目の前に立ちはだかる、高い高い壁。その向こうは、どんな眺めなのだろうか。どんな風に見えるのだろうか。
頂の景色。俺一人では、見ることの出来ない景色。
でも一人では無いのなら・・・
俺がバレーに興味を持ったのは、小6の時だった。テレビでやっていた春高の試合が流れていた。
その時目にしたのが烏野高校の『小さな巨人』だった。190cm近い選手が、敵味方に大勢いる中で、一人だけ170cm程の選手が得点を取っていく。
俺はその姿に、強い憧れを抱いた。
「母さん。俺、バレーやりたい」
その日から翔陽はバレーを始めた。中学では部活に入って、練習に打ちこもうと思っていた翔陽だが、人数が足りなく部活では無く愛好会になっていた。試合に出る為には、とにかく人数がいる。そう思い最初は片っ端から勧誘しまくったが、結果は見事な惨敗。友達の関向と泉も、違う部活に入るので断られた。
仕方かなく、俺はとりあえず練習に打ちこむ事にした。
最初に練習したのはスパイクの練習。本当ならレシーブやサーブを練習した方がいいらしいのだが、俺は小さな巨人が打っていたあのスパイクがどうしても頭かた離れなかった。
「なぁ翔陽。お前女子バレー部に入ったんだって?」
「女子バレー部?入ってないよ。俺が入ってるのは部じゃ無くて愛好会。部員が俺しかいなくて部として認めてくれないんだってさ」
昼休み、ご飯を食べてるとクラスメイトが翔陽に話しかけてきた。
どこかから間違った情報を入手したらしく、茶化しに来たのだ。
「なんだ女バレじゃねえのか。でもお前いつも女バレの近くで練習してるよな?3年に美人な先輩いるの知ってるか!?」
「ん?あぁ、知ってるよ。凄く上手い」
「俺に紹介してくれ!」
「いや、俺話した事ないし」
なるほど、本命はそっちね。確かに美人だし仲良くなりたい気持ちも分かるけど、そこは是非とも自分で挑戦して欲しい。
「そこをなんとか!」
「無理、自分で何とかしてくれ」
俺は購買で買って来た牛乳パンを食べ終わると体育館に向かう。勿論スパイクの練習をしにだ。
毎日では出来ないが、体育館を使える日はここで練習している。
ボールを投げ、床、壁の順にバウンドさせる。そして放物線を描きながら向かってくるボールを自分でスパイクを打つ。
いつも一人でやってる練習法だ。他の人から見たら、寂しくボールを打ってる奴程度にしか見ないだろう。
でも俺はこの瞬間がたまらなく楽しい。手にのし掛かるボールの重さ。ボールと掌がぶつかる時の音が、堪らなく気持ちいい。
そして10分ほど練習していると、昼休み終了のチャイムが鳴る。
「うわやべ、次移動教室だ。早く行かないと」
俺がボールをしまい、急いで今日に教科書を取りに廊下を走っていると、出会い頭に人が飛び出して来てぶつかった。
向こうからしたら俺が飛び出して来たようなものだけど。それでもぶつかった事に変わりはない。
「あ、あのすみません!大丈夫ですか?」
「はい、俺こそすみません。急いでたもん…で」
相手が手を差しべて来たので、俺はその手を取るのと同時に顔をあげた。
するとそこには、先ほど話していた女バレの美人な先輩よりも美人な人がいた。
黒くサラサラした髪、透き通った瞳、唇の下にあるホクロ、思わず見惚れてしまった。
(一年で見た事ない人。それにこのジャージの色、先輩だ)
俺はそんな事を考えながら、先輩の顔をじっと見ていると
「あの、大丈夫?もしかしてどこか怪我しちゃった?」
「あ、家。大丈夫です。先輩こそどこか怪我してませんか?」
「私は大丈夫だよ。君は一年生かな?」
「あ、はい。先輩は三年ですよね?どうしてジャージなんですか?」
「ちょっと走り込みしてて」
走り込み、部活の練習かな。
「そうなんですか。あ、すみません!俺急がないと!それじゃ!」
「え、あ、ちょっと!」
俺は急いで教室に向かって走った。
「は、はや・・・」
先輩の制止の言葉も、その後に向けられた言葉も俺には聞こえていなかった。
「あぁ〜、間に合った・・・しんど」
「翔陽大丈夫か?」
「おう・・・」
さっきの人、何の部活してるんだろう。めっちゃ美人だったし。こいつに聞けば知ってるかな。
「なぁ、3年で美人な先輩って知ってるか?」
「ん?それさっきも話してただろ。女バレの先輩だろ?」
「いや、そっちじゃ無くて。他に知らない?テニスとか、シフトボールとか・・・」
そういえば走り込みって言ってたな。走るって言ったらやっぱり
「陸上部とか」
「ん〜、あ。陸上なら知ってるぞ。確か清水先輩だったかな?めっちゃ美人な人って聞くぞ」
「清水先輩ね」
「お?なんだなんだ?翔陽もついに色気づいたか?」
「別にそんなんじゃないよ」
午後の授業も終わって放課後になった。そのまま帰る人、残って勉強する人、部活に勤しむ人がいる。
「次の走り込みいくよ!」
「「「はい!!」」」
「ゴー!」
今俺は、陸上部のいるグラウンドに来ていた。目的は勿論、清水先輩だ。
いや、別に変な意味じゃ無くて。ただ、あの時にぶつかった人が本当に清水先輩なのかを確認しに来ただけだ。
「あ、いた」
陸上部の部員数はざっくり40人くらい。遠目に見てればすぐに見つかった。
その清水先輩はどこか険しい顔をしている。何かを焦ってるような。その理由は少し見ていて分かった。
別に走りが遅い訳ではない。しかし速い訳でもない。きっとそれに悩んでるんだ。
もっと速くなるにはどうしたらいいか。その先に行くにはどうしたらいいのか。悩んでる。
「潔子!もっと落ち着いて!力みすぎてるよ!」
「はい!」
「それじゃ次!ゴー!」
清水は下がっていく時の顔は、ひどく落ち込んでいて、悔しがっていた。
それから清水は何度も同じ注意をされ続けていた。そして同じ失敗をしていた。
何度も、何度も、何度も何度も。同じ事を繰り返していた。
「今日の練習はここまで!明日と明後日の部活はないから、みんなゆっくり体を休める事!それじゃ解散!」
「「「ありがとうございました!!!」」」
「ありがとうございました・・・」
部活の解散の挨拶が終わると、後輩の部員が清水に駆け寄っていく。
「あの、清水先輩!私達これからご飯行くんですけど、一緒にどうですか?」
「ごめん、私はパスするね。やることあるから」
「そうですか、分かりました。それじゃ、お疲れ様です!」
「うん。お疲れ様」
皆が部室に戻って、帰る準備を終えて下校した後も、清水は一人で練習をしていた。
周りが暗くなっても、そんな事お構いなしと言ったような感じで、走り続けている。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ。このままじゃダメ。もっと速く、もっと、もっともっと・・・!」
「その前に休憩ですよ、先輩」
「冷った・・・!」
自販機で買ったスポーツドリンクを、清水先輩の頬に当てる。
すると思った以上に驚いた顔した先輩がこっちを向いた。
「無理はダメですよ。さっきからずっと走りっぱなしじゃないですか」
「君は、昼休みの。あ、ありがとう。でもどうしてここに?それにさっきからって、いつから見てたの?」
「2時間は見てましたよ」
「それって部活中も・・・!?」
「はい。見てましたよ」
「そっか・・・」
先輩はまた落ち込んだ顔になりながら、スポドリを口にする。
「・・・」
「・・・」
「・・・ねえ。今日の私見て、どうだった?」
「どうって?」
「同じ事注意されて、同じ失敗して、かっこ悪い姿見られちゃったから」
今は夕日も落ちかけて、俯いてる先輩の顔はよく見えないけど、声が震えていた。
まぁ先輩からしたら、あまり見られたい姿じゃなかったんだろう。
けど、
「かっこ悪いって、何がですか?」
「え・・・だから、何回も失敗してるのがかっこ悪いって」
「それのどこがカッコ悪いんですか?」
「・・・え?」
清水先輩がすごい勢いでこっちを見て来た。俺が何を言ってるのか分からないという顔をしている。
まぁ、でもそうなるよね。同じ失敗して、いくら注意されも出来るようにならない。誰でも自信は無くす。でも
「同じ事注意されも、同じ失敗ても、先輩は諦めてないじゃないですか。それのどこがカッコ悪いんですか?」
「で、でも。全然上手くならないし・・・」
「上手い=かっこいいなんて誰が決めたんですか。出来ない=カッコ悪いなんて誰が決めたんですか。少なくとも俺は、諦めない先輩を見てかっこいいと思いました。凄いと思いました。今、先輩が自分の事をどう思っているのか分からないですけど、今の先輩はかっこいいですよ。少なくとも俺にはそう感じました」
「そっか。ありがとう・・・」
清水は一言言った後、隣にいる翔陽に体を預ける。
それから会話は無く、ただ二人だけの時間が続いた。