心優しいゴブリンと別れたその日の夜。
ズボンの破れた箇所の修繕を済ませたレオは仮面を外し、自室のベッドの上で掌に魔核を転がしていた。
「島を脱出するにはイカダと呼ばれる小舟を造る必要が有るが……」
ゴブリンが言うには、この島の海域にはサメが多数生息しており、イカダで脱出をしようものなら喰われるという。
レオにとってサメは未知の生物では有るが、ゴブリンの言葉にイカダでの脱出を断念せざる終えない。
イカダはあまりにもリスクが高すぎる。
まず何処へ向かえば良いのか、向かうべき方角が分からない。そして海中に生息する魔物の対応、食糧の問題、一度出航してしまえば二度と島に引き返せないかもしれない。
少し考えただけで分かるリスクに、レオは別の方針に思考を向けた。
ログハウス内で拾った手記に記された記述も気にはなるが。
「この魔核には初級魔法を扱う程の魔力が無い。……やはり他の生物も狩る必要が有るが、狩るにはこの魔核を砕き多少なりとも動きの鈍重さを解消したいところだが──」
魔核を一つ消費して生物を狩るか。
罠を設置するのも一つの手では有る。
魔核を集めて吸収魔法──【ドレイン】で魔物から魔力を奪い、転移魔法の足しにするか。
やはりそこで問題になるのが魔力を維持できないこと。
集めた魔核を全て砕き、吸収魔法を扱えるだけの魔力を体内に留めておけるのは、せいぜいが一時間、多く見積もって二時間程度。
リスクの多い現状にあれこれ考えていると。
「レオ、考えは纏まった?」
ドアをノックせず平然と部屋に入り込む、リアにため息が漏れる。
「……魔王である俺の部屋に安易に入って来るとは無謀だな」
リアは防具を外し白のインナーと青いスカート姿で、余りにも無防備だ。
しかしレオの内心を露知らず、
「え〜? 今のレオは私に何にもできないでしょ?」
屈託のない笑みで返されたレオは顔を顰めた。
「……まあよい。次はどうするべきか、やはり魔核を使わずに狩りをする他に道は無いようだ」
「狩猟用の罠の作り方や設置のやり方は知ってるけど、問題は材料よね」
「……このログハウスにはオノは有るが、果たして木を切り倒せるか、だな」
リアは頬に人差し指を添え、
「うーん、それは明日試すとして……ルシファーのその後の動向も気になるわよね」
力強い眼差しを向けた。
魔力と力を奪った目的と動機も不明であり、その後魔族と人間をどうしたのか、またどうしたいのかも不明だ。
少なくともろくなことじゃないことは確かだと言える。
自分達の魔力をタイミングを見計らって奪ったのだから、入念に計画していたとも取れる。
ルシファーの行動を思い起こし、レオは重たい体をゆっくりと起こす。
「……ふむ。ヤツとは天界が人間界と魔界の争いに介入しないよう取決めを行った際に出会ったのだが、元々争い事に介入しないよう女神ウテナから事前に言われてはいたそうだ──」
神々の唯一の生残り女神ウテナは、人間界と天界で広く信仰されている神である。
そういえば、リアの仲間にはウテナ教の神官ナナが居たが、彼女は天界の事情に明るいのだろうか。
レオはいずれそれも確認する事柄と定め、リアの言葉に耳を傾ける。
「女神様の命令を破ってまで私達の魔力を奪った。でも、どうして? 他人から奪った魔力って数時間で消えちゃうから意味が無いよね」
「普通に奪ったのなら意味は無いが、一向に魔力が回復しないこの現状では、魔核に何か細工をされたのかもしれん」
細工するタイミングは一度だけ確かに存在していた。
鎖がレオとリアの腹部を貫き、魔力を吸い取ったあの瞬間。
逆にあのタイミングでしか細工は不可能だろう、とレオは睨んでいた。
「その細工って解除できるものなの?」
「さあ? 何せ俺は魔核研究に明るい訳でも無い、下手をすればどうなるか想像もできんよ」
勝利を確信した者の中には、傲り情報をペラペラと喋る者も居る。
慢心が招く油断が最大の隙ともなり得る。
しかしルシファーは勝利に傲り目的を話すことはなかった。
それは、自分達が万が一にも生きながらえ目的達成の障害になると見越してのことか、単純な警戒からか。
そのような人物が魔核に何か仕掛けを施したなら、解除するために魔核に干渉した瞬間人体が吹き飛ぶかもしれない。
リスクを考え、魔核を調べる事を後回しにしていた。
「私の魔核を見るだけ見てみる?」
「それは……その為には服を脱ぐ必要が有るが貴様には……」
『できるのか』、と言い掛けた瞬間。
バサリ、と布が床に落ちる音がレオの耳に届く。
彼はまさか、と恐る恐るリアの方に目を向け、眼を疑う光景に絶句した。
そこには恥ずかしがる様子も無く、インナーとスカートを脱ぎ捨て下着姿のリアが堂々と立っていたのだ。
(ば、ばばば、バカかこいつは!? 男の前で無警戒に下着姿になるヤツが居るかぁ!?)
声にならない悲鳴を叫び、レオはリアから目を背けた。
「どうしたの?」
「どうしたの? では無い! 不用心過ぎるぞ!」
「ええ〜そうかなあ?」
羞恥心がまるで足りないリアに、思わず頭を抱え激しく鼓動する心臓の音に苛立ちが浮かぶ。
煩い音。魔王が少女の下着姿一つで取り乱した証拠を耳元に突き付けられているようで、
「貴様! ともかく服を着ろ!」
「どうして怒ってるのよ、魔核を調べないとどうにもならないでしょ! それにレオは自分の魔核を自分で見れるわけ!!」
怒鳴り声を上げるレオに、リアはムッとして言い返した。
一体なぜ自分は怒っているのか、とレオは精神を鎮め平静に努める。
「……むう。正論では有るがな、お前は平気なのか?」
怒鳴り声から一転、落ち着き静かな声で語り掛ける。
「平気よ、だって故郷の村じゃあ普通だもん」
リアの言葉にレオは目を見開く。
まさかあの歳頃の少女は、人前で下着姿になることに対抗は無いのか、それともそれが普通に行われる特殊な村なのか。
「……それは故郷の男の前でもか?」
ショックを受け上擦った声に、リアは首を傾げる。
「えっ? だって故郷に男の子は居ないよ。皆勇者になることに憧れて騎士に士官しちゃったもん。私が物心付いた頃には男の子は全員居なくなってたよ」
彼女の言葉にレオは悟った。
リアが羞恥心に疎いのは、紛れも無く魔王である自分の責任だと。
それはそれとして、リアの仲間達は何も教えなかったのかと疑問が宿るも今はそれどころでは無い。
今は一刻も事を済ませるべきだと、レオは覚悟を決め、ふと重要な事を思い出す。
「……お前の事情はよく理解したが、やはり服を着ろ」
「ど、どうして!?」
「……そもそも魔力が無ければ、意識の中に魔核を視覚化する事は不可能なのだ」
「……それならそうと早く言ってよね。でも、先走ったのは私だからレオが気にする必要はないよ」
リアはそう言って笑い掛けるが、何一つ笑えそうにない。
彼女の羞恥心は早速無知と言って良いほど、その事実に笑えず頬を引きつらせるばかり。
リアは下着姿で居ても仕方ないと呟き、彼女は衣服を着ては、あろうことか部屋で寛ぎ始めた。
「なぜ寛ぐ? 用件が済んだのなら即退出を勧めるが」
「うーん? 監視、レオが悪い事を企んでいないかどうか」
勇者としてレオの悪事は未然に防がなければならない。
その為には彼の行動を監視する必要がある。元々その目的があっての共闘関係。
レオはもう知らんと言いたげに、顔を壁に向け眠りはじめる。
「え〜寝ちゃうの?」
声を掛け、なんとなくレオの体を揺らすも、彼から寝息が聴こえはじめた。
これは完全に寝ている。そう判断し、レオの側に無防備に置かれた魔核に目を向ける。
本当に無防備だ、もしもこれを自分が破り魔力を回復させたらどうなるか。
間違いなく魔王レオを討伐できる絶好の機会だ。
しかしリアは魔核に手を伸ばそうとはせず、彼の長い白髪に手を伸ばす。
「……やっぱりサラサラだ! 前から思ってたんだよね、レオって絶体に髪の手入れに気を遣ってるって!」
今度髪の手入れのコツでも聴こうか、そんな事を思い浮かべながら肌触りの良いレオの髪を弄り遊ぶ。
レオが寝てるのを良い事に様々な髪型に変える。
起きていたらきっとこんな事はできないだろう。
自分と彼は本来敵同士、それ以前に嫌そうに紅い瞳で睨むレオの姿が容易に想像に浮かぶ。
もちろんレオの髪を弄るという行動に何も意味は無いが、強いて言えば、これは髪を伸ばした時の予行練習だ。
いずれに剣を置く日が訪れる、その時は女の子らしく髪を伸ばしたいという思いも有る。
散々レオの髪で遊び倒したリアは気付けば睡魔に負け、そのまま夢の中へと旅立つ。
翌朝、側で眠る彼女の姿にレオは大いに頭を抱え込んだ。何処まで彼女は無防備なのか、と。