『我が国が転移した世界は、人類にとって極めて厳しい環境であります』
数ヶ月前に日本を出発し、ようやく新大陸から帰って来た調査隊の報告を元にテレビはそう報じた。調査隊に追随した戦場カメラマンのうちの1人が撮影した映像──現地で遭遇した新世界生物と自衛隊の戦闘記録がノーカットで放映され、日本国民はいよいよ異世界に来たのだなと腹をくくった。
初めて聞くであろう銃撃音をモノともせずに突っ込んでくる小型の恐竜のような動物の群れや、火炎弾を吐く奇怪な面妖の巨大怪鳥。『10式戦車』の砲撃をモロに食らっても倒れない岩石のような鎧を持つ竜などなど。人類の叡智が効かない、まさしく怪物だらけの世界がカメラを通じて日本人に危機感を募らせたのだった。
そして日本に起こったのは、危機意識の変容だけでは無かった。
大空を通じて日本本土に舞い降りた〝飛翔系の新世界生物〟が大量発生し、従来の生態系が大いに蹂躙されている事実に頭を悩ませた政府は、今や警察組織の傘下となった猟友会だけでなく、一般向けにも猟銃の所持を始めとする銃刀法の緩和に踏み込んだのだった。これの効果は絶大で、あらゆる新世界生物が鳥獣保護法の適応範囲外なのを良いことに、猟友会以外の一般人の中でそれらを自主的に狩り、獲物の素材を製品にして売り出す人も現れ始めたのだ。
もちろん動物の死体をそのまま売った場合は処理法に違反してしまうため、彼らは狩った新世界生物の素材をアクセサリーや鞄を始めとする品物へと加工し、何週間か自分で使用してからメルカリなどの通販サイトで売っているため、問題はグレーゾーンへと突入している。
だが自衛隊や猟友会による駆除作業が追いついていない現状、猫の手も借りたい日本政府はこの問題を黙認、近いうちに法改正をも行う旨を発表した。
未知の怪獣の襲来や、新たな生物の流入による生態系の大変動により、日本国民を取り巻く環境は刻一刻と、しかし着実に変わっており、誰もが新世界に対する認識を改める他無かったのだ。
南方新大陸沖 洋上──
「これは…。すごいですね…」
自衛隊の調査隊員が洋上に浮かぶ『おおすみ型輸送艦』の甲板で呟いた。彼の視界の先には、地球でなら一年と経たない内に人気リゾート地と化してしまいそうな人っ子1人いない綺麗な砂浜と、その後ろに鬱蒼とした熱帯雨林が広がっていた。この雄大で美しい光景の中に人智を超えた怪物が潜んでいるとはにわかに信じ難かったが、これから踏み入る地が前人未到の戦場だと言う事を無理やり頭に言い聞かせる。
「テレビ局のカメラマンが来ていたら、こぞってカメラを向けるでしょうね。ここに、戦場カメラマンはいますけど」
隣に立つベレー帽を被った男性が、低い声で、ゆっくりと、柔らかな独特の口調で話しかける。その手には年季の入ったデジタルカメラが握り締められており、それだけが彼がプロのカメラマンだということを物語っていた。
「戦場…ですか。幸先の悪くなりそうな響きですな」
自衛隊員は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。俯瞰して見れば軍人の一端である自分よりも戦場滞在歴が長い男の語る「戦場」がどのようなものか想像したくもなかった。
「いつの世でも、冒険に危険は付き物です。だから、自衛隊が来ているのでしょう?」
「……間違いありません」
言葉の代わりに、パシャリとカメラが音を立てる。これから弱肉強食の世界に挑む自衛隊員達の顔は先の大戦で出征する日本人と全く同じ表情をしていた。この写真は日本国がまさしく〝生存競争〟という終わりなき戦争の真っ只中にいる事を表しているのである。
「そろそろ作戦が始まります。では、私はこれで」
しばらくしてから自衛隊員の彼は一つ敬礼をしてから、艦内へと戻って行った。これから日本国民1億人の命運を左右するであろう作戦が始まるのだと思うと、気分が高揚するとともに、全身が硬直するような不思議な感覚を覚える。
海自、空自、陸自の緊密な連携の元で行われるこの作戦は南方だけには留まらない。つい最近の話になるが、多方面に飛んだ哨戒機によって
「まさしく日本を守る最後の砦…ですね…」
甲板の戦場カメラマンは、周辺空域を警戒するように飛翔する『F-2』や各ヘリコプター、海上に浮かぶ各護衛艦へとカメラのレンズを向ける。写真に収める事が出来ないのが残念だが、海中では世界最強と名高い海自の潜水艦もが警戒任務を担っているらしい。この話だけで、今回の新大陸調査にいかに皆の期待がかけられているか分かるだろう。
「……始まりましたか」
新大陸を調査するにはまず、上陸部隊を安全に上陸させなければならない。そのために今作戦では上陸前に多数の護衛艦による艦砲射撃が行われる。
だが万が一にも現地住民などが巻き込まれる事など絶対にあってはならないため、事前に空からの入念な偵察とヘリに積んだ拡声器で人間の嫌がる音──主に黒板を爪で引っ掻いたような音。日本語で避難勧告をしても通じない可能性も考慮されたため──を発して、存在するかもわからない人類に対しての退避が促された。
特に今回選ばれた上陸地点付近は、高い木々が空からの視線を妨げるため、前述にある拡声器による避難勧告が何回も行われた。
そしてようやく複数隻の護衛艦による対地艦砲射撃が始まった。アメリカ軍のアイオワ級戦艦のような大火力艦砲射撃とまではいかないものの、一隻あたり分間数十発以上もの速射性はその低い火力を補うに十分であった。
激しい砲撃により木々、草花は根こそぎ掘り起こされ、先程までジャングルが存在していた場所は、砂浜から200メートルほど視界が開けた荒野へと姿を変える。
退避勧告、艦砲射撃。そしていよいよそれに続く第三段階。
次は日本版海兵隊とも呼ばれる水陸機動団による上陸地点付近の確保だ。
結論から言うと、上陸作戦は滞りなく終わった。新世界生物の襲撃や現地の知的生命体との偶発的戦闘なども予想されていたが、幸いにもそれらしき出来事は起きず、水陸機動団がその本分を発揮することはなかった。
『エア・クッション型揚陸挺』による『90式戦車』の上陸も完了し、太陽が真上に来るまでに周辺の安全は確保され、追随して来た土木作業機械による迅速な工事の結果、日没までに鉄条網やフェンス、対戦車地雷に囲まれた野営陣が完成したのだった。
もっとも、鉄条網やフェンス程度の物が千葉県に上陸したような怪物の足止めになるとは微塵も思われてなかったが。
その反面、対戦車地雷への期待は大きかった。通常、対戦車地雷を現代戦車が踏んでも、足回りを損傷させる程度の損害しか与えられないのだが、今回の相手は戦車ではなく怪獣だ。戦車は痛みを感じない上に修理すれば直るが、怪獣と言えど足元で爆弾が炸裂して無傷で済むはずがない。
最低でも、しばらくは歩行不能になる程度の怪我か痛みが与えられるだろうと期待されていた。
「それにしても…本当に異世界なんですな…」
植物学者が地面に這いつくばりながら呟く。護衛艦の砲撃を死に物狂いで耐え凌いだ直後に、大勢の自衛隊員にもみくちゃに踏まれた雑草ですら、植物学者にとっては未知の生き物兼貴重なサンプルなのであった。
調査隊には植物学者だけでなく、他の学問分野のエキスパートが大勢おり、新大陸の各調査は彼らに一任されている。学者だけでなく、現地の文明と遭遇した時に備えて外交官も追随しており、この調査における日本政府の本気度が垣間見えるだろう。
〈──にゃあ〉
突如、その鳴き声により野営陣地に大きな動揺が広がった。普通、どの戦場においても最も警戒すべき時間帯は夜間であり、自衛隊員も日が暮れて辺りが暗くなるにつれて、警戒心を強めていた。
そんなピリピリとした空気の中に投じられた、誰もが聞いた事があるであろう、あの癒しの鳴き声! モフモフとした体毛に、体に比べ大きい頭、やや下にあるクリッとした大きな瞳に、丸みをおびた輪郭!
前に張り出す広いおでこに小さな鼻、そして短い手足!
「「
フェンス越しに見えたのは、茂みの中からこちらを覗く猫だった。その目は暗闇でもキラキラと光っており、異世界からの来訪者である自衛隊に興味でもあるのかと錯覚してしまう。とりあえず誰が何と言おうと、戦場でも平時でも可愛い存在はまさしく天使であった。
屈強な男達がいきなり発狂したのを見て件の猫はそそくさと逃げ出してしまったが、ひとまずこれは大発見である。新世界調査隊の初の成果は『現地の野良猫の発見』として、その日のニュースで大きく報じられた。