幻想郷で生き残れるか? ~不運にも迷いこんだ者たち~ 作:ごぼう大臣
「うーん……暇だ」
ある
そんな風景が広がる川のほとりに座り込み、一人の少女がごちていた。
小柄で、丈の長いワンピース姿。スカートのすそには矢印が組合わさった奇妙な模様があり、上半身には赤色の、セーラー服のような襟をつけ、リボンで留めている。
細い腰も長いリボンで結び、手首に腕輪、足に厚底の木製サンダルをはいている。
そして特に変わっているのが、首から上の部分だった。黒毛と白毛の混じったような色の髪は肩までウェーブをえがいて伸び、額にかかる一部だけに赤色のメッシュがついたような髪が生えている。そして、その頭頂部の左右には、小さな鬼のような角が、一対生えているのだ。
「こんな平和な光景は、私みたいな
赤い目を空に向け、不満げにそう口にすると、少女はゴロリと横になった。半端に開けた口元からは小さな牙がのぞき、退屈そうに地面をいじる指先には、長くとがった爪がある。
彼女は天邪鬼、俗にいう妖怪の一種である。名を鬼人 正邪。全てをひっくり返す能力者を自称し、時たま"反逆"という名目で人々に嫌がらせや嘘をふっかけている。
現代でいえば指名手配犯のような扱いを受けているのだが、周りに妖精などが飛び交うこの地、幻想郷では彼女も刑罰に処される事はなく、のんびりと暇をもて余している。
やがて正邪はふあぁ、と大あくびをすると、そのまま地べたに寝入ってしまった。
からりと晴れた陽気を、木々がいい具合に閉じ込めて空気を暖かくしている。川のせせらぎが子守唄のように意識を落ち着けてくれる。正邪のいた場所は、まさに昼寝に最適だった。すぐそばが水辺だという事をのぞけば。
「うぅーん……」
気の抜けた寝息を立て、正邪は盛大に寝返りを打つ。すると転がった体が勢いづき、彼女はそばの川にあっけなく沈んでしまった。
「ぶわっ!?」
夢の中にいた正邪は、突然おそいかかる水の冷たさに目を白黒させた。川は案外深く、底に足が着かない。実は妖怪たるもの宙に浮かぶのも可能なのだが、彼女はとっさに思い当たらなかった。そうでなくとも、妖怪の心というのは案外もろいのだ。動揺するうちに彼女の口に水が入りはじめる。
「た、助け――げほっ!」
本当におぼれた時というのは、それほど音が立たない。ぱしゃぱしゃと力なく水をかく姿は、直接それを目撃でもしないと救助は難しいと思われた。しかしあいにく場所は人気のない森の中。
万事休すか、と思われたその時。
「大丈夫か!?」
対岸から男の声と、続いて水に勢いよく飛び込む音がした。そしてもがいている正邪のそばに一人の少年が泳ぎ着くと、少年は正邪を支えて少しずつ元の岸へと運んでいく。
「けほっ、かはっ……ふっうぅ……」
「ほら、遠慮せず吐き出せ。我慢すんな!」
岸にあがって四つん這いになった正邪の背中を、少年は勢いよく叩いた。正邪の口から何度か水がもどり、地面に染み込む。
「……ふぅー……ふぅー……」
やがて落ち着きを取り戻し、正邪は口をぬぐって隣にいる少年を見る。ワイシャツにスラックスという姿で、全身がずぶ濡れになっている。
「あーよかった。もう平気か?」
額に張りつく髪を払い、少年がはにかんだ。茶色のベリーショートの髪と、あどけなさが残る顔立ちが可愛らしい。背に後光を受け、水滴がキラキラと輝いている。
少年のその姿に、正邪はしばし見とれたようにボンヤリとしていた。やがて少年は首をかしげ、彼女の目の前で手を振ってみせる。
「おーい? 大丈夫か? 俺が分かるか?」
少年の声にハッとなり、正邪はぷいっと目をそむけた。そのしぐさに安堵のため息をもらす少年。
「なんだ、意識があるならそう言ってくれよ。やべー事になったかと思った」
はは、と屈託なく笑う少年を尻目に、正邪は礼の一言も言わなかった。天邪鬼は妖怪の中でも特に人間の善意を忌み嫌う。人助けをして笑っているようなタイプなど、もっとも気に入らないところだった。
「……誰だよ、お前は」
正邪はゆっくりと立ち上がり、少年をにらみつける。いざ並んでみると少年の背は160センチほど、正邪の10センチ上くらいだった。
少年は剣呑な目つきで見上げてくる正邪に一瞬とまどったが、すぐに笑顔にもどり、言った。
「ああ、はじめまして。俺はユタカ、ツカモト ユタカだ」
「…………」
一切の警戒を向けない少年、ユタカの姿に正邪はますますイラ立った。しかし、その不機嫌な表情はふとした拍子に崩れる。
「はっくしゅん!!」
高いくしゃみが辺りに響く。正邪は鼻水をちょろりと垂らし、ブルブル震えて自らを抱く。
互いが濡れネズミだというのを思い出したユタカは、とっさに自分がいた方の対岸を振り向く。そこには彼のものらしい、大きな旅行カバンが落ちていた。
「ちょっと待っててくれ!」
ユタカはそう言うと再び川へ飛び込み、対岸のカバンを引っつかむと、それを頭に乗せて苦労しながら正邪のもとへ渡ってきた。
「ほれ、取ってくれ。早くしないと落ちて濡れ……うおっと」
カバンの重みにつられるようにして揺れながら、ユタカは正邪にうながす。正邪はしばらく腹立たしげにそれを見下ろしていたが、やがて舌打ちと共にカバンを引ったくり、地面に投げ捨てた。それを見てユタカが苦笑する。
「そんなに乱暴にしないでくれよ」
「知るかよ。で、これは何なんだ?」
「その中にタオルと着替えが入ってんだ。俺ので悪いけど使ってくれ」
「……これか?」
正邪はチャックを珍しげに見つめた後、勢いよく開く。中には着替えをはじめ、お土産や携帯の充電器などが詰め込まれている。
「どれがどれだか分かんねーよ!」
「悪い悪い、ちょっと待ってな……っと」
相変わらず不満顔で振り向いた正邪に、ユタカは隣に座ってカバンを探る。そしてバスタオルと着替え一式を取り出すと、正邪に手渡した。
「……着替えろっての?」
「ああ。だって濡れてたら風邪ひくぜ?」
「……………………」
「いや、俺は向こうで着替えるって」
上目遣いにじーっとにらみつける正邪へ事もなげに返事をし、自分の服とタオルを持ってしげみの奥へ引っ込んでいった。
取り残された正邪は、手元の衣類をジッと見つめる。見たこともない材質の、ユタカが使っているであろう服。
正邪は何やら胸の奥からじわじわと嫌悪感が湧くのを感じ、周囲をうかがうと素早く体をふき、衣服に袖を通す。背丈も体格も違うのでブカブカになってしまい、正邪はイライラをぶつけるように濡れた服をかたわらの木に引っかけた。
次に、彼女はユタカが入って行った茂みの方角を見る。そこには、植物の陰でゴソゴソしているユタカの姿が、ちらりと見えた。
のぞいている背中や肩は意外と筋肉質で、それほど長身でもないのにガッシリして見える。背筋は左右対称の凹凸がくっきりと浮かび上がり、肩は首回りを覆うように盛り上がって、しかしなめらかな曲線を描いてしなやかな腕につながっている。
美しい、そう言えるものを目にして、ますます正邪は気分が悪くなる。美醜の価値観が逆転している……というより、大多数の尊ぶものが、彼女はとにかく気に入らないのだ。
正邪はユタカに向かってズカズカと近づくと、彼が振り向く間もなくその尻を蹴りつけた。
「どわっ!?」
ユタカは短い悲鳴をあげ、短パンの半裸姿で勢いよく地面に倒れ込む。あわてて彼が振り返ると、さげすむように見下ろす正邪と目が合った。
「何するんだよ、もう……」
「いつまで着替えてやがる。モタモタしやがって」
怒りもせず立ち上がるユタカに、正邪は横柄な言葉を投げつける。しかし、腕組みしてしかめっ面の正邪の姿を見て、ユタカは何故か吹き出して笑いはじめた。
「な、何がおかしい!?」
戸惑って反発する正邪に、ユタカは軽く咳ばらいして答える。
「いや、悪い……。そのシャツ、後ろ前が逆だから」
「へ?」
正邪がポカンとして自身を見返す。襟の部分に不格好に布がかぶさり、彼女の体に大きすぎるシャツと合わせて間抜けな姿をつくっている。
現代の製品にうとい正邪ではあったが、笑われているのは察しがついたので、不機嫌なままくるりとシャツを一回転させる。そして負け惜しみか、顔を赤くして叫んだ。
「しょ、しょーがねーだろ! 私はこんな服見るの初めてなんだよ!」
「……え、マジで?」
それを聞いたユタカは、半ば怪訝な顔になって聞き返した。そして今さら気づいたのか、正邪の頭の角をまじまじと見つめる。
その視線にうんざりしたため息をつき、正邪はようやく名乗る。
「……私は鬼人 正邪。天邪鬼だよ」
――
……それから数十分ほど後。
日が落ち始めた川のほとりで、正邪とユタカは二人で焚き火を囲んでいた。パチパチとはぜる火が、二人の顔にうっすらと陰影をつくる。相変わらず正邪は無愛想で、ユタカもやや神妙な表情をしていた。
正邪はあれから、ユタカに幻想郷の事を伝えた。自分を含めた妖怪や、神や妖精など夢物語のような存在が暮らしている箱庭の存在を。また、ユタカのような迷い込んだ人間は、殺されようが食われようがお咎めはないとも話した。
一通り聞き終えたユタカは、一つうなって足をくずし、正邪を見返す。そして口を開いた。
「……マジか、不思議とは思ったけど……」
「言っておくけど嘘じゃねえぞ。どうせ死ぬザコを騙しても面白くない」
「いや別に、疑ってはいねえよ」
嫌みを言う正邪へ困ったように笑い、ユタカはかたわらの木にかかった服に目を移す。生乾きの服に、大きくなった焚き火の色がにじんでいる。それによって一層くっきりと浮かび上がる夕暮れの空を眺めながら、ユタカは無言で目を細めた。
「……じゃあどうするかね、これから」
「夜になれば妖怪はいよいよ活発になるよ。いい気味だ」
「うーん、なあ正邪。よかったら帰る方法知らないか?」
「知ってるよ」
「本当か!?」
「知ってるけど教えない」
正邪のつれない返事に、ユタカはがっくりと肩を落とす。そして苦笑いしつつ、腕組み姿で首をひねる。
それを伏し目がちに見て、正邪は少し忌々しくなった。幻想郷に迷い込んだ人間など、焦り、取り乱し、自分に恐れや嫌悪を向けてくるのが彼女にとっての理想なのだ。それを正体を明かした今でさえ、まるで女友達とでも話すかのように落ち着きはらっている。
彼女は眉をしかめ、ユタカに食ってかかる。
「怖くねえのかよ、ボケっとしやがって。それとも信じてないのか?」
「いやだから、疑ってはねえって」
「後で泣きべそかいたって知らねえぞ。なんなら、今から自殺するか?
身を乗り出して言いつのる正邪。ユタカはそれでも笑みを絶やさず、頭をかいて言った。
「そんな事しねえよ、もう」
「じゃあ鈍いんだな。うらやましいよ、鈍感って」
「だから違うって。全く」
火に小枝をくべて、ユタカはため息をつく。そして、言い添えた。
「……こうして誰かといるだけでさ、なんか、安心すんだよ。不思議と」
「いっ」
それを聞いた正邪は、あからさまに顔に嫌悪を浮かべてのけぞった。ユタカはそれを見て、キョトンと目をしばたかせる。
「どうしたよ、何か変な事言ったか?」
「いや言っただろ。なんだよ安心って。気持ち悪ぃな」
正邪は鳥肌を立てた腕をさすり、ユタカを横目ににらみつける。視線が刺さったユタカは額をおさえ、気まずそうに口を開く。
「……昔、似たような目にあったんだよ。ちょうど今くらいの時間に、森で迷ったんだ」
「何しに森なんて入ったんだ?」
「犬だよ。犬の散歩」
そう言って、ユタカは思いにふけるように空を見た。
「……俺が十歳かそこらの頃、家で犬を飼ってたんだ。デカイ雑種でな、もう死んじゃったけど可愛かった。そいつの散歩が、俺の日課だったんだ」
「…………」
「けど、いつもの散歩コースばっかりじゃ飽きてきてな……。言いつけをやぶって、近所の森に行った事があった」
それから懐かしそうに目を細める。
「案の定っていうか、道に迷っちゃってさ……。そのうち真っ暗になって泣いてたんだけど、その時、犬がまるで案内するみたいに家まで引っ張ってくれたんだ」
「偶然じゃねえの?」
「いーや、あれはきっと俺を心配してくれたんだよ。犬ってのはそういうもんだ」
自信たっぷりな笑みをつくってユタカは言い返す。その目には子供のような純粋な光が宿っていた。
「親にはすげえ怒られたけど、みんな戻って来てくれて良かったって言ってくれてさ。あー、また犬飼おうかな……」
「…………」
寂しそうに焚き火に目を移すユタカ。正邪は何も言わずにそんな彼を見つめていたが、ユタカは不意に顔を上げ、強い口調でこんな事を言い出した。
「一人じゃないってのは、やっぱり大きいよ。たまに誰とも関わりたくないって奴もいるけど、それだって文字通りの意味じゃない。みんな一人じゃ生きていけないからな」
「……たいそうな事を言いやがる。場合が場合ならサギ師の物言いだな」
「とんでもない。だって人間、こうやって誰かと火を囲むって行為を、石器時代から続けているんだぜ? 時には犬も交えてさ。人間も動物もつまるところ、愛ってのは本能なんだよ」
ユタカは正邪をまっすぐに見つめ、迷いのない口ぶりで熱弁した。正邪はしばし面食らったような表情をした後、気味悪そうにたずねた。
「……お前さ、愛だなんて、よく恥ずかしげもなく言えるよな」
「ん、それは……」
正邪に言われ、ユタカはしばし言葉につまり、照れくさそうに笑った。
「……中学生だから? なんて。もうすぐ卒業だけど」
「あっそ」
正邪はつれない返事をし、そっぽを向いてしまった。ユタカも口を閉じ、困ったように焚き火をまた見つめる。
地面に目を落とし、正邪はジッと物思いにふける。愛、それはもっぱら美徳とされている。それを本能と言い表したユタカを否定する気は、別になかった。彼女が『愛とは虚構である』という確固たる信念でも持っていれば躍起になって貶したかもしれないが、特に相反する価値観があるわけでも、理解し合いたいわけでもないのだ。
ただ気に入らないのは、彼が一つだけ、ある点を理解していない事だ。そしてそれは、ただ口で伝えても仕方ない事だった。
「……小便」
ふとそう言って、正邪は焚き火から離れた茂みの奥へ入っていった。彼女の背後からは「こうなったら野宿するかなー」などと呑気なユタカの声が聞こえてくる。
正邪はそれを聞きつつ、彼に気づかれないように森の中を迂回すると、彼の後ろにこっそりと回り込んだ。
そして忍び歩きで座っている彼の無防備な背中へと近づくと、首もとへゆっくりと両手を伸ばし……。
後ろから、両手で強く首を絞めはじめた。
「ぐぅ……っ!?」
突然の事態にユタカはくぐもった悲鳴をあげ、とっさに川の方角へ逃げ出そうとするが、正邪はそれも引きずり戻し、彼をあお向けに倒すと、馬乗りになって抑えた。ユタカの驚いた視線と、正邪のらんらんと光る視線が交錯する。
ユタカは弱々しく目の前の少女の名を呼んだ。
「せい……じゃ?」
「よう、やっといい表情になったじゃねえか」
正邪は軽い口調で答えると、また両手を伸ばし、ためらいなく首を再び締め上げる。ユタカの口から消え入りそうな声がした。
「かっ……は……」
「……ユタカ、私はな。別に信じている事とか、したい事とか、ある訳じゃねえんだ」
腕に力を込めながら、正邪は何故かやけに静かな口調で言った。だが妖怪の腕力は人間より数段上で、聞いているユタカはろくに抵抗できない。後頭部が川の水面に着き、彼の脳裏にひやりとした感触が走る。
正邪は彼の内心を知ってか知らずか、薄ら笑いをして続けた。
「……けど生まれつき、周りが穏やかでいるのだけは許せないんだ。これはもうどうしようもない、私だけの本能さ」
本能、と聞いた瞬間にユタカの目がかすかに反応する。正邪はぐっと前のめりになり、急にユタカの目と鼻の先まで顔を近づけた。目だけが妙にぎらつき、嬉しいのかどうか判断がつかない。
「お前は勘違いしてる。妖怪ってのはな、人間でも動物でもない。理不尽な化け物だ。愛だのなんだの、私にとっちゃクソ以下なんだよ」
「…………」
「テメェはいわゆる良いヤツさ。だから死ね! 私のためにな!」
正邪はますます顔を近づけ、手に力を込めた。口調はもはや喚くようで、口角だけが不自然に上がっている。
その時ふと、ユタカは苦悶の表情をかすかに和らげると、すきま風のような声を発した。
「……わ、る……ぃ」
「あん?」
「……しらなか……た、わ。ごめ……ん」
口からヨダレを垂らしながら、なおも精一杯明るく、ユタカは笑った。
その刹那、正邪はかっと表情を変え、猛然と体を起こす。その反動で、ユタカの顔が、川の中に沈んだ。
ごぼ、ごぼっ……と不規則な呼吸が泡になって浮かんでは消えたが、やがてそれも無くなり、ユタカはぐったりと動かなくなった。正邪が体を離すと、遺体はだらりと力なく地面に横たわる。
正邪はそれを、喜ぶでもなくボンヤリと見つめていた。笑顔を向けられていた時のような胸のざわめきは無い。かわりに、しいぃんとした森の静寂が、耳鳴りするほどに蔓延している。
正邪は無言で、後ろの焚き火へ目を移した。火をはさんでポッカリと開いた二人ぶんのスペースを、正邪はいつまでも、なんともいえない空しさをたたえて見つめていた。
ツカモト ユタカ――死亡