「ミディアー? さっきはごめんね!」
食堂を後にしたリアは、霧がかかった甲板で彼女を捜すと。
「……もう怒ってないよ」
樽の横からひょっこりとミディアが顔を覗かせた。
そんな彼女の愛らしい仕草に笑みが零れる。
彼女は何者なのか、濃霧は一体いつ晴れるのか気にすべき点が多いが、彼女の愛らしい姿の前にそんな事は
きっとレオにそんな事を言えば、彼は呆れるか何かしらの反応を見せるだろう。
「リアおねえちゃんは、いつもレオのことばかり考えてるんだね」
「えっ? そんな事は無いと思うけど、よく分かったねレオの呆れ顔を想像してるなんて」
「うん、レオ以外の考えてる事は分かるよ」
ミディアは真っ直ぐな曇りの無い瞳でそう語った。
幼い娘が他者の思考を読めるというのは、観察眼が優れているという事なのか。
それとも音に聴く魔族の悟り族なのか、単に特殊な魔法の使い手なのか。
あるいは過去に必要に迫られて身に付けた技能なのか。
「ミディアは凄いね、私は他人の考えなんてあまり理解はできないわ」
「すごいのかなあ? でもレオは何を考えてるのか分かんない。何かを考えてるのは分かるんだけど、すっごく複雑なの」
「複雑? や、レオの思考を読めること自体が充分すごいことなんだけど」
以前、国家魔法使い達がレオの思考を読み取り、戦略を覆そうと試みた事があった。
しかしレオは思考を読まれていると理解した上で、全く戦略とは関係ない温泉に付いて詳細に語る始末。
普段激務に追われている国家魔法使いの士気は一気に低下するという目も当てられない結果に終わった。
そういえば、勇者に任命されてからゆっくり温泉に浸かる暇も無かった、とリアは思い出す。
その間レオが優雅に温泉で寛いでいると思うと腹立たしい事この上ない。
「……思い出すだけで腹立たしいわね」
散々振り回された身として眉間にシワが寄る。
恐らくは彼の配下も同様に振り回されているのだろう。
現に魔王城で相対した時は、本来玉座で待ち構えているはずのレオが広場に居た。
あの時は度肝を抜いたし、何処の世界に魔王が攻城戦中に城内を彷徨いエンカウントするというのか。
ミディアはリアの様子に笑みを浮かべ、彼女の手を握った。
ひんやりとした小さな手が、暖かな温もりに包まれミディアの頬が緩む。
「リアおねえちゃんは暖かい。……ねえ今日は、その、カトレおねえさんも混ぜて、えっと、一緒にお風呂に入ってくれる?」
遠慮気味に上目遣いでお願いする無垢な少女の頼み。
彼女の頼みを無碍にできようものか、例えそれが疑念を感じさせる少女だとしても。
「いいよ! でもカトレには一度聴いてみないとね」
「ほんと! じゃあレオも混ぜるのは……」
「そ、それは……ダメよ」
レオと一緒に風呂に入る。それは異性としても無理な事だ。
以前から何とも思わず二つ返事で承諾したかもしれないが、それは異性の違いに無知だったからだ。
だが今は違う、カトレの人には言えない授業により自分はある程度の知識を身に付けた。
改めて振り返るとレオに対して恥ずかしい行動を何度かしている。
リアは頬が火照るのを感じながら、ミディアの肩を優しく掴む。
「良い? カトレが言うには男はみんな獣だからかわいいミディアに牙を突き立てないとも限らないわ」
「えっ、えっ? そ、そうなんだ。……みんな獣、魔物? 恐いの?」
「あー、えっと、魔物じゃないけどいつか理解することよ。私はちょっと理解するのが遅かったけど、ミディアはまだ間に合うわ」
「うん、分かった。それじゃあカトレの所に行こうよ」
ミディアに手を引っ張られながらリアは、カトレの下に向かった。
船内の風呂場は湯気が立ち込め、リア達の身体を包み込む。
熱すぎない丁度いい温度にゆっくりと寛ぐ三人から息が漏れる。
「ふぅ〜やっぱりお風呂は最高。最初は船旅なんだからお風呂には期待できないと思ってたけど」
船員の衛生管理上の問題として、直面するのが航海中による不衛生だ。
不衛生による菌が傷口に入り、化膿する例や病に対する免疫力低下が免れない以上航海には風呂は欠かせない。
「あたしは女だからね、やっぱり身なりに気を使うのさ。それに船員の衛生管理にも繋がる……まあ簡単に湯を沸かせられるのも魔法の恩恵が有ってこそだけどね」
「水属性魔法で水を召喚して火属性魔法で温める。理に適っているけど水はどうやって生成してるのかしら?」
「水属性魔法の使い手から聴いた話だけどね、大気中の元素を水に魔力を加えて生成してるとかなんとか」
「……はふぅ……魔法ってすごい」
湯船に頬まで浸かったミディアが気の抜けた声を上げ、パシャリと頬に湯を掛けた。
彼女の言う通り魔法は兎に角便利だ。魔法が無い生活など考えられない程に人々に魔法生活は浸透している。
家事に戦闘から生産、調合から治療まで魔法頼みだ。
だからこそリアは、魔力が回復しない現状に焦る。
もどかしくて魔力が無ければ無力な少女でしかない現状に、深いため息が漏れた。
「私って本当に無力。……魔力さえ在れば濃霧なんて一振りで吹き飛ばせるのになあ」
「魔力が回復しないってのは不可思議な話だけどね……王立魔核研究所に行ってみたらどうだい?」
カトレの言葉にリアは、眼鏡と金歯を光らせニヤリと笑う博士を思い出し、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。
「……何度か国王様命令で王立魔核研究所には足を運んだけど、人を実験生物としか思わない連中よ? そんな場所にレオと行ったら……レオが研究所を吹き飛ばすわ、うん、絶対跡形も無く葬り去るわね」
予感ではなく確信を述べるリアにカトレが興味深そうに眼を細める。
「へぇ随分とレオの事を理解してるわね」
「私が仮に魔王の立場だったら、あんな場所は破壊するわよ。……それだけ連中は外道だし、滅ぼされても仕方ない事を裏でコソコソとしてるんだから」
「どんな事をしてるかは……今は敢えて詮索しない方が良さそうだ」
「……あれ? リアおねえちゃんの考えが読めない?」
先程まで読めていた思考が突然読めなくなった。その事に不思議に思うミディアにリアが微笑む。
「私は勇者だから、思考を読ませないようにするなんて造作も無いことよ」
「……さっきまで魔力が無いと不安がってた少女とは思えないわね。というか魔法も使わずに一体どうやったらそんな芸当ができるのかしら」
「うーん、思考を読むという事は心を読むと同義。だから無心になり何も考え無ければいいの、ほら何も考えていないんだから読めるものも何も無いでしょう?」
「……それはそうだけどね、ミディア?」
「……リアおねえちゃん、本当に何も考えてない!」
リアの考えを読もうと目を向けると、彼女は本当に何も考えていない。
頭の中は虚空だが微笑んでいる。
と、長湯に浸かり過ぎたミディアの視界が僅かに歪む。
「ああ、ミディアはそろそろあがった方がいいわね」
「うん、そうする。……リアおねえちゃん、カトレおねえさんまた一緒に入ろうね!」
「ええ、明日にでもまた一緒に入ろう」
リアの言葉に小さく、『約束だよ』、そう呟き浴槽からあがり、ミディアは脱衣所に向かった。
小さな背中を見送り、また一つ約束事が増えたとリアははにかむ。
すると、カトレが静かに問う。
「あの子は何者だと思う? グランバも違和感を感じてミディアを警戒している。この濃霧もそうだ、あの子は──」
敵なのか。その言葉をカトレは呑み込んだ。
純粋無垢な少女が敵な筈がない、そもそも濃霧の中で少女を刺客として送り込む敵団に心当たりが無い。
「……この後部屋に戻って日記を読み返してみるけど、ちょっと状況に対してゆっくりし過ぎかしら?」
「まあ記憶の一部が改竄され、濃霧の中を船が勝手に進んでいるんだ。そろそろ動かないと危ないかもしれないね」
「あの子に直接聞けば楽なんだけど……」
直接聞いたところで答えてくれるとは限らない。そもそもミディアが記憶を改竄した証拠が無い。
魔法を使われたのなら必ず術者に痕跡が残る。魔力の残滓が術者の周囲を飛び散るのだから一目瞭然だ。
だが、ミディアからそれを確認できない以上は疑いの段階に有る。
「疑心暗鬼で壊滅するなんて起こって欲しくは無いわね」
「その場合真っ先に疑われるのはレオとリア……二人は新参者だからね」
「魔力が無いけど魔力を回復させる方法は有るからね、疑われても仕方ないわ」
「おや、少しは焦ると思ったけど」
「自分とレオは犯人じゃないって確証が有るからよ」
カトレは興味深けにリアの言葉に耳を傾けた。
一体彼女はどんな方法で否定するのか。
「だってレオが所持している魔核は
やった、やってないという証拠は無いが、カトレにはリアとレオが白だと判断するには十分だった。
そもそもレオとリアが自身を含めた船員の記憶を改竄する根拠と得が無い。
損得で考えれば、船を降ろされるデメリットしか無いのだから。
「よく分かったよ。いや、疑うまでも無かったね」
「でも現状では疑いを持つ事は必要な事よ」
「……まあ明日にでも成れば旦那が動くと思うけどさ……もしも────な結果になったとしたらリアはどうする?」
カトレの言葉がリアの耳に木霊し、こびり付いた様に頭から離れない。
リアは呆然と彼女が湯槽からあがり、立ち去り姿を眺めることしかできない。
彼女の言葉に身体が硬直し、思考が止まったからだ。
「えっ……ああ、えっ? それって──」
漸く動き出した思考に声が震える。
カトレの残した言葉が頭の中で酷く反響する。
決断を迫られた時、自分は動くことが出来るのか。リアは湯船に沈み思考の渦へと堕ちた。