ダンシング☆サムライ~秘剣・左逆手居合~   作:PlusⅨ

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第八幕・侍の責務

 喪が明けぬ内は商売にならぬ。と、猫村一座は秋が深まる前に、例年より早く九里府藩を去っていった。

 

 それからしばらく経ち刈り入れの時期が近づいてきた頃、海斗の元に本音村の出流が訪れてきた。

 

「では、間も無く大風が来ると?」

 

「はい。このところ昼は妙に生暖かい日が続いており、時折、山に分厚い雲がかかるようになりました。村の年寄りが言うには、これは大風が吹く先触れだと言う事です」

 

「その大風、刈り入れ前に来ると拙いな」

 

「ええ。ですのでウチの村は庄屋に掛け合って、刈り入れを早めるつもりです。きっと、他の村も同じでしょう」

 

「そうすると収穫量が減ってしまい、年貢を納めた後が厳しくなるが、大丈夫か?」

 

「幸い、今年は去年よりも稲がよく育っておりますから、何とかなりましょう。それに大風で台無しになるよりマシですから」

 

「そうか」

 

 後日、各村の庄屋を通じて、郡奉行所に刈り入れを早める旨の申し入れが正式に行われた。

 

 だが、ここで思わぬ事が起きた。

 

 郡奉行が、それに待ったをかけたのだ。

 

 ある日、海斗は郡奉行から直接、呼び出された。

 

 この郡奉行は、かつてのあの上役である。夏に先代藩主が亡くなった後、現藩主である未来ノ守は各部署の人事を刷新し、先代の色濃い旧体制から新体制へと移行していた。

 

 かつての上役もまた、新体制側の人間である。そのため上役の出世に伴い、海斗もまた重用されるようになっていた。

 

「始音、お主を呼んだのは他でもない。各村をまわって刈り入れの前倒しを止めるように説得してもらいたいのだ」

 

「承知致しましたが、しかし、理由をお聞かせ願えませんでしょうか?」

 

「うむ。お主も、印種川の各地に堤防があることは知っておろう」

 

「はい」

 

 印種川は、この九里府随一の大河である。そしてこの川は、度々氾濫しては農地に大きな被害を与える暴れ川としても有名だった。

 

 そのため、治水のため川の要所要所に堤防が築かれていたのだが、

 

「その堤防の整備がここ数年、滞ったままなのだ。原因は藩の財政難だ。幸い近年はさほど天候が荒れなんだから持ち堪えたものの、堤防は各地でほころびが目立つようになってきた。これ以上、捨て置く訳にはいかぬ」

 

「では、すぐにでも修理工事を行うと?」

 

「うむ。本来なら領民の負担が少ない農閑期に行いたかったのだが、今年は近年にない大風が来るという。古くなった堤防が決壊すれば田畑のみならず村そのものが流されるかも知れぬのだ。危険な堤防は多く、工事は大規模なものとなる」

 

「それでも……」

 

 刈り入れを早めてからではいけないのか。という言葉を、海斗は飲み込んだ。

 

 刈り入れには膨大な時間と人手が必要であり、堤防工事に人手を割いた状態で同時進行させる訳には行かないのだ。

 

 もし刈り入れを優先させれば、確実に大風が堤防工事の最中に来るだろう。

 

 しかし、堤防工事の後に刈り入れを行うとなれば、大風で稲が倒れる。結果として被害は出るのだ。

 

 だが奉行があえて口にしなかった事があるのも、海斗は気づいていた。

 

 複数ある堤防全てを一気に修理しようというのだ。その費用もまた莫大である。そのため、刈り入れを早めて、自ら収穫を減らしてしまう政策を取り辛いのは想像に難くなかった。

 

 奉行はおそらく、刈り入れを早めないという条件で、藩の重臣たちを納得させたのでは無いか。海斗はそう思った。

 

「各村、必ずや説得してご覧に入れましょう」

 

「おお、やってくれるか」

 

 奉行は安堵したように顔をほころばせたが、すぐに表情を引き締めた。

 

「此度の事、領民に多大な迷惑と苦労をかける。だが堤防工事は目先の事に非ず、今後十年の領民の生活がかかっているという事を納得してもらいたいのだ。良いな?」

 

「はっ」

 

 海斗は早速、村々をまわり始めた。

 

 既に触れを聞いていた村々では大人しく刈り入れを控えるところが大半であったが、それでも海斗は、全ての村で直接、今回の工事の意義を説いて回った。

 

 これはただの上からの命令で行うのでは無く、領民の生活を子々孫々の代まで守るために行うのだと、そう説き、心からの協力を願ったのだった。

 

 その甲斐あり、堤防工事は全ての村々から人夫が集まり、高い士気の元、滞り無く始められたのだった。

 

 

 

 

 

 

 天候が急変したのは、堤防工事も終盤にさしかかった頃だった。

 

 朝から異様に生ぬるい風が吹いていたが、それが昼過ぎになって急激に強くなった。

 

 山の木々が軋むほどの強風はすぐに黒雲を伴い、滝のような雨を叩きつけた。

 

 奉行は、朝方からの生ぬるい風が大風の前兆だと気付いており、昼前には最も工事の遅れていた現場へと駆けつけていた。

 

 奉行は午後の天候の急変に、すぐに工事の中止と人員の退避を命じた。

 

 雷鳴轟く土砂降りの中、工事に当たっていた村人たちが避難した直後、ゴォ、という地鳴りのような音とともに、真っ黒な濁流が上流から、凄まじい勢いで堤防へと流れ込んできた。

 

 それは、これまで誰も経験したことの無い激しいものだった。

 

 この濁流に、それでも堤防はしばらく耐え続けていた。

 

 しかし濁流の勢いは収まるどころか更に増し、ついには堤防の縁を超えて溢れ出してしまった。

 

 雨と風は夜更けまで続き、堤防から溢れ出した水は、下流域の田畑をことごとく浸し、水がようやく引いた頃には、九里府藩の主要な田の二割近くが被害を受けていたのだった……

 

 

 農村への水害があまりにも甚大であった事から、九里府藩はこの年の年貢を大幅に下げざるを得なかった。

 

 しかも堤防の修復は引き続き行う必要があったため、藩の財政は非常に苦しいものとなった。

 

 そして、この責任を取る形で、郡奉行の切腹が決まったのである。

 

 

 

 

 切腹の下知があった後も、奉行はいつもと同じ様に淡々と職務をこなしていた。

 

 何しろ被害からの復興処理に、堤防工事の延長、そこに被害を免れた稲の刈り入れなど、とにかくこなさなければならぬ業務は大量にあった。

 

 奉行は己の命日が定まった事を一言も口にする事なく、ひたすらその職務をこなしていた。

 

 だが一方で、着実に後任への引き継ぎ準備も進めていた。そして、それに気付いていたのは、海斗だけだった。

 

 下知があってから数日後、仕事を終えた海斗は、奉行から呼び出された。

 

「始音、お主に介錯を頼みたい」

 

 やってくれるな、と奉行は穏やかに言った。いつもと変わらない、そこの文書を取ってくれと言う時と同じ、平穏な口調だった。

 

 しかし、それが却って奉行の覚悟が定まっている事を示していて、海斗は込み上げてくるものを抑えきれなくなって、床に手をついて頭を下げた。

 

「介錯の儀、承りまして…ござい……ます」

 

「うむ」

 

 奉行は、用件は終わりだ、帰って良い。そう言って、海斗に背を向けて文机に向かった。

 

 しかし、海斗は平伏したまま、動こうとしなかった。

 

 奉行がその気配に気づき、再び振り返った。

 

「如何した?」

 

「おそれながら申し上げます」

 

 海斗は顔を上げた。

 

 その目は潤み、口元がわなないていた。

 

 海斗は言った。

 

「お奉行がなされた事、私には間違っていたとは思えませぬ。大風による被害は大きかったものの、お奉行がそれを見越して工事を早めていなければ、堤防は間違いなく破れ、被害はさらに甚大となって取り返しのつかないものとなっていたでしょう。それなのに…それなのに……っ!」

 

 海斗は歯を食いしばって、胸の奥から湧き上がる激情と涙を堪えた。

 

 悔しかった。

 

 領民のためを思って行った事が評価されず、ましてや罪に問われる。

 

 その不条理が悔しかった。

 

 だが、その罪を奉行ただ一人に背負わせてしまった己の不甲斐なさが、一番悔しかった。

 

「始音……」

 

 奉行が、平穏な声でその名を呼んだ。

 

「……始音よ、お主は思い違いをしておる。私が腹を切るのは、罪に問われた事のみでは無い」

 

「し、しかし」

 

「始音よ。我ら侍が、何故、人の上に立っているのか、分かるか?」

 

「それは」

 

 侍だからだ。と答えようとして、海斗は言葉に窮した。

 

 生まれながらに侍に備わった権利か?

 

 違う。

 

 そんな子供じみた幻想は、浪人時代の旅暮らしで、当に打ち砕かれていた。

 

 米も作らず、物も建てず、商いができるわけでもない。

 

 侍ができる事は何か?

 

 侍がすべき事は何か?

 

 奉行は言った。

 

「此度のこと、堤防を工事したのは民だ。被害を受けたのも民だ。豊作になれば喜ぶのは民であり、不作になれば苦しむのも民だ。だが……」

 

「……」

 

「……責任を負うのは、我ら侍だ」

 

「責任……」

 

「左様。我らは責任を負うために、上に立っているのだ。それが、役目なのだ。侍が命をかけて責任を負うからこそ、領民は困難に立ち向かってくれるのだ」

 

 それをゆめゆめ忘れるなかれ。

 

 奉行はそう言って、そして最後に、こう付け加えた。

 

「始音よ。それでもお主が納得できなければ、それはそれで良い。お主自身が答えを見つけ出せば良いのだ。……後を頼むぞ」

 

 奉行は再び文机に向かい、そしてもう振り返ることはなかった。

 

 海斗は、彼の背中を目に焼き付けようと思った。

 

 その目から、堪えていた涙が一筋、流れ落ちた。

 

 

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