幻想郷で生き残れるか? ~不運にも迷いこんだ者たち~ 作:ごぼう大臣
「ここって……一体……」
真っ赤な夕暮れの空をあおぎながら、一人の少年、ヤグチ ヒカルはつぶやいた。
自身の姿をあらためて確認する。ワイシャツ、ブレザー、スニーカー。修学旅行のバスにいた時の、▼▼中学の制服のままだ。かたわらには自分の荷物もある。
続けて彼は記憶をたどってみた。たしか、午前中に移動用のバスに乗っていたのだ。
……隣の席のクラスメイトは自分には目もくれず、通路をはさんだ友人としゃべっていた。ヒカルの記憶にあるのは、窓からながめていた面白味もない外の風景。寝てしまおうかとも思ったが、バス内の話し声がうるさくてそれも叶わなかった。
窓辺に頬づえをつき、無言で座っていたのは一時間ていどだったか。彼には退屈で何倍も長く思えたが、ともかく、その辺の記憶がどうにもハッキリしない……。
「……チッ」
舌打ちとともに不愉快な光景をシャットアウトし、ヒカルは思考を切り換える。なぜ乗っていたバスから降りてるのか、バスはどこに行ったのか……という疑問はさておき、体に異常はなさそうだと彼は一つうなずく。
しかし、辺りの風景に再度視線をめぐらせると、ヒカルはだんだんと表情をくもらせていった。
何の前触れもなく、彼が一人で寝そべっていたその場所。そこには山のように粗大ゴミが積み重なっていた。
壊れた洗濯機、換気扇、電気こたつ。解体もされていない車や電車の車両、電話のない電話ボックス。さらには一体いつの物なのか、ブラウン管テレビやファミ○ンまである。
そして、そのゴミ山を取り囲むように、花盛りの桜の木が輪になっている。季節外れだろうとヒカルは思ったが、その桜の花が不気味な紫色をしているのを見て、ぞぉっと背筋に寒気が走った。
ここは、自分の見知った場所ではない。それどころか、自分の常識が通じる場所ですらないかもしれない。周囲の異様な景色を見て、ヒカルは直感した。くすんだまだら模様のゴミ山に、紫色の桜。それに夕暮れの赤が上から降り注ぐように視界にまじり、彼はしだいに混乱しだす。
「……うっ……」
不安が増してくると、ヒカルの腹から生暖かいものが込み上げてくる。バス酔いだ。クラスの者たちが誰一人気にかけなかったため、彼はせめて吐かないようにとこらえていたのだった。
「おえぇっ!」
しかし、ついに我慢も決壊し、ヒカルはゴミ山のそばに嘔吐した。口の中に酸味と苦味が広がり、喉がひりつくように痛む。
手足から力が抜け、彼はぐったりと這いつくばる。腹部だけがせわしなくケイレンし、目からじわりと涙がにじんだ。
しばらくしてようやくケイレンがおさまり、彼が咳き込みながら顔をあげると、ゴミ山の中にあった、割れた
ひょろ長い胴体に、短い足。寝癖の直りきらない髪に、ニキビの尽きない額や頬。さえない自分を見つけたその顔は、一瞬でひどく間抜けになった。
「…………」
ヒカルは無言で立ち上がり、長い長いため息をつく。自分の顔は昔から嫌いだった。教室でなんとなく視線を感じては胃が縮みあがるように痛み、時にズル休みをした小学校時代の記憶がよみがえる。
そんな風に、彼が状況確認そっちのけで立ち尽くし、フラッシュバックと戦っていると、不意に頭上から声が降ってきた。
「大丈夫かい?」
その関心がなさそうな口調に、ヒカルは顔をあげる。すると、彼の目の前のゴミ山の頂上に、一人の少女が立っていた。
小柄で、身長は見たところ12歳前後といったところ。白ブラウスに黒いスカート、そして黒と灰色のベストを着ている。足には靴下とローファーを履いている。
灰色のショートヘアの上部には、ネズミのような大きく丸い耳がついていた。
その奇妙な格好の少女を、ヒカルはしばしいぶかしげに見つめていた。すると、少女はそこから下りず、見下ろした姿勢のままで言う。
「君、外から来た人間だろ? こんな場所にずっといると危ないよ」
「……外から?」
聞きなれないフレーズに眉をひそめるヒカル。外からというのは、よそ者という意味だろうか? しかし、彼としてはまず、目に映る奇妙な少女と場所の方が気になった。
ヒカルは忠告めいたことを言ってくるその少女に、おそるおそる尋ねてみる。
「あの……あなたは、誰なんですか?」
「人に名前を聞くときは、自分から名乗るものじゃないのかい? あともう少し大きな声でしゃべってくれ」
「……ヤグチ、です」
「なんだって?」
「ヤグチ! ヒカルです!!」
ボソボソとしゃべっていたヒカルが、いら立ちながら声を張り上げる。少女はようやくうなずくと、ヒカルに向けてこう名乗った。
「私はナズーリンだ。はじめまして」
(なずー……りん?)
名前も変だな、とヒカルは首をかしげた。まるで外国人のような響きだが、しゃべっている言語は間違いなく日本語だ。
戸惑いを深くしているヒカル。少女もといナズーリンはそれを気にも留めない様子で、何やら話し出した。
「ここは幻想郷といってね。君らの理解できない存在がわんさかいる場所なんだ。悪いことは言わないから帰った方がいい」
「理解できない……? いや、待ってくださいよ。意味分かんないし……大体、名乗ったんだから名前呼んでくださいよ」
「ああ、ヒカルだったね。ともかく、一つ言えるのは君が災難にあったということだ」
いまいち要領を得ない返事をナズーリンは続ける。ゴミ山から下りてくる気配がないので、ヒカルは仕方なく彼女に自分から近づいていく。
「あの……さっきから言ってることがよく分からないんですが」
「それはすまない。なんせ説明するとなると面倒だからね……。それより、さっさと元の世界に返す方が早い」
ナズーリンは肩をすくめ、そっけなく言った。そのセリフの言葉尻に、ヒカルはふと片眉をあげる。
「元の……世界?」
「そうとも、君がいた世界だよ。ご家族や友人のところに帰りたくないのかい?」
ナズーリンはさも当然のように答えた。帰りたがるのが当たり前だろう、という口ぶりだ。
しかし、その口調にヒカルはぐっと唇をかむ。というのも、彼は元の世界の学校に、あまりいい思い出がなかったのだ。普段から話し相手もなく、クラス内でグループを作れば漏れなく浮き、かといって一人で平気でいられる訳でもない。
昨日からの修学旅行でもそうだった。班づくりの際には余り物あつかいされ、やっと入れた班にもつま弾きにされた。ナズーリンの丸耳を見ているだけでも、某テーマパークで置き去りにされた時のことを思い出す。
「どうかしたのかい?」
「……あ、いや」
うつむいていたヒカルの顔を、ナズーリンが怪訝な顔で覗きこんでくる。彼が浮かない顔で生返事をすると、ナズーリンは平坦な口調で続けた。
「君だって、少なくとも親はいるだろう。戻れるツテなら私が持ってるから。いいね?」
「…………」
親、ポロリとこぼれたその言葉に、ヒカルはまた黙り込む。無論、彼にも親はいた。だが、血の繋がりがある人物でさえ、彼は信用できなかった。
小学校から中学校に上がり今まで、日に日に覇気をなくしていくヒカルを、親はほとんど気にかけなかった。私生活のことなど興味を示さず、かけてくる言葉といえばたまのズル休みと、成績が落ちたことに対する小言のみ。
修学旅行の直前に一度だけ、母親に思い切って「行きたくない」と漏らしたことがあった。息さえ苦しくなるような、彼にとってはSOSと言ってもいいほどの弱音だった。
ところが、返ってきたのは「もうお金払ってるんだからバカ言わないでよ」という言葉だった。
息子の悩みより、十万そこらの金の方を惜しむのだ。こんな見知らぬ場所にあっても、恋しくなど思えなかった。
「いやだ……」
「は?」
「……僕、帰るなんて嫌です! せめて、もう少しこっちに居られませんか!?」
ヒカルはだしぬけに悲痛な声で叫んだ。それを聞いたナズーリンは顔をしかめ、理解できない生き物でも見るかのような表情になる。
「……おいおい、バカを言うんじゃない。君は知らないだろうがな、幻想郷ではハッキリ言って明日の命も知れないんだぞ」
ナズーリンはヒカルの内心などつゆ知らず、戸惑いながら彼をなだめた。しかし、ヒカルはとうてい納得できない。昔からどれだけひどい目にあってきたか、学校や家庭が彼にとってどれだけ冷たい場所か……。
それを洗いざらいぶちまければ、あるいは同情を買えたかもしれない。しかし悲しいかな、涙ながらに訴える姿を想像するとそれはあまりにもこっけいで、プライドに邪魔された彼は言葉を詰まらせただけだった。
「うっ……うっ……」
「……いや、なんだか知らないがね。私は好意で言ってるんだよ。死んでも誰も見向きもしないような場所に居たいかい?」
(元の……元の世界でも、見向きもされねえよ……!)
ナズーリンは説得を続けていたが、表情やしぐさには嫌悪感がにじみ出ていた。眉間にかすかなシワができ、後ずさってさりげなく距離を取る。
会ったばかりのヒカルが急に泣きそうな顔になったのを考えれば無理からぬことなのだが、ヒカルにしてみれば、そのしぐさだけでショックを受けるには十分だった。彼は心の中でナズーリンに毒を吐いた。
思えば、そんな一幕にも、ヒカルの性格は如実にあらわれていた。
彼はいつからか、他人に弱みを見せるのをひどく嫌がるようになっていたのだ。それでいて明るいわけでもなく、孤立していき、傷つきやすい心に逆恨みの感情がつのっていく。その繰り返し。
クラスの隅っこでいつも机に突っ伏して寝たふりをしつつ、同級生たちの会話に耳をかたむける。
そしてうれしそうに話すグループがいれば、「僕は死にたい気分だというのに、何がそんなに楽しいんだ」と内心でいら立つ。
悲しい話題でなぐさめ合うグループがいれば、「他人に泣きつけるなんて気楽な身分だな」と内心であざ笑う。
時に自分に陰口を話すグループがいれば、「他人の悪口を話すなんて低級な連中だ」と見下す。
しかし心の奥底には絶えず寂しさが横たわり、かつそれを吐露できるような相手も、彼にはいなかった。
ヒカルはそうして行き場のなくなった怨恨を瞳にたたえ、ナズーリンをにらんだ。それに、たまたま目に入った毛虫を見るような彼女の視線がかち合う。その視線は、以前にヒカルと目が合ったクラスの女子のそれとそっくりだった。
お前もか、お前も僕をそんな目で見るのか。手前勝手にふくらませた怒りはヒートアップし、ヒカルは気づけば目の前のナズーリンの肩をつかみ、押し倒していた。
「うわっ!?」
とっぴな行動に驚いてか、ナズーリンはあっけなく倒れて後頭部を粗大ゴミにぶつけた。ガツンと硬い音がしたのも気にせず、ヒカルは下卑た笑みを浮かべて言い放つ。
「もうどうでもいいや……! よく分かんないけど、ここで……!」
「……何をする気だ?」
「言わなくても分かるだろ! こんなチャンスはもう巡ってこねえんだよ!!」
発した怒鳴り声は、ヒカル自身が驚くほどに粗野で、浮かれた声だった。口をついて出た彼の本性なのだろうか。
ヒカル自身はそんな事まるで考えず、むしろ自らの本性をさらけ出すかのように、ズボンのベルトを引き抜げて、下着もろともズボンを一気に膝までずり下げた。
「う」
ナズーリンが声にならない声をもらす。おびえた少女を無理やり押さえつけているという意識が、ヒカルの脳に麻薬のように染み込んできた。今まで何度も――異性には特に――いない者のように扱われてきた彼は、ナズーリンが自分を必死に払いのけようともがくたびに、手の中に震えるほどの優越感をおぼえた。
その興奮は股ぐらのモノを通じて、嫌というほどナズーリンの視界にも入ってくる。
「……よせ、自分のやってる事が分からないのか? どんな顔して外の世界に帰るつもりだ?」
「はぁ? 帰るぅ?」
この期におよんでナズーリンが口にした言葉に、ヒカルは思わず失笑する。先ほどの
「んなモンどうでもいいっつったろ!! 帰ったってこんな体験には無縁なんだよ、何も知らねえくせによぉ!」
まるで学校にいた不良連中さながらに、ヒカルは言い放った。
そうだ、彼にとって親だの、学校だの、もはやどうでもいい。
息子の悩みに無頓着な両親。
はなから自分を眼中に入れない女子たち。
そして何より、面白がってオモチャ扱いしてくるバカな男子たち。
昨日の修学旅行にしてもそうだ。班でテーマパークに行けば置き去りし、合流できたと思えばカツアゲをし、旅館に着けばお前の寝床は押し入れだと言い出し、大浴場では手ぬぐいを取った上に冷水のシャワーをあびせて追い立て、着替えのパンツを女湯の脱衣場に放り込み、それでもようやく部屋の隅に寝かせてもらえたかと思えば、鼻の穴にチョ○ボールを詰め込んでくる。
あんな奴らの、どこをどう気にかけろというのだ?
胸くそ悪い思いに突き動かされるように、ヒカルはナズーリンのスカートをめくり上げようとする。しかし、そこでふと、彼の顔色が急に変わった。
「イギャゥッ!!」
短い悲鳴をあげ、ヒカルは突如まぶたを貝のように閉じてひっくり返る。天を向いた彼の三本目の足に、妙な小動物がぶら下がっている。彼は、股間に走る激痛に目を見張った。
ぶら下がっているのは、一匹のネズミだった。血液が集中してふくらんだ部分につがみつき、容赦なく歯を突き立てている。
「あがぁ……あっ、はぁっ……!」
言葉にならないうめき声をあげながら、ヒカルは死にかけの虫のようにもがいた。そんな姿を、いつの間にか立ち上がったナズーリンが見下ろしている。
「君は実にバカだな」
浴びせられた言葉は冷たいものだった。スカートのすそを直すとナズーリンはくるりと背を向け、ヒカルから離れていく。
助けを求めるようにその姿を見つめるヒカルに、彼女は独り言のように言った。
「……悪いがお別れだ。どうやら時間切れなんでね」
「じかん、ぎれ……?」
「周りを見てみるといい」
ようやくネズミが離れたヒカルは、ひっくり返った姿勢のまま頭をかたむける。すると、その目に信じられないものを見た。
牛の角を生やした熊、ヘビのような鱗を持つ狼、ダチョウほどの大きさを持つハゲタカ……およそ現実には考えもつかない怪物が、ゆっくりとヒカルをにらんで近づいてくる。
ヒカルの全身から血の気が引き、三本目の足も即座に萎びる。青ざめている彼へ振り向き、ナズーリンは思い出したように言った。
「そういや話してなかったね。そいつらはこの辺に住む妖怪どもさ」
「よ、妖怪……?」
「そ。どす黒い心を持つ人間の肉が大好物でね、君が良からぬことを考えたせいで寄ってきたんだろうさ」
「なっ、まま待って……!」
ヒカルはジタバタと体を起こし、ナズーリンの後を追いかけようとする。しかし膝まで下げたズボンのせいで上手く歩けず、おまけにゴミ山のすき間にだんだんと足が埋まっていく。
「悪いが、私にそいつらと戦うほどの力はないよ。おあいにく様だね」
「い、いやだ! たっ助けて! 助けてください! 謝りますから!!」
「……もう、どうにもできない」
死物狂いで騒ぐヒカルに、ナズーリンは後ろ手にヒラヒラと手を振った。その直後、妖怪のどれかが足音を立ててエモノに飛びかかった。
「うぎゃあああぁーーーーっ!!!」
ヒカルの死を告げるかのように、稜線に残り火のように光っていた太陽が、その時ちょうど沈んでいった。
ヤグチ ヒカル――死亡