幻想郷で生き残れるか? ~不運にも迷いこんだ者たち~   作:ごぼう大臣

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虚構の天秤 貧しき者の夜明け

『人間はね、真面目で正直が一番なの。そうすればきっと皆、幸せになれるんだから』

 

 青々とした終わりの見えない竹林を歩きながら、少年は薄ボンヤリと母親の言葉を思い出していた。

 少年の名は、カゲヤマ トモフミ。シンプルにスポーツ刈りにした髪に、細面で三白眼というややいかつい容貌で、袖がきつめなブレザーの制服に身を包んでいる。ブレザーの胸には▼▼中学という校章がついている。

 下を見ればズボンのすそも微かにすり切れ、靴の底もすり減っている。そんな冴えない姿の彼は、子供の頃から使っていそうな、年季の入ったスポーツバッグを持ち歩いていた。

 

 トモフミがこの辺りを歩き回って、もう数時間になる。そもそもの発端は、全く理不尽なもの。気づけば、竹林のただ中に倒れていた。それだけだ。

 彼自身、何が起こったのかは全く分からない。強いて原因らしきものを挙げるなら、修学旅行で皆と乗っていたバスが、突如として霧に呑み込まれた事くらいだ。

 夢かと疑ったが、今の今まで目は覚めない。残っていたのは自分の荷物だけ。他には誰もいない。

 

「はあーぁ……」

 

 やがてトモフミは投げやりにため息をつき、竹やぶに背を預けて座り込んだ。額に浮かぶ汗をぬぐって空をあおぐと、地上の遭難など縁のない鳥たちが、おおらかに空を飛び回っている。

 彼は一発舌打ちし、携帯を取り出して操作する。見るからに使い込んでいない、アプリ数が少ない画面には、電波が入らないのを示すメッセージが。

 

「やっぱりダメか。安物め」

 

 軽く毒づき、携帯をしまう。必需品だからと持ってはいたが、両親にその分無理をかけるのが心苦しかった。ぼったくりのようなプランを押しつけておいて、この肝心な時に役に立たないとは。

 修学旅行に出かける朝、「楽しんでらっしゃい」と見送ってくれた母親の顔が思い浮かぶ。十万円以上もかけて旅行させた息子がこんな目にあっているなど、誰が想像するだろう。捜索費用まで出すといくらになるのだろうか、とトモフミは暗い顔で考える。

 

「……ったく」

 

 腐っていても仕方ない、と彼が腰を上げた時だった。

 ふと不快な臭いが鼻をついた。竹やぶの奥から、汗とホコリがしみついたような臭いがただよってくる。

 トモフミはいぶかしげに自身の体をかいでみたが、どうも発生源は向こうのようだった。人がいるのか、と希望を抱くと同時に、彼はある疑問を感じて顔をしかめた。

 小さな頃、似たような臭いをかいだ事がある。少ない服を洗濯せず着回した時などがそうだった。

 しかし、発生源の相手がいるであろう場所から逆算すると、その臭いの強さは記憶の比ではない。周りの様子もあって、死体か何かではないかとさえ思えた。

 

「…………」

 

 彼はしばし悩んだが、結局気になったのか奥に向かって歩きだした。万が一道に迷った人間なら一大事だと思ったのだ。彼自身も迷っているのだが。

 視界の悪い竹林を、臭いを目印に近づいていく。すると、目の前の地面に大きな穴があいているのが見えた。

 直径一メートルはある、深い縦穴。落とし穴に見えるが、かなり本腰でつくられている。

 こんな辺鄙(へんぴ)そうな場所に落とし穴……? とトモフミがいぶかしんでいると、なんと中からすすり泣くような声が聞こえてくる。あわてて彼が落とし穴を覗き込むと、うずくまっている人影と目が合った。

 

「あ……」

 

 その人影は、トモフミを見上げてか細い声をあげた。一方のトモフミは、しばし言葉を失う。

 そこにいたのは、痩せ細った姿の女性だった。十代半ばていどの外見で、半袖の薄いパーカーと短いスカートという簡素な服装。藍色の髪の毛は背中を覆うように無造作に伸び、足は靴もはかずに土に汚れている。

 トモフミはしばらく、その女性を間の抜けた顔で見つめていた。というのも、例の臭いの発生源が、彼女だと確信できたからだ。穴の底からの湿った土の匂いを押しのけ、ホームレスか重度の引きこもりを連想させるような濃厚な新陳代謝の香りが立ちのぼる。

 

「あ、あの……」

 

「んあ?」

 

 女性におずおずと呼びかけられ、トモフミはようやく我にかえる。体臭に呆然としていたのを悟られやしないか、とばつが悪そうにしていると、女性は立ち上がって言った。

 

「ごめんなさい、急で悪いんですが、引き上げてもらえませんか? ここからじゃ手が届かなくって……」

 

「え、ああ……いいっすよ」

 

 生返事をし、トモフミは腹這いになって穴の中の女性へ手をのばす。それを下から取った彼女の腕は見た目の若さから想像できないほどに細く、また引き上げる体重も軽かった。

 

「んっ……しょ……!」

 

 トモフミが力を込めると、這い上がってきた女性がどさりと目の前に倒れ込む。日の下にさらされた女性は、パーカーの灰色にところどころ薄黒いシミがつき、スカートも色あせているのが分かった。その貧相な服装には、「督促状」やら「請求書」やら書かれたよく分からない紙がべたべた貼りつけてある。

 ただの遭難者とも違う妙な格好に、トモフミはけげんな顔をしていた。それに気づく様子もなく、女性は座り込んだまま、いかにも卑屈に頭を下げた。

 

「ありがとうございます……! 私ったらお腹が空きすぎて飛ぶ力もなくて……」

 

「飛ぶ……? や、別にいいですけど」

 

 変な事を口走りだすも、トモフミはひとまず流す。そして、何よりも気になる質問をぶつける。

 

「あの、ちょっと聞きたいんですが」

 

「? はい」

 

「ここ、何県のどこですか?」

 

 そう言うと、女性は何かに気づいたように目を丸くして、トモフミをしげしげと見る。トモフミが戸惑っていると、女性は「ああそっか、知らないんだ……」などとつぶやき、同情するような目つきで言った。

 

「ここ、幻想郷って場所なんです」

 

――

 

 ……それから十分ほど、トモフミと女性は竹林の中を並んで歩いていた。ただ、しおらしげな顔をしている女性を、トモフミは疑り深い目でジッと見ている。

 

「……分かってもらえましたか?」

 

 女性はちらちらと隣をうかがいながら口を開く。トモフミはがしがしと頭をかき、歯切れ悪く答える。

 

「つまり……ここには化け物がいっぱい居て、ただ歩いても帰れないって?」

 

「はい、そんな場所なんです幻想郷(ここ)は」

 

 女性は、からかう風でもなくうなずいた。そしてくもった顔で続ける。

 

「しかも、この辺りは『迷いの竹林』と言われていて、一度迷ったら出られないらしくて……うぅ、どうしよう~……」

 

「…………」

 

「はぐれたらおしまいだって分かってたのに、私ったらなんで離れちゃうのよ~……助けて天人さま~……!」

 

 いまだ信じられない表情のトモフミをよそに、女性は伏し目がちになって涙を浮かべはじめる。泣きそうになった女性にぎょっとして、トモフミはあわてて水を向ける。

 

「と、ところで……そうだ。お名前は?」

 

「……依神(よりがみ)紫苑(しおん)。……あの、敬語……なくていいです」

 

「あ……そう。じゃあお互いタメ口で。俺はカゲヤマ トモフミ」

 

 二人は自己紹介をすませたが、女性こと紫苑はそれきり口を閉じてベソをかきはじめてしまった。らちが開かないのでトモフミはさらに質問する。

 

「紫苑……だっけ。アンタは人間なの?」

 

「ううん……私は貧乏神」

 

「貧乏神?」

 

 紫苑は一つうなずき、ますますしょげかえって言った。

 

「生まれつき、私の周りには不幸が集まるの……。どんなに嫌だって思っても貧乏や事故がつきまとって、結局はみんな離れていっちゃう……」

 

「……思いすごしじゃないのか?」

 

「ううん、違う……本当。そのせいで竹林からも出られなくて……」

 

 眉をひそめるトモフミに、紫苑は弱々しく首を振る。そして隣へ向き直り、悲痛な声で言った。

 

「トモフミくんも、私と離れた方がいいかもしれない。きっと、今にも不幸がおそってくる……」

 

「え? いやいや、だったらなんで一緒に歩いてたんだよ。今さらほっとけねえって」

 

「……それは、私が他人に頼っちゃう性分だから、つい……とにかく行って! ね?」

 

 紫苑は苦笑いしながらトモフミを突き放そうとする。しかし言われた当人は納得いかない。ただでさえ竹林で出口もなくさまよっているのに、痩せ細った女性を置き去りにするのは良心が痛む。

 まだ紫苑のカミングアウトに半信半疑だったのもあり、「いや、今さら貧乏なんて別に……」などと言いながら彼が後ずさった、その時だった。

 

 彼の足元が、ふと沈み込む。そして周りの地面まで崩れ始めたかと思うと、あっという間に体が落ちていった。

 

「うわっ!?」

 

「! トモフミくん!!」

 

 また落とし穴だ、そう気づいた時には、トモフミの目線は下がりはじめていた。紫苑もとっさに手を取ろうとしたが届かず、それどころか勢いあまって穴へと一緒に飛び込んでいってしまう。

 結果的に、トモフミ、荷物、紫苑が一気に底へと落下してしまった。

 

「ぐあっ!!」

 

「きゃっ!!」

 

 穴の底に体を打ちつけ、悲鳴をあげる二人。最初に落ちたトモフミは容赦なく紫苑と荷物の下敷きになってしまう。女性と密着するという、普通は少し喜びそうなシチュエーションなのだが、あいにく例の体臭のせいで気分は萎えるばかり。

 トモフミは荷物を押しのけ、うめいている紫苑を助け起こす。

 

「おい、大丈夫か?」

 

「うーん、いたた……」

 

 紫苑は足腰を苦しそうに撫で、先ほど落ちた穴を見上げた。そのかなたに広がる青空をあおぎ、彼女はまたもや悲壮な表情になる。

 

「ああ……とうとう不幸に巻き込んじゃった……せっかく助けてもらえたのに……」

 

「いや、そんな落ち込むなよ……」

 

「だって……」

 

 ぺたりと座り込んだまま、紫苑はうなだれる。そして、穴の中にやっと聞こえるくらいの大きさで、ぶつぶつと悔いの言葉を垂れ流す。

 

「こんな事なら、もっと早く別れておくんだった……。そうしたら迷わずにすんだかも……。いや、そもそも放っておいてもらえばよかったなぁ……。私なんて、あの場所でずーっと……」

 

「…………」

 

 終わる気配のないその独り言の数々に、トモフミは少々イラつきはじめる。そのせいか、彼はため息まじりにこんな事を言った。

 

「ったく……名前は同じでも、俺のクラスのシオンとは大違いだな……」

 

「え?」

 

 涙目の紫苑が顔を上げる。トモフミはしゃがんで目線を合わせ、三白眼をジッと向けて話す。

 

「知り合いにもさ、シオンって女の子がいたんだ。顔は美人なくせに、金にがめつくてよ……中学生にしてあれこれ悪知恵を利かせていやがった」

 

「……その子、お友達?」

 

「バカいえ、大ッ嫌いだよ。あんな奴はロクな死にかたしねえんだ」

 

 トモフミは吐き捨てるように言って、紫苑の手を乱暴に取る。

 

「あきらめずに真面目にがんばる、じゃなきゃにっちもさっちも行かねえよ。ほら、立ちなって」

 

「…………」

 

 トモフミが手を引っ張ると、紫苑が沈んだ目線をちらとくれる。そして小さく口を開いた。

 

「そうかなぁ……天人さまに会えたのだって、ただの偶然だったし……」

 

 トモフミはそれを聞いて、ふと顔色を変えた。

 紫苑の表情は大げさなほど悲しみにくれていたが、それだけではない。目の奥にうっすらと、懐疑の色がにじんでいる。

 天人さまというのは誰だか分からない。だが、"ただの偶然"という言葉が妙に引っかかった。

 

 ――トモフミの家庭は貧しかった。世代をまたいで横ばいの資産、両親の学歴や年収の低さに、知識の不足……さまざまな要因が重なりあってできた、ドラマチックでもなんでもない貧困ぎみの家庭。彼が生まれた時には、すっかりそれが家族の当たり前になっていた。

 ただ、そんな中にあっても陰惨さはなかった。母親のかかげる信条が、皆を支えていた。

 いわく、『真面目で正直が一番』。それがトモフミの母の教えだった。実際に、彼もそれにおおむねしたがい生きてきたつもりだ。

 親に菓子もゲームもねだらず、六歳の頃からつとめて貯金をした。兄弟で狭い部屋に寝るのもガマンし、面倒なのをこらえて勉学にはげんだ。髪型はバリカンを使ったスポーツ刈りに撤し、散髪代すら節約し続けた。

 その甲斐あってか"苦学生"なるあだ名をつけられ、高校進学も認められた。ゆくゆくは苦労した分、あとは華やかな人生が待っている……。心の奥底で、そんな確信を抱いていた。

 

 しかし今はどうか。何の因果か得体の知れない場所に迷い込み、誰が掘ったかも分からない落とし穴に理不尽にはまっているではないか。

 因果応報、誰が言ったか。自分たちがあがいたとして、生き残れる保障がどこにあるというのだろう。

 苦労した分、報われる……信じていた必然は、果たして本当に必然か……。

 

「……っ!」

 

 トモフミは首をブンブンと横に振り、自分の中の煩悶を打ち消す。とにかく今は穴を脱出しなければならない。

 

「いいからとっとと出るぞ! 底辺なんざ誰も助けやしねえんだから、立てって!」

 

「て、底辺……?」

 

「悪いけど、ちょっと下から押し上げてくれ」

 

 ショックを受ける紫苑をよそに、トモフミは穴のふちに手をかけて催促する。察した紫苑は彼の尻を押し上げ、トモフミはどうにか地上へ這い出した。

 

「サンキュ、後は……」

 

 次に荷物をわたしてもらい、最後にトモフミがまた紫苑を引き上げる。引っ張ってもらいながら、紫苑は申し訳なさそうな顔をした。

 

「……ごめん、服よごしちゃって……」

 

「かまわねえよ。どうせ兄貴のお下がりだ」

 

 腹這いになりつつ、トモフミは事もなげに言った。ようやく紫苑が上半身を地上に出すと、二人は土まみれの姿で安堵した。

 

「はー……助かったぁ」

 

「よかった~……もう天人さまや女苑(じょおん)に会えないかと思った……」

 

「誰だよ。まあいいや、さっさと先を……」

 

 土をはらい、トモフミが立ち上がる。その時、背後で不穏な声がした。

 

「グルル……」

 

 その低いうなり声に、トモフミは身を凍らせる。紫苑もハッとなって声の方向を見、目を見開いた。

 そこにいたのは、黒い毛を生やした獅子のような獣。しかしトモフミの知る獅子より何倍も大きく、北海道のヒグマをもしのぐ体躯を持っている。

 「ああ、これが妖怪か」とトモフミは直感的に理解したが、思考は白紙に近かった。様子をうかがう妖怪と目が合い、彼は振り返った姿勢のまま言葉を発せずにいた。

 すると、紫苑が膝立ちになってよたよたとトモフミの足にしがみつく。その顔は先ほどの安堵の表情からまるっきり反転し、悲壮どころか絶望と言っていいほどこわばっている。

 

「もうダメ……もう死んじゃう……」

 

 何もしないうちから諦めた紫苑を見て、かえってしらけたトモフミの頭が逆に冴える。そして彼は妖怪へ向き直り、注意をはらいながら慎重に口を開いた。

 

「……大丈夫だ。手はある」

 

「ふえ?」

 

「……猛獣ってのは、目の前の物をじっくり調べるもんだ。おとりになる物があれば……」

 

「ま、まさか私を!?」

 

「ンなわけあるか。こういう時はだな……」

 

 割りと本気で落胆する紫苑に、トモフミは小声で突っ込みを入れる。そしてかたわらの自分の荷物を一瞥し、手に取った。

 

「絶対に背中むけるなよ……」

 

 そう注意し、獣の目の前へそっと荷物を投げ捨てる。ドサッと音が響いた瞬間、妖怪は一瞬だけ目つきを鋭くしたが、やがてトモフミたちではなく近くにある荷物に気を取られはじめた。

 そして荷物をひっくり返し、破りだした時になって、トモフミは隣の紫苑へ目配せする。自分で言った通り背を向けずに、一歩、二歩と後ずさる。そうして十分に距離が開き、茂みの中へと身を隠せた直後。

 

「走れ!」

 

「う、うん!」

 

 トモフミの声を合図に、二人は全力で走り出す。振り返らずに、ただ妖怪から離れる事だけを考えて道も選ばずに走り続けた。

 途中、突然トモフミがばったりと地面にたおれる。追い抜いた紫苑はあわてて振り向いた。

 

「トモフミくん!?」

 

「かまうな、先行け!」

 

 トモフミは叫ぶように言って立ち上がろうとするが、足でもくじいたのかよろけながら立ち上がる。さいわい妖怪は荷物に夢中なのか襲ってはこなかったが、紫苑はその場にとどまるのが恐ろしく、あわてふためきながらも立ち去ってしまった。トモフミは若干足を引きずりながら、その後を追った。

 二、三分そうしただろうか。どちらともなく足が止まり、二人で膝を折ってぜいぜいと息を吐く。紫苑が振り返ると、竹やぶの奥から生き物が出てくる気配はない。

 

「た、助かったぁ~……」

 

 紫苑が情けない声をあげてへたり込む。トモフミも笑いながらその場に座ろうとするが、その顔がふと、きつくゆがんだ。

 

「どうしたの?」

 

「いや、なんでもねぇ……」

 

 紫苑の問いに、トモフミは軽く答える。しかし言葉とは裏腹に、彼は膝をついて片足をさすり、顔をしかめている。

 先ほどくじいた足が痛むのだろう。紫苑はまた悲しげな表情になり、トモフミへと駆け寄る。

 

「ご、ごめん! 私ったら気づかないで……」

 

「いちいち謝らなくていいって……しかし痛ぇな……」

 

 しょげてしまう紫苑をなだめるトモフミだったが、声色はどこかうめくようだった。続いて、紫苑までが唐突に顔を痛ましげにしかめる。

 

「いたたっ……!」

 

「……?」

 

 手をついてよつん這いになってしまう紫苑。トモフミは一瞬いぶかしんだが、紫苑の足に小さな切り傷がはしっているのを見つけ、ハッとなって彼女の背後に回る。そして驚いた声をあげた。

 

「紫苑……お前、足が血だらけじゃねえか!」

 

 何も履いていない紫苑の足裏は、枯れ葉や石ころだらけの竹林を走ったせいでズタズタになっていた。いくつもの傷から血が垂れ、土がこびりついている。

 

「……あ、いいの。気にしないで……」

 

「そんな風にいくか! とにかくジッとしてろ!」

 

 向き直った紫苑に足をのばさせ、トモフミはポケットティッシュを取り出し、傷口に当てる。痛みに目をつぶった後、紫苑は申し訳なさげに口を開こうとする。

 

「……ティッシュはな、こうやってはがして使うんだ」

 

「……あはは」

 

 紫苑がしゃべろうとするのをさえぎり、トモフミは慣れない軽口をたたく。今、謝られても何にもならない。

 彼はできるだけ傷をきれいにすると、くるりと紫苑に背を見せる。

 

「……へ?」

 

「へ? じゃない。それじゃ歩けないだろ。さっさとおぶされ」

 

「……で、でも……」

 

 紫苑は遠慮がちにつぶやき、なかなか申し出をうけない。「いいから」とトモフミがぶっきらぼうに言うと、ようやく肩に手を回す。

 

「ホントにごめんね。何から何まで……」

 

「気にすんなって。女の子ひとり大した重さは……うお軽っ!?」

 

 紫苑の予想以上の軽さに驚愕すると、彼女の雰囲気がどんよりと暗くなる。それを背中にじかに感じ、トモフミは早足に竹林を歩きだした。

 日はすでに沈みはじめている。青々として見えた竹やぶがだんだんと色を変えはじめ、そよ風が徐々に冷気を帯びる。見るからに薄着の紫苑が身を固くするのを感じながら、トモフミはあてもなく歩き続けた。

 やぶを抜け、また別のやぶに入り、時々来た道を振り返る。枯れ草や枯れ葉の積み重なった地面は足跡も残らず、なんの手がかりもない。紫苑はすでに疲れきっているらしく、無言でぐったりとしている。

 

 自分以外の重みを感じながら、トモフミは立ち止まらずに歩き続けた。そうしているうちに日は沈み、三日月がぼんやりと光りだす。どこへ行っても見下ろしてくる月をトモフミがにらんでいると、紫苑がふと、か細い声で言った。

 

「……ごめん、私のせいで……」

 

「またその話かよ。もういいって」

 

「だって……だって私のせいで悪い事ばっかり起きて……竹林からも出られなくて……」

 

 紫苑は声をつまらせ、ぐずぐずと泣きはじめた。この場に置いておけば夜通しうずくまっていそうだ。

 そんな様子を不憫に思ってか、トモフミは前を向いたままポツリとつぶやく。

 

「……こんな言葉を知ってるか。『幸せと不幸は同じだけくる』って」

 

「……何それ?」

 

「うちのカーチャンがよく言ってたんだよ。どっちも長続きしないってな」

 

「…………」

 

 疲れながらも、なぐさめるような口調で話すトモフミ。紫苑は何も言わない。

 

「ま、そう考えると元気が出てくるだろ」

 

 気休めのようにトモフミは言い、紫苑に笑みを向ける。辺りは夜でよく見えなかったが、紫苑は自然と笑顔になった。

 

「……そうだね」

 

 小さく、紫苑がそう言った時だった。

 

「紫苑ー! いるー!?」

 

 不意に、竹やぶの奥から久々に他人の声がした。おそらく女性だ。それを聞いた瞬間、覇気のなかった紫苑がみるみる顔を輝かせはじめた。

 

「天人さまーーっ!!」

 

「ぐえっ!?」

 

 声をおどらせ、トモフミを跳び箱のごとく乗り越えて紫苑は声の方向へ走っていく。トモフミがあわてて後を追うと、しだいに提灯の灯りと、それを持つ人影が二人、見えてきた。

 

「天人さま~……ごめんなさい。心配かけて……」

 

「おおよしよし、よく頑張ったわ。もう不幸は打ち止めよ」

 

 天人さまと呼ばれた人物は、青い長髪に黒いつばの広い帽子をかぶった小柄な少女だった。抱きつく紫苑の頭を優しくなでている。

 なんだかなーという顔でその様子をトモフミが見つめていると、天人の隣にいたもう一人の人物が、音もなく彼に近づいてきた。

 

「はじめまして、私は八雲 紫」

 

「……ゆかり、さん?」

 

「ええ、少し話を聞いてもらえるかしら。外来人の坊や」

 

 けげんな顔をするトモフミへ、その人物は無表情に言った。

 紫と白を基調とした導師服にフリル付きの変わった帽子を身につけ、金髪をのばした長身の女性。夜だというのにピンク色の日傘を広げ、よく見るとわずかに浮いている。

 どことなく異質な雰囲気を感じ取り、トモフミは後ずさる。すると、紫音としゃべっていた天人が、ふと彼に向けて言った。

 

「おーい、大丈夫! その女に頼ればすぐ帰れるから! 安心しなって!」

 

「…………」

 

 明るく言われて紫に向き直ると、紫はうるさそうに天人を一瞥する。続けて紫苑がブンブンと手を振り、精いっぱいの大声をあげた。

 

「トモフミくん、色々ありがとー! 帰り気をつけてねー!!」

 

「お、おう……」

 

 テンションの上がりようにトモフミが戸惑っていると、紫苑と天人は手をつなぎ、あろう事かスゥーっと空を飛んでいってしまった。トモフミがあっけに取られる間に、二人は上空へ小さくなる。

 

「これからきっと、良いことあるよーーっ!! ばいばーーいっ!!」

 

 その声が最後だった。二人は夜空のかなたに消え、後にはトモフミと紫だけが残る。

 紫苑とちがって近寄りがたい雰囲気の紫に、トモフミはなかなか話しかけられずにいた。一方そんな気持ちはお構いなしに、紫はあからさまなため息をつく。

 

「……やれやれ、日に二つも面倒ごとが起きるとはねぇ」

 

「……あの、さっきすぐ帰れるって聞きましたが、本当ですか?」

 

 ため息という人間くさいしぐさに安心してか、トモフミはおそるおそる問いかける。紫は振り向き、一つうなずいた。

 

「ええいかにも。私なら一瞬で終わらせられるわ」

 

「マジすか!?」

 

「ただ……」

 

 色めき立つトモフミ。しかし紫は気まずそうに目をそらし、どこからか取り出した扇子で口元をかくす。

 

「え、ただ、何です?」

 

「言いにくいのだけれどね……」

 

 気がはやっているトモフミをめつけるように見下ろし、紫は間をおいて口を開く。

 

「あなた、あの貧乏神と一緒にいたでしょ」

 

「はい」

 

「そのせいで、不幸がごってりと引き寄せられてるのよ。目には見えないけど」

 

 言われて、トモフミは思わず自身をあちこち見返す。そんな彼を見ながら紫は続けた。

 

「そのまま帰るのはおすすめしないわ。明日にでもお祓いを受けた方がいい」

 

「明日……ですか」

 

 帰るのが長引き、トモフミはいささか落胆する。同時に、先ほどまで一緒にいた紫苑が腫れもののように言われるのは、やはり後味が悪かった。

 それを知ってか知らずか、紫は独り言のようにつぶやく。

 

「全く、悪気はないとはいえ、なんだって他人を巻き込むかしらね」

 

 その険のある口ぶりに、トモフミはふと顔色をけわしくする。そして紫にためらいがちに食ってかかった。

 

「……そんな言い方、ないじゃないですか。だいたい俺が勝手について来たんですよ」

 

「あら、そうなの? あなたもバカな事したものね」

 

「バカって、仕方ないでしょう。あんな状況で一人にしておけませんって!」

 

 トモフミは知らず知らずムキになっていた。いかにも厄介者を想像するような紫の目に、どうしても反感をいだいてしまうのだ。

 トモフミも貧乏ゆえ、幼少期はひどい扱いを受けたものだった。アイツに近づくと病気がうつる、家に行くと金を盗まれる、親はまともな職業についていない……などと、いわれもない噂を立てられ続けた。

 その経験のせいで、彼はどうしても紫苑に同情してしまうのだった。『いつまでも悪いことは続かない、きっとそのうち良いことがある』と、親から受け継いだ信条を伝えたくなるのだ。

 

 そんな心情で見つめてくるトモフミを、紫は面倒くさそうに眺めていた。そしてぼそりと注意をうながす。

 

「やかましいわね、そんな大声を出して。妖怪が寄って来ても知らな……」

 

 だが、その言葉が最後まで続く事はなかった。トモフミの背後に、あるものを見たからだ。

 

「……あ」

 

「……?」

 

 そのきょとんとした視線に気づき、トモフミは振り返る。そして言葉を失った。

 そこには、あの昼間に振り切ったはずの、黒い獅子のような妖怪がいた。臭いでもたどってきたのだろうか。大して食べ物の入っていない荷物をあさった妖怪は、血走った目で獲物を見つめている。

 そしてトモフミが口を開く間もなく、妖怪はその頭にかぶりついた。ボキッ、と鈍い音がし、彼の首と胴体が分離し、胴体が力なく地面に横たわる。

 

「あちゃー……」

 

 自分の不注意ゆえに死んでしまった少年(だったもの)を見ながら、紫は一応つぶやいた。妖怪がその声に振り向くと、彼女はキッと目を鋭くして妖怪をひとにらみする。

 

「くぅんっ」

 

 負け犬のような悲鳴をあげ、たちまち妖怪は背を向けて走り去った。あっけなく死んだトモフミの首なし死体を見つめながら、たたずんでいた紫は背を向け、ポツリと言った。

 

「……人生、分からないものね」

 

 他人事のような言葉を残し、紫は目の前の空間にすぅっと指をすべらせる。するとその辺りの景色が切り裂かれ、得体の知れない異空間があらわれた。

 その異空間に紫が入り込むと、裂け目が閉じ、辺りは元通りになる。貧乏神を最後まで気にかけていた少年は、悼む者すらいないままその生涯を閉じ、遺体は誰も来ない竹林に放置される事となった。

 

カゲヤマ トモフミ――死亡

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