幻想郷で生き残れるか? ~不運にも迷いこんだ者たち~   作:ごぼう大臣

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目を惑わせる夜雀

「……ったくもう、一体ここどこなんだよ。最悪……」

 

 日が沈み、あたりを漆黒の闇がつつむ頃。虫と(こずえ)のざわめく森の中を、一人の少年がさまよっていた。

 着くずしたブレザーの制服に身をつつみ、大きなカバンを肩にかけ、片手に持った携帯を弱った様子で見つめている。

 制服の胸には▼▼中学の校章があった。

 

「あーっクソが! 電波が入らねえ!」

 

 少年は立ち止まると、怒鳴りながら携帯を地面に叩きつけた。かしゃん、と音がして画面が明滅する。

 イライラした様子でそのそばに歩み寄り、彼はどっかと腰をおろす。肩にかけていた鞄には、"カツタ リョウマ"と名前が書かれていた。

 

「はぁ……参ったなぁ……」

 

 少年ことリョウマは頭をかかえ、今までの事を思い出していた。

 修学旅行に参加し、一日目を楽しくすごして、二日目の宿泊場所へ移動していた。

 バスに乗ったのは覚えている。友達と談笑していて、寝た記憶はない。ないはずなのだが……。

 

 それがどういう訳か、気がつくと夜の見知らぬ森の中にいたのだ。いまだ人影は見えず、空をあおぐと月が白々しく見下ろしてくる。

 

 リョウマは途方にくれ、かたわらの着替えなどが入ったカバンをさぐった。お茶のボトルに初日に買ったおみやげ、アカすり……。それらのすき間から、iP◯dとイヤホンが引きずり出される。

 音楽でも聞こうかとふと考えるが、そんな場合ではないと思い直した。ただでさえ明かり一つない森の中なのだ。常時目隠しをしているようなこの状況で、物音まで拾えなくなるのはまずい。

 

「はぁ……」

 

 彼はイヤホンとiP◯dをポケットにねじこみ、またため息をついた。その時、不意にかすかな匂いが彼の鼻をくすぐる。

 甘く香ばしい、食欲をそそる匂い……。リョウマは何度か鼻を鳴らし、信じられないといった表情でつぶやいた。

 

「ウナギの……タレ?」

 

 それはまぎれもなく、彼も口にしたこともある蒲焼きの香りだった。少々いぶかしんだが、リョウマはカバンをかついで歩き出す。

 もしかしたら、山奥の秘境の料亭のようなものがあるのかもしれない。あるいは、案外人里に近いのかもしれない。そんな都合のいい考えを抱いていた。

 それに、森の中を歩き続け、空腹が限界だったのだ。

 

 暗闇の中を慎重に匂いをたどり、彼は木々を分ける線のような細長い道に出た。道の先にぽつりと、オレンジ色の灯りが見える。

 その灯りはとても小さかったが、彼にとってはやっと見つけた光だった。目をこらして少しずつ歩くと、灯りに照らされた小さな屋台が浮かび上がった。

 

(匂いは……あそこから……?)

 

 近づくにつれ、タレの香りが濃くなり、かすかな焦げ臭さが混じる。やがて、煙が立ち上る屋台の内装と、カウンター越しに立つ店主の姿が見えてきた。

 その店主は、そばに寄ると分かるがずいぶんと背が低く、細身に見えた。しかも奇妙なことに、背に鳥のような大きな羽根がついている。

 

「……なんだぁ……?」

 

 リョウマはいぶかしげな顔をしながら近寄っていく。すると、ずっとうつむいて料理をしていた店主が、急にぐるんと振り向いた。

 

「いらっしゃいませ、ミスティアのお店へようこそ!」

 

「あ、はあ……どうも……」

 

 高いあいさつの声に、リョウマはまごついた。ニッコリと笑ったその店主は、明らかにまだ未成年の――下手をすれば中三のリョウマ以下かもしれない――少女だったのだ。

 白茶色の帽子と着物に身をつつみ、手元に設置された網からの熱気で、額に汗を浮かべている。小さな羽のような耳と、背中の翼は、間近で見ると作りものではない生物感があった。

 

「お若いお客さんですねー、お好きな席へどうぞー」

 

「は、はい」

 

 幼く奇妙な格好に戸惑うリョウマを、ミスティアと名乗るその少女はにこやかに席へ誘う。彼はゆっくりと椅子に座り、となりにカバンを置いた。

 キョロキョロと落ち着かないリョウマに、ミスティアはこう尋ねる。

 

「お客さん、ご注文は?」

 

「いえ……その……」

 

一見(いちげん)様だから、普通に八目鰻(やつめうなぎ)の蒲焼きにしましょうか?」

 

「八目……鰻?」

 

 リョウマは怪訝な顔で聞き返した。普通の鰻ではなく、八目鰻。鰻自体もあまり食べたことはないが、八目鰻は食用があるのを知らないレベルになじみがなかった。

 

「じゃ、それで……」

 

「はいはーい、では少々お待ちを~」

 

 ミスティアはうれしそうに答え、八目鰻らしき切り身を焼き始める。肉が熱せられる音が小気味よく響く。

 

「焼き以外に、お刺身もお出ししたいんですけどね~。なんせ鮮度を保つのが難しくって」

 

「へぇ……」

 

 生返事をするリョウマの前に、湯飲みに入ったお冷やが置かれる。ガラスのコップじゃないのか、と首をかしげ、彼は水に口をつける。

 「ここはどこなんですか」と言いかけたが、ミスティアがやけに楽しげに鼻歌を歌っていたので、言いそびれてしまった。携帯を再度見てみるが、相変わらず電波はない。

 

 リョウマはいまだ心細かったが、その場を離れる気にはなれなかった。こんな場所で営業する屋台も少女も怪しさは満点だったが、やっと灯りと話が通じる相手が見つかったのだ。いくらなんでも、周りの暗闇よりは安全に思えた。

 それにしても、この場で何かできることはないだろうか……。彼はそう考え、ふとミスティアへ尋ねた。

 

「あの、スマセン!」

 

「はい?」

 

「ちょい写真、撮らせてもらっていいですか?」

 

「あ、いいですよー」

 

 いつの間にか曲調が変わっていた鼻歌を止め、ミスティアは笑顔でピースサインをつくる。リョウマは苦笑いをして言った。

 

「いや、あなたじゃなくお店の写真です」

 

「なーんだ……どうぞ」

 

 ミスティアは肩を落として了承する。リョウマはすぐさま立ち上がると、屋台の暖簾(のれん)や内装、椅子などを撮った。

 

(電波が戻ったら、すぐアップしよう……。屋台を知る人に見つけてもらえれば、場所が分かるかもしれない……!)

 

 彼はいまだ続くミスティアの鼻歌をよそに、何枚も写真を撮り続けた。そして電池残量が少ないのに気づき、最後の一枚にしようと思ったその時……。

 画面を見つめるリョウマの視界が、不意にぼんやりと白くかすみだした。

 

「あれ……?」

 

 リョウマは目をこすり、また画面を見る。しかし、いくら目をこらしても、視界はまるでモヤがかかったかのようにボヤけて戻らない。

 

「へぇー、外の世界ではこんなので写真が撮れるんだ。」

 

「へぁっ!?」

 

 急に耳元でささやかれ、リョウマは情けない悲鳴をあげて飛びのいた。いつの間に屋台の外に回ったのか、ミスティアが座席の真横にたたずんでいる。

 

「あ、あの……」

 

 リョウマは口を利こうとするが、言葉にならなかった。ミスティアは相変わらず笑みを浮かべていたが、その表情は先ほどまでとは違う。口は口角を上げて笑っていながら、目が獲物を狙うネコのように見開かれ、ぎらついている。なぜか視界が効かないリョウマにも、その鋭い眼光は見えていた。

 そして……手に握られた銀色の包丁の光も。

 

「ねぇ君、やっぱり外来人だよね? 格好とかで分かるもん」

 

「は? がい……?」

 

「なじみのお客さんに食べさせるのに便利なんだよねー。外から来た人間は身元が分からないから」

 

 何やら訳の分からないことを言いながら、ミスティアはゆっくりと歩み寄ってくる。まずい。リョウマは本能的にそう感じた。片手に携帯を握りしめながら、もう片方の手をすがるようにあちこちへ伸ばす。

 すると、となりの席に置いたカバンが手に触れた。リョウマはとっさにそれをつかむと、ヨロヨロと立ち上がる。

 

 そして、ついに包丁を振り上げてきたミスティアに向け、全力でカバンを投げつけた。

 

「ふぎゃっ!」

 

 三、四日分の着替えその他が詰まったカバンの直撃を受け、ミスティアはあっけなく倒れる。そのすきに彼は目がろくに見えないのもかまわず、背を向けて脱兎のごとく逃げ出した。

 

「は、はっ、はっ、はっ!」

 

 荒い息を吐きながらリョウマは全力で足を動かす。じきにガサガサと茂みを分ける音が足元から響き、森の中に入ってしまったのだと察したが、止まれなかった。

 振り向いたらあの少女が目の前にいるかもしれない。そんな言い知れない恐怖に取りつかれ、枝が目をかすめようが、岩にヒザをぶつけようが、彼は一心不乱に走り続けた。

 

 もう五百メートルかは離れただろうか。しかしいまだ森は抜けられない。リョウマが息を切らして立ち止まると、彼の耳に妙な音が流れ込んできた。

 人の声とは違う、不思議な音色。耳元で鳥が延々とさえずっているような、耳障りな音だ。

 その瞬間、彼の視界のモヤがますます濃くなり、白黒に明滅しはじめる。もしかしたら、この歌が目をおかしくしているのか。リョウマは焦りながらもそう察した。

 あわてて手で両耳をふさいだが、いっこうに効果がない。歌は手をすりぬけるように響いてくる。彼はとっさに制服のポケットに手を突っ込むと、先ほどのイヤホンとiP◯dを取り出した。そして震える手で音楽を再生する。

 

 曲は何でもよかった。とにかく今、どこからか聞こえる奇妙な歌を防ぎたかった。

 間もなくして両耳からお気に入りの曲が流れだし、リョウマはホッとして再び走り出す。しかし。

 

「なっ……!?」

 

 確かにイヤホンからは別の歌が流れているのに、目をおかしくする奇妙な歌は、まるで鼓膜にこびりつくかのように他の音を押しのけ、頭の中に流れ出す。まるで、脳に直接響くかのように。

 リョウマは前も見ずに、むきになってiP◯dの音量を上げていった。それで確かにイヤホンからの音は大きくなったが、それでも耳障りな、奇妙な音は止まない。

 どうなっているんだ。脳内でそう毒づきながら、彼は必死に指と足を動かした。もはや全く噛み合わない二つの歌以外は、意識の外にあった。

 iP◯dの音量はとうに最大になり、リョウマの頭には、爆音と鳥の鳴き声が延々と鳴り響いていた。やがてそれに最大限稼働する心臓の音が加わり、彼の意識を騒音のカルテットが支配する。

 

 すると、急に耳をつんざくような激痛がして、リョウマは地面にしゃがみこんだ。落とした携帯が地面にぶつかったが、音がしない。彼は反射的に耳を押さえ、次に抜けたイヤホンを入れ直し、目をこらして音量を確認した。

 そして瞬時に青ざめる。音は全く聞こえなかった。鼓膜が破れたのだ。

 

(……くそったれ!)

 

 リョウマは何もかも放り出し、やけくそになって走り出した。いまだ目はかすんで、鼓膜も破れている。五感のうち二つを失った彼は、鼻を鳴らして両手を伸ばし、まるで走るゾンビのように森を駆け回る。

 伸ばした手が木にぶつかる。踏みしめる地面が不安定になる。それでも彼は走るのをやめなかった。止まれば死ぬ。その恐怖が、どこまでも彼を動かしていた。

 

 ある時、明確に足を踏み外す感触がした。それと同時に、投げ出されるような感覚とともに、彼の体が宙に浮く。

 何が起きたのか、盲目の彼には理解できなかった。ただ次の瞬間に全身に衝撃と激痛が走る。頭には格別な痛みが染み渡り、片腕の感覚がなくなった。

 ああ、どこかから落ちたのか。リョウマはボヤけていく意識の中で、そう思った。

 

(……うぅ……痛ってぇ……)

 

 体はいくら力んでも動かせない。彼はしばらく痛みをこらえてうめいていたが、やがて、このまま死んでしまおうかと考えた。

 今までの景色からして、人が来るとは思えない。それに、このまま痛みに耐え、ミスティアにおびえるより、眠るようにして死ぬ方がマシではないか。そう思ったのだ。

 もちろん学校の連中や家族に未練はある……が、先に気力が尽きてしまいそうだった。

 彼は最後に心の中で詫び、そしてゆっくりと目を閉じた。

 

――

 

 ……それから、数分後。

 

「あ、いたいた~!」

 

 すでに空が白みだした頃、後を追ってきたミスティアは、倒れているリョウマを見て顔をほころばせた。

 彼がいたのは森を抜けてすぐの、ちょっとした崖の下だった。木は刈られていくらか整備された道があり、見晴らしのいい崖の上からはポツポツと建物の影が見える。

 

「見つかってよかった~。ここ朝になると人が来ちゃうのよね。早くしないと」

 

 ミスティアは空の明るさから顔をかばいつつ、リョウマへと駆け寄る。そして彼の胸に手を当て、顔色を観察し、「うん、まだ生きてる!」とほほえんだ。

 そしてリョウマに手を伸ばすと、少女とは思えない力で抱え上げ、ミスティアは羽ばたいて空へ飛び上がった。

 森を上空でショートカットしながら、ミスティアはウキウキした表情でこうつぶやく。

 

「帰ったらまずはこの人の止血ね……。鮮度は大事だから、ギリギリまで生きててもらわないと。人間のお刺身って久しぶりだなぁ。腕がなるわ!」

 

 血を流しながら眠る少年を抱えたまま、ミスティアは事もなげにそう言った。彼女の顔はほがらかな少女そのもので、例の鳥のさえずりのような鼻歌を、楽しげにいつまでも歌い続けていた。

 

カツタ リョウマ――死亡

 

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