濃霧に包みれ船が突き進む中、レオ達は警戒したまま船内での生活を余儀無くされることに。
濃霧発生から初日、ミスト・レディは結局一度も姿を見せる事なくその日を終えた。
そして二日目の今日。
レオとリアは、食堂で船員達と談笑しながら食事を摂る一人の少女に訝しんだ。
白いワンピースに色白の肌と人間には珍しい長い白髪の髪を揺らす女の子だ。
「……む? あんな子は居たか?」
「どうだろう?
違和感が二人を襲う。
島を出航して今日までの記憶を掘り起こす。すると、
『ねえ魔王ってどんな事をするの?』
無邪気に問い掛ける少女の言葉が過ぎる。
『ねえリアお姉ちゃんはどうして強いの?』
レオに質問した様に無邪気に問い掛け、屈託の無い笑みを浮かべる少女の姿が浮かぶ。
ただ少女に対してどんな返答を返したのか、昨日は何を一緒に食べたのか記憶から抜け落ちている。
「……ああ、確かに居た、か?」
「うーん、なんだろうこの違和感」
違和感に首を傾げる二人に、少女が気が付き無邪気に駆け寄る。
「レオ、リアお姉ちゃん! 一緒にごはんたべようよう!」
そもそもこの少女の名は──ミディア。
何故直前までミディアの名を忘れていたのか、疑問が浮かぶ。
レオは配下全員は愚か魔界の民の名を全て記憶している。
中には自らの手で殺した者の名も記憶していた。
記憶力にちょっとした自信があったレオは、その事に小さくショックを受けた。
人間の歳で言えば化石同然の時を生きているが、ボケるのはまだ早いと。
「どうしたのレオ?」
考え込むレオに小首を傾けるミディアにリアが微笑む。
「うーん、多分レオはミディアの名前をド忘れしちゃったんだと思う。ほら、レオって人間で言うところの化石同然だから」
「そんな……名前を忘れるなんてひどいよ!」
ミディアの今にも泣きそうな声に、食堂に居た船員達から非難の目が一斉にレオに向けられた。
なにかわいい女の子を泣かせているんだ、と。
「むう、魔族の中では若輩者も良い所なのだが……いや、すまんなミディアよ、うっかり記憶から抜け落ちていた様だ」
「いいよ、レオはおじいちゃんだから特別に許してあげる!」
「そうか、俺はおじいちゃんか」
困った声が仮面越しから漏れると、ミディアがレオの画面に小さな手を伸ばす。
「お外はは霧だらけで少し蒸し暑いのに、レオはへいきなの? その仮面取ったら?」
「いや、平気だ。しかしこの濃霧は一体いつになったら晴れるのか」
「うーん、わかんない! それよりもごはんたべようよう!」
レオとリアは本来の目的を思い出し、ミディアが座っていた隣の席に着く事にした。
それから出された生魚の刺身と白米に、壊血病の予防として生野菜とラム酒を平らげると、
「魚を生で食べるとは不思議だったが、慣れると良い物だな」
「本当ね。私もこの船に乗ってからはじめて生で食べたけど、脂が舌に解けて美味しいわね」
二人の感想に近場で焼き魚を食べていたペンゾウが、苦笑を浮かべる。
「魔王様も勇者もよく平気で生で食べれますね」
「逆にペンゾウは生魚を丸ごと一匹食べそうな感じがするんだけど」
ペンゾウを揶揄うリアに船員達が小さく笑う。
等の本人は、ほっとけと言わんばかりにラム酒を飲み込んだ。
「ペンゾウはどっちかって言うと肉料理を好んで食べるからな」
「鳥っぽい風貌の魔族が鳥肉を喰う姿ってのも……いや、不思議じゃないか、カラスだって鳥食べるし」
「それは無理も無い事だ。魔界には魚など生存して居ないからな、野菜なんかは先ずあの極寒の環境では育たん。だから魔族は必然的に肉ばかり喰うのだよ」
レオの言葉にリアと船員達は健康に悪そうな食生活と雑に焼いた肉料理に苦笑を浮かべる。
それでもリアがこれまで交戦した魔族達は全員健康的で逞しい肉体を保っていた。
不健康極まる食生活で一体どうやって健康体を維持しているのか、疑問を感じざるおえない。
とは言え、この男に聴いたところで、『魔族とはそういう種だ』、の一言で片付けられてしまうだろう。
リアは疑問を呑み込み、ハンカチを取り出して、ミディアのソースで汚れた口周りを拭き取った。
「わっ! ありがとうリアおねえちゃん」
「うん、折角の綺麗な肌を汚すのは勿体ないからね」
微笑ましい光景のふと誰かがポツリと零す。
「レオとリアちゃん、そこにミディアが並ぶと親子に見えなくもないな」
「あー、レオとミディアの髪は白髪だしな、目の色はリアちゃんと同じで青い……もしかして二人の子か?」
船員の言葉にレオとリアから呆れたため息が零れる。
「そんな訳ないでしょ。私とレオは敵同士なのよ? 第一私にこんな大きな娘はいませんよ」
「同感だ。俺には子は居ないし、仮に居たところで"何の感情も浮かばん"……そもそもリアと俺が? 馬鹿な事は滅多に言うものではない」
「悪かったって……うーん、それじゃあミディアは
一人の船員の何気ない言葉がレオ達の頭に酷く反響した。
違和感を覚えつつレオはぐぐもった声で告げる。
「家族という概念は知らないが、グランパとカトレの娘ではないのか? 確かに二人とは似ては無いがな」
「そりゃあ有り得ないさ、お頭と姉御にはまだ子は居ない」
「あれ? そういえばミディアは海賊船から救出した子供じゃなかったか?」
「いや、違うだろう。確か、海を漂流している所を──」
「いやいや、亡くなった船員の娘──」
「確かにアイツらは死んじまったが、子供は陸地で行商人見習いをしてるはずだろ」
次々と食い違う記憶。
この場の全員に記憶の混濁が起こっているのか。レオとリアは顔を伏せるミディアに目を向けながら疑念を浮かべた。
そもそも、何故古くから乗船している船員達がミディアの素性を把握していないのか。
そこでレオとリアがペンゾウに視線を向けると、
「あれ? ……そもそも子供なんて最初から乗船していたのか?」
疑念を呟く。その時だった。
「みんなひどい! どうしてそんなひどい事ばかり言うの!?」
椅子を蹴り、涙を流しながらミディアが走って食堂を去っていたのは。
その場に残された船員達は罪悪感から深いため息を吐き出した。
「……流石に軽率だったよな」
「ああ、やっぱりあの歳ぐらいの子供には、誰の子なのか、どこから来たのか全員忘れてるってのは酷だよな」
「……全員忘れている。そもそも俺達は忘れているのか? 俺達は昨日まで何に警戒していたか、覚えているか?」
「あ? そりゃあ……濃霧の中を進むんだ。座礁や海賊船、航路のズレだろ」
「……昨日まで俺達が警戒していたのは……ん? ……何を警戒していたのか思い出せないが、決して座礁や海賊船では無い筈だったのは確かだ」
食堂に足を運んだ際には確かに覚えていた記憶の一部分が抜け落ちている。
レオとリアはその事実に、"何者かが記憶を操作しミディアを最初から乗船していた白鯨海賊団の少女"と認識させていた、と至る。
ミディアと名乗る少女は一体何者なのか──