翌日──
「な、なんじゃこりゃあああ!! 」
まだ太陽が完全に上りきっていない明け方、起床ラッパを鳴らすために、眠い目を擦りながら起き上がった隊員の叫び声が基地全体に響き渡った。
直後、精鋭である自衛隊員らはパッと目を覚まし、飛ぶような勢いで起床。30秒もしないうちに戦闘服に着替え、銃を手にテントから飛び出る。
しかし、起床30秒で戦闘モードに切り替わった彼らは予想外の光景を目にした。
彼らが見たのは九十九里浜に出たような怪物ではなく、エゾヒグマを狩る巨大昆虫でもなく、カラスの群れと空中で死闘を繰り広げるような害鳥でもなかった。彼らが目にしたのは、基地の端っこに積まれたバカみたいな量の
「な、何だこれは……」
「罠…か?」
十中八九デカいだけのドングリだろうが、ブービートラップのような物である可能性も考慮され、即座に触れることはもちろん近付くことさえも禁止にされた。実際に戦場で「敵兵が土産にと手に取りそうなもの」に爆発物が仕掛けられるケースは非常に多く、実戦経験が皆無である自衛隊員でも不用心に〝ドングリ〟を手に取る者はいなかった。
だが初めて見る人間の頭部並みに大きいドングリに彼らはどうしても好奇心を抑えきれず、規制線の向こう側からチラチラと盗み見をする隊員は続出した。精鋭とて一人の人間である。彼らも好奇心には抗えなかったのだ。
しばらくしてから現場に到着したのは物々しい装備に身を纏った自衛隊の化学防護隊、そして爆発物処理班と彼らと全く同じ装備を身にまとった植物学者であった。
「ふむふむ…。うん──」
放射線の類が出ていない事や爆発物ではないことが確認されると、今度はゴツい耐爆装備の植物学者がそれに近付いた。彼はまずは目で見て、鼻で嗅ぎ、最後に指先でコツンとそれを小突いてから、「よっこいせ」と持ち上げる。
その正体や如何に……⁉︎
「──ドングリだね。ただの大きいドングリ」
植物学者の笑顔と共に、即座に規制線が解除された。
デカいドングリ解禁!!
直後に隊員たちが殺到したのは言うまでもない。何しろ、生まれて初めて見るサッカーボール並の大きさのドングリなのである。ちなみにそれでサッカーをしようとした隊員は、まずは手頃な広さの平野を探す事を強いられ、任務期間中はそれを断念したと言う。
《ニャア!》
そしてもう一つの大きな発見がある。このドングリはどうやら、昨日の〝二足歩行のネコ〟からのお礼の品であったらしい。
お礼と言うのは、高い場所にあったマタタビを取ってくれた事に対するお礼であるらしく、これを機に隊員達により付近のマタタビは乱獲され始め、それと同時に〝二足歩行のネコ〟達との交流が深められた。
「じゃあまず、名前を教えてもらえるかニャ?」
《ニャ?》
「僕の名前は根子田 好太。マイネームイズ、ネコダ コウタ」
《ニャア〜?》
学者達によると、どうやら彼らとの言葉による意思疎通は現在の所は不可能であるらしく、引き続き絵とジェスチャーによる簡単なコミュニケーションが行われた。ある程度の不便はあれど、未知との意思疎通が取れるのはお互いに非常に喜ばしい事であった。
「どうやら彼らの種族はアイルーと言うらしい! ここから4kmほど離れた崖付近にアイルーの集落もあるらしいぞ!」
これは5時間にも及んだ話し合いの成果である。その日、アイルーと共に数人の情報科の自衛隊員と学者が彼らの集落に赴き、そこで一泊。アイルーらの生活環境の記録とおおまかな道のりのマッピングを済ませて帰ってきた。
「アイルー達は我々とこのような物品の交易をしたいらしい! しばらくは整備されていない山道を何時間もかけて取り引きしなきゃいけないが、これからの事を考えると道路を敷設すべきだろう!」
これは2日後の成果である。しばらくしてから施設科の工兵らの頑張りによってある程度の距離までの比較的歩きやすいルートが確立され、自衛隊の前線基地とアイルーの集落間の交流はますます活発になったのであった。
だが、忘れてはならないのは、ここは全域で安全がほぼ確認された日本の森林ではなく──とは言っても最近は小型、中型の新世界生物の流入で危険度は以前より跳ね上がっているが──装甲車を軽く破砕するような化け物が住まう異世界の森であるということだ。
もちろんそこでは平穏な日々というのはそう長くは続かず、一難去ってまた一難なんてのはよくある事柄だった。
「アイルー達の集落が危ない!!」
それは言語学者らの奮闘によりネコ語(?)についての理解もある程度深まり、アイルー語の他にも存在する別の言語──アイルー語は同種にしか通じないニャアニャア言葉だが、もう一つの言語は日本人でも覚えさえすればアイルーらとの会話が可能と判断された──による会話がようやく可能になり始めてきた頃の話だった。日が登るよりも前の暗い自衛隊基地に、息も絶え絶えで飛び込んできたアイルーがいたのだ。彼彼女が持ってきた紙に書かれた文章を本人に読み上げてもらい、それを意訳すると下記の通りになる。
緑のヒトさん助けてニャ!
【件の新世界生物と思しき絵】
条件:
目的地:大森林のアイルー村近辺
依頼主:大森林のアイルー村一同
内容:とても怖いドスジャギィの群れが村を襲おうとしているんだニャ! このままじゃ村が全滅しちゃうニャ!
緑のヒトさんは情報が欲しいんだニャ?
クリアすればボクたちは緑のヒトさんに全面的に協力するニャ。
古代エジプトのパピルス紙を連想させる粗めの紙には、上記のような何やら形式ばった依頼文が書かれていたのだ。日本ではまず見ないタイプの依頼者ではあったが、新世界調査の要であるアイルー村を喪失してしまうのは大きな痛手であると判断した調査隊総司令官は集落へ派兵することを即座に決定。
そして依頼の受理がなされてから1日も経たないうちに、完全武装の自衛隊員約100名と航空部隊による害獣討伐作戦が開始されたのであった。
森林戦とは熱帯雨林など植物が高密度に生い茂った森林地域における作戦、戦闘をいう。そこでの劣悪なインフラ状況は戦車や装甲車の進入を阻み、生い茂った木々は迫撃砲や航空機による支援攻撃の精度に大きな制約を与え、そしてその地形や気候などの様々な障害は兵士らにとって強いストレッサーとなる。
作戦地域の環境にもある程度は慣れた自衛隊員らにとっても、歩きづらい獣道や多湿な気候、いつ怪物が襲ってくるかわからない状況。そして火力支援の制約は彼らに重荷となってのしかかり、その進軍速度は大きく遅れていた。
今回の陸上戦力は頼りない戦闘服を身に纏い、威力不足の小銃もしくは軽機関銃、弾数が心許ない対戦車装備を背負った歩兵のみ。おまけに100人はいた隊員は分隊となって拡散していた。
どれもこれも、彼らの作戦地域が森林だからである。
鬱蒼とした森林には10式戦車や89式戦闘装甲車を始めとした車両は進入できず、加えて大部隊での進軍や戦闘行為は困難。その視認範囲の狭さから害獣との戦闘は至近距離になると考えられ、火砲部隊による火力支援は余りにも危険。航空戦力による火力支援も上空からの索敵も困難を極めるため、標的を探して倒すのは必然的に歩兵頼みとなってしまったのだ。
隊員の誰もが不安を胸にし、汗がいつまで経っても蒸発しない環境で生唾を飲み込む。アイルー村周辺の地図は大部分が未だ空白であり、コンパスと無線を頼りに彼らは道無き道を慎重に進む。
「
とある隊員が小さな声で報告をした。すぐに報告を受けた分隊長が全周警戒の命令を出し、副隊長と共に足跡の主がどんな生き物なのかを確認する。
「でかしたぞ。アイルー達が描いた図とそっくりだ」
「ドス…ええとドスジャギィの群れでしたっけ。下っ端で比較的小型のジャギィ、中型のジャギィノス、ボスで大型のドスジャギィで構成された群れですよね?」
「そうだ、その群れの掃討が俺達の任務だ」
ずっとこの近辺に住んでいるアイルー達によれば、この付近に出てくるモンスターは一目見ただけで名前とおおまかな特徴が言えるらしい。彼らのその知識は自衛隊にも共有され、隊員らの作戦遂行に大きく役立っていた。
「足跡が見つかったということは近くに敵がいるって事だ。警戒を怠るなよ!」
「「はっ!」」
それは小声だが隊員らが意気揚々と返事をした次の瞬間であった。彼らの耳に聴き慣れた発砲音が飛び込んで来たのである。さほど遠くない距離で発生したと思われるそれは他分隊が敵と交戦中である事を示しており、全員の手に汗が滲む。
「この音は…! 20式小銃の発砲音か!」
「分隊長! 前方から何かが複数接近する音が!」
立て続けに入ってくる新たな情報に隊員らは一瞬狼狽えたが、即座に気持ちを戦闘モードへと移行させ、前方からの襲撃に備える。様々な植物に視界が遮られた戦場では戦闘距離が短くなるのは必然であり、彼らが敵の姿をキチンと確認できるようになった頃には、彼我の距離は30mにさしかかっていた。
「ジャ…! ジャギィです! ジャギィ約10匹を確認! 後続もいます!」
最も前方に位置する隊員が叫んだ。
「あいつら意外とコモドドラゴンよりは弱そうだな⁉︎よし、発砲を許可する! 奴らを近付けるな‼︎」
直後にパチパチと銃撃の嵐が巻き起こり、曳光弾を交えた弾幕がジャギィの群れに吸い込まれるように消えて行く。枝が折れ、草木が飛び散り、大量の鉛玉を喰らったジャギィ数匹がズザザと地面を擦るようにして倒れる。
戦況はやや人間側優勢に傾いた。だが、予想外の事態に隊員らは動揺した。
「奴ら発砲音に驚きもしないぞ⁉︎どうなってんだ⁉︎」
人間だけでなく、動物が大きな音を怖がるというのは一般的によく知られた事である。それを利用してイノシシ、カラス、サルなどの害獣を空砲で驚かせて撃退する害獣避けという道具も存在する。
目覚まし時計のアラーム音、犬の鳴き声、大声、銃声など、生き物が驚く大きな音は多岐に渡る。日本人にとって、聴覚のある生き物が大きな音に驚くのは当たり前であるという認識が広い。
それ故に、彼らは目の前の動物が銃撃音を恐れない事に酷く驚いた。それどころかむしろ、敵の走る速度が速まっているようにさえ見えたのだ。
「狼狽えるな! 奴らが銃声を一度でも耳にしたことがあるってだけだ!」
「一度でも聞いた事があるっていつ、どこでだよ⁉︎新世界に人間は日本人以外にいないはずだろ⁉︎」
「わからん! それを調査するために俺達がここに来たんだろ?」
銃撃を恐れないのは大きなアドバンテージだが、所詮はそれだけである。無策に真正面から突っ込んでくるだけのジャギィらは瞬く間に殲滅され、付近に硝煙の匂いが漂う。
「発砲やめ! 引き続き警戒続行! 後続の位置はどこだ⁉︎」
半田分隊長の命令により発砲音がピタリと止む。まだその数がハッキリと確認されていない敵方の後続の姿はどこにもなく、不気味な静寂がその場を支配した。
「全周警戒! 奴らまだ近くに潜んでいるぞ!」
ジャギィ種は地球で言う恐竜に酷似した姿をしている。そして恐竜の直系の子孫は現在よく見る鳥なのである。鳥類と言えば、日本人にも馴染み深いカラスを思い浮かべる人は多いだろう。ゴミ捨て場を漁っている姿をよく見かけるカラスだが、実はカラスという種は人間以外の動物ではイルカやサルと並ぶほど頭が良いのだ。
彼らの頭の良さを裏付けるエピソードを挙げれば枚挙に暇がない。だがそのエピソードからは〝ズル賢い〟という印象を強く感じ取れるだろう。
「なっ…⁉︎いつの間に後方に⁉︎」
何者かがガサガサと茂みを移動する音が部隊の背面から発生し、隊員たちは一斉にそちらに銃口を向けた。
例えとしてライオンの狩りを挙げるが、動物は人間が思っている以上に賢い。ライオンは集団で狩りをする場合、片方のグループが獲物の風上の方向からあえて姿を現して獲物が反対方向に逃げるのを誘発し、獲物が逃げた先に潜伏していたもう片方のグループがそれを襲うと言った戦術を多用する。
だが、今回の捕食者はそれ以上に狡猾であった。
全隊員の注意がある一定方向に向けられた一瞬を狙い、両側から音もなく現れたジャギィノス数頭が獲物を挟み撃ちにしたのだ!
直後に複数の銃口が光り、数匹の襲撃者は黄色い弾幕を大量に受けて絶命したが、一部の生き残ったジャギィノスは果敢にも何名かの隊員に向かって肉薄し、恐ろしい牙が無数に生えた口を大きく開いた!
「痛ッ…!? てめぇこの野郎!!」
大型犬以上の体躯を誇るジャギィノスに突き飛ばされ、倒れた状態で上に乗られながらも、獰猛な牙を腕で防ぎ、辛うじて喉元への致命傷を免れた半田分隊長は苦痛の声を漏らしたが、即座に腰のナイフを敵に数回突き刺し、怯んだ相手を蹴り飛ばしてその場を切り抜ける。
仲間との距離が開いた敵には容赦のない弾幕が浴びせられ、半田に咬傷を与えた敵は地に倒れ伏した。
「分隊長! 腕が!」
「俺は大丈夫だ! それよりも他に怪我した奴はいるか!?」
「他に1人が足を噛まれました! それよりも早く患部を見せてください! 今はアドレナリンのおかげであまり痛くないかもしれませんが、重傷ですよ!」
残党狩りが終わる頃には負傷者達の応急処置も終わっており、腕に包帯を巻いた半田分隊長ともう1人の怪我人は手頃な場所にあった岩石に腰をかけて安静にしていた。辺りには血と硝煙の臭いが立ち込めており、無事だった隊員は少数の怪我人の護衛を残して全員が付近の警戒、新世界生物の死体を調べている。
「分隊長、まさか2体同時に向かってくるとか不運でしたね…。片方は20式で倒してましたけど、もう1体が仲間の屍を越えて襲ってくるなんて…」
噛まれた部位が痛むらしく、半田と同様に怪我を負った隊員は苦い顔で彼に話しかける。
「全くだよ。野生の勘…って言うのかな? どうやら誰がリーダーか一目でわかるらしい。なんせ、俺の戦闘力は53万あるからな!」
そう言うと、半田は座ったままガッツポーズ取ってみせた。
「隊長、実際に強いですもんね。近接戦闘の成績トップでしょう? 弓道部の時も全国大会にいったらしいじゃないですか」
「おいおい、今のは冗談だぞ? ツッコミをいれて欲しかったんだが…」
「はははっ! 格闘技も強いのに遠距離攻撃も強いとかマジすか? 時代が違えば英雄じゃないですか」
「褒めるのか貶すのかどっちかにしろ」
半田と彼の仲間がそんな雑談をしていると、周囲に展開していた分隊の仲間がガサガサと草をかき分けながら戻って来た。どうやら付近の安全が完全に確認できたらしく、そのうちの1人はジャギィの死体を肩に担いでいた。
「副隊長、俺達がヘリでRTBしたら他分隊と連絡を取って駆け足で合流しろ。この調子なら他の分隊も被害が出ているはずだ。後は任せたぞ」
発煙筒の燃える音に混じって聞こえるヘリの音は段々と大きくなっている。日の光がよく当たる場所で、副隊長は彼の命令をしかと受け取った。
「はっ! 後はお任せください! ………気をつけてくださいよ」
「心配すんなって! 異世界の未知の感染症は怖いけどな。日本の医療レベルならそうそう死なないだろ」
「違います」
「え、ちがうの?」
「違いますよ…」
森の開けた場所に着陸したヘリが発生させる強風で木の葉が舞い、半田ともう1人の怪我人は2人の護衛の手を借りてすぐさまヘリに乗り込んだ。回収されたジャギィの死体と他のサンプルも護衛と共に収容され、ヘリは飛び立つ。
小さくなっていく仲間の姿を見ながら、半田はドクドクと脈動するように痛む腕をもう片方の手で抑えながら、物思いに耽った。
(しっかし、異世界に来たんだなぁ…)