「博士、こぅひぃです」
「ああ、ありがとう」
「パソコン」を険しい顔でにらんでいた博士は、差し出したマグカップを受け取るとろくに中身も見ずに口に運びます。多分、ぼくがお湯を渡してもそのまま飲むのだと思います。
けれど、美味しいこぅひぃを飲んだ博士は少しだけ顔をゆるませ、無言で頭をなでてくれます。それがとてもうれしいので、ぼくは変なイタズラはしないようにしています。
「そう言えば、言い間違えなくなったね。それにはじめの頃よりずっと美味しく淹れられている」
「言いまちがいというより、聞きまちがえていただけですから。でも、他の言葉も沢山覚えましたよ」
色々なことが変わったのだと思います。
言葉を覚えました。そうじの仕方を覚えました。美味しいこぅひぃのいれ方を覚えました。
成長したのかは分かりません。でもきっと、少しは博士の役に立てるようになったのだと思います。
ああでも、変わらないものだってあります。
「博士」
「ん?」
「好きですよ」
「ああ、私もお前が好きだよ、クレセント」
これから来るのは春という季節だそうです。
冬を乗りこえた生き物だけが知っている、優しく、やわらかく、きれいな季節だと博士は言います。
外に出て、そっと静かに息を吸いました。
秋のすずしげな空気とも、冬の目が覚めるような美しさとも異なる、どこかお腹がへってくるような優しいかおりがします。
冬の間はめっきり見なくなっていたちょうちょが、黄色い羽を広げておどっています。
これが、春というものかもしれません。
気付かないうちに首輪にふれていました。
「宝石くらい私だって買えるから!」と、どろぼうさんに対こうして博士が買ってくれたのです。真ん中にとうめいの石が付いています。
首輪というより、チョーカーと呼ぶらしいのですが、ちがいはよく分かりません。石がついていればチョーカーなのでしょうか。
なにはともあれ、博士のくれた物ですから、四六時中身につけています。
ボスはゆうかいが心配だと言っていましたが、パン屋さんは博士の番をゆうかいする人はいないと言っていました。
どろぼうさんにゆうかいされましたと伝えたら、パン屋さんは「どろぼうさん以外で」と付け足しました。
どろぼうさんは教会でこっそり過ごしているみたいなので、ゆうかいされても行き先は教会です。安心です。
「人は足りないものを補い合うことで生きていけます」
おもむろにつぶやきます。
声に答えるように、風がふわりとそよぎました。
「だから反対の性質を持つ者同士は番となります」
これも博士が教えてくれたことです。
でも、それなら、足りないものがない人は。
「なら、神様はひとりぼっちなのでしょうか」
博士には、ぼくではない番がいたのでしょうか。
それとも、ぼくがいないころの博士は、ひとりぼっちだったのでしょうか。
答えてくれる人はどこにもいなくて、ただ春の風だけがぼくを包んでいました。
一旦ここまで