サタナキアは敗戦を受け入れたが、目の前の女性に助けられた事実は到底受け入れ難いものがあった。
彼の心中を占めるのは屈辱だ。そして目の前の女性は愉悦を込めた眼差しで、
「不様なサタナキア」
彼女は嘲笑う。嫌いだ、消えて欲しいとさえ願った彼女に助けられた事実は、サタナキアにとって一生拭えない不覚であり、これ程の屈辱はそうそう無いだろう。
彼は怒りに震えるな体を堪え冷静を取り繕う。いまは魔力が枯渇している。このタイミングで彼女に何かしようものなら、それこそ嫌いな相手に殺される。それは死んでも死に切れず、悪霊と成り果てる事は確実。
あんな醜い悪霊になるぐらいなら、この屈辱は堪えるべきだ。
「……なぜ私を助けた。なぜだ? 笑うためか」
「笑うため。人間と魔族に翻弄され不様を晒したお前の姿には、随分と笑わせてもらった。……彼らには礼を言わなきゃね」
心底本心から語るアガリアレプトの姿に、サタナキアのこめかみに青筋が浮かぶ。
「……まあ、お前が死ぬと不都合が有るのは確か。ルシファー様の重臣は多い方がいい」
「貴様がそんな事を考えていたとは……意外だな」
「お前と違って考える方だから」
言葉を返せば皮肉を返される。両者にとっていつも通りのやり取りだ。そして殺し合いに発展するが今回は違う。
「それで、お前はなぜ敗北したと思う?」
「……ふん、見ていたのなら分かるだろう? 私は連中を侮り敗北したと。特に魔王レオの生存を認知していなかったのは大きい、魔力を失ったヤツは死んだとばかり考えていたが……」
「魔力が無ければ誰しもが無力。それはルシファー様も女神も変わらない。──そんな状況下で魔王レオと勇者リアは生存していた。どう考えてもゴブリンに殺されるような状況でよ、余程運が良かったのかもね」
彼らが生き残ったのは運によるもの。そう推測するアガリアレプトにサタナキアは息を吐く。
たかが運一つでこちらの計画が阻まれたのか。それはある意味で恐ろしい事実だ。
しかし魔力が無い状況で彼らは如何にして魔核を得たのか、どうやって一部の鎖を解いたのか。前者は運に恵まれた結果なのは明白。だが、後者は違う。誰かが意図的に仕掛けなければ不可能だ。
「裏切り者が居るか。戦いの最中、それは予感していたた。だが、ルシファー様の下に集った天使は、皆が心から心頭している者達だ。天使に裏切り者が居ると思うか?」
「確信が有る訳じゃない。天使の中に女神派が紛れ込んでいるかもしれない、それに外部戦力──魔族が怪しわ」
「……魔族は、連中は魔王レオを裏切り此方に寝返った者どもだ。いまさらルシファー様を裏切りるとは思えんが」
「最初から誰かの策略だとしたら?」
最初から、それはいつからを指すのか。魔王レオと勇者リアの魔力を奪った時か、それ以前からなのか。
前者は有り得ない。魔王城の広間に殺到した魔族にそこまで考える能力が無い。では後者か、それも違う。魔王レオが此方の動きに勘づいた様子は皆無だった。
でなければあの時、ルシファーよりも膨大な魔力を宿しているレオが不意打ちを許す筈がない。
そもそも"最初から"は間違いで、状況に合わせて策を練られたのなら。それが出来る人物は魔族内に複数人居る。
魔王城の文官達がそれに当たるが、サタナキアはロランが怪しいと睨んだ。文官の動きは魔界の内政、財務を支えるため公務に集中しているに過ぎない。彼らに何かを仕掛ける余裕も度胸も無い。
逆にロランは違う。度胸も適切なタイミングも全て把握、あるいは自ら作り出す能力が有る。
「やはりロランが裏切り……いや、違うな。ヤツは最初から魔王レオを裏切ってなどいなかったということか。つまり我々はヤツ一人に騙され、踊らされていたということか」
「あの時、ルシファー様が混沌を得た時点でロランは策を練っていた? だとしたら恐ろしい、心を偽り我々を欺いた事にもなる。下手をすれば死ぬというのに」
「死など恐れてはいないのでしょうね。……いや、しかし我々もロランを見倣うべき点が有る」
今の天使は戦争を知らない。軍の動かし方も知識として理解してるが、実際に動かすとなると思うように事が運ばない事が多い。特にキュアリア村の襲撃がそれに当たる。
こちらの経験が圧倒的に不足していた。天使兵同士の連携も取れていたとは言い難い。そこに来てロランの策略に嵌れば、紛れ込んだ間者捜しによって陣営内の疑心暗鬼が拡がる。そうなってしまえば経験不足のこちらは、立て直す暇も無く敗戦していた。
「ロランはどうする?」
「……────」
サタナキアの言葉にアガリアレプトは一瞬だけ驚いた表情を浮かべ、薄寒い笑みを宿した。
そしてクツクツと肩で笑う彼女の姿に、またサタナキアも笑っていた。
ここからが本当の戦だ。魔王レオと勇者リアの次の行動は把握しやすい。彼らは天界に向かうだろう、だがその時こそが二人の最期だ。