ミカエルはレオとリア、そしてセリナを執務室に残して、早速楔の解除に取り掛かる。
床に魔法陣を描き、
「お二人は魔法陣の中心に、セリナはわたくしの側で魔力供給を」
それぞれに指示を促す。すると案の定セリナは不服そうに頬を膨らませた。
「自分の魔力は低いんですけど?」
「この場で隠す必要は有りませんよ」
彼女は学生天使だった。一介の天使の家系に産まれ育った平凡な天使。少なくともルシファーをはじめとした大天使はそう捉えている。
だが、それは大きな間違い。彼女は産まれながらにして大天使並みの魔力を誇る天使だ。それでも彼女は全ての魔力を十全に発揮することは叶わない。
【昇華】を得て肉体に、魔核に宿る魔力を馴染ませなければならない。加えて彼女はまだ天使の中では子供だ。
「えっと、その口振りだとやっぱりセリナは魔力を隠してるのね」
「ええ、この子は高い魔力を有してますが上手く制御ができないんです。それに優しい子ですから、魔力で誰かを傷付けることも躊躇してしまうんです」
「……なぜ部隊長に?」
確かに部隊長に推薦した際には誰もが反対した。ミカエルはそんな反対を押し切り部隊を編成した。全てはセリナの精神に成長を促すために。
次代の大天使を育成することも古き時代の者の役割だからだ。
「天使の成長の機会のためですよ。それにこの子は鼓舞する才能を秘めていますからね」
「自分の得意魔法は守護壁なんですけど……」
セリナは自身の才能に気付いていない。仲間をその場に居るだけで鼓舞し、士気を上げることは早々できる事では無い。
いつの日か遠い未来に於いて、彼女の鼓舞する能力は必要になる。そのためにもセリナの成長が必要不可欠。
「セリナはすごく不満そうね。良いわ、これが終わったら色々と話してみない? 例えば天界の美味しい物とか、人間界のこととかさ」
「……! ぜ、ぜひ!」
リアの言葉に照れながら答える彼女に、ミカエルは微笑んだ。その様子を黙って見守るレオに目を向け、
「そろそろ始めましょう。お二人とも準備はよろしいですね?」
そう問い掛けると、二人は力強く頷く。
ミカエルは魔法陣に魔力を送り、視界に映り込む二人の魔核に息を吐く。
渦巻く闇と光、天界黙示録に記載された存在が目の前に居る。これも永い時を生きる種族の運命。
と、ミカエルはリアの魔核に違和感を感じる。本来魔核とは肉体の成長に合わせて魔核も成長していく。老いれば老いるほど魔核は、魔力生成効率を失っていく。
まだリアは若い過ぎる。だが、魔核の時が、成長が止まっているのは何故か。注意深く観れば観るほど、リアの肉体の成長そのものが止まっている。
眉を歪める自分に気付いたのか彼女は、
「どうかしたの?」
「いえ……何でも無いですわ」
今は魔核の楔が最優先だ。意識を集中させ、ミカエルは楔に掌を向ける。
「セリナ、リアの楔解除と同時にルシファーの魔法陣に妨害魔法を!」
「はい……!」
模造品のグレイプニルの鎖。かつて魔狼フェンリルを封じ込めるために使用された神具の模造品。
模造品故に脆い。ミカエルは口を開く。
「《偽りの鎖よ朽ち果てよ》」
短い詠唱と共にミカエルは魔力で楔に圧力を与えていく。その度にリアに施された魔法陣が輝き出すが、セリナの放つ妨害魔法で、魔法陣に偽りの情報を与えていく。
魔法陣を誤認させ発動を遅らせる。特にルシファーと繋がっている状態だ、力技ならすぐに気取られるだろう。
ふと、ミカエルはレオの方に眼を向けると、彼は闇の魔力でルシファーの魔法陣を覆い尽くしていた。
解除でも無ければ、破壊でも無い。闇で魔法陣の消滅、それがレオの選んだ選択だ。
しばらく一本一本、確実に楔を壊す作業が続くが、それも最後の一本を前にして漸く終わりが見える。
滲む汗にミカエルは構わず、最後の楔を外す。その瞬間、二人の魔法陣が赤く輝き蒸気が生じる。
魔核付近で起こる水爆、それがルシファーの仕掛けた魔法陣の正体だ。
ミカエルはすぐさま、リアの魔法陣に指先を差し向ける。
「《魔よ虚無へと還れ》」
魔法陣を膨大な魔力で砕く。砕かれた魔法陣はなおも魔法を発動しようと輝きを増す。それも見越したうえで、ミカエルは魔法陣の破片だけを、亜空間へと吸い込む。
「お、終わったの?」
リアは冷や汗を流しながら、床にへたり込んだ。
無理もない、体内に爆弾を背負いいつ爆発するかも油断できない状況だった。特に少しでも制御を誤れば、リアは愚か拠点ごと滅んでいただろう。
「あっ! レオ、レオは……!?」
隣に立つリアは静かに佇むレオを見上げた。
じっと眼を瞑り指先一つ動かさない彼に、ミカエルとセリナも緊張を浮かべる。
失敗したのか、それとも成功したが死んでしまったのか。
静かにレオを見守る中、
「……ふむ、やはり消滅が手っ取り早いな」
彼は何事もなく眼を開き、そんな事を言ってのけた。
そこに慌てた様子も無い。寧ろ余裕の表情だ。
「……えっ〜、心配するだけ損だったの?」
確かに彼の行動は心臓に悪い。それでも魔法陣を単独で無力化する辺り、やはり魔王としての実力は本物。
「お見事ですね。……セリナもお疲れ様です」
「き、緊張……緊張したよぉ〜!!」
まだ経験が浅い彼女にとっては、これも良い経験になっただろう。自分の後任には彼女が相応しい。そのためには多少の無茶も押し通すつもりだ。
と、それよりもミカエルはリアに視線を移す。彼女の現状を知る必要が有る。
「……リア、貴女の魔核……いえ、肉体の成長が停止してますが、何か心当たりは?」
「……えっ?」
何を言ってるんだ、と眼を疑うリアの眼差し。そしてその隣でこちらを紅い眼光で睨むレオの眼差し。
リアは狼狽えながらも、漸く思い有る節が有るのか、
「……魔核研究所で……勇者一行の不老化って。あ、あれはっ……本当のことだったの……っ」
涙を浮かべるリアに、レオは深いため息を吐く。
「……お前が今まで魔核研究所で受けていた実験が、勇者一行の不老実験だった。それを知ったのは魔核研究所を訪れた頃だったが、お前に事実を語るつもりは無かった」
「ど、どうしてよ」
「知ればお前は戦えたか? 傲慢な人間のため、不老計画を指示したギリガン王のために」
人間界でそんな研究が行われていた。ハーヴェストには教会が無い。そのためそんな実験が行われているとは知る由も無かったが、知らないとはいえ余計な事を聞いてしまった。
「……それでも私は……! 私は最後まで戦うわよ! レオと決着を付けて、平和にするためにも! ……でも、不老になった私は、人間なの!? それとも化け物!?」
不安を叫ぶリアの言葉に、ミカエルとセリナは胸の痛みに顔を歪めた。
そんな中、魔王レオだけははっきりとリアの瞳を見つめて、
「お前はお前だ。勇者でも化け物でも無い、人間の娘リアだ。……お前が不老に成ろうが俺がお前を見る眼は変わらん」
レオは魔族で長寿だ。そんな彼と同じになったリアは、彼からすれば歓迎すべき事なのかもしれない。
判らない、ミカエルには二人の関係に理解が及ばない。
「……そ、そう。でもさ、ギリガン王は魔族を排除するために戦争を起こしたのよ? それじゃあ、私もナナ達もメンデル国には居られないわね」
帰るべき居場所を失った。ただ、リアの表情から迷いと不安が消えている。
「ならば、ルシファーを打倒しお前と俺が決着を付けた後……俺の下に来るか?」
まるで告白の様な言い方をするレオに、リアはきょとんとした。
「……へっ? そ、それは……まるで……違う違う!うん、魔族領に亡命するのも悪くないわね!」
次第に焦り頬を赤くしては、すぐに落ち着きを取り戻す。何とも忙しい娘だ、とミカエルは思う。
「……すみません、どうやら余計な口を出してしまったようですね」
「いや、いずれ彼女達には知らせるつもりだった。それが少し早まっただけのこと……まあ、リアとフィオナは兎も角、残りの二人は如何かな」
「……分からないわ。でも私はナナとマキアが戦線離脱しても仕方ないと思うわ、だから二人の判断に委ねる」
強い心の持ち主。成長性が薄い天使の身として、リアの示す心が羨ましく思う。
「わたくし達も人に負けてはいられませんわね」
「そうだよね。……もっと理解するために人間界旅行を提案します……!」
「……セリナ? 経費で落とそうと考えてませんか?」
そう指摘すると明後日の方向を向き、口笛を吹く彼女に呆れたため息が漏れる。
セリナの提案も悪くはない。どの道被害を受けた人間界の復興に携わらなければならない身。その過程でセリナと温泉で羽を休めるのも悪くない。
「ふふっ……どれだけ成長したか見る良い機会ですわね」
「……っ!?」
こうしてレオとリアの楔解除は終わった。
残すはルシファー勢力を打倒し、女神を解放するだけ──