幻想郷で生き残れるか? ~不運にも迷いこんだ者たち~   作:ごぼう大臣

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彼女が時を止める時

「あなたの恋人は、もう死んでいます」

 

「……な、なんだって?」

 

 ある日の昼下がり、洋風な外観を持つ大きな赤い屋敷、"紅魔館(こうまかん)"の廊下で、中学生のクロサワ リュウジは呆然としていた。

 ▼▼中学の制服をボタンも留めずに着崩し、ズボンも腰のあたりまで下ろしている。大柄な体に似合ういかつい顔で、茶色く染めたパンチパーマが威圧感を放つ。

 しかし、今の彼は見るからにうろたえ、真っ赤な絨毯がしかれた床に今にも崩れ落ちそうであった。

 彼の前にいる、メイド服に銀髪という見た目の若い女性は、細くすずしげな目でそれを見下ろしている。

 

 ……事の起こりはつい数時間前。リュウジをふくめて修学旅行中の三年生を乗せたバスが、突然の霧に呑まれて消えてしまったのだ。

 リュウジはその時の事をあまりよく覚えていない。ただ、女子側の席にいた恋人、アカネが悲鳴をあげたのだけは記憶に残っている。少しぽっちゃりした愛嬌のある彼女は、その丸顔をパニックにゆがめていた。

 

 次に彼が目を覚ました時、そこには誰もいなかった。静まり返り、バスで最後に見た霧よりも何倍も大きく濃いそれが辺りを包んでいる。

 冷え冷えとして湿った空気。霧で数メートル先も見えず、明らかに危険であったが、リュウジは考えるより先に歩き出していた。

 その場に荷物も置き去りにし、かろうじて見える足元の草むらを早足に駆けた。

 やがて横手に大きな湖が見えてくると同時に、視界の向こうにうっすらと、霧からにじむように今の赤い館が見えてきたのだ。

 

「し、死んだってどういう事だよ、おい!」

 

美鈴(めいりん)は言葉をにごしたようね」

 

 うろたえるリュウジに対し、メイド服の女性は他人事のようにつぶやき、すぐそばの窓を開けた。その窓から下には噴水つきのしゃれた敷地と、格子戸でしきられた門が見える。その門を守るように立っている中華服の女性が、メイドと目が合うと弱ったように苦笑していた。

 

「うちの門番は気が優しいから……ハッキリと死んでるとは言えなかったんでしょう」

 

「…………」

 

 窓を閉めてため息をつくメイドを、ボンヤリとリュウジはながめていた。その瞳は理解を拒否するかのように頼りなく揺れている。

 彼は恋人を見つけたい一心でこの館にたどり着くや、同じような制服の女が来なかったかと門番に詰め寄った。そしてしどろもどろに対応する門番を押しのけて館を探し回っていたところで、メイドにつかまったのだ。

 しかし、だしぬけに「死んだ」と聞かされては、見知らぬ場所に一人取り残されたリュウジは動揺をかくせない。

 

 ガックリとうなだれ、パンチパーマの頭をわなわなと抱えるリュウジを見て、銀髪のメイド――もとい、メイド長を名乗る人物、十六夜(いざよい) 咲夜(さくや)――はふと、「あ」と思い出したように手を合わせた。

 

「恋人なら遺品をあげなきゃ。少し待ってて」

 

 咲夜はそう言ってくるりと背を向けると、何故か次の瞬間またリュウジと向かい合って立っていた。手にはいつの間にかモジャモジャとした髪の毛のようなものが乗っている。

 

「……それは……」

 

「遺髪よ。この手帳に写真が入ってたから、確かめてみれば?」

 

 咲夜が差し出した髪の毛と、その下にまぎれた生徒手帳とを、リュウジは乱暴に引ったくる。"カシワギ アカネ"と書かれた手帳の写真には、たしかに手元にあるのと違わぬ赤く染めた髪を生やしたアカネがほほえんでいた。

 

「あ、ああ……」

 

 生々しい質感を持ち、生きていたおもかげを感じさせる髪の毛。リュウジはそれに顔を埋め、くしゃりとつぶれた表情になって泣き出した。いかつい体は萎れるように崩れ落ち、すすり泣く声と嗚咽が廊下にくすぶるように広がっていく。

 咲夜はそれを、また黙って見つめていた。まるで悲嘆にくれているリュウジに関心がわかないかのように。

 その態度がカンにさわったのか、リュウジは不意に顔を上げると、咲夜に猛然とつかみかかった。

 

「おい、ここは何なんだよ!? ワケ分かんねーよ!! 気がついたら誰もいねーし、アカネは……死んでるって……クソッ、説明しろよ!!」

 

 言葉すらまとまらない様子でリュウジはまくし立てる。咲夜は面倒そうに彼の手を押しのけると、口を開く。

 

「……話せば長くなるわ。ここ、幻想郷についてね」

 

「は……げん……?」

 

 もどかしげに顔をしかめるリュウジに、咲夜は平坦な口調で話しはじめた。

 ……いわく、この館をふくむ一帯は幻想郷という実質的な異世界であり、そこには神や妖怪、妖精など、人間には危険な存在が数えきれないほどいるという。

 そして、リュウジたちのように外から人間が迷いこんで来る事もある。そういう場合は、たいていが妖怪のエサにされてしまうらしい。

 それを聞き終えたリュウジは、しばらく言葉を失っていた。

 

「……じゃあ……アカネは……」

 

「ええ、お気の毒だけど。先ほど伝えた通りよ」

 

「まさか……そんな、アイツは」

 

「昨日ここで見かけたんだけどね。ひどく錯乱しちゃってたから説得も無理で。とりあえずルール通りにしたの」

 

 うめくように話すリュウジに、咲夜は肩をすくめて答える。そのしぐさは彼女の言うところの"ルール"の遂行が珍しくない事を示していた。

 リュウジはもはやうっすらと笑いすらも浮かべ、しばらく視線をさまよわせていた。もはや正気かも怪しい彼に、咲夜が「あなたはどうする? 帰りたい?」と義理のような口ぶりでたずねる。

 しかし、リュウジはそれには答えず、代わりに締め上げんばかりに咲夜の胸ぐらをつかんだ。

 

「ぐっ……!」

 

「ふざけんじゃねえ!! そんな話信じねえぞ。アカネはどこだ。どこかに隠してるんだろ? 言えよ!!」

 

「落ち着きなさい……!」

 

「落ち着いてなんかいられるか! いいからアイツの居場所を教えろ! 俺はさっさと一緒に帰る!! 早くしやがれ!!」

 

 リュウジは唾を飛ばして割れるような怒鳴り声を発した。つかんでいる咲夜の襟からミシミシと音がするのにも気づかず、悪鬼のごとき形相で彼女をにらみつける。

 咲夜はそんなリュウジに嫌気がさしたような表情になると、呆れたように目を閉じ、一つ小さく息を吐いた。

 

 すると、次の瞬間。気づけばリュウジの両手は咲夜から離れていた。彼が「え?」と我にかえって周囲を見回すと、そこは先ほどの廊下とは別の場所になっていた。

 床、壁、天井、全てが灰色の石造りで、窓の一つもない無機質な部屋。中央に下がったランプがなければ何も見えないであろう、二十平方メートルほどの空間だった。

 そして、何よりリュウジの目を引いたのは、部屋の天井を横切るように吊るされた、赤い肉のかたまりだった。スーパーに売っているような小ぶりなそれではない。まるで精肉工場で見るような、生前の名残がある、丸ごとの肉。四つほどレールに吊り下げられたそれは、どことなく人のような形をしていた。

 

「うぷっ……」

 

 思わず吐きそうになり、リュウジは口をおさえる。その時、彼の背後で重たい金属音がした。

 

「っ!?」

 

 振り返ると、咲夜が部屋の扉を閉めたところだった。肉を冷やすためか壁際には大小さまざまな氷が積み重なって置かれ、密閉した影響で一気に部屋の冷気が増す。中ほどに設置された大きなテーブルは、ちょうど肉を切るのにピッタリだった。

 

「変にごまかすのは嫌いだから、もう全部話すわね。ここがこの館の、お肉の貯蔵庫。あなたの恋人もここにいるわ」

 

「……ここに……?」

 

「ええそう。うーんと、どれだったかしら」

 

 咲夜は冷えきった部屋を平然と進み、並んでいる肉を物色しはじめた。うずくまりそうなリュウジを放っておき、一人で「最近は外来人が妙に増えたからね」などとつぶやいている。

 やがて、やや小さめな肉を探し当てると、思い出したように言う。

 

「ああ、これだわ。少し脂身の多い娘だったわね」

 

 そうして、咲夜はリュウジを見て確認するように目でうながしたが、リュウジはその場から肉を見つめるのが精いっぱいだった。

 赤と白が入り交じったそれを見て、知り合いを想像する者はまずいないだろう。リュウジにも、その肉はアカネとかけ離れた物体にしか見えなかった。

 

「……………………」

 

「納得してくれた? あなただけでも帰った方がいいわよ。ちょうどこっちも貯蔵がいっぱいだから……」

 

 咲夜は一応害意を示さず、ひょうひょうと帰る事をすすめる。しかし、リュウジはそんな彼女に無言で、手が届く距離までゆらりと近づく。

 そして、拳をきつく握りしめると、咲夜に向けて躊躇なく突きだした。

 

「っ!?」

 

 咲夜は反射的に避け、驚いた様子でリュウジを見る。彼は全身をふるわせて目をきつくきつく吊り上げ、怒りをにじませた顔で咲夜をにらんでいる。ふぅふぅと漏れる荒い息に、言葉にならない悪罵が込められているかのようだ。

 咲夜は軽く身構え、しかし相変わらず冷静な顔つきで問いかけた。

 

「……何のつもり?」

 

 その怪訝(けげん)な口ぶりは、まるで悪びれていないのがすぐに分かるものだった。リュウジは短くうめき、か細く、しかし低い声で言う。

 

「……許さねえ……てめぇは、絶対にぶん殴る!」

 

 そう言うが早いか、彼はまっすぐに咲夜へと突っ込み、また拳をくり出す。素人の彼のパンチは軽々とよけられるが、わき目もふらずに二度、三度と拳を振り回す。その攻撃はまるで洗練されていなかったが、たしかに相手にお見舞いしてやるという殺意がこもっていた。

 十回ほど拳を避けたところで、咲夜は素っ気ない口調で言う。

 

「やめなさいよ。そんな事したって何にもならないわ」

 

「うるせえーーっ!!」

 

 怒鳴りながらリュウジが放った蹴りが、眼前の氷を弾き飛ばした。床に撒き散らされたカケラを見て、咲夜がふと渋い顔をする。

 

「……床が濡れるじゃない……」

 

「あ?」

 

 初めて聞く怒りの混じった声に、リュウジは思わず動きを止める。その直後、彼は信じられないものを見た。

 咲夜の姿が刹那に消え失せたかと思うと、入れ替わるように視界いっぱいに、何十本ものナイフがリュウジの方を向いて浮かんでいたのだ。

 

「うおっ!?」

 

 彼は反射的に肉の陰へと飛びのいた。鈍い音とともにナイフが深く肉に突き刺さり、避けきれなかった分が脚や脇腹をかすめる。

 

「……くそったれ」

 

 痛みと血がにじむ傷口をおさえ、リュウジはよろけつつ立ち上がる。その時、背後でカツンと軽い靴音がした。

 驚いて振り返ると、そこにはいつの間に移動したのか、ナイフを持った咲夜が立っていた。壁に向かって飛んでいったはずのナイフが、何故か一つ残らず消えている。

 混乱しているリュウジに、咲夜は初めて感心したように言った。

 

「大した身のこなしね。ケンカでもしてたの?」

 

「うるせェよ!」

 

 リュウジは邪険に言い返し、再び咲夜に殴りかかる。咲夜はそれを難なく避け続ける。全く勝ち目の見えない戦いだったが、リュウジは止める気配がカケラもない。一度殴ると決めた相手は、意地でも殴る。彼はそういう男なのだ。

 

 ――中学校に上がった頃、リュウジはすでにいっぱしの不良の風格をそなえていた。親や教師への反発は当たり前、幼稚園生の時は小学生へ、小学生の時は中学生へそれぞれケンカを売り、全くこりる事はなく、相手にケガを負わせる事さえあった。

 入学試験もなく、雑多な人間の集まりやすい公立中学校という場においても、彼の悪童ぶりは頭ひとつ抜けていた。授業をサボってばかりで試験はつねに最下位を争い、服装は毎日注意を受け、髪型は幾度となく強制的に坊主にされた。ケンカ癖も治まる事はなく、このままでは進学そのものが危ういと噂する教師もいた。

 

 そんな彼がある時、一人の女子生徒と会った。それが恋人のアカネである。出会いは別にロマンチックでもなんでもなく、たまたまリュウジが出た授業で、たまたま忘れていた教科書を見せてくれた相手が、アカネだった。

 それだけのきっかけだったが、二人とも学業についていけておらず、それぞれ同性の仲間も少なかったために、彼らはしだいによく話すようになった。互いにとりたてて美形でもなく、恋にあこがれてもいなかったが、それだけに異性との交流が新鮮だったのだろう。二人はみるみる仲を深め、明るくなっていった。――

 

「らあっ!!」

 

 リュウジが目の前の、アカネとは別人の肉を咲夜めがけて蹴り飛ばす。振り子のように迫るそれを咲夜は軽くよけると、また姿を消して大量のナイフととって代わる。

 リュウジはとっさに飛びのき、肉のすき間や足元に迫るナイフをかわす。彼が石の床にどうと倒れ込むと、脇にはまた何事もなかったかのように咲夜が立っている。

 見下ろしてくるその目を見て、リュウジは怒りに顔をゆがめた。同情が一片も見えない、刺すような瞳。

 

(この女の目……解体前の豚でも見るような、冷たい目だ。残酷な目だ……。そんな目をしながら、アカネもばらしたのか……!)

 

 リュウジが悔しそうにしているのに果たして気づいているのか、咲夜が見下ろした姿勢のまま、嘆かわしげにため息をつく。

 

「……もういい加減にあきらめたら? 言っておくけど、あなたじゃ私に指一本ふれられないわよ」

 

「黙れよ……まだ俺の気が済んじゃいねえんだ!」

 

 痛むホコリだらけの体を起こし、リュウジはまた咲夜に向かっていく。

 気が済んでいない。彼が拳を振り続ける理由は、まさにそれだけだった。元来幼稚園や学校の規則を破り続け、アカネとの交際でもさまざまなルールを無視してきた彼のこと、恋人を理不尽に葬られた今、止まれるはずがない。

 幻想郷のルール? そんなもの知った事ではない。妖怪だろうが悪魔だろうが、殴ると決めたら殴る。殺すと決めたら……その時は、殺す。リュウジがしたがう相手は今や、己のみだ。

 

(しかし……コイツは一体、超能力でも持ってるのか?)

 

 いつまでも挑みかかるうちに、リュウジはさすがに疑問を持った。何度も目の前で消え、とうてい両手に持ちきれないであろう数のナイフを投げつけてくる。とても普通の人間にできる芸当ではない。

 しかし、だからといってすぐにタネが思い当たるほどリュウジは賢くない。ナイフをよけながらいつまでもヤケクソに殴りかかり、彼はついに疲労してよろける。

 

「ぐぅっ……」

 

 足をもつれさせ、壁際につんだ氷に突っ込むリュウジ。氷と石壁がぶつかり、小さな氷が滑り落ちるのを視界の隅にとらえた。

 直後に、彼が前に向き直るとまたナイフの雨が飛来する。とっさにかわすと、体が反対側の壁にぶつかった。

 

 リュウジは全身に痛みを感じつつも、あわてて部屋中を見回して咲夜を探す。相変わらず投げられたはずのナイフは影も形もなく、咲夜はさっきとは別の場所に平然と立っている。

 しかしその時は、一つだけ今までと違う事が起こった。

 

 ガシャン、と固いものが割れる音が部屋に響いた。見ると、リュウジがついさっきいた場所のそばに、くだけた氷が転がっている。リュウジがぶつかった拍子に、滑り落ちたものだ。

 それを見た瞬間、リュウジの脳内が高速回転しはじめる。今まで咲夜は一瞬で大量のナイフを投げ、また恐らく回収し、部屋を移動した。何かの錯覚かとも思わせる、異常にすばやい動き。しかし、氷が落ちるという別の現象を合わせて考えれば、その正体もしぼれてくる。

 彼女はたしかに、氷が落ちるまでの一瞬で一連の行動をすませたのだ。まるで氷が……いや、時間が止まってでもいなければあり得ないような所業。

 

 まさか、彼が何かに気づくと同時に、また目の前にナイフが現れる。彼は追い詰められたように部屋の隅に背中をつけると、とっさに頭をガードした。

 直後、かばっていない胴体や脚などに次々とナイフが突き刺さる。ぐおぉっ、とリュウジがうめき声をあげた時には、刺さっていたナイフは全て消え、無数の傷口が血を流していた。うぅ……ともう一つ小さくうめいて、血だらけのリュウジはそこにうずくまる。

 動かなくなった彼に、咲夜が靴音をたててゆっくりと歩み寄る。手にはリュウジのものらしき血がべっとりついたナイフが、何本も握られている。

 

「やっと大人しくなったわね……」

 

 咲夜はやれやれとつぶやいて、うずくまっているリュウジに向けてしゃがみこむ。暴れていたのが嘘のように目を閉じ、動かなくなったリュウジを、咲夜はケガの確認のためかまじまじと見つめた。

 しかし。

 

「え?」

 

 突然、リュウジが目を見開いたかと思うと、咲夜の襟首をつかんだ。咲夜はナイフを出して抵抗しようとしたが、彼が体を反転させて逆に隅に押しつけられ、ナイフを取り落としてしまう。

 咲夜の逃げ場をふさぐように詰め寄り、リュウジは彼女の首を締め上げ、ニヤリと笑った。

 

「やっと……捕まえた……!」

 

「っ!? あなた……まさかわざと……」

 

「そうとも。隅っこ(ここ)でくたばりゃ、必ず目の前に来るだろうと思ってな!」

 

 驚く咲夜に、リュウジは勝ち誇ったように言う。そして、おさえる腕に力を込めつつこう続けた。

 

「お前……信じられねえけど、時間を止めるんだろ?」

 

「よく……見抜いたわね……」

 

「どうりで……けど、近くで見るとやっぱ人間だな。だから遠くからナイフばっかし投げてたのか」

 

 片手でナイフを拾い上げ、リュウジは一人で納得するようにつぶやく。そして、咲夜に向かってナイフを突き立てようとし……。

 彼は、一瞬ためらった。

 

 ――彼は、生前のアカネと一つの約束をしていた。危なっかしい行動をするリュウジを見かねたアカネが、少しは控えようと言った事があったのだ。

 しかししょせんは不良との約束。急に品行方正にしろと言って聞くはずがない。そこでリュウジは、面倒くさがりながらも一つだけ、ある事を誓った。

 

 絶対に、人殺しだけはしない。それを犯せばもはや、人間ではない、と。

 

 どうせ約束するなら、生涯守れそうなものがいい、それに中途半端に決まりをつくるより、最低限の掟をドンと置きたい、というのがリュウジの言い分だった。

 『アンタらしいわ』と、アカネは声をあげて大笑いしていた。――

 

 ……その時のアカネの声が、リュウジの脳裏によみがえる。ナイフを握る手がふるえ、脂汗がにじむ。

 これから咲夜にしようとしている事。それはまさに約束を破る行為だった。自分から言った約束を反故(ほご)にする恥ずかしさに、リュウジは強く歯をくいしばる。

 だが、勝ったのは怒りの方だった。彼はナイフを振り上げ、恋人の仇をキッと見据える。そして、思い切りのためか、叫んだ。

 

「俺は人間をやめるぞ、アカネェーーーっ!!!」

 

 

――

 

 

「……それで、結局殺しちゃったんですか?」

 

「ええ。そうするしかないでしょう」

 

 それから数時間後、咲夜は館の門前で、門番である(ほん) 美鈴(めいりん)としゃべっていた。咲夜は例のごとく物静かな冷たい表情をしていたが、夕方のせいか、少し影がさしているように見える。

 対照的にのほほんとした顔つきの美鈴は、やはり後味の悪そうな顔で、こう言った。

 

「……その男の子もお気の毒に。意地にならなければ今ごろ……」

 

「今さら言っても仕方ないわよ。恋人の事で頭がいっぱいだったみたいだし、説得する義理はないわ」

 

 咲夜はいかにもつれない口調で言って、美鈴に背を向ける。そして館に向かって歩きながら、振り返らずにポツリと言った。

 

「……それに、今さら特別あつかいなんて出来ないわよ。もう何人も切り刻んでいるんだから」

 

 それきり、咲夜は時間を止めたのか、パッと姿を消してしまった。一人残された美鈴は、咲夜のいた場所をずっと見つめていた。

 表情は見えなかったが、その声色には悲しみがにじんではいなかっただろうか。

 美鈴がそう思いをはせている背後で、空はゆっくり茜色に染まりはじめていた。

 

クロサワ リュウジ、カシワギ アカネ――ともに死亡

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