幻想郷で生き残れるか? ~不運にも迷いこんだ者たち~ 作:ごぼう大臣
「ごめんくださーい……」
ほの暗い、見知らぬ街を駆け抜け、偶然見えてきた洋館の扉を、ハルカはおそるおそる開いた。
両開きの大きな扉の、二十センチほどのすき間から、ハルカはキョロキョロと視線をめぐらせる。
その屋敷は入ってすぐに広いエントランスホールが広がり、左右の壁には別室あるいは廊下へつながるであろうドアがいくつかある。部屋の中央から奥の壁に向けてはT字型に階段が伸び、最上段から左右には二階につながるであろう渡り廊下が伸びている。
赤と黒のタイルが敷かれた風変わりな床をのぞけば、その構造は(中学生であるハルカになじみのある表現で言えば)ゲームの『バ◯オハザード』に出てくる洋館にそっくりだった。
いまにゾンビでも飛び出してきたらどうしよう……。ハルカは生唾を呑み、静まり返った周囲を何度も見回しながら館内に入った。
彼女の恐れは、ここにおいては決して大げさなものではなかった。額をはじめ汗ばんだ全身に上がりきった息、そして今にも崩れそうにふらつく両足が、これまでの恐慌を物語っている。
ハルカは閉めかけていた扉の外を、最後にもう一度見た。何故か日の差さないわびしい雰囲気の、日本風家屋が連なる街。せせこましい家々は電気もなく、古びている。その家々を縫うような街道では、あちこちに浮浪者らしき薄汚い格好の者がうずくまり、あるいはガラの悪そうな者たちがたむろして下品な笑い声をあげている。
街の住人らしき彼らは一様に和服姿で、しかも人の姿をしていなかった。ある者は額に角を生やし、ある者は獣のような耳や毛を生やしている。
ハルカは急いで扉を閉め、もたれかかって必死に息を整えた。脳裏に、ここに来る前に聞いたある忠告を思い出す。街の住人らしき水橋 パルスィという名の女性が、おざなりにくれた忠告。
なんでもここは"地獄跡地"であり、人間とは違う存在が多数住んでいるのだという。パルスィも自らのことを"妖怪"だと言っていた。
にわかには信じがたい事だったが、現にハルカはパルスィに何かをされた直後から、記憶があいまいになっていた。一緒にいた彼氏に色々とわめいた気がするが、思い出せない。彼氏に確認したいところだったが、いつの間にかはぐれてしまっていた。
「誰かいませんかー!?」
ハルカは弱った目で叫び、改めて辺りを見渡す。誰でもいいから助けてほしかった。歩き出すと靴音が高く反響し、それだけで体の芯まで心細くなる。
別の部屋を探してみようかとも思ったが踏ん切りがつかず、玄関の戸口付近をグルグルとうろついていると、ふと、柱の陰の暗がりに何かがいるのが見えた。
「あ、すいませ……」
なんだ、人がいるじゃないか。そう思ってハルカは笑顔をつくって声をかけたが、その表情は瞬時に凍りついた。
それは人ではなく、大きな犬。引き締まった体を黒い毛に包んだドーベルマン犬が、まっすぐにハルカを見つめている。
「あ……えと……」
リードも首輪もつけていないその犬がのっそりと近づいてくるのを見て、ハルカは思わず後ずさる。しかし、逃げ場を探そうと泳がせた目が、絶望的な光景をとらえる。
今まで見えていなかった別の柱の陰や階段の裏から、何匹もの犬が顔を出してハルカを見つめている。
一様にとがった耳をピンと立て、キバを見せて低くうなっている。専門知識のない彼女にも雰囲気で分かった。警戒されているのだ。
「え、あの、ちょ……」
ハルカは言葉につまりながら、必死で両手を前に出して遠ざけるしぐさをする。こういう時はどうすればいいんだっけ。確か背中を見せないようにして後ろに下がって……などと彼女が考えているうちに、犬の一匹が駆け寄ってきた。
「いやあっ!」
ハルカは短い悲鳴をあげると、あっけなく逃走しだした。背後の扉を開けるのももどかしく、エントランスホールをデタラメに走り回る。
「ワン、ワンッ!」
背中に犬の吠え声が何重にもぶつけられる。動転したハルカはすぐ近くのドアに飛びつくと、開けるやいなや目前に広がった廊下を駆け出した。
閉める余裕のなかったドアを、犬が次々とくぐり抜けて追ってくる。ハルカは振り返りもせずに全力で廊下を駆けていく。
ハルカの後ろで、ハッ、ハッという短い息づかいと、軽やかな素早い足音がひっきりなしに聞こえてくる。一瞬でも立ち止まると即座に追いつかれるだろう。彼女の首筋を冷たい汗がつたう。
一体どのくらい逃げ回っただろう。ハルカは視界に入った何枚目かのドアのノブをつかみ、一気に押し開けた。そしてもはや慣れた動作で体を滑り込ませようとしたが、その時彼女の目が、あるものをとらえた。
ドアを出てすぐ先の廊下に、小柄の少女が一人ポツンと立っている。逃げる事しか考えていなかった頭が、一瞬だけ真っ白になる。
「…………」
「あら、お客さんですか?」
「はえ?」
微笑みかけるその人物に、ハルカはふぬけた声を返す。彼女は小学校高学年ていどの小柄な少女で、水色の長袖の上着にピンクのスカートという格好である。額を出した紫色の短い髪はモジャモジャと癖が残り、足には白い靴下にピンクのスリッパ。そして胴体にはピンク色の大きな目玉が、細いヒモのようなものを伸ばしてからみついている。
今度は普通の人間か? と内心で期待をかけたハルカであったが、それでも服装と、生きているかのようなピンク色の目玉が、どことなく奇妙な雰囲気をただよわせている。
すると、ハルカの顔をしげしげと眺めていたその少女が、ふとクスクスと笑った。
「せっかくのところ申し訳ありませんが……私は妖怪ですよ。ここの主人をしております」
「へ?」
唐突に言われ、ハルカは思わず自身の口を押さえた。そして自分が果たして少女に話しかけたのかと記憶を思い返す。しかしいくら考えても、少女に人間か妖怪かなどと問うた記憶はない。
彼女が戸惑っていると、背後にいた犬たちがパタパタと脇をすり抜けた。
「あ……」
「やっぱりあなた達でしたか。声が聞こえたのでもしやと思ったら」
少女はおだやかな笑みを浮かべ、すり寄る犬たちを順番になでる。犬たちもさっきまで群れで猛追していたのが嘘のように、少女に腹を見せてじゃれ合っている。
和やかな雰囲気についていけず、ハルカがその光景をぼんやり眺めていると、犬の一匹のアゴをなでながら少女が言った。
「……そう。悪い人かと思ったのね。でも、知らない人でもむやみに怖がらせちゃダメよ」
「クゥン…………」
「分かればよし」
目の前のやりとりに、ハルカは驚愕した。少女はまるで犬と会話するかのような言葉を口にし、また犬をたしなめると犬の方もそれを理解したかのように頭を垂れる。
仮にそれなりの意思疏通ができたとしても、犬がハルカを追いかけた理由などは、いきさつを見もせずに判断できるものではないだろう。
この少女は動物と話せる能力があるのだろうか……。ハルカが内心でかんぐっていると、少女は思い出したようにハルカへ振り向き、不敵に笑う。
「ああ、自己紹介がまだでしたね。私は心を読む妖怪『
「心を……読む……。あ、その、私は」
「はじめまして。フジワラ ハルカさん」
教えていないはずのハルカの名を口にし、少女さとりは小さく頭を下げた。
――
「……あれ、この道じゃなかったかな?」
「えぇ? また忘れたんですか?」
一方こちら、旧都のただ中では、ハルカを追ってタツヤが街をさまよっていた。彼の前にはある一人の女性の姿がある。
「お
「あはは、ごめんごめん。覚えたつもりでいたんだけど、どうしても細かい道順は忘れちゃって」
困り顔で
「でも本当なんですか? ハルカがあなた方の家……地霊殿? にいるだろうって話……」
「うん。っていうかどのみち頼って損はないと思うよ。カツヤ一人じゃ旧都は広すぎるだろうし」
「ありがとうございます……。でも俺、タツヤです」
「あ、そうだったそうだった。マツヤね」
「タツヤです」
腰まで伸ばしたクセのある黒髪をごまかすように弄る目の前の女性……お空、本名『
買い物に出かけていたという彼女は、タツヤが街をさまよっている途中で偶然会い、人間の姿が珍しかったせいか親切にも事情を聞いて案内を引き受けてくれたのだった。聞けば、街の中心にある彼女らの家に行けば、何か分かるかもという事だった。
お空は、男のタツヤと同じくらいの長身で、半袖の白ブラウスに膝下ていどの緑色のスカートを履いている。彼女も妖怪らしく、胸につけた赤い目玉のようなブローチ、右腕につけたオレンジ色の六角柱型の筒のようなもの、右足に足鎧を思わせる灰色の無骨な靴、そしてひときわ目立つ、背中から生えたカラスのような巨大な黒い羽根と、それにくっついたように後ろ半身を覆うマントなど、変わった装飾品をいくつも身につけている。しかも、腕力も強いのか、タツヤが持っていたハルカのリュックを片手で軽々と持ち歩いている。
「お空さん、重くないですか? 荷物」
「平気平気。妖怪は人間と違って力持ちだし。なんならタツヤの分も持とうか?」
「いや、初対面でそこまでしてもらっては……」
「いいっていいって。ほら、遠慮しないでさ」
「……けどお空さん、片腕になんか筒かぶさっていますし、どっちみち……」
「ん? ああ本当だ。これじゃ持てないやアハハハハ」
お空は自身の片腕を見て、屈託なく笑う。そのおおらかそうな表情を見て、タツヤは自然と笑みをこぼした。
ハルカとはまるで違うタイプだな、と思わず感じる。彼女ならば余分な手助けもなかなかしないだろうし、自身の失敗を笑い飛ばしたりもしないだろうと、タツヤには予想できた。病的なレベルではないにしろ、どちらかといえばハルカは利他的なふるまいが少なく、尽くされる方が好きだ。過去をあまり話したがらないので誰に似たかなどは知るよしもないが、タツヤはそんな印象を抱きながら付き合っていた。
「あれー? この道も違ってたかなー」
探している少女について彼思いをはせていると、先を歩いていたお空がまた首をかしげた。どうやらまだ道に迷っているらしい。
ただし、それでも少しずつ位置が動いていたのか、景色の向こうの小高い丘に、大きな洋館がうっすら見える。お空はその館を遠目に見て、くやしがっていた。
あれがお空の家か、とタツヤは一緒に並んで館を眺めていた。すると、お空が突然「あっ」と声をあげ、タツヤへ振り向き、言った。
「そうだ! こんなウロウロ歩いてないで、飛んで行けばいいんだ!」
「は、飛ぶ?」
「そうそう。ホラ、つかまって!」
お空はわずかに前かがみになり、なにやら背につかまるように促す。いぶかしみ、同時に少し恥ずかしがりつつ、タツヤはお空におぶさった。
「じゃ、行くよー。離さないでね?」
「あのお空さん、飛ぶってどういう……おわっ!?」
タツヤが背中ごしに問いかけようとした瞬間、彼の体が不意に宙へ浮く。思わず目をつむり、また周りを見ると、宙ぶらりんになった足の下で、さっきまで歩いていた地面と、周りの建物が遠くなっていく。一拍おいて、お空が自分を乗せて空を飛んでいるのだと、ようやく気づいた。
「わ、わっ!? なんだコレ!?」
「ちょっと、暴れないで! 落ちたら死んじゃうよ?」
驚くタツヤを、お空は事もなげにたしなめる。どうやら彼女にとっては珍しくもない事らしい。
体に風がぶつかるのを感じながら、タツヤはつとめて動揺を抑え込んだ。いちいち驚いてなどいられない。自分はハルカを助け出さなければいけないのだ、と自らに言い聞かせて。
助けを求めるつもりの地霊殿は、すでに目の前に迫っていた。
――
「どうぞ。ここなら動物もいませんから」
「あ……ありがとう、ございます」
その頃、ハルカはさとりに連れられ小さな応接間にいた。絨毯がしかれ、テーブルをはさんだ二つのソファーと、部屋の隅の小物棚しか見当たらないその簡素な部屋には、確かに動物は見当たらず、鳴き声もしなかった。
もともと日が差すことは無いのかカーテンは閉めきられ、絨毯とソファーのワインレッドが、テーブルに置かれたろうそくの火に照らされている。
ハルカは緊張しているのか、ソファーの上でソワソワと部屋を見回している。そんな彼女の前に、さとりが盆に紅茶のカップを乗せて現れ、うち一つを差し出した。甘い茶葉の香りがふわりと部屋に広がる。
「そんなに堅くならないで下さい。さて」
「は、はいっ」
「修学旅行の途中でいつの間にか旧都に迷い込み、パルスィさんと揉めた末、彼氏さんとはぐれてここにたどり着いた……といういきさつで間違いありませんね?」
「……はい、その通りです」
さとりが確認すると、ハルカはただ肯定していっそう体をすくめた。実は、さとりがペラペラと口にした事情はハルカが伝えたものではない。さとりが自身の"心を読む"力で勝手につかんだ事だった。
堅くなるなというのも酷な話だ。今こうして向かい合っている瞬間も、ハルカの内心はさとりに筒抜けかもしれないのだ。
にも関わらず、さとりは口数少ないハルカにさらに問う。
「それで、旧都に一人でいると心配なので、一刻も早く彼氏さんに会いたい……と」
「まあ、そうです」
「しかし、あなたの心配はどうもそれだけではないように見えますが?」
「……それは……」
見透かすような目を向けられ、ハルカは居心地悪そうに顔を伏せる。そうなのだ。彼女は心のどこかで、別の心配をしていた。
タツヤの心が、離れていかないだろうか。目を離した隙に、ふっと自分を見放しはしないだろうかという恐れが、確かに自分の中にあるのだ。電波のない携帯を意味もなく確認するたび、脳裏に置き去りにされる自分の姿が浮かんでいた。
「……詮索はしませんが、過去に色々とあったようですね」
また、さとりが遠慮のない言葉をかける。ハルカは苦い顔をして黙っていた。家庭を振り回した母親と、振り回されて自分と妹を捨てていった父親。携帯を持った我が身をかえりみて、母親が勝手に父親の携帯を盗み見ていた光景を思い出し、それが自分の姿と重なって、ハルカは自己嫌悪に胸をつぶされる思いだった。
「まぁ待つより他はありませんよ。今街に使いの者をよこしました。旧都に人間は珍しいですし、すぐ見つかりますって」
ふさぎこむハルカをよそに、さとりはのんきに紅茶に口をつける。ハルカが何か言いたげに顔を上げると、さとりは先んじて口を開いた。
「言っときますが、くれぐれも思い余って飛び出したりしないでくださいね。考えは見えていますから」
「う……」
「私だって、心を読む事はできても、心を操ったりはできないのです。今は、私たちと彼氏さんを信じていただくしかありません」
さとりは目の奥に多少の威圧感をたたえ、突き放すように言った。面倒を起こすなよ、という警告が言外に含まれている。
ハルカはとうとうしおらしくなり、椅子にしょげて紅茶に手を伸ばす。両手で持ったカップがかすかに震えていた。
「…………」
さとりはその様子をこっそりと盗み見て、頭の中でふと考えた。言うまでもなくハルカは今、心細さにかられているだろう。内心でしきりに彼氏を求めるのも、いくらかはそんな状況が手伝っての事に違いない。
異常事態に直面して、普段から見え隠れする一面や、あるいは普段とは違う一面があらわになる……という筋書きはフィクションにままあるが、ハルカと彼氏はまさにそんな状態なのだろう。ハルカは恐怖のために彼氏を支えにしているが、当の彼氏はどうなのだろうか。意外な本性を発揮し、一人だけ逃げ出しているという線も、ハルカたちには(人となりを知らないさとりには特に)残念ながら考えられた。
さとりはカップで口をかくし、見られないようにほくそ笑んだ。もしかしたら現代の日常から離れた人間の、本心がむき出しになるさまが見られるかもしれないのだ。普段から建前も理性もへったくれもない旧都に住んでいるさとりにとって、それは降ってわいたエンターテイメントのように思えた。
(不謹慎ではあるけど……正直楽しみね)
落ち着かない様子で何度も紅茶を口に運ぶハルカを一瞥し、さとりは一気に紅茶を飲み干した。