幻想郷で生き残れるか? ~不運にも迷いこんだ者たち~ 作:ごぼう大臣
「なによコレ、神社……?」
目を覚ました少女、ヌマタ カズミの第一声はそれだった。
ほっそりしたスタイルを包む制服には、▼▼中学校の校章がきざまれている。前髪を上向きに結ったヘアスタイルが乱れているのに気づき、さらけ出た額に小さくシワができる。
カズミが寝そべっていた地面から立ちあがり、スカートをはたいて周りを見ると、先ほどの驚いた声にふさわしく、彼女にとって見覚えのない光景があった。
左右に目をやれば、彼女が両手を回しても足りないほど太い、赤い柱が立っている。上を見れば、それが巨大な鳥居なのだと分かった。門のように開け閉めなどできないにもかかわらず、そこをくぐる者を呑み込むような迫力がある。
鳥居の先には石畳が整然としかれた、広々とした境内がある。ちょっとした公園ていどの広さがあり、小学生男子ならば神聖な場所なのもかまわず遊びだすだろう。
そして、いよいよその奥には神社の本殿がある。堂々とした門構えに豪奢な
「…………」
あれだけ大きな神社なら、人が常駐しているかもしれない。カズミは真っ先にそう思ったが、歩きだして、ふと思いとどまった。
足元を見れば、唯一見覚えがあるカズミのカバンだけが、ぽつんと置かれている。修学旅行で持ち歩いていたものだ。
彼女が記憶をたどれば、修学旅行のバスに乗っていた時から、ぷっつりと途切れていた。いくら思い出そうとしても、級友がどうしていたか、自分は一人でなぜこんな場所にいるのか……など、サッパリ分からなかった。
(……怪しい……!)
カズミは目の前の神社に視線をもどし、ふとそう思った。いつの間にか眠っていて、気づいたら周囲に広がっている見知らぬ場所……。背後を見れば、長く続く石段を覆うように樹木がうっそうとしげり、明るい神社とは正反対に日光をさえぎっている。
どうやら、ここは山の頂上にあるらしい。そこまで思い当たって、カズミはあわてて携帯を取り出した。
果たしてここは、連絡がとれる場所だろうか。その問題に今さら気づいたのだ。電話しようとすると案の定、電波が入らないのを伝えるメッセージが。
「え、ちょっマジなの? やばい、どうしよう……」
携帯に頼れなくなったカズミは、とたんに狼狽しだした。神社は行く勇気が出ないし、かといって日も差さない山を下りていくのも怖い。頂上だけに、周りを見ても神社以外の建物が入るスペースはなかった。
「うぅ~っ……!」
焦ったカズミはむきになり、LI○Eはどうか、メッセージ機能ならどうかと次々とツールを試しまくる。メールを起動すると、おそらくスマートフォンを使う以前からのリストであろうか、L○NEより何割も多い連絡先が出てきた。
古い名前もあるのだろう。彼女がほとんどの連絡先を無視して画面をスクロールしていると、ふと、ある登録名が目に入った。
『姉ちゃん』
「…………」
その短い登録名を見た瞬間、カズミの表情が曇りだす。そして携帯の画面を切るとポケットにしまい込み、浮かない顔でため息をついた。
しばらくその場に立ち尽くしていたが、やがてあきらめたのか、顔を上げて再び神社の方角を見る。
すると、今度は人の姿が見えた。
「…………」
「…………あ」
目が合ったカズミは、その人……少女を思わず凝視した。なんといっても、腰まで伸びる緑色の髪の毛。背丈はカズミより少し高いくらいで、白地に青の袖柄がはいり、脇の部分が胴衣と袖で分かれ、下は青いスカートという、巫女服に似た奇妙な格好をしている。
その少女はといえば、何を思ってか驚いたように口に手を当て、境内のすみに突っ立っている。掃除でもしようとしたのかホウキを持ったまま、どことなく間抜けな格好だった。
(……何よあの人……
場所にくわえて風体も変わっているゆえ、カズミはなかなか話しかけられなかった。すると、少女が突如ホウキを放り出したかと思うと、カズミの方へパタパタと駆けてきた。
「あ、あの! もしかして外来人の方ですか?」
「は? が、がいらいじん……?」
「ともかく、中へ入ってください! そのまま一人でいると危険です!」
「え!?」
少女は突拍子もなく大声を張り上げたかと思うと、カズミの腕をつかみ、有無を言わさず神社の方へと引っ張りはじめた。
当然、カズミは抵抗する。
「ちょっと待ちなさいよ! アンタ一体だれ!?」
「ああ、私は
「かざはふり……?」
「巫女のようなものです。とにかく中へ、さあ!」
「やっ、もう! そこ、荷物、荷物!!」
結局、その早苗と名乗る人物は訳が分からないカズミを荷物ごと引きずり、神社の中へと連れ込んでしまった。
――
「さ、お茶をどうぞ。楽にしてください」
「ど、どうも……」
ここは、神社の客間らしき十畳あまりの畳部屋。カズミはテーブルの前に正座して、差し出された湯呑みを一瞥する。濃緑のその液体は、見た目何の変哲もないお茶だった。
次に隣に座っている早苗を横目に見る。先ほどのあわてぶりは何処へやら、今ではにっこりとよく整った、営業スマイルのような笑みを向けていた。ただ、正座がつらいのか、足を見るとこっそりと女の子座りに切り替えていた。
(うーん……お茶ぐらい飲んどいた方がいいのかな……)
カズミはおそるおそる湯呑みに手をのばし、お茶を少しだけすする。そしてしばし目をおよがせ、上目遣いにテーブルの向かい側を見る。
そこには、早苗の知り合いらしき人物が二人座っていた。片や長身で体格のいい、紫のセミロングの女性。片や小柄で子供のような、金髪でショートボブの女の子。
長身の女性は、名を
白地の長袖服の上に、大きな赤い半袖パフスリーブ。そして胸元には大きな丸い鏡がついている。下は茶色の長スカート、そして背中には何故か、丸く結んだ太いしめ縄を背負っている。
一方、女の子の方は
服装は、紫色の上着にミニスカート、ハイネックの振り袖つきの白い服。そして足には白のハイソックス。一見神奈子よりはおとなしい格好に見えるが、上着とスカートにはまるで鳥獣戯画のような大きなカエルが刺繍され、頭につけたつばの広い帽子には動物のような目玉が二つついていた。
「…………」
カズミはテーブルに目を落とし、湯呑みを気まずそうに置く。早苗もふくめ、彼女らの格好はどうも変わっていた。
しかも、神奈子と諏訪子の二人に関しては、それだけではない。心なしか、見る者をたじろがせるような、人間離れした気配がするのだ。瞳の奥に、笑顔の裏に、そして全身から。神社には彼女らしかいないようで、物音のしない屋内がその威圧感を際立たせる。
「カズミだっけ? そう堅くならないでよ」
押し黙っていたカズミへ、諏訪子が不意にそう言った。カズミが息を呑んで視線を移すと、テーブルにくたっと両腕を乗せて顔を近づけてくる。
「いきなり神社に入れてビックリさせちゃっただろうけど、ここがどんな場所か分かってもらえれば、それも落ち着くと思うんだ」
「ここが……って、神社のことですか?」
「うんにゃ、この世界……"幻想郷"のことだよ」
「世界? げんそーきょー?」
カズミは表情と声色に怪訝さをあらわにする。すると神奈子が一つ吹き出し、笑いながら言う。
「あからさまに意味不明って顔をするなぁ。まあいいや、とりあえず話しておこう」
実はな、と切り出して神奈子が語りだした事は、カズミにとって到底すんなりとは信じられない話だった。
いわく、彼女らのいる世界は幻想郷といい、現代であり得ないとされているモノ、妖精、妖怪、神などが多数住んでいるというのだ。しかも習性や性格によっては人間をエサにする者もおり、早苗が血相変えてここ、"守矢神社"にカズミを入れたのも、そんな事情からだったらしい。
「……という訳なんだ。飲み込めたか?」
「……じゃあ、神社に住んでるあなた達は……」
「そ、神様だよ。驚いただろ?」
呆然としているカズミに、神奈子はおどけてみせる。しかし、カズミは「はぁ……」と生返事をして、疑り深そうに眉間にシワをよせる。
「ありゃ? まさか信じてない?」
「そりゃ、いきなり話して『そうなんだ』なんてならないだろうしねぇ」
「そうですよ。私だって初めて聞いた時は半信半疑だったんですから」
「ううむ……」
口をへの字に結ぶ神奈子を、からかうように笑う諏訪子と早苗。カズミはその和やかな雰囲気を見て、いっそう神というイメージから彼女らが遠ざかるのを感じた。
一方、神奈子は小さくうなると、大げさにパチンと指を鳴らして立ち上がった。
「そうだ! なら、神という証拠を見せてやる!」
「え?」
「カズミ、そのお茶の水面をよーく見ていてくれ。きっと驚くぞ」
「……?」
神奈子は張り切った様子でそう言った。カズミは首をかしげ、とりあえず目の前のお茶の残りに目を落とす。いくらか冷めた、緑色の澄んだ水面。なんの変哲もないそれをしばらくボンヤリ眺めていると。
「きゃっ!?」
不意に、何も混ぜていないお茶の中から何かが飛び出した。それは水しぶきを立ててぱたりとテーブルに降り立つと、小さな赤い目をキョロキョロさせた。
その生き物は、手のひらに乗る大きさの小さな蛇だった。全身が白く、かま首を不思議そうに縮めて神奈子の方へと這っていく。
神奈子はその蛇を一撫でし、得意そうに言った。
「どうだ、これで分かっただろう。本領でなくとも、この程度は朝めし前さ」
「…………」
そう言って歯を見せる神奈子。しかしカズミはなおも納得いかなそうに言う。
「……手品かなんかじゃないの? 私、そのお茶いれるところ見てないし」
「へ?」
鋭い声に、虚をつかれた表情になる神奈子。そんな彼女を無視して、カズミは隣でテーブルを拭いている早苗に目を移した。
目が合った早苗は、持っていた
「……早苗さん。失礼だけど、細工とかしなかった?」
「いえいえまさか、お客様に出すのにそんなマネしませんよ」
「……どうだか、飲み物に薬を混ぜて神秘体験を見せる……なんて手口を聞いたおぼえがあるわ」
カズミはお茶をにらみつつ、低い声で言った。その口調や顔色には単なる疑念とは違う、敵意のようなものが混じっていた。
しまいには、「幻想郷の結界というのは嘘で、"幻想教"なるカルト宗教が山に拠点を置いているのではないか」と言い出す始末だ。
真面目な顔で問い詰めるカズミに、早苗や神奈子が徐々に困惑しはじめた頃。
「カズミはさぁ、なんでそんなに私らを信じてくれないの?」
今まで黙って成りゆきを見守っていた諏訪子が、不意に口を開く。振り向いた他の三人の中で、カズミをじっと見ながら言う。
「知らない土地でこんな事言われて、困惑するのは分かるよ。でも、そんなあからさまに警戒しなくていいんじゃない?」
「……それは……」
「じゃあ先に約束するよ。アンタは必ず元の世界に送り届ける。
明るい口調で、可愛らしくほほえむ諏訪子。早苗を見ると、カズミへ同じように笑みを向けた。
しかし、カズミは気まずそうに唇をかみ、目をそらす。
「……それとも、何かよほどの理由があるの?」
「……っ」
諏訪子に再び問われ、カズミは小さく肩をふるわせる。そしてしばらく目を伏せたかと思うと、ぽつりと、あいまいに答える。
「……昔、ちょっと色々……」
「色々ってなんだよ?」
神奈子がさらに追及する。テーブルにほおづえをつき、若干ふてくされているように見える。早苗があわてだすのが目に入り、表情が気まずそうなそれに変わる。
一方、聞かれたカズミはといえば、苦い顔をして口ごもっていたが、こう聞き返した。
「その前に、アンタらがまだまだ怪しいんだけど」
「怪しい、かい?」
「ええそうよ。さっき人間を食べるヤツがいるなんて言ってたけど、あなた達もそうなの?」
問われた神奈子たちは、一瞬きょとんとした表情になる。ややあって神奈子が「ああ」とつぶやいて、肩をすくめた。
「いやスマン。そういえば詳しく話していなかったな」
いら立つカズミに、神奈子は脱力しながら気を取り直すように言った。
「それは違う。たしかに私たちも妖怪も、現代に居場所がなくなった身だが……私たちは人を食べてはいないよ」
「……本当に?」
「そう。私たちが現代にいられなくなった理由は……"信仰"だからな」
信仰。そう口にした直後、神奈子の顔が
眉をひそめるカズミに、神奈子は続ける。
「カズミの住む世界では、縁遠い言葉だろう。それはそうだ。科学の権威が高まった現代では、神の存在など信じる者は少なくなってしまった」
「だから……
「ああ、神は信じてくれる者がいなければ存在を保てない。ただ……」
神奈子が何かを言いかけたが、それをさえぎってカズミが立ちあがり、声をあげた。
「じゃあ! 信仰してる人間が食べられて、あなた達は平気なの?」
仁王立ちになって肩を張り、カズミは神奈子の目をじっと見る。早苗が横から「それは……」と口を開きかけたが、諏訪子が静かに、しかしはっきりした口調で言った。
「平気だよ」
「え……」
「もちろん、ちゃんと理由はある」
諏訪子は、その幼い見た目からは想像できないほど落ち着き払っていた。心なしか早苗が気まずそうな顔をしているのを一瞥して、続ける。
「幻想郷の内部の人間は、私たちを信仰してくれている。当然それがいなくなれば困る訳だが……妖怪たちが食うのは、内部の人間ばかりじゃないのさ」
「……じゃ、どこの人間を食べるのよ。まさか……」
「そ、一つはカズミみたいな外から幻想郷に迷いこんだタイプ。あとは……」
察したような顔になるカズミに平然と答え、諏訪子はさらにこう言った。
「悪人や自殺者なんかの、『価値のない人間』が時おり流れてくる。それをエサにして、人間の数のバランスを取ってるのさ」
『価値のない人間』、その言葉を聞いた瞬間、カズミの表情がますます険しくなる。部屋に緊張した空気が流れ、諏訪子とカズミの視線がぶつかった。
先にカズミが、重苦しい口を開く。
「……本当なの? それ……」
「ああ。こんなの冗談で言わない。そうやって
諏訪子はお茶をすすり、一つうなずく。カズミはショックを受けたのかフラリと頭からよろけかける。
それを見て、早苗が座るようにとうながした。しかし、カズミはうつむき、ふとゆがんだ笑みを浮かべ、低い声でつぶやいた。
「そう……それが"神様"かぁ……」
その声は、細かく震えていた。思わず早苗、神奈子、諏訪子が視線を向けると、カズミが不意に、恨みのこもったような鋭い目を諏訪子と神奈子に向けた。
「そう、たしかに納得だわ……! 生きている間どころか、死んでまでも差別するって訳ね……!!」
カズミは体をわなわなと震わせ、あざけるような声で言った。表情は笑ってはいたが、口角がつり上がり、ひきつっている。
その態度の急変に戸惑った神奈子が、なだめるような声色を含めつつ、たずねる。
「どういう意味だ? 死んでまでも……って」
「それは……」
カズミは言いかけ、唇を強くかむ。そして次第に目に涙をにじませ、しぼり出すような口調で言った。
「……私の……私の姉ちゃんは自殺したのよ……。昔……まだ小学生の時に……!」
カズミ以外の顔色が変わる。早苗が言葉を発せずにいる中、カズミはさらに言いつのった。
「イジメにあって……誰にも、私にも相談できずに死んだ! 神様なんているもんかと思ったわ。そりゃそうよ、とっくに現代からいなくなってたんだから!!」
「おい、少し落ち着け……」
「うるさいっ!! 何の役にも立たなかったクセに!!」
なだめようとする神奈子を、カズミは激しく怒鳴りつけた。そこには幻想郷から出られるかどうかなどの心配はなかった。ただ、自分の中の感情を目の前の"神様"にぶつけようという衝動のみがあった。
「それで……何? さんざん酷い目にあって自殺したかと思えば、悪い人たちと一緒にエサにされる訳? ふっざけんじゃないっての……!」
ひっく、ひっくとしゃくりあげながら、カズミは悔しそうに吐き捨てた。その様子を見かねた諏訪子が、こう弁解する。
「……幻想郷をそういう風に創ったのは、私たちじゃないよ。それに、これでもできるだけ外の世界の人を巻き込まないように計算したんだ。そのおかげで私たちも生きていられる」
だがそれを聞いて、カズミの怒りは収まるどころかますます燃えあがった。
「生きていられる……? 生きて何するのよ!? 今みたいに茶ぁしばいてるだけ!?」
「カズミちゃん……」
「とっとと消えればいいじゃない! 信じてくれる人がいないからって、別の世界に逃げて、今度は人の心だけじゃなく人間そのものまで食い物にする訳!? 姉ちゃんや私が何したって言うのよ、意地汚く延命して……」
「カズミちゃん、もうやめてっ!!」
止む気配のないカズミの罵倒を、早苗がとっさに横からしがみついて食い止めた。カズミは大人しくならず、その場でドタバタと揉み合いがはじまる。
「離せっ! 離しなさいよ!!」
「やめて、やめて下さい。お願いですから……」
二人はしばらく振り回す側と振り回される側とで争っていたが、腕にしがみついている早苗がふと、目を涙ではらしているのを見て、カズミは動きを止めた。
「……アンタ……」
早苗の泣き顔を見つめ、我にかえったようにカズミはその場に立ち尽くした。そこで、神奈子が静かに口をはさむ。
「……実は、早苗だけは私たちと事情が違うんだ」
「は?」
「幻想郷にいるにはいるが……早苗は人間なんだよ」
それを聞いたカズミが、驚いた表情で早苗を見る。早苗は鼻をすすり、真面目な顔でうなずいた。神奈子が続ける。
「正確には諏訪子の子孫なんだが……そのまま現代に留まっても問題なかった。それをコイツは、あえて来てくれたんだ」
しんみりした口調で話す神奈子。カズミのとなりで、早苗がほんのりと笑って言う。
「神奈子さまと諏訪子さまが消えそうだっておっしゃった時に、心底いやだ……って思ったんです。家族のような間柄でしたから、離ればなれになりたくなくて……」
「…………」
家族、その言葉が出た瞬間、カズミの体から強ばりが抜けていく。もし自分が、姉と二度と会えなくなると宣告されたら、どうするだろうか……。そう思うと、神奈子と諏訪子に軽々しく「消えろ」などと言ったのを後悔した。
カズミが腰を下ろすと、早苗が体を支える。意気消沈している彼女に、神奈子は懺悔するかのように話した。
「お前たちから見れば、この世界は恐ろしい、理不尽なものに見えるかもしれない。たが、幻想郷のおかげで幸せな暮らしを手に入れられた者たちもいるんだ」
「…………」
「もちろん、巻き込まれた人々や、罪もないのに食われてしまう人々は納得できないだろうが……今はどうにかして、外との折り合いをつけている最中なんだ。結界があっても、現代と幻想郷は地続きだからな」
神奈子の述懐を、カズミは黙って聞いていた。聞いている最中、カズミはにこりともしなかったが、精いっぱいに訴えかける神奈子の目に、光を見ていた。
「私たちを信じろ、嫌うなとは言わない……。だが、幻想郷に助けられている奴らの事を分かってやってくれ。不満なら、私が代表して謝ろう」
神奈子はそう言って、席をはずして畳に手をつき、深々と頭を下げた。その謙虚な振るまいに、カズミはようやく折れたかのようにつぶやいた。
「……分かったわよ。ごめんなさい」
――
「じゃあ早苗。霊夢のところまで、よろしく頼むぞ」
「はい、ご心配なく!」
神社の境内から見送る神奈子と諏訪子に、早苗は振り返って元気よく言った。
現代に戻してくれる人物の家まで、カズミの案内は早苗がする事になった。となりを歩くカズミの手を、早苗が自然とつないでくる。
少し恥ずかしそうにしながら、カズミもおそるおそる手を取った。きゅっ、と手のひらを強くにぎりながら、早苗がほほえみかけてくる。
その屈託のない笑みを見て、カズミは内心で思った。
(姉ちゃんが生きてたら、このくらいの背丈だったかな……)
そうして鳥居をくぐり石段を降りていると、今度は諏訪子が「カズミー」と呼びかけてきた。そろそろ頭の高さに境内がくるという格好で、カズミと早苗は振り向く。
諏訪子は、手で口の前にメガホンをつくって言った。
「向こうに帰ったら、きっとビックリするよー! まあ、私たちなりのお詫びだと思ってー!」
「…………?」
諏訪子はニコニコしながら手を振っている。カズミと早苗は顔を見合わせ、首をかしげてから、あらためて石段を降りていった。
…………そして、カズミが現代に帰りついてから、数ヶ月後の事。
「赤ちゃんができたぁ!!?」
神妙な顔をして正座する両親の前で、カズミはすっとんきょうな声をあげた。四十近くの父親は頭をかき、ごまかすような口ぶりで言った。
「いや……まぁ、お前が無事に帰ってきてくれて、つい浮かれたところもあったというか、なぁ」
「……そんなバツ悪そうにしなくていいけどさ。私も子供じゃあるまいし」
あきれた調子のカズミへ、今度は母親が言う。
「お医者さんの話だと、順調に育ってるって。受験や高校生活で大変だろうけど、よろしく頼むわよ」
「あー……うん。うん。分かったわ」
うれしそうにしている両親へ、カズミは気のない返事をした。そのそっけなさの理由は、なんだって十代半ばの娘がいる時にそんな行為にはげむのかという気恥ずかしさもあったのだが、そんなタイミングゆえに、別に引っかかるところもあったのだ。
思い出すのは、幻想郷での諏訪子との別れ際のセリフ。
『向こうに帰ったら、きっとビックリするよー! まあ、私たちなりのお詫びだと思ってー!』
その時は何の事か分からなかったが、今なんとなく、母の妊娠と関係あるような気がしたのだ。
とはいえ、確証もなく、また何をするでもなく彼女は普通の日常をすごした。
かくして、またそれから数ヶ月後、彼女らのもとに無事に女の子が生まれた。
健康上の問題は一つもなかったが、奇妙な事に、その幼い妹の背中には蛇のうろこを思わせるようなアザがあったという。
ヌマタ カズミ――生存