幻想郷で生き残れるか? ~不運にも迷いこんだ者たち~ 作:ごぼう大臣
「あ、いたいた。タツヤー!」
さとりとハルカが応接間にいた頃、お空は地霊殿の館で座り込んでいるタツヤを見つけた。
「あ……お空さん」
「もう、どうしたのさ。急に逃げ出して」
「や、だって……犬はともかく、ライオンが放し飼いになってたんですが」
「私と居れば大丈夫だよ。ホラ立って」
青い顔をしてつぶやくタツヤを助け起こし、お空は廊下をずんずん歩いていく。途中でチンパンジーやタヌキと遭遇したが、彼女はかけらも動じなかった。
彼らがハルカを探す手助けを得ようと館に来たのは、ほんの数分前の事だった。お空の案内を受け、気合いを入れて乗り込んだタツヤであったが、番犬がわりのドーベルマンの群れを見て緊張しはじめ、それをやり過ごしたかと思えばなんとライオンと出くわし、彼はつい逃げ出してしまったのだった。
「ここは元から動物だらけなんだから、気にしてたらキリないよ」
「慣れてるんですね……」
「そりゃもう、住んでる家だし」
周りのヘビや狼にいちいち体をこわばらせるタツヤを、お空は振り返っては笑う。そうやって歩き続け、次第にタツヤも落ち着いてきた頃。
不意に、お空がピタリと歩みを止めた。
「……お空さん?」
タツヤが眉をひそめ、背中に声をかける。するとお空が振り向き、今までの無邪気な顔とは正反対の困り顔になって、言った。
「……やばい」
「え」
「道、分かんない……」
「えぇ!?」
お空の短い告白に、タツヤはすっとんきょうな声をあげる。そして焦った様子で言いつのった。
「ど、どうしたんですか、住んでるんでしょう!?」
「だ、だって! この家迷路みたいに広いし! タツヤが逃げちゃうからいつもと違うルート来ちゃったんだもん!」
「にしたって……なんか、目印とかないんですか?」
「うにゅ~、いつもなら働いてる人たちがその辺にいるんだけど……」
お空は眉を八の字にして目を泳がせる。タツヤは元より館の構造など知るはずがない。実は、お空たちはあずかり知らぬ事だが、その時ちょうどさとりが使用人の何割かを、タツヤの捜索にあたらせていたのだ。
行き違いになった二人が廊下に突っ立ち、向かい合ってうんうんと悩んでいると。
「……ん」
腕組みをしていたお空が、ふと何かに気づいたように周りを見回す。タツヤはハッとなり、希望を込めて問いかけた。
「何かあるんですか?」
「待って、こっちに行ったら知ってる場所に出るかも……」
「本当に!?」
壁に手(というか右手の筒)をつき、額に指を当て、お空は記憶をたどるようにして駆け出した。タツヤもそれを当てにして、足早に後を追う。走って体が揺れると、彼のバッグの重みが肩に食い込んだ。
動物たちが点在する廊下を何度か曲がり、彼らはやがて柱を並べてアーチ型の屋根で囲ったアーケードに出た。壁のない片側の、並び立つ柱の間から光が差し込んでくる。
タツヤがその光の方角を見ると、石畳が整然としかれ、屋根のない開けた空間があった。石畳がない部分には土があり、観葉植物があちこちに生い茂っている。
「あ~やっぱりあった! 中庭だ!」
「中庭?」
「うん! 私がいつも働いてる場所だよ~」
「なるほど……え、働いてる!?」
忘れっぽい印象からか「働いてる」という発言に驚くタツヤをよそに、お空はさっさとアーケードを飛び出し、中庭へと駆けていく。タツヤもあわてて追いかけた。
中庭に入ってみると、その広々とした空間がよく見渡せた。太陽は見えないながらも植物の緑色が視界をいろどり、それが何十メートル四方も広がっている。あのどんよりとした旧都の住宅地に比べると、そこだけでも何倍も解放感があった。
「良かったー、ここからなら道順も思い出せるよ」
「はぁ……良かったですね」
お空は見るからに胸をなでおろし、かたわらの木をペタペタさわってはしゃいでいる。その姿を見て気がゆるんだのか、タツヤはぽろっとこんな質問をした。
「お空さん……仕事って、庭いじりとかですか?」
するとお空はきょとんとして振り向き、首を横に振る。
「いや、違うよ? 私の仕事は
「しゃくねつ……?」
漫画のような言葉に眉をしかめるタツヤ。それを見たお空は「こっちこっち」と手まねきして彼を中庭の中央へと連れ出す。
そこの足元には、人間には重そうな六畳ほどの大きさの鉄蓋があった。その蓋は黒く無機質な雰囲気で、いかにも何かを隠しているようだった。
その不気味さに少々たじろぎつつ、タツヤは蓋を指さして聞いた。
「この下に……地獄が?」
「うん。正確には"元"灼熱地獄なんだけどね。この下にすっっ……ごく熱いマグマみたいのが広がってるの」
「そんな場所を管理してるんですか?」
「まぁね。私は熱いの平気だし、『核融合』も操れるんだから」
お空は自慢げに胸を張り、ふんすと鼻息を吹く。タツヤは思わず『核融合』と復唱した。
パルスィも嫉妬を操ると言っていたし、あり得ない話ではないだろう。それに会ったばかりではあるが、お空は嘘をつくような女性には見えない。タツヤはそう思った。
しかし、なぜか彼はふっと顔をくもらせる。
「どうかした?」
「あ、いや、なんでも……」
首をかしげるお空に生返事をし、タツヤは「早く行きましょう」と彼女をうながした。戸惑いつつも案内してくれるお空についていきながら、タツヤは内心である過去を思い出し、ひそかに悶々としていた。
――タツヤは核融合、もとい"核"という言葉にあまり良い印象を持っていなかった。その原因は、教科書に記載されたあの破壊兵器ももちろんだが、彼にとって生々しく記憶に残る、ある大事故があった。
それは十年ほど前。彼が間もなく小学校にあがるという時期だった。日本の核を扱う施設の一つが、大爆発を起こしたのだ。それは報道を通じて日本中に衝撃と不安を振りまいた。タツヤは幸い生活を大きく変えずにすんだが、それでも被災地の人々が避難し、不自由な生活を強いられる様子をニュースなどで目にし、幼いながらも心を痛めたものだった。
ところがそれから後に、彼はもっと直接的な事件でその事故を思い返すようになる。
事故から数年後。タツヤの家に、親戚の中で評判の悪い
それから後、タツヤは親戚のウワサ話などを通じて真相を知る事になる。叔父は一時期、被災地から人がいなくなって放置された空き家を解体する仕事についていたらしいのだが、叔父をふくめた業者の一部は、空き家の中から住人が持ち出せなかった家具や財産を勝手に質屋に入れ、大金をせしめていたというのだ。そんな空き巣まがいの行為でかせいだ金の一部をもらっていた事を、タツヤは人知れず後悔した。
また叔父が訪ねてきたら、同じだけの金額を返そう。彼はそう思いながら何年も月日をすごしたが、結局今まで叔父とは再会できていない。それとなく両親に行方をたずねてみると、「大阪にいる」と言ったのを最後に連絡が途絶えたらしい。
「今ごろ死んでるんじゃないか」と両親は陰口をたたいた。そんな両親をも、タツヤは軽蔑した。
思えば、昔から今まで人間の汚い部分ばかりを見せられてきたような気がする。金がらみ、食料がらみ、住居がらみ、なにより人間関係がらみ。特に家族は身近なぶん、ささいな事でいやしさを感じてやりきれなかった。知らない場所で知り合いが死ぬのを笑える神経は、今ならいっそう腹立たしい。
他にも中学生ともなれば、親の身勝手やエゴに苦しむ者など周りに山ほどいた。それに比べればハルカの不平不満などかわいいものだ。
……そう、かわいいのだ。奇妙な事ではあるが、今タツヤは、探しているハルカをとても愛しく思っていた。これまで、両親や叔父のようなイヤな人間にはなるまい、周りに気を配れる人間であろうという意識が彼にはあったのだが、この時はなにより、ハルカだけは取り戻したいという気持ちにかられていた。
その心境の変化の理由は、彼には分からなかった。ただ、それを気にしている場合ではなかった。
(ハルカ……今お前何してんだ……!)
胸中で祈りながら、タツヤはお空の後ろを黙々と歩いていた。そしてある時、彼を呼ぶ見知った声が聞こえた。
「タツヤ!」
「あっ……」
タツヤが振り向くと、そこには小柄な少女とともに、交際しているクラスメイト、ハルカの姿があった。
「ハルカ!!」
「タツヤー!」
タツヤは持っていた荷物を放り出し、ハルカをがばりと抱き締めた。ハルカも同じようにして体をくっつけ、ホッとした様子で胸の中に崩れ落ちる。しばし無言で抱き合った後、タツヤが気遣わしげにたずねる。
「……ケガとかしてないか? 大丈夫か?」
「うん、平気。……タツヤは?」
「俺も大丈夫だよ。お前が他人の心配するなんて……」
珍しいな、と言いかけたところでタツヤはふと言葉を途切れさせた。ハルカが目に涙を浮かべ、上目遣いに見つめてきていたからだ。普段は見たこともなかったその感極まった表情が、タツヤにはとても魅力的に見えた。
「どうかしたの?」
「ああいや、なんでも……」
あわててハルカから体を離し、タツヤは赤らめた顔をそむけた。そのしぐさを気にせず、ハルカは涙をぬぐって口を開く。
「でも良かった。もしかしたら来てくれないかと思った……」
「んな訳ないだろ。お前を放っておけるかよ」
「……うん、うん。ありがと……」
「?」
タツヤのきっぱりした返事を、ハルカは噛みしめるように何度もうなずいて聞いた。そして、眉をひそめるタツヤから顔をそらし、ひとり言のようにつぶやく。
「ママやパパだったらここまでしてくれるかな……はは、変なの」
「…………」
そのつぶやきは、彼女の離婚をはじめ不穏な家庭内への感傷がこもっていた。事情をくわしく知らないタツヤも、それをおぼろげにではあるが、察した。
二人のそばでは、何も知らないお空とあらかじめ心を読んでいるさとりとが、それぞれ異なる表情でかやの外になっていた。
やがて、切なそうに黙っているタツヤへ、ハルカがこう漏らした。
「……ねぇ、私たち帰らなきゃいけないのかな? 嫌なヤツも、嫌な事もいっぱいで……なんか思い出したら、辛くなってきた」
いざ探していた相手が見つかり、現代の事を考えたのだろう。家庭からして安心できる場所ではないハルカにとっては、向こうの世界は全てがわずらわしいものに見えていた。望み通り駆けつけてくれたタツヤをのぞいて。
一方で、彼女の言葉を聞いたタツヤは、やはり戸惑っていた。安全な元の世界に帰りたい気持ち自体は、当然ある。ハルカもそれを見越した上で言ったに違いない。
ある意味では、これはハルカが突きつけた究極の選択だ。『元の生活』と『彼女のワガママ』のどちらを優先するか。
しかし、タツヤもそう長くは悩まなかった。金のために罪を犯す叔父や、それを陰でさげすんでいた両親を思うと、そんな連中がのさばる現代より目の前のハルカの方が大事に思えた。
タツヤはもう一度ハルカを抱き寄せると、さとりの方を強く見すえ、こう言った。
「……あの、この館のご主人とかですか」
「ええ、いかにも」
さとりはあっさりとした調子で答える。何を言われるかは能力で読んではいたが、ドラマチックな状況見たさにあえて言わなかった。
タツヤは、続けてこう言い放った。
「この地霊殿に……しばらく置かせてもらえませんか?」
――
「タツヤ、今日の庭の手入れ忘れてない?」
「あれ、庭って今日、俺が当番だっけ?」
「そうよ。私がトイレ掃除なんだから」
「悪い、今すぐやる!」
……あれから一年間、結局二人は現代には戻らず、労働を条件に地霊殿にとどまっていた。今では使用人やお空はじめ住人たちとも打ち解け、平穏な日々を送っている。
(……あんがい丸く収まったものね)
駆けずり回るタツヤとハルカの姿を眺めていたさとりが、クスクスと笑った。そして、二人が迷いこんできたあの日の事を思い出す。
……『つり橋効果』という概念がある。例えば、つり橋の揺れなどで緊張している時に美人と遭遇すると、緊張を美人への恋心と誤認する効果。もっと言えば、先にある感情(例えでは揺れに対するもの)を人間が解釈した時に、感情を別のもの(恋心など)に誤認する……という認識のプロセスを提唱したものだ。
ハルカとタツヤが離ればなれになった際、二人はたいそう焦った事だろう。見知らぬ世界、見知らぬ人々。そんな中で頼れるのは当然、見知ったお互いだけだ。
結果、二人は互いに相手を強く意識し、会いたがった。消える事のない不安、そしてその末の感動の再会。二人はその心の動きを恋愛感情と取り違えたのだ。心の読めるさとりには、はたから見てそれがハッキリと分かった。
だが、それをわざわざ伝える必要がどこにあろう。二人は結果的に仲を深め、周りとも上手くやっているのだ。それが真実の愛でないというなら、さとりはこう言い返すに違いない。
『ふとしたはずみで恋愛に発展するなど、ありふれた話でしょう。だいたい動物なんて、オスとメスで同じ檻に入れれば、勝手に夫婦になるんですよ』
さとりには、仲むつまじく過ごしている二人が、周囲をとりまく理不尽や悪俗などからようやく解放されたように見えてならないのだ。
ある日、地霊殿にいる人間を珍しがって、烏天狗が取材に来た事があった。その烏天狗に、タツヤはこんな話をしていた。
『……俺たち二人を見て、バカだと言う人もいるかもしれません。もっともだと思います。けど、俺たちから見れば、現代こそ病んでいます。金がらみ、食料がらみ、住居がらみ。本当に心中穏やかに暮らせる人などいるのか、疑問です。……普段見えている世界から少し外れて、日の当たらない場所をのぞいてみてください。きっとすぐに、逃げ出したくなるような光景が見えてくると思いますよ』
モトキ タツヤ、フジワラ ハルカ――ともに生存、および地霊殿に残留。