「これは……参った。実に参ったな」
レオは心の底から困り果てていた。
風が運ぶ潮の香り。
辺りを軽く見渡すと森、山、砂浜、海、燦々と照らす陽光。
そして、隣には未だ鎖によって貫かれた腹部が癒えず、浜辺で横たわるリアの姿がある。
首筋辺りで切り揃えられた金髪が潮風に揺れ、小さな口から乱れた呼吸が漏れる。
加えて転移石を使用して逃げた先がどこかも分からない場所。
確実に魔界ではないとレオは確信を抱きながら立ち上がった。
「……まずは彼女の治療を優先すべきか」
そもそも今の状況が不自然だ。
魔核が生み出す魔力が人体の傷を回復させる。
そうさせるはずが、一向に魔力が回復しない状態の今、リアの傷は自然治療しない。
そう考えたレオは、魔王らしくない行動だと小さく笑みを零した。
魔王らしくない優しい顔付きを浮かべて。
「魔王ともあろう俺が好敵手を治療してやるなどと、生きていれば可笑しな状況になるものだな」
一個人としてこんな形での決着は不本意だ。
レオはそんな言葉を飲み込み、リアの懐を弄る。
人間はとにかく身体が脆い。
その為、常にポーションの類を備えている。
そんな事を考えていると、リアの腰に着けられたポーチを見つけ中身を漁った。
指先に触れる羽の感触、違う。表紙の堅い感触、これも違う。
何度か漁って漸く指先に触れる小瓶の感触。そのまま小瓶を掴み取り中から取り出した。
「ラベルには、『治療ポーション』か。……魔力による自然治療の方が速いが……」
レオはリアを抱え、手早く鎧を外し白のインナーを捲り上げる。
顕となる細っそりとした華奢な身体。そこに刻まれた傷口にレオは思わず眉を寄せた。
少女の柔肌を貫通した傷口、普通なら死んでもおかしくはない深傷。
「この者が勇者だからと一言で片付けていいものだろうか」
人間なら致命傷、魔族なら擦り傷。
しかしリアは人間の少女であり、十五歳になったばかりとレオは記憶していた。
と、考え込んでも仕方ないため、小瓶の液体をリアの傷口に流し込む。
すると液体が傷口に溶け込み、間瞬きしている内にリアの傷口が塞がっていく。
その様子にレオは驚嘆した。
「ほう……! これは中々素晴らしい治療ポーションだ!」
魔族にとって治療ポーションは不要。
しかし致命傷クラスの傷を瞬時に完治させるほどの効果を秘めた治療ポーション。
是非とも調合した者に秘訣を聴きたい、むしろ魔王軍に雇いたいほどだ。
人間であろうとも雇用条件は相手が望むままに、福利厚生、給金面だって糸目は付けない。
レオがそんな事を考えていると、
「う、ううん……? じゃり? じゃりじゃり、する?」
リアが目覚めた。
起き上がり、困惑した様子で辺りを見渡す。
やがて、自身の裸出された肌とレオと目が合い。
「……ま、まま、魔王!? ど、どど、どういう状況!?」
リアは立ち上がり、距離を置き臨戦体制を取った。
「落ち着け。俺に決してやましい気持ちはない、単にこの状況を打開するためお前の治療を優先したに過ぎない。そこに転がる小瓶はお前の私物から拝借させて貰ったがな」
「……? それは構わないんだけど、この状況はどういう事よ。それに此処はどこ」
警戒を浮かべながらどういう訳だ、と問うリア。
「此処がどこなのか……それは俺にも分からん。お前は直後の出来事を覚えているか」
そう言われたリアは記憶を探り、思い出したように慌てて聖剣に眼を向ける。
「……ああ! 聖剣ゼファールがただの鉄屑になってる……! ど、どうしよう、これじゃあご先祖様に顔向けできないッ!」
「気にすべき事はそこか? 違うだろう、俺とお前の魔力を根こそぎ奪ったアイツのことを」
「そういえば……天使に腹部を貫かれて全魔力を奪われたんだっけ」
「そうだ。気付いているとは思うが俺もお前も魔力が一向に回復しないどころか、力さえ入らぬ状態だ」
文字通り全ての力を奪い取られた。
その事実にリアは、掌を二、三度握り締め、小さく息を吐き出す。
「本当ね。……剣はどうにか振れそうだけど体が酷く重い。こんな状態で魔王と決着は付けられないしどうしよう? えっ、待って? ちょっと待て……!」
突如慌て始めたリアにレオは訝しげに睨む。
「わ、わわわ、私と魔王って二人きり、なの……!」
「そうだ、お前の仲間も俺の配下もこの場には誰もいない。……尤も俺の配下は弱体化した状態を知るや謀反に走ったがな」
まさか考える素振りも見せず、即謀反に走った配下達の姿にレオは薄っすらと涙を浮かべた。
三百年と五十八年間魔界を統治し、民の為にあれこれと政策したにも関わらず速攻で謀反に走られた。
それはもうレオにとっては只々悲しいばかりの事実だ。
「……ふ、二人きり、ど、どど、どうすれば? 此処で魔王を倒すのが正解? それとも……? え、助けてナナ、マキア、フィオナ……!」
一人悲しみに暮れる魔王レオと混乱しながら居ない仲間に助けを求める勇者リアの姿が、波打つ浜辺にあった。
しばらくお互いに無駄な時間を浪費した頃、ようやくレオが会話を切り出した。
「……コホン。予想外の精神攻撃にダメージを負ったが、先ずは俺達の現状を確認するとしよう」
リアは膝を抱え無言で頷く。
「先ず一つ、俺達の魔力はほぼ空っぽであり、魔核に原因が有るのか、あの鎖の能力なのかは知らんが魔力が一向に回復しない。
二つ、此処がどこかも分からない孤立無縁の状況。
三つ、当面の食料確保及びこの場に生息するであろう魔物との戦闘が困難。
以上が俺達の置かれている状況だ。この際あのルシファーの目的及び天界の動向は現状では調べようもないからな、一先ず放置で良いだろう」
「一つは本当に謎ね、魔力に明るい魔族である魔王が分からないじゃあ私にも原因は分からないし。
二つ目は、多分しばらく歩けば何処かの街か村に到着すると思う。
三つ目、これが本当に厄介よね。私と魔王の武器は錆び付いて使えないし、体も思ったように動けない状況で魔物とどれだけ戦えるか」
三つ目の問題が最難関である。
魔剣と聖剣は所有者の魔力に応じて威力を増大させ、剣身を変質させる性質を秘めている。
その為、所有者の魔力が無い状態ではただの鈍器にもなり得ない粗大ゴミも同然。
戦闘に用いられる術が、肉弾戦か魔法による方法しか無いのだが、魔力も回復しない現状では肉弾戦しか方法がない。
「ふむ。では、俺とお前が共闘すればこの状況も容易く打開できると思うが……?」
「……えっ、正気? 魔王と勇者が共闘って本気で言ってるの?」
「酔狂でこんな提案するはずが無いだろう。……三年前、お前と偶然出会ったあの日。あの時は互いの素性も知らず、俺とお前は手を取り合えた、ならば今はどうだ?」
「どうだって聞かれても……あの時と今とじゃあ状況は違うし。でも、他に方法が無いのは事実よね……うん、分かった、お互い"奪われた力を取り戻す"まで共闘と行きましょう」
「ほう。街の近くまで、ならいざ知らず。まさか"奪われた力を取り戻す"までとは……!」
「だって側に置いておいた方が監視もししやすいしさ、それにこっちは二つの世界の平和をかけた戦いだったのに横槍を入れられたのよ! しかも不意打ちよ! 不意打ち! 天使が普通それをやる!? 不意打ちとか邪道は魔族の役割でしょ……!」
次第に熱が入り、怒り浸透でレオに詰め寄るリアに、彼はただ困惑するばかり。
ルシファーの不意打ちにはレオも怒りを隠さないが、なぜそこまでリアが怒るのかが彼にとっては不思議だった。
「魔族の不意打ち云々については賛同しかねるが、なぜそうまでお前が怒る? むしろ喜ぶべき事だろう? 魔王である俺の弱体化を」
「確かに私にとってもあなたは討ち滅ぼすべき敵よ。……でも! ……今はお腹空いたから口論よりも食事にしたいわ……!」
空腹を訴える虚しい音が二人から鳴った。
「では、先ずは食糧を得る為に共闘と行こうか……!」
レオの差し出した手をリアは握り。
「その提案乗った……!」
こうして二人は史上類を見ない共闘関係を築く。