──レオが姿を眩ます少し前──
晴れた夜空に浮かぶ月明かりがレオを照らす。
王都ともなれば魔力によって灯された照明が街を照らすのだが、月明かりに眼を細める。
太陽が無ければ月も星も輝かない。人間界に来たばかりの頃は毎晩夜明けまで星を眺め、自身の名の由来となった獅子座を探したものだ。
物思いに耽けながら暗い通り道にレオは足を進めた。
特にこの先に用がある訳では無いが、
(さて、どう出る?)
後方から物陰に身を潜めながら忍び寄る金属混じりの足跡。
お粗末な尾行にレオは、連中の練度の低さに息を吐く。もっとも前線から程遠い騎士、ましてや領主に雇われた者では経験不足も頷ける。
この国の騎士は徴兵による兵ではない。騎士学院を卒業した生徒達がその後各々の適性と成績に応じて配属が決まる。
(ふむ、何か事件を隠蔽するには不慣れ過ぎるな。やはり最近の事なのだろうか)
そんな時だった、静寂に包まれた通り道に一陣の風が駆け込んだのは。
「何者だ?」
目前に現れたフード仮面の男に問い掛ける。フードで髪が隠され、仮面で瞳を隠している。そこまでして正体を隠す者が訪ねたところで名乗らないのは、レオも承知のうえだった。
案の定と言うべきか、男は問い掛けに答える代わりに、両手に短剣ダークを構える。
誰かに雇われた暗殺者に狙われている。考えられる理由としては、リアに近づく不審人物の排除、アルバートに探りを入れる邪魔者の排除か。
それにしても、とレオは思う。早急に監視され宿屋での会話を盗み聞きされたと。
暗殺者はゆらゆらと徐々に、確実に距離を詰める。
考えている暇は無い。この場をどうにかして気に抜けるには、些か魔力が足りない。
レオは魔剣フェルグランドを引き抜き構える。
フード仮面の男──カイウスは訝しむ。
暗殺者を目の前にして堂々と構えるレオの姿に。
標的の魔力量は少ない。初級魔法を数発程度分だ。油断さえしなければ確実に仕留められる相手。
そう頭で認識する自分と、不用意に間合いに入るな、と警戒する自分が居る。
(……何者だ?)
勇者リアに付き纏う不審人物の排除及び領主に対し、不穏な動きを見せる危険人物。
そう評され依頼を言い渡されたのだが、下調べとして宿屋の会話を盗み聞きしたが、勇者とは少なくとも気心知れた間柄と見受けられる。
勇者の近寄り彼女を隠蓑に悪事を働く下手人。単純な悪党ならば外道の方法で仕留められるが彼は違う。
(……いや、これも彼らのためだ)
多額の報酬が約束されている。少なくとも当面は彼らの生活を賄える額だ。
カイウスは一気に勝負を決めるべく、腰を低めに地を蹴る。
一瞬の内にレオの懐に入り込み短剣で急所を抉る。事はそれで済むはずだった──
「【ドレイン】ーーっ!!」
無詠唱から吸収魔法──【ドレイン】が陽炎の腕を形作り、カイウスに放たれる。
しかしカイウスは、地を弾むように蹴り強引に体を捻り方向を変え、寸前の所で【ドレイン】を躱す。
不意打ちの魔法を躱した。これでヤツは無防備だ、と。しかしその見通しは魔王を相手にするには甘い。
避けられた【ドレイン】が方向を変え、カイウスを背後から掴む。
「ぐあっ……き、貴様……っ!」
不自然なまでに魔力が少ない相手。だが、繊細な魔力コントロールで魔法の軌道を遠隔操作で変えた。魔法の駆使には其れ相応の精神集中力が求められ、なおかつ方向転換を加えるとなると魔力コントロール技術が必要だ。
理解した所でたちまちカイウスの魔力を奪われる。
陽炎の腕がレオの下に還り、彼の総合魔力量が増える。
(バカな、魔力量の上限が増えただと? いや、違う。何らかの原因で残り魔力が少ないんだ)
魔力を使い果たした後、しかし街中で標的は一度も魔力を使っていない。
ならば街に来る道中か。これも違う気がするが、現状で納得いく答えはこれしか思い浮かばない。
幸い奪われた魔力は戦闘継続に支障をきたさない程度だ。まだ自分はやれる。
カイウスは再びダークを構え直す。
「……ふむ、お前が俺を襲う理由はなんだ?」
ぐぐもった声を発しながらレオは視線を向けた。
「ここで死ぬ貴様には必要ないことだ」
「そうか」
それだけ呟いた瞬間、レオはカイウスの目前に姿を現す。
(歩法魔法技──【宿地】だと!?)
【縮地】の速度と筋力が合わさった強烈な力が乗った右薙が繰り出され、カイウスは両手のダークで魔剣の刃を挟み込む形で受け止めた。
その瞬間カイウスの身体は押し返され、レオは隙を逃さんと距離を詰めるが、カイウスは三本の隠しナイフを投擲する。
だが、左右に移動を挟み飛来するナイフを避けた。
距離を詰めるレオの腹部に上段蹴りを放つが、レオは放たれた右脚を素手で受け止め、カイウスの体を投げ飛ばす。
仰向けに倒れるカイウスの首筋に魔剣の剣先が当てられる。
完全に油断した。その隙を突かれた結果がこれだ。
「魔力が少ないと油断したな。お前の敗因は魔力回復を許したことだ」
「……多少の回復でここまで化けるのか」
「なに、魔力の扱いにも技量が必要なだけだ」
カイウスはここまでか、と息を呑む。
だが、レオは魔剣を振り下ろさず鞘に納めた。
彼の行動にカイウスは目を見開き狼狽える。
「な、なぜ……殺さない」
「お前は腕が良い、殺すには惜しいと思ってな」
「……惜しいだ、と? 次また貴様を殺しに来るのにか?」
「お前では俺を殺せんよ。俺を殺すのはアイツと決まっている、それまでは誰にも殺されてやるつもりは無い」
そう言いながら背を向けるレオに、カイウスは戦意を削がれた。
飛び込んだら最後、次は確実に殺される。彼の背中が、『それ以上は殺す』と物語っているからだ。
カイウスは闇に溶け込むように、その場から姿を消す。次は必ず殺すと決意しながら。
暗殺者が立ち去った通り道で、レオは仮面の下で笑みを深める。
暗殺者との戦闘の最中、物陰からこちらを観察する騎士の姿が見えた。
つまり、彼は騎士団に雇われた者。殺せば殺人罪として捕縛する算段だったのだろう。
「もう、引いたか」
戦い足りない。騎士が襲い来るなら応戦も視野に入れたが、流石に二度目の不意打ちは通用しない。
あろうことか手の内を一つ晒した。
(まあ、取るに足らん問題では有るが【ドレイン】は警戒されたな)
【ドレイン】を警戒するなら別の魔法を使うか。
レオはそんな事を考えながら、夜風に当たりながら散歩を続ける。
(む、そういえば暗殺者は結局何者だったのか、魔法も魔法技も使わなかったな)
レオはその意味では相手が一枚上手だったと、笑いながら水路へと足を運ぶ。
街の中央広場へと続く石橋に到着したレオは、物陰に忍び込む。
丁度ここからアルバート邸がよく見える位置だ。
(まさか、すぐには女の遺体を運び出したりはせぬだろう)
しかしレオの想いとは裏腹に、藁袋を持ち運ぶ一団が屋敷から現れた。
その光景にレオは思わず、空を仰ぎ見る。
(バカな、工作も無しに堂々とだ、と!?)
まだ藁袋を廃棄するとは決まってはいない。きっとアレには難民用の麦が入っているに違いない。
だが、一団は橋の淵に近付き辺りを見渡した。
そして誰も居ない事を確認すると、藁袋を水面に放り投げた。
「ふう、毎晩運び出すのは面倒なんだよなあ」
「でも、良いんですかい? こんな街の真ん中の水路に捨てて」
「大丈夫だろ、ここは上流だ。後は難民が集合する難民キャンプに流れ着くさ」
レオはその言葉を背にして、下流へと足を向けた。
水路を流れる藁袋を回収し、中身を改める。
するとレオは顔を顰めた。
「これは……惨いことをする」
藁袋の中身は死体と箱。それも若い娘の死体だ。
問題は、胸から腹部にかけた肉がごっそりと無い。剥き出しの肋骨と背骨、そして太ももの肉が無くなった死体ということ。
加えて若い娘は、生きたまま肉を切り取られたのか表情が苦痛と絶望に歪んでいた。
遺体の側に有った箱を開けると、そこには高価な宝石類が納められている。
「今回の事件を難民に被せる気か」
いや、違う。もっと罪を被せたい相手が居る。
藁袋の中身は口実に過ぎない。現にこんな夜更けに出歩いているのは誰だ。
他ならない自分だけ。
「……リアよ、しばしの別れだ」
それだけ呟くとレオは闇に紛れ姿を消した──