港町シルケの外に広がるグラドス平原。魔物と動物が苛烈な生存競争を繰り広げ、時には街から逃げ出した馬が住み着くことも。
そんなグラドス平原に雨が降り草木に恵みを与え、雲の隙間から竜の影が垣間見える。これも人間界に広がる大自然の光景だ。
魔界では決して拝むことが叶わない喪った光景──
雨に打たれながらレオとリアが、グラドス平原に整備された石畳み造りの街道を三時間ほど進んだ頃だった。
「むう……めんどうな」
「もう! どうしてこうなるだろうね!」
額に汗を滲ませ悲鳴を挙げる足の筋肉を突き動かしながらリアは叫んだ。
背後に目線を向ければ、石斧や石槍を携えたオークが大群を成して追い掛ける光景が映り込む。
軽く見渡せば五十頭余りのオークが鼻息を荒げ、口元から涎を滴らしている。
「絶対村でも襲撃に行く数よね!」
「そうだろうな。……このまま走り続ければ街に着くが、いっそ騎士団に押し付けるか?」
「うえっ!? そ、そ、それは、ちょっと」
魔物を街の門を護る騎士に押し付ける。それは下手をすれば街に魔物の侵入を許すことに繋がる。
そんな事はリアにはできず、レオの提案に上擦った声で難色を示した。
と、その時だった──
「貰ったああああー!!」
雄叫びと共にレオとリアの頭上を飛び越え、石斧を構えたオークが着地したのは。
オークはすぐさま振り返り、レオに石斧を左薙に振るった。
レオは鞘から魔剣フェルグランドの剣身を僅かに引き抜き、剣身を押し当て迫る石斧を弾く。
大きく弾かれ、腹部がガラ空きのオークにレオは右脚で駆け上がり、オークの後頭部に向けて身体を捻り、左脚でオークの後頭部を蹴り飛ばした。
するとオークは蹴りの勢いに負け、濡れた石畳みに足を取られ転げた。
「お、おわあああー!?」
「お、おま!? こっちに来るなあああ!」
一頭のオークに次々とオークどもは脚を引っ掻け総崩れとなり、レオとリアは全力でその場から逃げ出す。
「……ふう、ふう……っ。何とか撒けたか」
「……はあ、はあ……んっ。途中で諦めたみたいね」
乱れた呼吸を整え、雨と汗で濡れた顔を拭う。
もしも魔力が僅かでも回復せず、あのオークの大群と遭遇していたら。
きっと逃げ切ること叶わず、オーク如きにレオとリアは今頃食べられていただろう。
二人は改めて魔力の有り難みを噛み締め、視界に映り込む街の外壁へと眼を向けた。
グランガルを囲む高く積み上げられた石壁、魔物迎撃用に配備された大砲が野晒しとなっている。
「ここがグランガルか」
「私も前に一度だけ来たことがあったけど、グラドス平原で採取できる琥珀を使った装飾品が有名かなあ」
「装飾品の類には興味は無いが……速いところ検問を済ませてしまおうか」
雨に濡れた身体を抱き寄せるリアの様子に、レオはそう提案したのだった。
街の門に常設された行商人から旅行者、果ては旅人に難民と思われる者達が並ぶ検問の列に二人は並び、程なくしてレオとリアの順になると。
騎士が訝しげな表情を浮かべた。
「……勇者リア様? なぜあなた様がこんなところに……」
「うーん、詳しく話したいところだけど」
チラリ、とレオに目を向けると騎士が眉間の皺を深め、携えた騎士剣を引き抜く。
その様子に検問に並んでいた人々から悲鳴の声が漏れる。
「怪しいヤツめ! その仮面を外し正体を現せ!」
彼の怒声を合図に待機していた騎士達が躍り出る。
レオを取り囲む騎士の様子にリアの心臓が跳ね上がる。
こうなることは予感していた。しかしレオは検問に関しては任せろの一点ばかりだった。
それでもレオは、今は共闘関係であり連れだ。
「ええっと、彼は私の連れなの。だから見逃して……?」
マキナ直伝かわいく小首を傾けおねだりすると、騎士は頬を赤らめた。
「ダメです! いくら勇者様の頼みとは……いま、なんと?」
「私の連れって言ったのよ」
「……こんな怪しい仮面で素顔を隠したヤツが? 大変申し上げ難いのですが、もう少し連れは選ぶべきかと」
「……別にいいじゃない」
リアの不機嫌な声に騎士の一人はたじろぐ。しかしこちらも職務、怪しい仮面の男が人間に扮した魔族とも限らない。過去に変装した魔族を悉く見逃しているのだからなおさら。
その意味では職務は忠実に全うすべきだ。
「さあ、怪しいヤツよ! これ以上勇者様に御迷惑を掛けたくないのなら潔く素顔を曝すのだな!」
「ふむ、火傷の傷が酷くとてもでは無いが人に晒せないのだが」
「そ、そんな事情が……! い、いや、しかし……! 身の潔白のためにも素顔を拝借させてもらう!」
なんとも真面目で忙しい騎士だとレオは内心で想いながら、ゆっくりとフルフェイス仮面に手をかける。
周囲に緊張が走る中、レオはフルフェイス仮面を外して見せると、
「えっ!?」
「っ!? こ、これは……酷い火傷だ」
「確かに酷い……!」
「ああ、素顔を隠したなるのも納得がいく」
リアが驚く中、騎士達は口々に反応を示した。
しかしリアには腑に落ちない点が有った。いま目の前に曝されたレオの素顔は、顔の右半分が酷い火傷で潰れ左目は水色だ。
自分の知っているレオは、魔族の紅い瞳に綺麗な顔している。
「果たして俺の疑いは晴れたのだろうか?」
何処か不安な声で呟くレオに、今度こそリアは目の前の人物が偽物ではないかと疑いはじめる。
こんな状況下でも魔王レオなら自信に満ち溢れた言動を発する。少なからず自身の知るレオという男はそういうヤツだ。
だが声は正にレオのもので、腰まで伸ばされた白髪が何よりの証拠だ。
「う、うむ。……失礼した。こちらの書類に必要事項の記載を! ああ、勇者様は後ほど騎士団の詰所に出頭願います」
「う、うん。私も魔王城で起きたことを報告したいから」
空返事で返すリアの様子に騎士達は首を傾げる。
しかし当のレオは特に気にした素振りを見せずフルフェイス仮面を再び装着し、書類に記載していく。
リアは、考えても仕方ないとため息を吐きつつレオに倣う。
旅人なら訪問理由と通過か滞在かの記載、行商人ならば取扱う商品と蓄積量の記載が求められる。
レオとリアは事前に取り決めていた通りに書き記し、騎士に提出したのだった。
「……では既に知ってるとは思いますがこれも職務の一環ですので……門を通り抜ける際に看破の魔法が魔法による偽装を暴き出しますが、まあ勇者様とその連れとなれば何も心配は要らぬでしょう!」
(心配だらけなんですけどおお!!)
騎士の規定通りの言葉にリアは心の中で叫ぶ。
ここで誤魔化しても怪しまれるだけなため、リアは大人しく門を通過した。
すると門の天井と地面に設置された魔法陣がリアの身体を上下に動き出す。
リアは何も偽っていないため魔法陣は何も反応を示させず、彼女はそのまま門を直進していく。
そして、門の外側でレオを待つと──彼は何の問題もなく門を通過した。
「む、どうしたのだ?」
そんなレオの声に、自分の心配は何だったのかリアはレオを睨む。
「一体その火傷と瞳の色はどうしたのよ」
「ああ、コイツは白鯨海賊団の船員に教えられた特殊メイク技術にカラーコンタクトだ。……フッ、どうやらこのクオリティにお前すら騙せたようだな」
レオは仮面の下で勝ち誇った表情を浮かべた。
門に施された看破の魔法は、魔法による嘘偽りを暴く魔法だ。だから化粧品によるメイクや技術は嘘と見做されず看破の魔法は反応しない。
とはいえ三年前にレオが訪れた街では、看破の魔法はまだ検問に設置されていなかった。
東の大陸から伝来した魔法技術をギリガン王が取り入れたという経緯が有る。
「まあ、これからは検問の心配が無くなったって事でここは一つ納得しておくわ」
こうして二人はレンガ造りで統率されたグランガルに到着し、騎士団の詰所に足を運ぶ。
いつでも魔核を砕けるように備えながら──