(今日は、ここで休もう)
ある川辺に私は立ち止まる。
背水ではあるが、構うものか。あちらから来るというのならば、返り討ちにするまでだ。
血に塗れた剣と、血に錆れた盾を置き、仮初にでも休む。武具を降ろした事は何時ぶりだったか、身体がやけに軽く感じた。
あの日を境に、少女と無限の龍は消えた。屍体が無かったという事は、姉と同士討ちになったという訳ではあるまい。ならば生きている筈。生きて、何処かに居る。そう信じて、それだけを支えにここまで歩いてきた。
そしてそれを信じるのは私だけでは無い。彼女の理想に追従し、心酔した者達。狂信的とも言える彼らは、ただその生死の不明さからくる苛立ちを私にぶつけるように勝負を挑んで来た。
彼らに使役される者たちに罪はない。よって、命は奪わなかった。その主達にも少なくとも数ヶ月は動けないような傷を負わせたが、死ぬ事は無いだろう。
なんと、情けない事だろうか。年端も行かない少女に何もできぬ稚児のように縋りつき、未来を全て託して考えを放棄する彼らのその姿。今思い出しても呆れ返り、煮えくりかえるような激情を感じる。ふざけるなよと。その身勝手な欲望がどれほど彼女らを追い詰めた。
(……私は、怒っているのか)
そうだ、怒っている。それもまた、復讐に依る怒りではない。
復讐をすべき相手への、義憤。少女への思いが私を苛む。延々と、苛み続けている。
少女を思えばまだ、心の中にあのカレーの匂いが漂う。脳の中に思い描かれるのは、いつも笑顔の彼女だ。
そうだ。未だにあのキャンプの篝火が私の胸を焼いている。あの焚き火の煙が、記憶を燻している。あの光景は今でも、この心を追憶に炙っているのだ。
心が、迷う。
復讐の、怒りの炎が揺らめく。
揺らめく火は小さな息吹に揺れる。
代わりに、置いた剣を噛み締めた。
そうして目を閉じた。
目を閉じたその暗闇には姉が居る。
鎮座し、それでも尚威圧が舞う。
戦の神の如く猛って狂い、燃え盛る剣の王。
その姿が叫ぶ。猛り続ける。
『殺しなさい』
『殺せ。我らに仇なす者達を。我らの半身を奪った者を。世界に弓引く愚者を!殺せ。殺せ!』
ぞくりとするような凄まじい雄叫びが身体を通る。吐気がする程に身がすくみ、鋼のように身体が固まる。
私を奮え。私を狂わせろ。私が、殺せ。
無数についた古傷が膨張と共に再び裂けた。
(そうだ、殺せ。
私が殺さねばならぬ。仇を。世界の仇敵を)
分かっている。
彼女と紫の龍が、最早時を逆巻くつもりなど無いと。
分かっている。
この世界において、彼女は何にも脅威では無いと。
分かっている。
姉は、とうに死んだ。あの時、あの場で。瞼の奥の暗闇が見せる我が剣の王は、私の心の中の復讐と殺意が、ただ彼女の姿を借りているだけ。
そうだ、わかっている。これは、私の心が築き上げた陽炎。弱い自分が、自ら作り出しただけの虚像なのだ。
そして、虚像であると理解できるからこそに心底に解ってしまう。この思いがどうしようも無く奥底に存在してしまう。
私は英雄としてでなく。不撓不屈の王としてでは無く。
ただ、彼奴らを殺してしまいたいだけなのだ。
ざん、と、地に剣を刺した。
血に塗れ、敵を斬り続けた姿はしかし荘厳。
盾をその身に付ける。
幾度も攻撃を防いだそれは、ただ未だに堅牢。
いっそ、この復讐の心に呼応し禍々しく姿をすら変えてしまえばよかったのに。否。それこそ、王として認めず、錆びた盾と剣に戻ってくれればよかった。そうであるならばここには、ただ家族の死に哀しみ、怒るだけのただの獣だけが残ったというのに。
忌々しいほどに、剣と盾は輝く。
私は、まだ認められているのだ。
この世界の災厄を防ぎ守りし盾として。
災厄を切り裂き新たな風を掴む剣として。
自嘲か、歓喜か、ただ笑う。
身体に力が漲る。
口にし、躯に付けた神具の力。
剣は私に全てを引き裂く破壊を与え、盾は私に全てを遮る鉄壁を与える。
瞑目した。
その一瞬の目を閉じた瞬間にも虚像が吼える。
殺せ。殺せ。
全てを殺せ。
姉の姿が吼える。虚像が吼える。
だが殺しはしない。
この、彼らについては。
私を取り囲む、夢幻の団員に視線を向ける。皆々、それまでに手酷い敗走をさせたというのに、士気ははち切れんばかりであった。
そうだ。彼らは殺しはしない。
それをしてしまえば、最早、鬼畜生に劣る。
自らの激情に身を任せて鏖す事は許されない。
それだけが私を支える唯一の誇りですらあるのだ。
私が殺すのは、ただ一人と一匹。
私がこの手で、この牙で、この剣で。
この胸の篝火と共に。
全てを終わらせなければならない。
ぽたり、と水滴が地面に落ちた。
雨かと空を仰ぎ見るが、雲一つ無いにほんばれだった。不思議に思いながら、私を囲む愚か者どもへと飛び込んだ。
思い返すならば、あれは涙だったのかもしれない。
怨嗟と悔恨と、哀しみと。その全てが入り混じり、どうしようも無く流れたものだったのかもしれない。
そういえば、そうだったと。
思い返し、考えるにはあまりにも遅すぎた。
その頃には私は、思いの全てを復讐の薪としていた。
心が、焼金と成っていた。