ダンシング☆サムライ~秘剣・左逆手居合~   作:PlusⅨ

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第十七幕・祝言

 婚礼の日、九里府の地にしては珍しく雪が積もった。

 

 冬も終わろうとするこの時期に、ひときわ強い寒気が山を越えて雪を運び、一面の景色を白く染め上げている。

 

 その寒気も昼には雪雲と共に過ぎ去り、空は抜けるように青く、その下を婚礼の行列が厳かに進んでいた。

 

 先頭を歩くのは裃姿の蓮である。

 

 その後には嫁入り道具を入れた長持を運ぶ人々が、そして、花嫁を乗せた籠が続く。

 

 そのさらに後ろからは、婚礼を祝う人々が列をなしていた。

 

 見た目だけならば、立派な花嫁行列である。しかし、長持の中身はわずかな着物を除いてほとんどが空であった。

 

 後に続く者たちも、宿場町の者たちばかりで、鏡音家に連なる者は一人としていない。

 

 そう、この行列は、仇討を果たすまでは故郷に帰ることもできない年若い双子の身の上を不憫に思った宿場町の人々の、せめてもの心尽くしだった。

 

 昼過ぎに宿場町を発した行列が廃寺に着いたのは、すでに日も傾きだした時分であった。

 

 朱に染まった茜空の下、灰寺の境内にて猫村一座が行列を出迎えた。

 

 蓮が籠の前に下駄を並べ、籠の戸を引き開ける。差し伸ばした蓮の手を借りて、花嫁姿の凛が姿を現した。

 

 辺りを染める雪景色よりもなお輝く白無垢に角隠し。そこに赤地に黄色牡丹も鮮やかな打掛を羽織っている。

 

 この衣装もまた、宿場町の者たちの心尽くしである。凛の持ち物は、わずかに胸の懐剣ただひとつきりであり、これは幼き日に死別した母の形見でもあった。

 

 凛は、白粉に朱を引いた可憐な顔立ちを俯かせながら、蓮に手を引かれつつ、本堂の敷居をまたいだ。

 

 その瞬間を待っていたように、一座の者が笛と太鼓を響かせる。

 

 優馬が唄う。

 

――

 

 鏡音姫さまのお成りにござる

 

 めでたきかな、嗚呼、めでたきかな

 

――

 

 お囃子がかきたてられる中、一座から宿場町の者たちへ祝いの餅が配られ始めた。

 

 その様子を背中にしながら、凛と蓮は本堂の奥座敷へと進む。

 

 奥座敷では、裃姿の楽歩が上座に着いて待っていた。その斜向かいに、いろはとルカが座している。

 

 凛は俯いたまましずしずと上座へ進み、楽歩の左側へと着座した。

 

 蓮は、いろはとルカが対面になるように座り、彼女たちに向かって深々と頭を下げた。

 

「それがしは愛洲藩藩士、鏡音蓮也が嫡男、蓮と申し候。これなるは同じく蓮也が娘にして我が姉、凛と申し候。此度は神威家と縁を結びしこと、祝着至極に存じ候」

 

 いろはもまた礼を返し、答えた。

 

「私は神威家に連なりし猫村一座が筆頭、いろはにございます。神威様の亡き父君に代わり私がご挨拶をさせていただきます。こちらは、かつて那須藩藩士であらせられました神威家ご当主、楽歩様にございます。鏡音家のご息女をお迎えできること、光栄でございます」

 

 両家の挨拶が済み、五人は本堂の広間へと移動した。

 

 そこには既に一座の者たちと、宿場町の者たちが左右に分かれて座している。

 

 その上座となる場所には緋の毛氈が敷かれ、背後には金屏風が立てられ、楽歩と凛はそこに並んで座した。

 

 その彼らの前に、礼夫が三つ組の盃を乗せた三宝を、ミズキが長柄の銚子を、それぞれ持って進み出た。

 

 礼夫が二人の間に三宝の三つ組の盃を置き、ミズキが酒を注いだ。

 

 三献の儀、または固めの盃である。楽歩が大中小に分かれた盃の小を取り、口にした後、凛へと手渡した。

 

 その時、初めて二人は向かい合い、目を合わせた。

 

 楽歩を上目遣いに見上げる凛の瞳は、熱に浮かされ潤んでいるように見えた。盃を渡す際に触れた凛の指先が、かすかに震えた。

 

 凛は小の盃を飲み干した後、中の盃を取って一口飲み楽歩へと渡す。

 

 楽歩はこれを飲み干し、最後の大の杯に口をつけて、凛へと渡し、彼女もこれを飲み干した。

 

 そうやって盃を交わすたびに、凛の瞳は熱と潤いを増し、振れる指先に艶めかしさが漂いつつあるように楽歩には感じられた。

 

 固めの盃が交わされたのを受けて、蓮と、いろは、そしてルカが座の中央へと進み出た。

 

「ここに神威家と鏡音家の縁が成されたこと、喜びに堪えませぬ。然らば古よりの吉例に従い、祝言の謡を贈り候」

 

 蓮は正坐のまま背筋を伸ばし、居住まいを正した。そこには、若輩ながら一門の侍としての威厳があった。

 

 そして、蓮が低い声で謳い出す。

 

 

 

 

――

 

 所は高砂の 尾上の松も 年ふりて 老の波も より来るや 木の下かげに

 

 落葉かくなるなるまでも 命永らえて なをいつまでもいきの松

 

 それも久しき名所かな それも久しき名所かな

 

――

 

 

 

 能楽“高砂”である。

 

 黄昏が押し迫り、本堂の中が宵闇に満たされつつある中、いろはの笛が清らかに響き渡った。

 

 ルカが扇を手に立ち上がり、行燈の灯りに揺らめきながら舞い始めた。

 

 蓮の謡が響く。

 

 

 

――

 

 四海波静かにて 国を治むる時津風 枝もならさぬ 御代なれや 

 

 あいに相生のまつこそ 目出度かりける げに仰ぎてもこともおろかや かかる世に 

 

 住める民とて豊かなる 君が恵みぞありがたき 君が恵みぞありがたき

 

――

 

 

 

 楽歩は、笛吹くいろはを、舞うルカを、その姿を心に焼き付けるがごとく、硬い表情で見つめていた。

 

 そんな楽歩の横顔を、凛は角隠しの下から横目で見つめていた。

 

 この婚礼は仇討のためのものである。しかしそれを方便に過ぎぬというには、凛の想いはあまりにも一途だった。

 

 この祝言は、まさしく凛のためのものであった。一生に一度の女の幸せを仇討のために捧げた少女への、一夜の夢、泡沫のような幸せである。

 

 

 

――

 

 高砂や この浦舟に 帆をあげて 月もろともにいで汐の

 

 波の淡路の島影や 遠くなるほど 沖すぎて 

 

 早や住之江にぞ 着きにけり  早や住之江にぞ 着きにけり

 

――

 

 

 

 ここに晴れて、楽歩と凛は、夫婦となった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 その夜、いつもならルカと共に眠る座敷で、楽歩は凛と共に枕を並べた。

 

 無論、楽歩は凛に手を出すつもりはなかった。ルカへの操建てでもあり、何よりそれをしてしまえば凛の泡沫の幸せを俗で汚すことになる。

 

 だから、ひとつの寝具に枕を並べたものの、二人は互いに背中合わせで横になっていた。

 

 だが夜の冷気が忍び入り、楽歩は、凛がかすかに身体を震わせる気配を感じ取った。

 

 楽歩はそっと寝具から抜け出した。

 

「楽歩様?」

 

「俺が居れば窮屈であろう。遠慮せずに夜具の真ん中で眠るがよい」

 

 楽歩はそう言いながら、重ね着していた寝間着を一枚脱いで、それを凛にかけた。

 

「これでは楽歩様がお風邪を召してしまいます」

 

「剣士たる者、寒に身を晒さねば却って鈍り風邪をひくのだ」

 

「左様でしたか……」

 

 凛は掛けられた寝間着を首元まで引き寄せ、そっとその中に顔を埋めた。

 

「なんだか、懐かしい気がいたします。失礼ながら、父上に似ている気がして……」

 

「居合の達人であったそうだな。宝蔵院流の技は、俺も興味を惹かれるところである」

 

「そうやって、楽しそうに剣を語るところも、似ております」

 

 寝具の中で、凛は笑みをこぼした。

 

「昔、私が風邪をひいたとき、震える私を父が添い寝して温めてくれました。いまでもその温もりを夢に見ます」

 

「うむ」

 

「楽歩様、お願いがございます」

 

「ん」

 

「はしたないと思われるかもしれませんが……どうか、添い寝していただけませんでしょうか……」

 

「……」

 

「その……あの日の父のように、ただ温めてくれるだけでよいのです……それ以上は求めません」

 

 ですから、どうか。

 

 暗闇の中、凛が身を起こし、傍らに座る楽歩の膝へと手を伸ばした。楽歩はしばらく動かなかったが、やがて、凛の肩に手を伸ばした。

 

「あ……」

 

 楽歩は凛を引き寄せると、己の膝の上に横たえた。

 

 その身体に寝間着と寝具をしっかりと掛けてやり、そして、膝枕した凛の頭を優しく撫でる。

 

「楽歩…さま……」

 

 凛は気持ちよさそうに瞳を閉じ、やがて、静かな寝息を立て始めた。

 

 楽歩は、長い間、そうやって膝の上の凛を撫で続けた。

 

 どれだけそうしていただろうか。

 

 凛がすっかり深く寝入ってしまった頃、

 

「……いろは、来てくれぬか」

 

 その声に、襖が音もなく開き、いろはが姿を現した。

 

 いろはは、楽歩の膝枕で眠る凛を眺めて、優しい笑みを浮かべた。

 

「可愛い顔してるよ、この子。よほど安心したんだろうねぇ」

 

「父に似ていると言われた。俺も老けたものだな」

 

「まんざらでもないって顔してるよ。後でルカに言いつけてやろうかね」

 

「夜目が利くとはやはり猫だな。やましいことなぞ何もない」

 

「女は父の面影を追い続けるものさね。この子、アンタに惚れてるよ」

 

「……思いつめたが故の心の迷いだ。仇討が終われば、憑き物が落ちるように忘れるものだ」

 

 楽歩は、凛を起こさないようにそっと、そして優しく、彼女を寝具へと戻した。

 

 布団をかけなおす楽歩の背中に、いろはが小さく声をかける。

 

「本当に、お代官様を斬るのかい?」

 

「斬る。だが、斬られるかもしれん。あの男は強い」

 

「……楽歩」

 

「ん?」

 

 いろはからまともに名前を呼ばれたのは、初めてだった。

 

 振り返ろうとした楽歩の背中に、いろはが身を寄せていた。

 

「いろは…?」

 

「いつかさ、アンタが侍をやめてくれるんじゃないか、そう思ってたよ。でもさ、アンタはやっぱり侍なんだね……」

 

「………」

 

「それでもいいよ。それでもいい……でも、死んじゃ嫌だよ」

 

「……うむ」

 

 背中にいろはの温もりを感じながら、楽歩は、頷いた。

 

 そして、彼は言った。

 

「いろは、済まぬが少し付き合ってくれぬか?」

 

「どこへだい?」

 

「大切な友との、約束を果たしにな……」

 

 ずっと果たせずにいた、あの、約束を―――

 

 

 

 

 

 

 

 

―――夜明け間近の暁闇の中、海斗はある気配に突き動かされたような気がして、目を覚ました。

 

 元より、身を蝕む病で夜通し眠れたことなど無い日々である。この日も、すでに数回の喀血で枕元の手桶を血で汚している。

 

 寝不足の疲労で朦朧としながらも、それでも海斗は寝具から立ち上がり、おぼつかぬ足取りで雨戸を押し開け、庭に面した縁側に座した。

 

 その気配に、隣で眠っていためいこも目を覚ました。

 

「あなた?」

 

 夫の奇妙な行動に戸惑いつつ、めいこは海斗の隣に座った。

 

「いかがなされたのですか?」

 

 そう問うめいこに、海斗は月光に仄明るく輝く庭に目を向けたまま言った。

 

「門を……見てきて…くれない……か」

 

 その声はかすれ、絶え絶えだった。

 

 夫の言葉に従い、めいこは玄関から出て、閉ざされた門の横にある脇戸から表に出た。

 

 表には誰もいなかった。

 

 夫は何を思ってこんなことを言い出したのか。疑問に思いながら戻ろうとしためいこだったが、その時、遠くに揺れる提灯の灯りを目にした。

 

 その提灯の灯りに照らされ、持ち主の姿が露わになったとき、めいこは夫が予感したものの正体を悟った。

 

 それは、楽歩だった。その脇には年若い少女の姿もある。

 

 楽歩は、表で待っていためいこの姿を目にして、驚きの表情を浮かべた。

 

「夜明けを待つつもりであったが、まさか、起きていたとは」

 

「夫はあなた様の来訪を予感しておりました。きっと、私にはわからぬ絆がおありなのですね」

 

 めいこはそう言って、寂しそうに笑った。

 

「どうぞ、こちらへ」

 

「できれば、庭先へ案内していただきたい」

 

「わかりました」

 

 めいこは頷いた。海斗はすでにその庭先で待っている。やはりこの二人には、妻ですら立ち入れぬ絆があるのだと、めいこは思った。

 

 玄関から入らずにそのまま庭へ行くと、そこには海斗の他に、眠そうな顔をした息子の赤人の姿もあった。

 

 幼い息子は、海斗の隣に正坐しながら、うつら、うつらと舟を漕いでいた。

 

 庭先に立つ楽歩と、縁側に座する海斗は、互いに目を合わせた。

 

 二人の間に、言葉は無かった。必要も無かった。

 

 海斗は、楽歩を見据えたまま、

 

「赤人」

 

 と傍らの息子の名を呼んだ。

 

 かすれ声であったが、息子はすぐにぱっと居住まいを正し、顔を海斗へと振り向けた。

 

「はい、ててうえ」

 

「お前の成長の祝いである。しかと、見届けよ」

 

「はい、ててうえ」

 

 幼子は素直に頷き、楽歩に純真な眼差しを向けた。

 

 楽歩は、赤人に対し、深く一礼した。

 

「拙者、神威楽歩と申し候。始音家ご嫡男、赤人殿のご誕生と健やかなるご成長を祈念し、舞を奉じ仕る」

 

 楽歩が扇を抜き、厳かに立ち上がる。

 

 いろはの笛が、月光下に響き渡った。

 

 その時、海斗には、楽歩の姿がおぼろに霞んだように見えた。

 

 それは、病魔と疲労に目が眩んだためかと思われたが、そうではなかった。

 

 庭の景色は月に照らされ冴え冴えとしている。ただ、その視界の中心にいるはずの楽歩の姿が霞むのだ。

 

 焦点を合わせようにも合わせられぬ、不思議な気配。

 

 楽歩は静かに舞っていた。いろはの緩やかな調べに合わせ、扇を回し、拍子を踏む。

 

 静と動が同時に存在し、現と幻が混じりあう、幽玄の舞。

 

 幼い赤人は、目立って動くとも見えない楽歩の舞を前にして、それでも何かに縛られたかのように見入っていた。

 

 めいこもまた同じである。この場を支配していく不可思議な緊張感に息をのんでいた。

 

 そして、海斗は、

 

(――斬れぬ)

 

 心中で感嘆の溜息を漏らしていた。

 

 塵ひとつほどの隙のない不動の構えに目を凝らそうとすれば、その拍子を読まれたかのように舞われて視点を外される。

 

 不思議なのは、その拍子が、楽歩の舞と、いろはの笛、共に一糸乱れぬところである。

 

 達人と、達人。海斗は、己の拍子がこの二人に見事なまでに映されてるのを悟り、言いようのない幸福に満たされた。

 

(もはや悔いはない)

 

(――左様か)

 

 楽歩が一瞬だけ、笑った。

 

 その瞬間、海斗の目が楽歩の隙を捉えた。

 

「―――ふ」

 

 かすかに息を漏らし、剣気が飛ぶ。

 

 だがそれよりわずかに早く、笛の音が拍子を変えた。

 

 変拍子。

 

 楽歩がサッと身を翻して地を蹴った。

 

 そのまま跳ねるように二、三度舞い、そして笛の音が止んだ。

 

 東の空が白み始める中、楽歩は扇を納め、一礼した。

 

 どこか遠くで、若い鶯が鳴いた。

 

 鶯は春告鳥である。

 

 その日、街中には、海斗と鏡音姉弟の決闘を告げるお触書が出されていた―――

 

 

 

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