夢すら見ずに眠りから覚めた。昨夜の客の気配はない。随分と長い間寝ていたようだ。この少女の身体では仕事の負担が大きい。はじめてのことではなかった。
部屋のベッドは柔らかく俺を包み込んでいた。微睡に身を任せていると、いつものように小間使いの少女がパタパタとやってきた。いつも通りに確認すら取らず勢い良く扉を開ける。
「お仕事お疲れ様です! 起きれますか?」
彼女は心配性なので、ここで起きないと延々と介抱されてしまう。それはそれで甘美な誘惑だが、小市民な自意識から無駄な心配をかけさせる罪悪感のほうが勝った。頷いてからベッドから起き上がり、とりあえず地面に落ちている皺だらけのワンピースを着る。下着? 知らん。どっかに転がってるのかも。
「下にお湯準備してますから! 洗いましょうね」
のそのそと小間使いの彼女についていくと、同じように寝起きの同僚たちとすれ違う。
「ふあぁ、おはよ~」
「おはようございます!」
「声無しちゃんもおはよ」
気だるい挨拶に小間使いの彼女は明るい返事を返す。俺は手を振って挨拶するのが恒例だった。おはようと言っているあたり、どうやら娼館にとっては早い時間らしい。
桶にお湯が張っており、湯気から微かに花の香りがする。見れば白いクチナシの花がいくつか浮いている。また客もいないのに無意味な贅沢を。呆れた顔をして彼女を見ると、勢い良く首を横に振った。
「違いますからね! ちょーっと枯れそうだから早めに使っただけ、無駄遣いじゃないですから! それにほら、身体にもいい香りが移りますし! 決してわたしが使いたいからって訳じゃないですからね!」
言いながらちょっと乱暴に服を脱がしにくる。おい、変なところ触るな。誤魔化しが下手すぎる。あっ、どこ触ってんだよ。うおっ。
「ささ、お手伝いしますから湯へどうぞ」
小間使いの彼女は洗うのを手伝うにあたってどこでも関係なく体をあらってくる。娼館で生まれ育ったからか、憚られるような場所にも遠慮がない。だから際どいところを洗っても恥ずかしくない。彼女はな。俺はもう諦めきった目でお人形のように洗われてる。いやもうそれこそお嫁に行けないというやつだよ。あんなとこやそんなとこをえっちらおっちら。誰か助けてください。元男という自意識を抱えたままなので最初ちょっと興奮もしたけど、あまりにも事務的に淡々とやってくるんでそういう邪な感情を抱えたまま彼女に手伝ってもらってるのが申し訳なくなってくる。
「やっぱりいい香りだと気分が良くなりますね〜」
彼女はわかりやすく花が好きだ。自分でも小鉢で育てているらしい。香りとか、外見だとか。細かな品種の違いまでもを説いてくることがある。花に触れることは娼館という環境で生きる彼女なりの小さな楽しみだ。
クチナシの花弁をお湯ごと持ち上げて香りを嗅ぐと、華やかな香りがより強く感じられた。
「今日も予約入ってるんですよね? いっつも人気で休む暇もないなんて大変ですよね」
果たして俺を大変と言い切ることができるのだろうか。この世界の人々は魔法で豊かな生活を送っているが、同時に死に満ちている。生まれ育った村だけじゃない。あの人を売り買いする市場、客としてやってくる剣を下げた者達。明日を生きるのも精一杯な人たちがすぐ横にいる中、俺は呑気に暮らしている。思えばあそこから随分遠いところに来た。今の俺は声は出せないけど毎日お腹いっぱい食べれるし、手に届く範囲の贅沢もできる。
そういう気持ちを表すように微笑むと、彼女は濡れた身体を気にすることもなく抱き着いてきた。
「休みたかったらいつでも言って下さいね。おばさんに言いつけてやりますから!」
ああ、妹もよくこうやって抱きついてきたっけ。
『じゃあお姉ちゃんってだけじゃなくお兄ちゃんなの? 嬉しい! お姉ちゃんも大好きだけど、よそのお兄ちゃんも羨ましいなぁって思ってたの!』
妹は頭のおかしな姉の全てを受け止めてくれた。俺は無意識に彼女の頭に手を伸ばしていた。サラサラとした髪が俺の手の下で揺れる。
「あーっ、またそうやって流すー……うっこれには逆らえない……」
こうして聞いていると彼女は、俺と長く過ごすうちに独り言のくせがついたんじゃないかな。お姉ちゃん心配になるよ。
身体を洗った後の俺は普段通りダラダラと過ごした。寝たいときに寝て、食べたいものを食べる。そして夕方になると支度をする。日が落ちるのに連れてだんだん店も騒がしくなってくる。媚びた同僚の声、酒に酔った客の声が扉の向こうから聞こえてくる。部屋に香でも焚くかと思ったが、俺が寝転がったベッドからはクチナシの香りがする。俺の身体から移ったんだろう。香でかき消してしまうのももったいないような気がしたので、特に香りがするものを用意することはやめた。
団体の客がやってきたようだ。店が急に居酒屋のように騒がしくなった。俺もおばさんに呼ばれて行くと、物騒な外見の野郎どもがたむろしていた。その中でも中心に立っている、盗賊の頭のような雰囲気を持つ男が俺を見る。
「よっ! きたぜ!」
男はニカリと笑った。ああ、今日の客はこの男なんだな。
「団長ああいう趣味の女が好みなんです?」
「でもこの前行った別の店ではもっといい体つきの女でしたよね」
「ああ? 色んな女を抱けてこその男だろ、童貞が口だすな」
「脱童貞に誘ったの団長なのにひどいっす」
一行は絶え間なく騒いでいる。名のある傭兵団ということを知っていなければ野蛮な盗賊団にしか見えない。
大勢で既に飲んできたらしく酒の匂いがする。稼いだ時は団長が全員にこうして奢ることを知っているので、大きな仕事を終えた後ということはなんとなく察しがついた。
団長、と呼ばれた男も残念ながら常連に入る。来店する間隔はまちまちだが、この街にきた際には必ず寄っていると前に本人も言っていた。
連れ立って部屋に入り、鍵を閉める。鍵は魔法の結界のロックをかけるトリガーでもある。結界が部屋を駆け巡り防音機能を果たす。ちなみに魔法から守るといったファンタジー機能は全くない。ただの防音室ってだけだ。
俺はしっかり鍵を確認する。だってこいつ毎回うるせぇんだよほんと。他の客に聞こえたら迷惑だ。
男に向き直るなり、俺はゴミでも見るような冷たい顔で客を睨みつけた。
「やっぱりそのギャップだよ……! ああ、普段は天使のように可愛らしいのに俺にだけそんな冷たい顔をするなんて……!」
開始1秒でテンションマックスになるな。俺を崇拝するように跪くな。立てや。チッ、と俺は舌打ちをする。そう、この客は前世で言うドMってやつだ。
最初はありがちな仕事上がりの傭兵としてやってきた彼に、俺も普通の客として接していた。しかし何をやってもイマイチご満足いただいた感じがしない。
一応仕事には誠実に努めているので、なにを求めているのかを探った。そしてマッサージなんかにも手を出してみた。凝った肩に勢い余って力を入れすぎたとき、客の反応が今までとは明らかに違った。
こっちの方が客が喜んだ。こっちの方がもっと、こっちの方がさらに──
そしてとんでもないものを掘り当ててしまった。図らずも相手の望みを手探りでやっていくとき、俺の目の前でマゾに開花しやがったのだった。
「アンタのおかげで俺は強くなった! なんたって戦場の傷も敗北も俺を負かすこと叶わず、近頃では不屈の二つ名を頂くまでになった」
しかもとんでもないドMだったらしく、なんか知らん方向で進化しだした。そりゃもう不屈だろ。逆境もコイツにとっちゃご褒美だし、敗北なんてもうエクスタシーの材料にしかならない。
とんでもない客に当たったもんだよ、ほんと。俺はため息をついて椅子に座る。そんないきさつもあり、この客が何を求めているのかは手に取るように分かる。靴を脱ごうと手を伸ばす。靴はヒールがあり、滑らかな白い革で覆われている。マゾは脱ぐのを手伝おうと手をわきわきさせている。それをごく自然に無視し、靴を踵からじわじわと引き抜く。靴を脱ぐとマゾが何を想像したのかゴクリと唾を飲み込んだ。
脚を組んで、足首をゆっくりと舐め回すように動かす。
「へへ……やっぱりアンタが一番俺の扱いが上手いぜ。 クライアントたちも見習ってほしいくらいにな」
いらん才能を開花させてしまった責任は感じている。だから俺の足に踏まれてろ。
「弱々しい女の子がそんな顔で俺を足蹴にするなんて最高だッ……!」
うるせぇなぁ毎回毎回声がデカい。
仕事だとは百も承知だが、文句も言えないんじゃどうにもならない。
思いっきり日々のストレスと苛立ちを込めてぶっ潰してやる。なんたって相手は傭兵で食っていけるような者だ。俺の村を襲ったのは貧しい傭兵だった。目の前の男に苛立つ要素はいくらでも。
傭兵は金でしか縛られない代わりに力がなければ生活すらままならない。目の前のマゾは一流と言っていい実力者であり、ひ弱な女では傷一つつけることはできない。手加減なんて不要。思いっきり踏まれようがマゾは興奮で鼻息を荒くするだけだ。俺の全力はマゾにとって蚊に刺されるようなもの。
いかにして精神的な屈辱感を味わわせるのかが俺がしなくてはならないことであり、そこに心血を注ぎ込む。
過去の記憶を呼び起こし、村を襲った傭兵崩れを目の前の傭兵と重ねる。
「そうッ! そのゴミを扱うような足! 目! あぁ、やはりアンタは最高だ! 声があったらどれほど俺の心を傷つけてくれるんだろうか! 想像だけでも……!」
うわ俺の声のことに触れるかよ、ゴミカスがよ。俺の目が暗くなったのを見たマゾは、待ってましたとばかりに目を輝かせる。
分かっててやってんだもんな。伊達に戦場で生き残ってきてねぇわ。
「さぁ!来てくれ!俺の心を惨めにぐちゃぐちゃにしてくれ!」
やっぱ無敵だわコイツ。戦場で無残に散って欲しい。
「戦場では肉体の絶頂、ここで精神的屈辱の絶頂を味わうんだぜぇ!俺は不屈だっっつつつつ!!! ぐわあああああ!」
俺の全身全霊を込めた急所キックにマゾの情けない声が響いた。蹴った足がいてぇ。