幻想郷で生き残れるか? ~不運にも迷いこんだ者たち~ 作:ごぼう大臣
「……本当に……死んでる……」
ある
森の一角に一つ、"人だったもの"が転がっていた。十代半ばの見た目の少年が地べたに大の字になり、頭と腹から血を流している。
短めの髪に絡みつき、額にまでべったりと広がった血は地面にまでしたたり落ち、地面に黒々とシミをつくっている。
細身の腹は、ブレザーとワイシャツを引き裂かれ、内臓がえぐり出されたかと思うような穴が空いている。獣にでも食われたのか傷口はほじくったと言った方が的確で、赤黒く、トマトの腐り落ちた部分にそっくりだった。
天を向いた両目はとうに白目をむき、生気がないのが見てとれた。
その血の臭いが遠慮なく漏れる死体を、茂みごしにかがんでジッと見つめている少女かいた。
死体とは違ってジャージ姿で、なぜか靴はローファー。つんとした細い目つきに小さな鼻、薄い唇。美人の部類だが化粧っけはなく、ミディアムショートの黒髪が質素ながら清潔感をただよわせる。
スレンダーな体型を包むジャージの胸元には、イズミ シオンという名が刺繍されていた。
その少女、シオンはなにやら注意深く辺りをうかがうと、かたわらにあるバッグを見つめる。二、三日分の着替えくらいは入りそうな、大きなものだ。
手には革製の財布がしっかりと握られている。お札、小銭、カードを彼女は震える手で確かめると、お守りでも持つかのようにポケットに大事にしまいこんだ。
彼女はそれから死体をまた一瞥すると、ふぅーと長く息を吐く。なぜか彼女の額は汗ばんでいた。
一拍おいて、彼女は震える手でバッグをつかむと、すばやく立ちあがり、走りだそうとする。
しかし、そんな彼女の背後で、不意に声がした。
「おねーさん」
「ひやあぁっ!?」
よほど驚いたのか、シオンは裏返った悲鳴をあげてひっくり返る。あわててバタバタと声の方向へ振り向くと、暗くなった森の中で、少女……らしきものが見下ろしていた。
「にゃはは、驚かしちゃったかな。すまないね」
「だ……誰よアンタ……」
シオンはおぼつかない声でその何者かを見上げる。というのも、目の前の少女らしき者のシルエットが、どうにも人間ばなれしていたからだ。
背の高い、くびれのハッキリした女性らしい体格。シオンより二、三歳は年上かもしれない。かすかに赤く光る髪を、前は眉の高さで切り揃え、後ろは細い三つ編みを四つに分けて垂らしている。
着ているワンピースは首にリボンが結ばれ、両肩にパフがあり、すそ、袖、襟には細かいフリルがついている。スカートの下からのぞく足の片方には、これまた長いリボンが結ばれていた。
見た目はいわゆるゴスロリ系統のもので、それだけでも少し風変わりなのだが、シオンが警戒しているのは他の特徴からだった。
彼女の周りには、こぶし大の青白い炎が、いくつもユラユラと飛び交っていた。炎の中核には白いガイコツがおぼろげに見え、まるで昔話やホラーで見る"鬼火"にそっくりだった。
しかも、人間の耳の位置から少しのぼると、黒くとがった猫耳が生えていた。そして尻の上からは黒く長く、先端が白い猫の尻尾が二本。それらは作り物ではないようで、本物の猫のそれのように時々ぴくりと動いている。
そしてかたわらには、なぜか手押しの猫車が置いてあった。
シオンの険しい表情に気づいてか、少女は肩をすくめ、手を差し出した。
「そんな警戒しないでおくれよ。ほら」
「…………」
目の前の手を、シオンはおそるおそる掴んだ。その手の感触が人間と変わらないのに気づき、少々面食らう。
ようやく立ち上がったシオンに、少女はこう名乗った。
「あたいは燐。
「……シオン。イズミ シオンよ」
「シオン、ね。おしゃれな名前だねぇ」
燐はニコニコ笑い、人懐こい口調で言った。急ななれなれしい態度にシオンが戸惑っていると、燐はふとこうたずねる。
「ところで、こんな場所で何してたんだい? もう夜だよ」
呆れをふくんだ口ぶりに、シオンはやや口ごもり、ぼそりと答えた。
「……何って……どうもこうもないわよ。こちとら急に知らない場所に来て、クラスの皆にも会えてないんだから」
その言葉に、燐はさほど驚きもせずにシオンを見つめ直す。シオンはもどかしげに燐に言いつのった。
「ねぇ、私から聞くけど、ここは一体どこなの? 私たち、クラスで修学旅行のバスに乗ってたはずなのよ。なんでこんな事に……」
不安からか、シオンは次第に早口になる。心細さに目をおよがせ、先ほどの死体を一瞥する。
その視線に気づいて、燐も茂みの裏に転がっている死体を覗きこんだ。そして「ははぁーん」と心得顔でうなずくと、一切おどろく様子もなく、シオンに言った。
「あの死んでる男の子、シオンちゃんのお仲間かい?」
「え、ええ……同じクラスだけど」
鬼火のようなものに照らされた燐の顔が心なしか楽しそうに見え、シオンは一瞬、言葉につまる。燐はそれから、なぜか興味深い様子でなおも死体の方角を見ていた。
片や憔悴し、片や上機嫌で無言の時間が続き、沈黙に耐えられなくなったのか、シオンが口を開いた。
「……シバタ君。シバタ ユウスケっていうのよ。彼」
「うん?」
唐突にシオンが話し出したのに、燐は耳をかたむける。するとシオンは、緊張のせいか上ずった声で続けた。
「同じクラスの子でさ。わりとよく話してたんだけど……こんな姿に……」
「もう見つけた時には、オシャカだったのかい?」
「……え、ああうん。そう。偶然私が見つけた時には、もう……」
「あ~ごめんね。あたいったら無遠慮に聞いちゃって」
「いや、いいの。気にしてない」
あわてて口を手のひらで隠す燐に向け、首を横に振るシオン。そして気を紛らわせるためか、なおも絞り出すような声で話し続けた。
「彼の家、地元で有名な建設会社でさ。すごいお金持ちで成績もよくて……いなくなったら、大騒ぎだろうなぁ」
「…………」
「……でも、私は悪くないわよね。こんな、お腹やぶられてメチャクチャになるだなんて、私にどうしようもないし……」
話すうちに落ち着きがなくなり、息が荒くなる。いつしかすっかり日が落ち、周りは闇につつまれていた。
その時、近くでバサバサと鳥の羽ばたきが聞こえ、シオンは肩をはねさせて振り向く。葉をいくつか落として飛び去った鳥は、ギィーーッと聞き慣れない鳴き声を残していった。
それに呼応するかのように、周りでザワザワと、闇の中で何かがうごめくような音があちこちでし始める。シオンは喉をカラカラにし、すがるように燐へ寄りかかった。
燐はそれを見て、気を取り直すように彼女の肩をたたく。
「とりあえず場所を移そう。そろそろ妖怪が起きてくる」
「妖……怪?」
「ほら、早く」
眉をひそめたシオンだったが、燐が少しだけ強引に手を引くのを感じ、戸惑いながらもうなずいた。
――
「ちょ、ちょっと! 揺らさないでよ!?」
「しっかり掴まっておきなよ~。落ちたらまっ逆さまだからね~」
……数分後、二人は前後に並んで
眼下に広がる豆粒大の景色をチラリと見て、シオンはあわてて目をそらした。地表の何倍も冷たい夜風が吹きすさぶ中を、燐は鼻歌まじりに進んでいく。
猫車の下には、人一人を包めそうな大きさのムシロがあった。ジャージ姿で震えていたシオンは、落っこちないようにジタバタしつつ器用にムシロへくるまり、燐へと振り返って言う。
「ねぇ、どうやって飛んでるの? 燐って何者?」
風に負けぬように声を張り上げるシオンに、燐は涼しい顔で答える。
「んー、説明しようったって難しいな~。あたいも妖怪だから、としか……」
「…………」
妖怪、事もなげにまた言ったその言葉に、シオンはますます眉間のシワを深くする。確かに姿は人間離れし、道具もなしに飛んではいるが、そんな軽々しく口にされると信じようにも信じられない。
「妖怪って本気で言ってるの? 私はじめて見るんだけど」
疑いの視線を向けるシオン。燐はそれに気づくと、弱ったように頭をかいた。
「うーん、やっぱり疑問に思っちゃうかなぁ。訳を話すと長いんだよね……」
「もったいぶらないで教えてよ」
シオンがせがむように言うと、観念したように燐は言った。
「分かったよ。道すがら話してあげる。この"幻想郷"について……」
それからの話は、シオンにとってはまるで現実ばなれしたものだった。
幻想郷という場所は、現代では信じる者のいなくなった"幻想"が流れ込む場所だという。例えば妖精、例えば妖怪、例えば神。
なかでも妖怪は特に危険で、シオンのように外から迷い込んできた人間はよほど運がなければ食べられてしまうのだという。
話を聞き終えたシオンは、ムシロの中で身を固くして言った。
「あの……シバタ君も、妖怪に?」
「ま、十中八九そうだろうね。あんな場所にずっといたら、たまらず餌食になるだろうさ」
「そう……よね。そう……」
いまだに信じられないのか、目をそらして生返事するシオン。そんな彼女に気を遣ってか、あっけらかんとして燐は言った。
「その点おねーさんはラッキーだよ。あたいが見つけなかったら、今ごろ昇天さね」
「……もう空にいるじゃん」
「あら、一本とられた。いやぁ、夜の地上なんか妖怪だらけだからねえ」
明るい表情でけらけらと笑う燐。シオンはその顔をジッと見つめ、「ずいぶん親切なのね」とつぶやいた。それを聞いた燐が目をパチパチとしばたかせる。
「ん、不思議かい? あたいが人助けしたら」
「そりゃまあ……妖怪だって自分で言ってたし……」
「なるほどね。すんなり信用はできないかぁ」
燐は自分の二本ある尻尾をちらりと見る。そして周りを飛び交う鬼火を手のひらに乗せ、見せつけるようにしながら言う。
「実はあたいね、生きてる人間にそんなに興味ないんだ。興味があるのは……"死体"の方」
「し、死体!?」
「そ、あたいは死体を探し出すのが趣味なんだ。もう何百年になるかねぇ」
驚くシオンを尻目に、燐は上機嫌で空にステップをはずませる。揺れだす猫車にしがみついて、シオンは顔をしかめた。
「それ、楽しいの?」
「そりゃそうだよ。あたいに染み着いた妖怪としてのサガだもん。いわゆる生き甲斐!」
「……もしかして、シバタ君も」
「もっちろん! おねーさんを送ったら、即、回収するよ~」
「……はは」
仮にも目の前の人間のクラスメイトを、まるで景品のように語って燐は鼻歌など歌いだした。
それに苦笑いしつつ、あまり深入りするのはやめようとシオンが前へ向き直った時。猫車が揺れたせいか、シオンのポケットから財布がぽろりと飛び出そうになっていた。
「わっ!?」
それが目に入った瞬間、シオンは血相を変えて財布を両手で押さえ込み、強引にポケットにねじ込んだ。
はねのけたムシロが風にはためくのも尻目に、乾いた息をもらしているシオンを見て、燐はくすくすと笑った。
「なんだい大げさだねぇ。落っこちたら取りに行ってやるからさ、おねーさんは大人しくしといておくれよ」
「そうはいかないわよ……。お金が手から離れると思うと、体が動いちゃって……」
「ふーん、まぁあたいも、狙っていた死体が横取りされたらガッカリするけどさ」
シオンの言葉を軽い調子で流す燐。しかしそれが気に入らなかったのか、シオンはムッとした表情になり、言った。
「……死体と一緒にしないでよ」
「ん?」
燐が首をかしげると、シオンは彼女を流し目でにらみつつ、若干ひくい声で言った。
「
「はぁ……」
「
「それは、例えばあたいみたいな?」
「あっ……」
燐が口をはさむと、シオンは真剣だった表情を一転。ばつが悪そうに言葉につまり、やがてちょこんと頭を下げた。
「……ごめん、そんなつもりじゃ」
「いいって。気にしてないよ」
燐はひらひらと手を振り、ほがらかに笑う。そしてふと不敵に目を細めると、なにやら含みのある声で言った。
「あたいの近所でも、お金の奪い合いはあるさ……。時には、殺しなんかもね」
「……何が言いたいの?」
「別に? こっちの話さ。あ、見えてきたよ」
眉をひそめ、心なしか身構えるシオンを無視して、燐は地上のある一点に目を留める。それからゆるやかに下降を始めると、やがて彼女らの眼下に小高い丘が見えてきた。シオンが目をこらすと、暗くて見えづらいがその頂上に小さな神社と鳥居がある。
燐はその真上を通りすぎ、神社へと通じる石段に面した丘のふもとへ降り立った。
「とうちゃ~く、っと」
「…………」
燐が元気よく宣言すると、シオンはおそるおそる猫車を降りた。自然と先ほどの神社に視線を向けると、横から燐が話しだした。
「あの頂上にある神社に、おねーさんを帰せる人が住んでるよ。緊急事態だから、最低でも避難はさせてくれるハズ」
「直接行けばいいじゃない」
「いやぁ、一応妖怪の出ない安全な場所……って事になってるから、なるべく近づかない方がいいんだ」
燐は早口でそう言うと、そわそわと今来た方角を目でうかがった。あの死体を一刻も早く取りに行きたいのだろうか。
しかし、シオンはそんな彼女をいぶかしげに見つめ、頭上の神社を一瞥して言った。
「……でも、本当なの? 本当にあそこへ行けば帰れるんでしょうね」
「本当だよ! あたいは嘘はつかないし、大体、人間の恨みは買いたくないものさ」
燐はわざとらしく頬をふくらませた。そして声をひそめてこう続ける。
「妖怪ってのはさ、恨みを持った魂に弱いんだ。いわゆる怨霊ってやつ。だから食うわけでもないのに死なせたりはしないの」
頬笑む燐をしばらく不安げに見つめていたシオンだったが、やがてため息をつくとぺこんと礼をした。
「分かったわ。えっと……とりあえずありがとう」
「どういたしまして。じゃあね!」
燐は軽く手を振って背を向けると、猫車を押して飛び立ち、元来た森を目指していった。その姿が小さくなるのを、シオンはしばらくジッと見上げていた。
やがて燐の背中が砂粒のようになり、夜空に消え失せてしまう。シオンはそれを確認して、ふと荷物をおろして俯き……。
地面を見つめてこぶしを握り、肩をふるふると震わせだす。そして急に顔に喜悦を浮かべると、消え入りそうな声でつぶやいた。
「やった……やったわ! バレずに済んだ!