堕ちる。
消えて果てるは、どちらの雄であるか。
剣と盾を携し英雄と、邪悪な龍の戦いはどうなるか。全ての物語が語っている。
龍は退けられて、英雄が凱旋するのだ。
そう、なるのだと。
…
……
まだ動く。まだ。目だけはそう語るが、ずたずたになった身体はその意思を反映してくれそうにもない。ただムゲンダイナは、蛞蝓のようにのたうち回っていた。
そして、その傍らに立つ英雄も酷い有様だ。彼の身体中は毒に侵食されて、無事じゃないところは何一つ無い。剣も盾もただずたぼろに壊れて、もう二度と輝くことは無い。
のたうち、のたうち。
ムゲンダイナが、私の前に来た。
最期に、何をしようっていうの。
違う。
その眼に、狂気の一片も宿っていなかった。
その眼は、ただ私を心配する思いだけがあった。
ああ。ああ。
「……むーちゃん…」
もう、二度と呼ばないと思っていた愛称。
私があの子を友人だと思っていた頃の言葉。
それが、口から出てしまった。
どうしてだろう。なんで。
こうなって、初めて分かった。
私はそれでも、あの子を愛していたんだ。裏切られて、無下にされて、人形にされて、どうしようもなくされても尚。
嫌いになりきれる訳ないじゃない。
だって、唯一残ってくれた、ともだちなんだもの。
そう、手を伸ばした。むーちゃんは、もう動かなくなっていた。
ああ。失ってから気づいた。何もかも。あの時だってそうだった。
ずうとそうだ。ぶちりと、自らの人生から無くなり、心から血が出て、初めて気付く。
チャンピオン。総帥。そんな無意味な称号にのぼせあがっていたんだろう。私は、ただのどうしようもない愚か者だ。
ただうずくまった。
この子の死を嘆くような権利も私にはない。
そうしていると、ただ英雄が私に向かってくる。
復讐の為に。ただ平和を守る為。
英雄が英雄である為に、私を殺す為に。
きっと、彼も大変だったのだろう。
姉が死んで、私が居なくなり、ムゲン団の皆と戦い。そうして、殺しに来てくれた。
でも、遅いよ。
それに、唯一残ったともだちまで殺した。
理不尽な事だ。
私が始めたからこそ彼はこうなった。
私のせいでこうなったんだ。
でも、この想いだけは消えない。
ああ、よくもむーちゃんを。
だからこれは、もっと早く私を殺しに来てくれなかった彼への。そして、友達を殺した、英雄への。
身勝手で醜い。どうしようもない私の。
どうしようもない、最後の、復讐だ。
…
……
「ごめんなさい」
少女がそう静かに呟いたのを聞いた。
それはきっと、紫龍に呟いた最後の言葉。
私への言葉などでは無い。
前に、進む。
彼女を殺さねばならない。最早それだけだ。
力も血の気も失せた身体を、進める。
斃れる前に。ただ、命が消える前に。最期に。
殺す。
殺す。
最早私には、それしか残って居ない。
これを果たして、ようやく私は死ねる。
ざん、と、彼女の前に辿り着いた。
永劫を歩くような道のりを終えた安堵が、身体から意識を奪おうとしていく。一度暗転してしまえば、二度と目覚める事はない。
必死に堪える。
さあ。
剣は、最早薄紙すら切れないだろう。口から放る。
盾も、もう屑鉄ですらない。身から落ちていく。
ただ一つ。英雄としてではない。ただの醜い鬼として。
残った我が身で彼女を殺すのだ。
それが血塗られた私に、相応しい末路だろう。
言い残す事はと、言いたかった。
だが、最早立ちはだかるだけでも精一杯だった。
「……ザマゼンタ」
少女が、呟いた。
声は震えている。そうして、私を見た。
「おねがい」
諸手を広げて笑った。ゆっくりと、微笑んで。
(……ッ!)
臓器が潰されるような感覚。だが、もはや嘔吐する力すら残っていない。血も、内容物も残ってなど居ない。
ただ代わりに、一歩ずつ、一歩ずつ、前に出る。
牙が届くように。
爪が届くように。
「…こんなことさせて、ごめんね」
やめろ。何も言うな。
「…貴方は、ずっと平和を守ってたかっただけなのにね」
同情するな。私を見ないでくれ。
「…だからね、ありがとう」
やめろ!!
同情するな。私を見るな。私を、まだ『ザマゼンタ』として見ないでくれ。あの時のまま。あの篝火のまま、私を見ないでくれ。
ここに居るのは、ただの汚い惨めな復讐者なのだ。
そうであらせてくれ。でなくば。
……ただ、キャンプが好きな女の子を殺す盾の英雄など。私こそが最も忌避する存在に自分が成ってる事を、まざまざと見せつけられてしまう事も無かっただろうに。貴方を最期に、ポケモントレーナーとして見る事も無かったというのに。
もう、失って久しいあの憧憬を。戻れないあの輝きを。最期に羨む事などなかったのに……
ぶちり。
喉笛を噛み切った。
口の中で、急速に命が失われていくのを感じた。
その実感と共に、私の身体からも意思が抜けていく。もう。生きている意味も無い。生きていく事も出来ないし、そもそうする意味がどこにも無い。
ああ。
瞼を閉じる。
眼の中の姉上は、悲しそうな顔をしていた。なんだ。せめて、貴女は喜んでくれると思っていたのに。
きらりと、上空にねがいぼしが輝いた。
ああ、願うならば一つ。
((もう二度と。
こんな世界に生まれませんように))
ただ静かに、星が流れていく。
そして音は、無くなった。