幻想郷で生き残れるか? ~不運にも迷いこんだ者たち~   作:ごぼう大臣

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肉体と魂を操りし邪仙

「げほっ……げほっ……」

 

 底冷えするような風が吹く夜。藍色の空に浮かぶ満月に照らされながら、一人の少女が体を引きずっていた。

 少女の背丈は中学生ほど。その周りには、顔まで届くほどの雑草が、見渡す限りぼうぼうに生えている。まとわりついてくるようなそれらをかき分けながら、少女は今にも倒れそうな(のろ)さで歩を進めていく。

 

 目の前の茂みを左右に分けると、少女の容姿が見えてくる。ずんぐりした体型に制服を着込んでおり、長いスカートの下から太めの足が伸びている。ブレザーのポケットには▼▼中学と書かれた校章がある。後ろで二つに結んだ黒髪と丸っこい顔は、普段なら人懐こさを感じさせただろうと思われる。

 ただ、今の彼女の表情は苦悶にゆがみ、髪はばさばさに乱れていた。何があったのか口からはどす黒い血が漏れだし、胴体のブレザー、ベスト、ワイシャツもことごとく引き裂かれ、あるいは傷が入っている。

 

 その服の損傷が一番はげしい位置には、むき出しになった肌に引っかき傷が三筋、猫の何倍もの大きさで刻まれていた。虎かライオンかと思うようなその傷からは、まるでぬいぐるみの中から飛び出したワタのように、血液にまみれた内臓が一部、顔を出していた。傷口を押さえる手のすき間から、なおも血が容赦なくこぼれ落ち、固着した血に上塗りされていく。

 

(うぅ……なんで……? どうしてこんな事に……!)

 

 止めどなくこみ上げてくる血反吐をこらえながら、少女はうつむき、大きな体を揺らす。もうろうとしてくる意識の中、彼女――スズキ ミチカは、ふらつく足取りで走りながら、つい先ほど目が覚めるまでの出来事を思い出していた。

 

 ミチカは、自分の中学の修学旅行で、バスに乗って移動している最中だった。おぼろげな記憶だが、窓の外が不意に白い霧に包まれたーーような気がしたのは覚えている。

 気がしたというのは、その後の記憶が、何故かぷっつりと途切れているからだ。そして次に意識を取り戻した時には、辺りは見知らぬ草原で、いつの間にか夜になっていた。

 しかも、姿はよく分からなかったが、続けて野生動物のようなものに襲われた。叫び声をあげるよりも早く爪を立てられ、どうにか逃げ出したものの、今では臓物の一部がはみ出し、ふくよかな腹から絞り出すかのような血が流れている。

 

「いだっ……ぁ、痛いよぉ……」

 

 傷口に鋭い痛みが走り、ミチカはついに茂みのただ中にへたり込む。がくんと上半身が突っ伏しそうになり、あわてて片腕をつく。

 しばし、不気味な静けさが辺りを包む。そよ風が思い出したように草をサラサラと揺らすと、ミチカは反射的に背後を振り向いた。

 風の音にまぎれ、ガサガサという音が近づいてくる。茂みを突き進むようなその音はだんだんと大きくなり、ミチカのすぐそばまで迫ってきた。

 彼女はだるい体を起こし、逃げ出そうとする。しかし激痛と倦怠感に負け、あっけなく地面に倒れてしまう。

 次の瞬間、背後に釘付けになっていた彼女の視界に、異形の姿をした獣が躍り出た。

 鹿のような体躯でありながら、馬のごとく長いたてがみを生やし、肉食獣のような牙をむいたそれは、口をいっぱいに開けて眼下のミチカに向かってくる。

 

「いやああぁーーーっ!!」

 

 ミチカは痛む喉奥から悲鳴をあげ、頭を抱えてうずくまった。その背中には、獣がぴったりと狙いをつけている。一秒もすればあっけなく餌食になると、誰もが予想するだろう。

 しかし、そうはならなかった。跳躍していた獣に、突如横から矢のような一閃の光が飛び出し、突き刺さった。

 

「グァッ!!」

 

 光が獣にぶつかり弾け、相手は低くうなって真横へと吹っ飛んだ。驚いて振り向いたミチカの視界の隅から隅を、獣が横切っていく。

 そして、二十メートルほど離れた場所にドスンと転がり、ヨロヨロと起き上がると、ポカンとしているミチカを尻目に獣は泣くような声をあげて走り去っていった。

 

「……え、なに?」

 

 しばし腹の痛みも忘れ、ミチカは呆然と獣の去った方角を見つめていた。その時、彼女の背後で不意に高らかな拍手の音が響いた。

 

「命中~♪ いやはや、間に合いましたわ」

 

「っ!?」

 

 場違いな、呑気な声。ミチカが振り向くと、そこには見知らぬ女が、()()()()()笑っていた。

 白い頬に、かんざしで横八文字にまとめた青い髪。切れ長の目は細められ、薄く頬笑む口がどこか不気味だった。

 水色の軽いワンピースに、クリーム色のベスト。細い体のシルエットに、薄く伸ばした白い布が肩にかかっている。その布は不思議と風になびくように広がり、まるで昔話に出てくる羽衣のようだった。

 

「だ……だれ……?」

 

「はじめまして、私は青娥(せいが)(かく) 青娥(せいが)といいます。……と、そんな事より」

 

 青娥と名乗った女は笑みを絶やさずペラペラと自己紹介をすますと、ふわりと地面に降りたつ。

 ホクロひとつ無い肢体が月光に照らされ、間近で見ると陶器のようだった。

 すると、彼女はミチカにずいと詰め寄ると、血まみれの体を一瞬も躊躇せず抱えあげた。

 

「い、痛っ……!」

 

「我慢してくださいな。ここで寝ていてもケガは治りませんよ? ……ってなかなか重いわね、あなた」

 

 青娥はたしなめるような口調で言うと、まるで荷物のようにミチカを脇に抱え、また地上から浮かび上がった。ミチカの眼下で、みるみる地上が遠くなっていく。

 しだいに、血を流しすぎたのかミチカの意識がもうろうとしだした。混乱しながら彼女が青娥の飛んでいく方角を見ると、空中に景色を切り抜いたような丸い穴があり、その中に別の景色が広がっているのが見えた。

 漫画の異次元トンネルのようなその穴を青娥がくぐり抜ける瞬間、ミチカは意識を失った。

 

――

 

「う……ん……」

 

「あ、気がつきましたか?」

 

 ミチカが次に目を開けた時、最初に木造の天井が飛び込んできた。続けて上機嫌な青娥が上から覗きこんでくる。

 

「ここは……うぐっ……!」

 

「あ、動かない方がいいですわ。応急措置をしただけなんですから」

 

 起き上がろうとした瞬間、頭と体に激痛が走る。青娥に止められて目を泳がせると、ミチカは全身に包帯を巻かれていることと、畳の大部屋に寝かされていることに気づいた。枕元に座っている青娥が、行灯の火に照らされながら口を開く。

 

「さて、気がついたところで少し聞きたいのですけれど……あなた、お名前は?」

 

「あ……ミチカです。スズキ ミチカ」

 

「ミチカちゃんね。いきなりで悪いのだけれど、あなたには色々と聞いていただきたい事があります」

 

 青娥はふと改まった表情になると、いぶかしげな顔をするミチカに、こう語った。

 ミチカの目覚めた場所は幻想郷といい、普段は現代と隔絶された世界なのだという。そこにはさまざまな幻想……神や妖怪がおり、ミチカを襲ったのも妖怪の一種だということだった。

 もし現代で一緒にいた者がいるなら、彼らも迷いこんでいるかもしれない。なんにしろ幻想郷は一般人にはとても危険であり、限られた方法で帰らなければ死ぬしかない、と青娥は悲しげな顔で言った。

 

「じゃあ……みんなは……」

 

 聞き終えたミチカの顔が蒼白になる。そんな彼女に、青娥は気を取り直すように言った。

 

「……さて、ここまで話しておいてなんですが、ミチカちゃんは先に心配する事があるでしょう」

 

「なっ……どういう事です?」

 

「あなたの体よ。応急措置しただけだと言ったでしょう?」

 

 青娥に念押しされると、ミチカの傷がまたもや痛む。いつまた傷口が開いてもおかしくないと、素人でも分かった。

 それでもなお、同級生たちが気にかかるのか、ミチカはかたわらの縁側から見える外を見つめ、体をよじる。そんな彼女を見下ろしつつ、青娥はため息をついて言った。

 

「ケガを負ってから治療するまで、おそらく時間がかかりすぎたのですわ。意識は回復しましたが、このままではジワジワと死んでいってしまうでしょう」

 

「そ、そんな……じゃあ、私はどうすれば……ひぐっ!!」

 

 焦りと苦悶に顔をゆがめるミチカ。同級生のもとへ駆けつけたい気持ちで、自身の肥えた体がもどかしく思えさえした。

 そんなミチカの気持ちを察してか、青娥はためらいがちに目を伏せてから、こう問いかけた。

 

「……もし、ミチカちゃんさえよければ、一つ賭けてみますか?」

 

 青娥の言葉に、ミチカがキョトンとした顔になる。青娥は姿勢をただし、改まった調子で言った。

 

「あなたの魂を、妖怪の体に一時うつしかえるのです。そうすればこのまま死ぬのは免れるでしょう」

 

「妖怪の体に……!? そんなの本当にできるんですか?」

 

「ええ、私も幻想郷の住人のはしくれですから。命だけは助けられますわ」

 

「でも……」

 

 現実離れした青娥の提案に、ミチカは押し黙ってしまう。妖怪の姿はすでに目にしている。人間とかけ離れた、化け物じみた姿。いくら死なないとはいえ、あんな姿になるだなんて……。

 考え込んでいたミチカの耳に、不意に初めて聞く声が降ってきた。

 

「せーがー? お客さんかー?」

 

「わぁっ!?」

 

 驚いてミチカが振り向くと、そこには中国の人民服にスカートという格好の少女が立っていた。半袖やスカート下からのぞく手足が何故か病的なほど青白く、腕は幽霊のごとく前へ突きだし、足は棒のように伸びて突っ張っている。

 紫色の帽子をかぶったショートヘアで、額に張られた得体の知れない御札が顔の真ん中あたりを縦に覆いかくしている。

 

「あぁ芳香(よしか)。起きたのね」

 

 少女、芳香に親しげにほほえみかける青娥。芳香の肌の色や御札をしげしげと見つめるミチカに気づき、青娥が口を開く。

 

「この子はね、宮古(みやこ) 芳香(よしか)。私の飼ってるキョンシーよ」

 

「か、飼ってる? キョンシー??」

 

「うーん、今の子には伝わらないかしら……。あ、そんな事より。ほら」

 

 青娥は戸惑うミチカに困った顔をしてから、はたと何か気づいたように芳香の体を指差した。

 

「ほら、よく見て。この子、体のあちこちに縫い目があるでしょう?」

 

 言われて、ミチカは寝たままジッと目をこらす。よく見てみると確かに、生気のない肌のあちこちに手術痕のようなものがある。青娥は何やらしみじみと語りだした。

 

「見れば分かるかもしれないけど、この子の体は屍なの。魂を入れ込んではいるけど、血が通っているわけじゃないのよ」

 

「…………」

 

「だから、たびたび腕がもげたり、目が取れたり……その度に()()しなきゃいけない。でもね、魂が一緒なら、決して他人にはならないわ。どう変わっても、あなたの体はあなたのものですわ」

 

 青娥の台詞を、ミチカは静かに聞いていた。妖怪の体に入れ替えられようという自分を落ち着けようとしているのは、すぐに分かった。

 話が終わると、ミチカはおそるおそる尋ねた。

 

「信じて……いいんですか?」

 

「ええ。肉体は妖怪でも、あなたのものに違いありませんわ。それに、もとの肉体が無事なら、また落ち着いた時に戻せばよいのですから」

 

 青娥は断言した。ミチカは、これが最後のつもりでグルグルと考える。

 このままでは死ぬしかないらしい。いや、死ななくとも他の同級生を探すなりできるのは、相当後になるだろう。ミチカは自身にふりかかった妖怪の恐怖と共に、同級生たちのことを思い出した。

 太っているのもバカにせず気さくに話しかけてきたエリカ。手鏡を片手におしゃれのことを色々と話してくれたサオリ。

 やはり放っておくなんて出来ない。賭けてみよう。彼女はそう腹を決めた。

 

「……お願い、します」

 

「分かりました。では、仰向けになって……」

 

 青娥の声にしたがうと、どのような方法か不意に眠気が襲ってきた。手術の要領だろう。

 大丈夫、もとの体に戻る方法はあるのだから……。ミチカはそう自分に言い聞かせて、そのまま眠りについた。

 

――

 

 ……それから、どのくらいの時間が経っただろう。ミチカはふと、自分が心地よい満腹感に包まれていることに気づいた。

 

(あれ……体が軽い。もう入れ替わりは終わったのかな?)

 

 まるで眠りから覚めたような感覚だったが、意識がハッキリしてくると、自分が座っているのに気づいた。そして口がベタつき、両手に温かいものを持っているのが分かる。

 

(え……? これって……)

 

 ミチカが覚醒していくと、視覚も徐々に回復していく。そして周囲を視認しだした彼女は。

 

 眼下に、自分の首がゴロリと転がっているのを見た。

 

「っ!!」

 

 その瞬間、まるで身体中の血液が一気に流れ出すかのように、目に映るものを一斉に知覚しだす。

 先ほどの自身の首の周りには、理科室で見た標本のような背骨や肋骨に、赤黒い血や肉が散乱している。両手にも生臭さを放つ肉片を握り、しかも握っているその手は太いケヅメが生え、トカゲのような鱗に覆われていた。

 

「ナ、ナニヨ、コレ!!?」

 

 思わず飛び出た声も、聞きなれた自分のものではなかった。醜くしわがれ、動物の鳴き声のようだ。混乱して辺りを見渡すと、青娥と芳香の姿が目に入った。

 

「はぁい、ご機嫌いかが?」

 

 青娥がにっこりと目を細めて言った。白衣の代わりなのか白いエプロンとマスク、それに手袋を着けていて、それらにはベッタリと血がついていた。

 青娥の膝元には、入れ替えに用いたのか手術用のメスやハサミが並べられ、水の入った桶も置かれている。

 

「セイガサン! ワタシにナニをシタノ!?」

 

 手にしていた肉片を放り投げ、ミチカは青娥へ詰め寄った。対して青娥は眉一つ動かさずに答える。

 

「何って、約束通りあなたの魂を妖怪の体に移しただけですわ。ただ、体力の低下を防ぐためか、目の前の()()にかぶりついてしまいましたが」

 

「エ……エサ?」

 

 ミチカは呆然としてつぶやく。その拍子に、口から何かがポトリと音をたてて桶へと落ちた。ミチカが目を落とすと、口から血のしずくが落ち、桶の水を赤く染めている。

 水に反射して、ミチカの今の顔が映る。トカゲのような鼻面、黄色くにごった目。鋭くとがった牙や口の周りには血がこびりつき、血がタラタラと垂れている。

 体を見返して見れば、全身が緑色の鱗に覆われ、蛇のような長い尻尾まで生えている。最後に先ほどの生首を見て、ミチカは全てをさとった。

 

 自分の古い体を、食べてしまったのだ。もとの肉体が無事なら戻れると言ったが、それももう叶わない。

 

 こみあげる焦燥に吐き気をおぼえる。ミチカはそれを抑えながら、弱々しく青娥に向けて問う。

 

「ド、ドウシテ……ナゼ、コンナ……」

 

「何故って、あなたも了承したでしょう? 賭けてみるって」

 

「ソウジャナクテ! ジブンをタベチャウナンテキイテナイワヨ! 『アナタノカラダはアナタのモノデス』ってイッタジャナイ!!」

 

「ああ、それねぇ……」

 

 ミチカの抗議に気のない返事を返し、青娥はバカにするように笑った。

 

「例えあなたのものでも、あなたの思い通りになるなんて限らないじゃない」

 

「ナッ……」

 

 事もなげな回答に、ミチカは絶句する。そこで気づいた。

 全部、この人に仕組まれたのだ。青娥は初めからミチカのためを考えてなどいなかった。

 今では愉悦と見下しが、青娥の表情にありありと見て取れる。

 固まっているミチカに、青娥と芳香が一緒になってすり寄り、ささやいてきた。

 

「がっかりしないでくださいな。ちゃあんと死なずに済むのですから。それに、ここにいれば安全に暮らせますわ」

 

「そーそー、ずーっとここにいればいいぞー」

 

 ミチカの内心など考えもせず、二人は呑気な言葉をかける。ミチカはまるで夢の中にいるように無表情でいたが、突然に二人を振り払うと、縁側から外へと飛び出した。

 

「きゃっ!」

 

「ウグアアアアァァァッ!!!」

 

 もはや人とは思えない叫び声をあげながら、ミチカは一目散に外の森の中へと消えていった。

 あわてて後を追い、その背中を追っていた青娥は、姿が見えなくなると、残念そうに息を吐いた。

 

「あーあ、行っちゃった。妖怪への意識の移植なんて、めったに出来ないのに。経過観察したかったわ」

 

「……せーが、アイツいったいどーなるんだ?」

 

「うーん、あの様子だと心もすぐに妖怪になるんじゃないかしら。まぁ、『この空間』からは出られないでしょうけど」

 

 実は、青娥たちのいるのは厳密には幻想郷ではない。青娥が独自につくった空間の、『仙界』である。

 青娥の空間ゆえに、余計な驚異は存在しない。居るのは青娥本人と芳香と、限られた者たちのみで、幻想郷を脱出する術を持つ者も存在しないのだ。ほとんど生物のいない、閉ざされた世界である。

 

 そんな場所で、自我を見失ったミチカがどうなるか。正直、助かる見込みは薄い。万一誰かに見つけられたとして、彼女が元は人間だと分かる者が、どれだけいるだろう。

 青娥も彼女の末路は想像できたが、特に助ける気もなかった。実験台としての興味が失せたら終わり。霍 青娥とは、そういう人間……いや、"邪仙"なのだった。

 

「さあ芳香、もう向こうへ行きなさい。仕事があるでしょう?」

 

「はーい」

 

 青娥は振り向き、なに食わぬ顔で芳香の背を押した。

 

 

スズキ ミチカ――生存、および妖怪化(行方不明)

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