幻想郷で生き残れるか? ~不運にも迷いこんだ者たち~   作:ごぼう大臣

23 / 42
突き刺さったままの歴史

「いやぁ、お前が里のすぐそばに倒れていて良かったよ。見つからなければ今ごろお陀仏だ」

 

「はあ……」

 

 隣の女性が笑いながら話すのを横目に見て、少年――トクダ ノリユキは生返事をした。

 ノリユキは背の高い、ごく普通の15歳である。▼▼中学と書かれたブレザーの制服を着て、襟足ののびた髪を茶色に染めている。

 少しヤンチャそうではあるが、中学生として珍しい見た目ではなかった。しかし、彼は周囲に視線をめぐらせ、今ここでは自分こそが浮いた存在なのだと痛感する。

 

 まず、隣を歩いている女性からして浮世離れした格好である。背が高く見惚れるようなプロポーションを誇っているものの、腰までのばした髪は青みがかった白色。

 服装はパフつきの白ブラウスに、藍色の長いワンピース。スカートの裾はフリルつきで、紋様をかたどるように細かい穴が空いている。胸元にはセーラー服のような襟に赤いリボンを通し、頭のてっぺんには箱形のおかしな帽子をかぶっている。

 

 次に、歩いている街へと目をやる。左右に立ち並んでいる家々はどれも木造で、瓦屋根をそなえている。路地は土で出来ており、ノリユキが普段見ていたガラス、コンクリート、アスファルトなどは気配すらも感じられない。

 しかも、街を往来する人々を見れば、みな男女ともに着物姿で草履や下駄をはいている。教科書でしか見なかった小袖や、祭りにすら似合わない無地の浴衣などが、れっきとした生活感をもって受け入れられていた。

 小さな子供などは逆にノリユキの制服が珍しいのか、ちらちらと視線をくれ、時にクスクス笑ったりなどしている。

 

「こら、ジロジロ見るんじゃない」

 

 笑っていた子供を、隣の女性がしかりつける。子供がとてとて逃げていくのを見ながら、女性はため息をついた。

 

「すまないな。私の生徒なんだが、なんせ聞かない年頃で……」

 

「それはいいんすけど……あの、上白沢(かみしらさわ)さんでしたっけ?」

 

慧音(けいね)でいいと言ったろう。上白沢 慧音だ」

 

 隣の女性こと、慧音がほほえむ。ノリユキは照れくさくなりながらも、続けて聞いた。

 

「慧音……さん。ここは一体……」

 

 まるで江戸時代にタイムスリップしたかのような街の風景に、ノリユキはうろたえっぱなしだった。対する慧音は落ち着いた風情で答える。

 

「ああ、話すと長くなるからな。あそこでゆっくり教えよう」

 

 慧音は前方にある、大きな屋敷を指さした。そばまで来てノリユキが入り口の門に目をやると、そこには"寺子屋"と書かれていた。

 

――

 

「今日は授業は休みだ。楽にしてくれ」

 

「あ……ども」

 

 寺子屋なる施設の奥へ通され、和室の長机をはさんで二人は向かい合う。出されたお茶に手をつけながら、ノリユキは落ち着かない様子だった。

 

「さて、トクダ ノリユキ……だったな」

 

「あっ、はい」

 

「さっそくだが、何があったか教えてくれないか? 君がまだ身近な場所にいた時の事を、できる限りでいいんだ」

 

 慧音は滞りのない、悪く言えば事務的な口調で言った。それはノリユキのような見慣れないであろう人間が現れるのが、初めてではない事を示していた。

 ジッと目を見て話す慧音に戸惑いながら、ノリユキは覚えている事を話しはじめた。

 いわく、ここに来るまでは修学旅行中で、同級生たちとバスに乗っていた事。そしてそのバスが突然の濃霧に包まれてからは、記憶があいまいな事。後に、気がついたら今いる街の周辺に倒れていた事。

 以上が、ノリユキの語ったあらましだった。それを聞き終え、慧音は一つうなずき、心得顔で言った。

 

「ふむ……やはりそれは、迷い込んだんだな」

 

 迷い込んだ、そう聞いてノリユキは焦った様子で口を開く。

 

「ま、待ってくださいよ! そもそもここはどこなんですか? 日本語しゃべってますけど、外国かなんかですか!?」

 

「そうあわてるな。今から教えるよ」

 

 身を乗り出して言いつのるノリユキをいさめ、慧音はさまざまな事を説明しだした。その内容は、ノリユキにとってまるで非現実的なものだった。

 いわく、ここは幻想郷といって、現代日本から結界で隔絶された異世界のようなものらしい。

 街並みが古めかしいのもその影響だが、問題はそこではない。

 幻想郷とは名前の通りの"幻想"がひしめく世界であり、人外の妖怪がうようよいるらしい。ノリユキが人里の近くにいなかったら、今ごろは間違いなく死んでいただろう。

 それを聞いて、ノリユキは生唾をのんで震えあがった。

 

「そ、そんな……俺らは、そんな場所に……」

 

「気の毒だが、君の仲間たちがどうしているかは分からない。しかも百人以上いるとなると把握は難しいだろう……」

 

 いまだ信じられない、といった顔色でつぶやくノリユキに、慧音は重々しく首を横に振った。ノリユキのケースは、本当に幸運だったのだ。

 少し間をおいて、慧音が顔を上げる。

 

「とにかく今は、自分の事を考えた方がいい。私が帰る()()を知っている」

 

「え……俺、帰れるんすか!?」

 

「ああ、諦めるな。生きている限りは私が責任を持つ」

 

「よ、よかったぁ~……」

 

 慧音の力強い言葉に、ノリユキは情けない声をあげてテーブルに突っ伏する。その姿をとがめるような目つきで慧音が見下ろしていると、ふと、ふすまの外の玄関の方角で扉が開く音がした。

 

「休みの日にごめんなさーい! 先生いるー!?」

 

 続いて、大声とともにバタバタと上がり込む音。声色の様子からして、若い娘らしい。気づいた慧音は背後を振り向き、ノリユキもハッと顔を上げる。

 

「あの、弟から授業料まだ納めてないって聞いてー、勝手に来て悪いけど、早めに払っておこうと思って……」

 

 その訪問者は何やら事情を口にしつつ、あちこちの部屋を開けて慧音を探しているようだった。寄り道しながら少しずつ二人のいる部屋へ近づいてくる。

 慧音は間の悪さに前髪を軽くはらい、ふすま越しに声をかける。

 

「レイか? 悪いけど今は取り込み中なんだ。遅れてもいいから、金は後で……ん?」

 

 しかし、途中まで言いかけて、慧音は背中に妙な気配を感じて振り返る。そこではノリユキが目を見開き、ふすまの向こうを凝視している。

 一体どうしたのだろう。訪ねてきたレイが、何か気になるのだろうか。そう思って慧音は彼に向かって口を開く。

 

 ……が、言葉を発するより早く、部屋のふすまがガラリと開けられた。

 ふすまから出てきたのは、小袖姿で背の高い娘だった。長い黒髪を一本締めにまとめている。

 娘は座っているノリユキの姿に気づくと、ばつの悪そうな表情で笑った。

 

「あ、なんだお客さんいたんですね。ごめんなさい邪魔して……」

 

 軽い調子で頭を下げる娘。態度は気安かったが、それでも初対面らしく敬語を使う。

 しかし、娘と顔を合わせる位置にいたノリユキは、その乱入に何を言うでもなく、なぜか半身をのけ反らせ、すくみ上がっていた。顔はもはや一目で分かるほどに青ざめ、こわばっている。

 娘は不審に思い、眉をひそめて声をかける。

 

「あのー……どうかしましたか?」

 

「……はっ、はっ」

 

 なおも言葉を発せずにいるノリユキ。視線は娘を見つめたまま、少しも動かない。

 

「おい、ノリユキ?」

 

 慧音がしびれを切らして呼びかける。すると、彼は消え入りそうな声でつぶやく。

 

「ヌマタんとこの……姉さん?」

 

「はい?」

 

 だしぬけに名字を出され、娘は首をかしげる。それは全く心当たりがないという風だ。

 しかし、慧音がかすかに、何かに気づいたように眉をピクリと動かす。

 

「……レイ。悪いけど、今込み入った話をしていてな。二人にしておいてくれないか」

 

「あ……うん。じゃあこれだけ」

 

 レイというらしい娘は慧音に改めて頼まれると、袖のたもとから例の授業料らしき薄い包みを手渡す。そしてノリユキを不思議そうに一瞥してから、部屋をそそくさと後にした。

 後には、またノリユキと慧音の二人が残される。しかし、慧音は背後のふすまを閉めると、少しだけ険しい表情になって振り向いた。

 

「ノリユキ」

 

「は、はいっ」

 

 今までより低く、真剣な声。ろくに話せずにいたノリユキも、我にかえったように姿勢を正す。

 慧音は長机に座り直し、まっすぐ目を話さずにこう言った。

 

「……お前、あの子を知っているのか?」

 

「…………っ」

 

 その問いかけに、ノリユキは息を呑む。そして慧音からフッと目をそらした。

 ただならぬ事があると、それだけで分かる。事実、先ほども彼はまるで幽霊でも見たかのような顔をしていたのだ。

 ノリユキはなかなか口を開かない。二人だけの部屋に、重い沈黙が流れる。

 しばらくして、慧音が確信のある口調で言った。

 

「……もう死んでいる。違うか?」

 

「…………!!」

 

 ノリユキは全身を縮みあがらせ、慧音を見た。彼女の視線は返答を待ったまま動かない。

 一拍おいて、ノリユキはうろたえながら言った。

 

「いや……だって。確かに声も顔も、名前まで同じだったけど……まさか……」

 

「幻想郷ではたまにあるんだよ。死んだ人間が流れ着くのがな。三、四年前だったか……」

 

 慧音は事もなげにそう告げる。流れ着いたらしい時期まで伝えると、ノリユキの顔がいっそう青ざめた。しだいに恐れるように、口調がつたなくなる。

 

「しかし……なんで、名字を言ったのにあんな無反応で」

 

「幻想郷に来た影響で、記憶に障害があったんだ。レイという名前しか覚えていなかった」

 

「そんな……」

 

 慧音の言葉に、ノリユキはガックリとうなだれる。それを慧音は気の毒そうに無言で見つめていた。

 少しして、ふと慧音が聞いた。

 

「知り合い……だったのか?」

 

 ノリユキは顔を上げ、弱々しくうなずいた。そしてボソボソと、苦しいような口ぶりで話しはじめた。

 

「……同じ町内で、彼女の妹が同級生だったんで……たまーに顔を合わせていました。仲良くはなかったスけど」

 

 ノリユキは話すうちに俯きがちになってゆく。そして、絞り出すようにこう話した。

 

「けど……俺らが小学生の時、彼女がイジメにあったとかで……」

 

「……死んだ、か」

 

「はい。自殺で……」

 

 こくりとうなずくノリユキ。彼はそれきり口をつぐんでしまった。慧音は悲しげに目を伏せ、言葉をかける。

 

「すまない。つらい話をさせて」

 

「…………」

 

 慧音はそう言ってほほえみかけたが、ノリユキは何も言わなかった。ただ、時計の音がコチコチと鳴り響く室内で、ジッと何かに耐えるような顔をして押し黙っている。

 するとふと、彼は意を決したように顔を上げ、慧音へ悲痛ともいえる声でたずねた。

 

「あ、あのっ……」

 

「ん?」

 

「彼女……レイさん、俺の事を何か言っていませんでしたか?」

 

 突拍子もない質問に、慧音はキョトンと目をしばたかせた。記憶はないと分かっているはずなのに、今さら慧音から聞き出したいような事があるのだろうか。

 慧音は静かに首を横に振り、答える。

 

「いや……特に何も言わなかった。現代の話はな。どうしてだ?」

 

 慧音が反問すると、ノリユキはまた言いにくそうに目を伏せる。そして慧音を目だけでチラチラとうかがうと、ようやく話しはじめた。

 

「俺も……レイさんの事、ちょっとからかっていたんです」

 

「なに?」

 

 慧音の顔がけわしくなる。目をおよがせ、彼は続けた。

 

「昔……小学校の時にちょっとした下ネタ用語を知って……それで友達と連呼した時があったんです。ヌマタって名字を、"スマタ"、"スマタ"って……」

 

「…………」

 

「その時は、元気ないなぁって思っただけでしたけど……まさかマジでイジメられてたなんて」

 

 ノリユキは今にも泣き出しそうに首を横に振った。慧音は何も言わず、その様子をジッと見ている。罪悪感からか黙り込んでしまっても、責めもなぐさめもせず、静かな視線を向けていた。

 それから、また無言の時間がすぎる。ノリユキがうちひしがれたようにうずくまっていると、慧音がようやく口を開いた。

 

「……そうだったのか」

 

 なんて事ない一言。それだけでも、ノリユキは音をたてて生唾を呑んだ。すると弱りきった目を向け、慧音に言った。

 

「あの……慧音さん」

 

「なんだ?」

 

「今からでも……謝れませんか。あの時バカにしたの……ずっと、後悔してたんだ」

 

 その問いかけは、尻すぼみになった。もう一回言うのはさすがに辛い、と言いたげに、ノリユキはくもりきった顔をしている。

 

「…………」

 

 慧音は長い間、アゴに手を置いて考えていた。しかし厳しい表情になると、静かに首を横に振る。

 

「……気持ちは分かるが、それは無理だ」

 

「ど、どうして!?」

 

 ショックに息をのむノリユキ。そんな彼に、慧音はゆっくりと語りかけた。

 

「彼女はもう現代では死んでいる。記憶をなくして別の人生を歩んでいる。幻想郷の家族にひきとられて、兄弟もいるんだ」

 

「けど……」

 

「そりゃお前は謝りたいだろう。けど今になってそれを伝えても、レイは怒る事も、許す事もできない。お前が楽になるだけだ」

 

「…………っ」

 

 はっきりと言い放たれ、唇をかむノリユキ。それから慧音はひじをついて身を乗りだし、いくらかおだやかな口調になる。

 

「……生きていれば誰だって、辛い事の一つや二つはある。取り返しがつかない事だってある。それでも生きていくんだよ。みんな」

 

「…………」

 

 ノリユキは全てを聞き終えても、なかなかうなずかなかった。指を落ち着きなく突き合わせながら、「でも……」などと未練がましくつぶやいている。

 その様子を見て、慧音は小さく息をはき、仕切り直すように明るい声を発した。

 

「よし、じゃあちょっと出かけてみるか」

 

「へ? 出かけるって……どこに?」

 

 突然の提案に、ノリユキは戸惑った表情を浮かべる。慧音は立ち上がって言った。

 

「あいつの……レイの流れ着いていた場所さ」

 

――

 

 ……それから一時間後。ノリユキは慧音に連れられ、人里から離れた奇妙な場所にいた。

 一面が赤い彼岸花で埋まり、木々がざわめく音が響くだけの、人気(ひとけ)のない広場。ノリユキはそのただ中に突っ立ち、キョロキョロと辺りを見回す。

 

「ここは……」

 

「"再思の道"と呼ばれる場所だ。レイはここに倒れていたらしい」

 

 しゃがんで彼岸花をさわり、慧音は続ける。

 

「ここは不思議な場所でな……。自殺した者などがたまに来るんだが、この彼岸花の毒にあてられると、また生きる気力がわいてくるらしいんだ」

 

「毒……」

 

 ノリユキは花を見下ろして不思議そうに言った。しかし、その直後に彼はなぜか乗り物酔いのような頭痛と吐き気を感じ、頭をおさえる。

 それに気づいた慧音は立ちあがり、振り返って話す。

 

「原理は分からん。だがレイの場合、もはや生き返ってもマトモに生きていけないほどに錯乱していたんだ」

 

「……でも、それでも現代に帰らせないのは……」

 

「確かに百パーセント正しいとは言えないだろう。だが幻想郷の結界は、いつでも安全に行き来できるとは限らない……。いわんや、一度死んだ人間は……」

 

「…………」

 

 釈然としない顔のノリユキに、慧音は苦い顔で答える。そして彼女はノリユキの両肩に手を置くと、真剣な表情で言った。

 

「少なくともお前は、このままなら何の事故もなく帰れる。だから現代で元通り生きてくれ。レイの分も」

 

「…………」

 

「辛い思い出をずっと背負うのは大変だろう。だけどそれが生きるって事なんだ。現代(むこう)で、胸を張ってそれをまっとうしろ」

 

 そう言って、慧音は最後にほほえんだ。ノリユキはしばらく締めつけられるような表情をしてうつむいていたが、やがてコックリとうなずいた。

 

「……分かりました」

 

「よし! じゃあ私について来い。早くしないと日が暮れてしまう」

 

 慧音は鼓舞するように言うと、先を足早に歩きはじめる。その時、ノリユキが慧音の背に呼びかけた。

 

「あ、あの!」

 

「ん、なんだ?」

 

「色々とすんません……。俺が来たせいで迷惑かけちゃって」

 

 帰る決心がつき、余裕ができたのだろう。ノリユキは自ら頭を下げた。慧音は軽く笑い、「かまわんよ。不可抗力だ」と言ってから、こう続けた。

 

「それに、私にも少々かわった能力があってな」

 

「能力?」

 

「ああ。おおざっぱに言えば人の歴史……記憶を操れるんだ。その気になれば、お前が元から来なかった事にもできる」

 

「ま、マジすか!?」

 

「使いどころは選ぶがな。ははは」

 

 慧音が笑うと、ノリユキもホッとした笑みをうかべる。そして二人は、夕暮れの再思の道を後にしていった。

 

 ……しかし。歩いている最中でふと、慧音が悲しげに目を細め、内心である事を思い返す。

 それは、レイと初めて会った日の事。

 

――

 

 四年前のある日。慧音の家に突然、幻想郷の管理者である八雲 紫があらわれた。彼女は慧音が驚くヒマもなく、一人の少女をどこからか連れ出した。

 その少女がレイだった。彼女は泥だらけで、畳に倒れて起き上がりもせず、苦しげにうめいていた。

 そして手には、抜かれてくしゃくしゃになった彼岸花が。

 戸惑う慧音へ向けて、紫は言った。

 

『流れ着いた自殺者みたいなんだけどね、記憶が混乱してるみたい。放っておいたら人格が壊れるわよ』

 

 紫は眉一つ動かずに言った。慧音が驚いてレイを見ると、彼女は夜叉のように顔をゆがめ、歯をむいて何事かうなっている。

 その声に耳をすますと、確かに聞こえたのだ。

 『殺してやる……殺してやる』と。

 

 彼岸花の呼び起こす生きる気力。恐らくそれにあてられ、レイはイジメられた恨みを肥大化させていたのだろう。

 彼女にとっては、その恨みこそが生をささえる原動力になりえたのだ。

 

 ……慧音は自身の能力を使い、レイの断片的に残った記憶を読み取り、消し去った。

 そのおかげで慧音は彼女に起こったイジメの事実を知り、レイは何もかも忘れたいち少女として、幻想郷になじめたのだった。

 

『幻想郷に来た影響で、記憶に障害があった』

 

『記憶をなくして別の人生を歩んでいる』

 

 ノリユキに嘘は言わなかったが、記憶を消した事だけは話せなかった。胸がつぶれるような感覚をおぼえながら、彼女は目を閉じる。

 今ではレイは、人間関係も良好で何不自由なく暮らしている。誰も慧音を責める者はいない。

 しかし、慧音は今でも考える。生きる望みと言ってもいい憎悪を、一方的に消し去ってよかったのか。ノリユキのような、謝罪したい人物と再会する機会をうばって、本当によかったのか。

 胸中で問いかけてみても、答えは出なかった。

 

(もし、記憶がもどれば……私が(とが)を受けねばな)

 

 そう思い、暗い面持ちで慧音は木々のすき間からのぞく空を見上げた。

 茜色の夕焼け空は、重苦しい彼女の胸の内などまるで知らぬという風に、あざやかに輝いていた。

 

トクダ ノリユキ――生存

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。