雨が降り出した夜。
レオは薄暗い一室でソファに我が物顔で座り考え事に耽っていた。
フィオナが二人の魔核を調べた結果、自分達の魔核はルシファーの掌であり、魔核の鎖を外すには混沌結晶を砕かなければならない。
やる事は今までと変わらないがレオは思う。
(混沌結晶に関しては唯一の隙だ。もしもあの魔法陣がルシファーに知られれば俺達が魔力を取り戻す機会は失われる)
用意周到なルシファーはきっと気が付けば、混沌結晶に細工を施した魔族を炙り出し、自分とリアの魔核を破壊してしまうだろう。
そうなれば死を持ってしての敗北だ。
深いため息が漏れる。
「随分遠回りをさせられている」
ルシファーの策略を見抜けなかった時点で今回の事件は必然に起きた。
もしもあの時、と人は後悔するがレオは、今の道もそれもまた一つの道と受け入れた。
現に好敵手のリアと共に旅をし、寝食を共にして彼女の底知れない優しさに改めて気付く事が有る。
言ってしまえばあの時ルシファーに不覚を取らなければ、新たな見聞を得られずに終わっていた。
思考に没頭する中、蝋燭の火が部屋を照らす。
レオは一度思考を中断し、そちらに視線を向けた。
「お前か。夕食も大変美味だったぞ」
蝋燭を手に持ったアンナがくすりと笑った。
「そいつは良かったよ。……しかし魔王も物思いに耽る時があるんだね」
「魔王だって考える時はあるさ、次の政策に資金繰り、民の安寧から都市部の開発計画なんかもな」
「その割には別の事を考え込んでいたようだけどね」
彼女は魔女だ。他者の僅かな挙動で思考を読み取る事は雑作もない。
「流石は魔女と言いたいが……人としての寿命を捨てた今は後悔しているのか?」
アンナはテーブルに蝋燭を起き、向かい側に座った。やがてぽつりと言葉を紡ぐ。
「もちろん有ったさ。最初はね魔女に至ることを目標にしていたけど……至った後に気付いたのさ、私は魔女になって何がしたかったのかって」
「つまり魔女に至るのは過程に過ぎないが、得られる長寿の前に"その後"のことなど視野に入っていなかったと」
「そう、人は恵まれた環境下で作業工程を省くために日夜研究を続ける。それが永く生きたいという欲が現れ【魔女化】が生まれた。魔王は知っているかい? 南東の大陸には人間の命令通りに動く人形技術が発展していたことを」
レオは眼を瞑り頷いた。人形に思考する工程を与え、命令通りに動く技術がかつて開発された事があった。
しかしその大陸のとある国は一夜にして滅びた。それは何故か、人形の反乱によってだ。
「過ぎた技術によって身を滅ぼした話は有名だからな。確か人間界の暦で千二百八年のできごとだったか」
「そう、今から約束四百年前だね。とはいえ今はちょっとした物語として語られる程度の話さ」
命令通りに動く人形技術は危険と判断され廃棄された。表向きには。
何か魔法プロセスに誤りがあった。そう考えた技術者は次へ、次へと研究を重ね、最後に出来上がったのは命令通りに生物を殺すゴーレムだ。
何処かの過程で強度に欲を掻いた者が、人形ベースからより強靭なゴーレムベースへと技術転用したが、結局の所ゴーレムは"生物を殺す"命令通りに人間も殺し始めた。何度も繰り返される過ちはやがて成功する。その過程で生じた犠牲を致し方ない犠牲と切り捨てて。
「……長寿を得た人間は何処へ行き着くのだろうな?」
「間違いなく破滅だろうね。不老の次は不死を、死ぬことも老いることも無くなった人間は、人間らしい道徳をいつかは忘れてしまうのさ」
「まるで見て来たように語るな。お前が人間の先に悲観するには早いと思うが?」
蝋燭の火に照らされたアンナの口元がクツクツと笑う。
「魔女は今の時代じゃあ珍しいけどね、私の代……少なくとも三百年前は魔女も多かったんだよ」
「ほう、それは初耳だな。魔女は希少と聴いていたが」
「確かに今は希少さ。……人は老いを怖がり避けようと日夜研究に励むけどね、いざ目の前に老いない者が現れたらどうなるか、魔王ならよく理解しているだろう」
「……ああ、経験済みだ。アレは五十八年前、ギリガン王の八歳の誕生祭の時だった。……その日ギリガン王の乳母が歳から老衰してな、あの時だなアイツが俺に恐怖心を抱き始めたのは──」
「魔族を良く思わない輩の口車に乗っかり、魔族排除の機運が高まり出したのは翌年のことだ」
寿命の違い。その程度の問題だがそれは魔族からしての些細な問題だ。
人間と魔族が真の意味で平等になる日は決して訪れない。それこそ人間が魔族同様の寿命を得ない限りは。
「拒絶して迫害して、そして目の前に不老の秘術が有ると知れば飛び付く。自分勝手な種族なんだよ。それでも……フィオナが産まれてからは混血児が自然な形で魔族と人間の関係を修繕していくんだと、私はそう思ったんだ」
「……その道も有りだが、結局のところ人間は迫害の道を選んだ。いや、俺達の蒔いた種が次世代に苦楽を与えているのだな」
「そう、私が魔王にこんな話を切り出したのはね……フィオナがちゃんと恋して生きられる居場所を作り出すためなんだよ」
アンナの言葉にレオは眼を瞑った。母親というものはそこまでして子を想えるのか、と。
ただそれは日の光の下で育った人間だからこそなのかもしれない。中には過ちを犯す者も居るが、それも生物なのだから仕方ない。
「魔族領に混血児のための人里が在るが、移住を希望するか? そこには混血児とその家族だけが住む事が許されている。お前の言う迫害は起きないが……」
「それじゃあ混血児が人間に受け入れられないじゃないか。それじゃあが意味が無いんだよ」
「ああ、魔王の名にかけて約束しよう。いずれ混血児の差別問題は解決してみせると。むろんお前には気長に待ってもらう必要があるがな」
レオの言葉にアンナは望むところだ、と力強く頷いた。
そしてアンナは寝る前に一つだけ尋ねた。
「旦那はいつか帰って来るのかい?」
「ふむ。グランガルで再会したが、アイツは妻に会いに行くと言っていたぞ……まあ、何か事情があって帰って来れずにいるのかもしれんが」
「……そうかい、なら私は変わらずあの人の帰りを待ち続けるさ」
そう言ってアンナは可憐な笑みを浮かべ、その姿にレオは呆然とした。
それはアンナが立ち去った後もしばらく呆然とする程に。
(なるほど、アレが人を愛するということか。ジドラめ、随分良い女を見つけたものだな)
想い続ける妻から逃げた彼に、レオは深くため息を吐く。
愛情を知らない魔族は変わらなければならない。先ずは自分からその姿を民に見せて行く必要が有る。
(……相手が居なければどうにもならんな)
意気込んだはいいものも、重大な問題に気付いたレオは肩を竦めた。
そして彼は蝋燭の火を吹き消し、ゆっくりと瞼を閉じる。