開けて庭へと出て行った。

 

 父の座敷のすぐ外には、庭の井戸がある。

 

 父は手桶に水を入れて座敷に戻ってくると、座敷の隅の櫃から研ぎ石と目釘抜きを取り出し、そして己の刀を取り上げた。

 

 行灯の揺らめく明かりの中に、すらりと抜き放たれた刀身が妖しく光り輝いた。

 

 父は目釘抜きを使って刀から柄を外す。

 

 露わになった刀身に布を当てて手で掴むと、研ぎ石を使って刀を研いでいく。

 

 さり、さり、と一心不乱に刃を研ぎ澄ましていく父の姿に、凛は一抹の恐ろしさを覚え、薄ら寒くなった。

 

 凛は襖から離れると、自分の座敷に小走りに戻って、布団の中に潜り込んだ。しかし薄ら寒さは一向に消えず、凛は震える身体を丸め込み、眠れぬ夜を過ごしたのだった。

 

 翌日、いつものように勤めに出かけた父は、帰宅するなり、凛と蓮を前にしてこう言った。

 

「父はこれより、役目を果たしに出かけて参る。万が一、父が戻らぬ時は叔父上のところを頼るように」

 

 叔父とは、今は亡き母の兄に当たる人物である。父方には親類縁者はもう居らず、父にもしもの事があった場合、双子が頼ることのできる唯一の縁者だった。

 

 しかし、この父の言葉に二人は驚きを隠せなかった。万一とは言え、戻れないかも知れないお役目とは何なのか?

 

 それを訪ねても父は答えず、すぐに出て行ってしまった。

 

 昨晩から父の様子に不審を抱いていた凛は、蓮が止めるのも聞かずに、家を飛び出して父の後を尾けた。

 

 父が向かった先は、始音 海斗の家だった。

 

 父は海斗を呼び出すと、連れ立って城下町の寺町の方向へと向かいだした。寺町とは文字通り寺社仏閣が集められた地区であり、参拝者を見込んで多くの店が賑わう繁華街でもある。

 

 父は海斗と共に、寺町でも有数の高級料亭へと入って行った。父が普段通っている一杯飲み屋とは雲泥の差がある店である。

 

 父の行動の謎と、そして店の中に入れない事もあって、周囲をウロウロしている内に、後を追ってきた蓮に捕まった。

 

「姉上、戻りましょう。このような所は子供だけで来るものではありません」

 

「父上があの店に入って行ったのよ。変だわ。探らないと」

 

「探るって、どうするつもりですか?」

 

「中が覗けるところを探すの」

 

 分別くさい弟を無視して、凛は料亭の周りを歩き始めた。蓮も、止めても無駄と悟ったか、溜息を吐きつつ着いてくる。

 

 そして、料亭の周りを二周ほどした頃だろうか。料亭を囲む塀の向こうから、

 

「事実無根、言いがかりだ!」

 

 そんな叫び声が聞こえて、凛は、蓮と顔を見合わせた。声は二人の居る場所のすぐ近くからだった。さらに続けて、障子戸を破るような音と、

 

「蓮也殿、正気かッ!?」

 

 この声で、二人は父が塀のすぐ向こう側にいる事を知った。

 

 しかし塀は、二人の背丈よりもだいぶ高く、飛び上がっても上端に手が届きそうには無い。

 

 凛は、すぐに走り出した。近くに、予め目星を付けていた高い木があるのだ。そこに登れば中が見えるはずだった。自宅の庭の木に登っては、おてんば娘と父からよく叱られた凛である。木登りは得意中の得意だった。

 

 凛はすぐに木に飛びつくと、するすると高い位置の枝まで登り上がった。凛はそこで、縁側で平伏する海斗と、刀を手に躙り寄る父の姿を見た。

 

「先に抜いたのは、海斗、お主だぞ。……大人しく、黙って俺の剣を受けるが良い。お主が知りたいことは、その後でじっくりと教えてやろう」

 

 ゾッとする程の冷たい父の声。海斗は平伏したまま後ずさり、縁側から庭へと転げ落ちた。

 

 父が海斗に向かい、刀を抜き上げ様に振り下ろす。

 

 だがその瞬間、海斗は庭で座り込んだ姿勢から、突如として跳ね上がり、父の真横を閃光と共に飛び抜けた。

 

 庭先から座敷へと着地した海斗は、左手に抜き身の脇差を構えていた。

 

 閃光と見えたのは、海斗の一瞬の居合抜刀術だったのだ。

 

 凛には、海斗が左手でどのように抜刀し斬りつけたのか、まるで見えなかった。父よりも早い居合を見たことが無かった。

 

 その父が、刀を振り下ろした姿勢のまま庭先へと倒れた。その周りに血だまりが広がって行くのを目にした時、凛はようやく何が起きたのかを理解した。

 

 父が、斬られた。それもほとんど致命傷と思われる深手を負って。

 

 どこかで甲高い悲鳴が上がった。その悲鳴は凛のすぐそばから聞こえていた。いや、悲鳴を上げていたのは凛自身だった。

 

 肺から空気が無くなるまで叫んだ凛は、呼吸困難に陥り、苦しさのあまり目の前が真っ暗になった。平衡感覚が失われ、木から落ちそうになる。

 

 その寸での所で、誰かに身体を支えられた。

 

「姉上、姉上ッ!」

 

 ギリギリで追いついた蓮だった。

 

「姉上……凛ッ!!」

 

 蓮に支えられながら、凛は気を失った。

 

 その後、蓮はどうにかこうにか凛を抱えたまま木を降りたようだった。

 

 凛が目覚めた時、そこは見慣れた我が家であり、既に朝になっていた。

 

 昨日見た光景はまるで悪夢のようであったが、枕元で沈痛な表情で見守る蓮と目があった時、その悪夢が未だに終わっていないことを知った。

 

「先ほど叔父上の家から使いが来ました。姉上が目覚めたらすぐに来るようにとの事です」

 

 凛はどこか現実感を失ったまま、蓮と共に叔父の家へと向かった。

 

 辿り着いた双子を、叔父はすぐに奥の座敷へと招いた。

 

「蓮也殿が斬られたとの報せがあった。遺骸は今、お目付役の屋敷にあるが、まもなくこちらに運ばれてくるそうだ」

 

 その言葉通り、間もなく父の遺骸が大八車に乗せられて運ばれて来た。凛は、気が遠くなるのを必死に堪えながら、父の亡骸を検めた。

 

 明るい陽の下で見た父の姿は、冷たく、硬く、父によく似ていながら出来の悪い人形のようだった。

 

 しかし、それが父なのだ。

 

 その後、凛と蓮は、叔父が目付から聞いた事情を説明された。

 

「斬ったのは始音海斗だそうだ。この者が蓮也殿と懇意であったのは知っておろう。寺町の料亭で飲んでいたところ口論になり、喧嘩沙汰となった。と言うのが目付の見立てである」

 

「喧嘩、でありますか?」

 

 と、蓮が疑問を呈した。

 

「叔父上、お言葉ですが、これはただの喧嘩沙汰では無いと思います。先ず現場となった料亭ですが、父も始音殿も、普段はあのような場所には行きません。そして、父は出かける前、お役目を果たしに行く、と言っておりました」

 

「なに、お役目だと?」

 

「はい。さらにその前日には、次席家老様のお屋敷に呼び出されております。それらを考えると、父上は」

 

「待て、それ以上は申してはならん」

 

 蓮の言葉を遮った叔父は、顔を蒼白にしていた。

 

 そう、蓮は父が次席家老から刺客を命じられたと言っているのだ。そうなればこれは喧嘩沙汰では無い。父の死の責任は次席家老にある。

 

 しかしそれを口に出すことを叔父は禁じた。

 

 今はその次席家老と筆頭家老との政治対立による抗争の真っ只中であり、他にも多くの流血沙汰を引き起こしている。その中でこの少年の言葉が公になれば、一体どんな災いとなって返ってくるか……

 

「良いか、蓮、凛、この事はしばらく胸に秘めておれ。下手をすれば、お前たちまで巻き込まれる恐れがある」

 

「しかし、このまま喧嘩沙汰となれば、どうなりましょう?」

 

「正当な理由の無い私闘は、喧嘩両成敗が鉄則。始音は切腹となり、それで話は終わる。お前たちには辛い話だろうが、少なくともお家断絶は免れよう。しかし……」

 

 叔父は苦い顔になって天井を見上げた。

 

 凛が、

 

「叔父上?」

 

 と声をかけると、叔父は盛大に溜息をついた。

 

「蓮也殿も、どうせなら正当な理由を付けて、どこか人目の付かぬところで果し合いをしてくれれば良かったのだ。さすれば斬り死にしたとて病死として届け出ることもできたろうに」

 

「料亭を選んだのは父上の考えでは無いと思います」

 

 と、蓮は続けて考えを述べた。

 

「場所は既に指定されていたのでは無いでしょうか」

 

「言われてみればそうかも知れぬ。しかし、ならばせめて刀ぐらいは抜くべきであった。居合の達人ともあろう者が、刀も抜かずに正面からむざむざ斬られるなど、面目が立たぬでは無いか」

 

「え?」

 

 凛は、耳を疑った。父が刀を抜かなかった?

 

「そんな、そんな筈がありません!」

 

「信じたくなかろうが、事実である」

 

「だって、父上は確かに」

 

「姉上」

 

 凛の言葉を、蓮が遮った。

 

 蓮の方を見ると、彼は、何も言うな、と目で訴えていた。

 

「叔父上、私たちは大人しく沙汰を待ちたいと思います。申し訳ございませんが、父の通夜を営みたいので、ご助力をお願い致します」

 

「うむ」

 

 叔父の了承を得て、父の通夜はそのまま叔父の家で行われた。

 

 その通夜の最中、凛は蓮と二人きりになったのを見計らって声をかけた。

 

「蓮、父上は確かに刀を抜いた。そうよね?」

 

「誰が聞いているかも分かりませぬ。この話は止めましょう」

 

「私は気を失ったけど、蓮も見ていたはずでしょう。ねえ、どうなの!?」

 

 忠告などに耳を貸さぬ凛に、蓮は溜息をつき、声を潜めて答えた。

 

「……父上の刀を鞘に納めたのは、始音海斗です」

 

「なんですって!?」

 

「静かに。始音海斗は父上の側に駆け寄った後、刀を検めて、そして鞘に納めました。その真相は……」

 

「真相は? 蓮?」

 

「……いえ、真相は分かりませぬが、いずれ始音海斗の始末がつくときに明らかになるでしょう」

 

 蓮は、まるでどこか達観したようにそう言った。

 

 しかし葬儀が終わり、七日が過ぎても、鏡音家には何の音沙汰もなかった。

 

 その間、凛は父を失った悲しみと、不安と、そして悔しさに、ぼろぼろに泣いて過ごした。

 

 そして、一月ほど経った頃、叔父から再び呼び出しがあった。

 

「拙い事になった。始音海斗を取り逃がしたそうだ」

 

 その言葉に、凛は激昂した。

 

「あの男、逃げたのですか!?」

 

「拙いのはそれだけでは無い。先ごろ次席家老様が病に倒れられた。重篤だそうだ。これで政争は筆頭家老様の勝利に終わろう」

 

「では、父上のご沙汰は?」

 

「実は蓮也殿の刺客御用について責任を持って下さるよう、次席家老様の派閥に密かに働きかけておったのだが、事ここに至っては喧嘩沙汰で決着をつける他あるまい。しかし、そうなれば……」

 

「…仇討ち」

 

 蓮が、ぽつりと呟いた。

 

 そうだ、仇討ちだ。と、凛は心中を熱くした。

 

 父を殺し、それだけに飽き足らず、父の剣士としての面目まで潰し、果ては卑劣にも逃亡した始音海斗を、この手で葬らねば!

 

 しかし、その熱は叔父の次の言葉で、一挙に覚まされた。

 

「仇討ちは、お前たちだけで遣り遂げねばならん」

 

 叔父にとって、蓮也は妹の夫、義理の弟にあたる。

 

 当時は仇討ちも法律で厳格に定められており、目上の者(主君や、父、兄、夫)の仇討ちは正当と認められたが、目下(部下や妻、弟や姉妹、子供等)の仇討ちは認められなかった。

 

 つまり仇討ちの資格があるのはこの幼い双子だけなのだ。もし叔父がそこに加わろうとするなら、それはあくまで第三者の助太刀という立場でとなる。

 

 しかし、叔父はその仇討を双子だけで行えと告げたのだ。助太刀はしないという宣言だった。非情な言葉だが、そこにはやむを得ぬ事情があった。

 

 そもそも仇討ちというのは、一種の公認化された私刑である。別の言い方をすれば、加害者を、被害者の家族が自己責任と自己負担で裁けという事である。仇の捜索も、始末も、藩の協力を当てにする事はできず、しかも仇討ちが果たされなければ藩内へ帰る事さえ出来ないのだ。

 

 叔父にも守るべき家があり、しかも子供はまだ幼い。

 

 そんな家族を残して仇討ちに、それも行方をくらませた剣の達人を探し出して殺さねばならぬという、およそ成功する見込みがほとんど無い旅に加わってもらうのは、酷と言えた。

 

 凛も、そして蓮もそれを察していた。

 

 蓮は言った。

 

「次第、相分かりました。仇討ちが許されたならば直ちに元服し、始音海斗めの首を取って参ります」

 

「おお、やってくれるか!」

 

 叔父は身を乗り出して、蓮の手を取った。

 

「お前達には苦労をかけるが、これも侍の務めだ。わしも出来る限りの協力をしよう」

 

 叔父は涙ぐみ、声を詰まらせたが、凛の感情は覚めていた。きっと、協力はほとんど当てに出来ないだろう。それは手を握られている蓮も同じだと、凛には分かった。

 

 ただ、絶望感は無かった。軽い失望と、それによって掻き立てられた反発心と熱意があった。それはきっと、蓮も同じだろうと、凛は思っていた。

 

 やがて叔父の言った通り、父の一件は喧嘩沙汰に決着し、鏡音姉弟に対し仇討ちを許す旨が伝えられた。

 

 形の上では双子が願い出て藩が許した形だが、実際は命令に等しい。個人の命よりも、侍としての面子を守る事が最重要視される時代である。現在とは価値観そのものが違う。

 

 鏡音姉弟は、死出の旅に等しい仇討に、二人きりで出発した。凛と、蓮、若干十二歳のことであった。

 

 しかし、双子は幸運に恵まれていた。旅立ちから程なく、海斗の噂が聞こえて来たのである。

 

 きっかけは、海斗が中心となって進めた葱の新種の買い付けである。買い付けに関わった商人が、海斗の人柄に惚れ込み、行く先々で彼の噂を広めていた。

 

 そこに堤防工事の一件も加わり、海斗の名は一気に拡まった。

 

 まさに双子にとっては天佑、そして海斗にとっては皮肉としか言いようが無いことである。

 

 かくて海斗を仕留めるべく、九里府藩へとやってきたのだが……

 

「しかし、始音海斗の居所を突き止めたは良いものの、私たちには、そこから先の手立てがありませんでした……」

 

 寒風が吹き込む雑木林の中、凛は沈んだ声で言葉をこぼした。

 

「始音海斗は、父をも斬った示現流の達人。そんな男に正面から掛かっては、例え二人がかりでも勝ち目はありません」

 

 落ち込んだ様子の凛に、楽歩は以前、海斗の家の近くで彼らを見かけた時のことを思い出した。

 

 あの時、殺気を滲ませるほど思い詰めていた凛と、それとは対照的に静けさを保っていた、蓮と思わしき少年。

 

 楽歩は、

 

「海斗は……あの男は今、病で臥せている」

 

 と、それだけを言った。

 

 凛は頷いた。

 

「知っております」

 

「では、なぜ?」

 

 寝込みを襲わなかった。という意味を込めて楽歩は訊いた。

 

 仇討ちである以上、それは命の遣り取り、戦と同義である。戦であれば敵の不意を突くのは兵法の一つであり、卑怯には当たらないとされていた。

 

 しかし、凛は首を横に振った。

 

「弟が、正面からの立ち合いを望んできかないのです。勝ち目など万に一つも無いというのに…だから!」

 

 ハッと、凛は伏せていた顔を上げた。思い詰めた、切ない瞳が楽歩に向けられる。

 

「だから…どうか……」

 

「姉上」

 

 静かだが、はっきりとした声が、凛の言葉を遮った。

 

 声の主は、楽歩の背後からだ。振り向くと、楽歩から十数歩ほど離れた位置に、一人の少年が佇んでいた。

 

 凛と良く似た顔立ちの少年、蓮だ。

 

 しかし、

 

(気配に気付けなんだ…!?)

 

 思った以上に近い位置に居たことに、楽歩は背中に冷たいものを感じた。

 

「姉上」

 

 蓮があの日と同じく静けさを保ったまま、もう一度繰り返した。凛は何かを言おうとしたが、蓮の不思議な気配に威圧されて、押し黙った。

 

 蓮の目が、楽歩に向く。

 

「鏡音 蓮と申します。…神威 楽歩殿ですね」

 

「いかにも」

 

「いつぞや始音殿の役宅近くでお見かけしたと記憶しています。あの時は挨拶もせず、ご無礼いたしました」

 

「…うむ」

 

 妙な少年だ。と、楽歩は思った。この落ち着き様は、歳不相応であるだけでは無く、仇を前にした仇討人としても異様だ。

 

 蓮は言った。

 

「姉が不躾なことを申したかも知れませぬが、あなたには関わりの無いこと。どうかお忘れ下さい」

 

「それはできぬ。俺は始音海斗と浅からぬ因縁がある」

 

「存じております。御懇意であられるとか」

 

 蓮の言葉に、凛が息を呑んだのが、楽歩には気配で分かった。楽歩は少しだけ振り返って凛の青い顔を一瞥した後、蓮に向き直って言った。

 

「俺は、海斗との立ち合いを望んでいる」

 

「左様ですか。そちらのご事情に立ち入ることはいたしません。ですがせめて、私たちの立ち合いの後にして頂けると助かります」

 

 蓮は平然とそう言ってのけると、凛に目を向け、

 

「行きますよ、姉上……それでは神威殿、これにて失礼いたします」

 

 そう言って一礼し、踵を返して去って行った。

 

 凛もそれを追って、しかし一度立ち止まり、楽歩に向かって頭を下げて、そして去って行った。

 

 その時に見せた切なげな瞳が、楽歩の心に深く残っていた……

 

 

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