幻想郷で生き残れるか? ~不運にも迷いこんだ者たち~ 作:ごぼう大臣
(くそっ……くそっ!! なんでこんな事に!!)
サイトウ サクラは心の中で毒づきながら、薄暗い館内を走っていた。背中にはあわてる少女たちの声がいくつも聞こえ、また視界には、サクラよりいくらか背の低いメイドたちが、彼女を見つけるなり驚いた顔をして向かってくる。
それらをかわし、振り払いながら、サクラはただただ、あてもなく出口を探し続けた。
……彼女は、修学旅行のバスに乗っていた際、不意に白い霧に巻き込まれたかと思うと、見知らぬ館の前にいた。血のように赤い外観の、古めかしい洋館。
そばにいたクラスメイトの二人とともに、彼女は館の住人にとらえられた。そしてこの"幻想郷"という世界での自分たちの立場を聞かされ、吸血鬼と称する館の主人から、あるゲームを課せられた。
それが、鬼ごっこ。この日の差さない不気味な館から逃げ切れば、館の主人……レミリアは見逃すと言った。追っ手がいるのは間違いないらしく、館のメイドたちが寄ってたかってサクラを捕まえようとする。
カチューシャで露出したサクラの額に、青筋が走る。捕まえようと手をのばしたメイドが、なびいているショートヘアに触れたが、サクラは目もくれずに押しのけた。メイドの悲鳴と倒れる音、その周囲で心配する他のメイドたちの声。
しかし、サクラは一切を無視して走り続けた。自分以外がどうなろうが構わない。へたに情けをかけて、共倒れになってはかなわない。現に、一緒に迷いこんだクラスメイトの二人も、とうに置き去りにしてきたのだ。
――サイトウ サクラは、幼稚園時代から自己主張の強い性格だった。たとえば「お絵かきがしたい」と言い出すと、必ずと言っていいほど周りを巻き込む。そこで「他の遊びがしたい」という子がいれば、その子を徹底的に無視し、周りにもそれを強要するのだ。一度にらむような目を向ければ、園の女の子たちはおびえて従った。仲間はずれにされた子が泣き出しても、知らんぷりをした。
そのような事を、小学校でも低学年、中学年と続けてきたが、さすがに高学年ともなれば通じない事も増えてきた。やんわりとたしなめる子もあらわれ、時には強い態度で反発してくる者もいた。
イジメなどには発展しなかったが、サクラはクラスで距離をとられがちになり、それだけで彼女のプライドはいたく傷ついた。
サクラはそのまま中学生となり、初対面の生徒たちともなかなか打ち解けなかった。彼女のそばにいたのは、小学生の頃からつるんでいた、二人の女子。それがユリとアヤメだった。
ユリはあまり自己主張せず、すぐ他人の尻馬に乗る、サクラとは対照的なタイプ。そしてアヤメは大人しそうでいて、意外とハッキリ意見を言う子だった。それでもケンカは避けるタイプだったので、なんだかんだ付き合いは続いた。
そうして長らく顔を合わせていた彼女らだが、サクラは別に友情を感じていなかった。自己中心的な振るまいが続けられる、都合のいい人間がユリとアヤメだったのだ。
だが、その関係も今日でご破算。正直今でも悪夢かと思うが、付き合いが長いだけの他人など、命がけの状況でなんの価値があるというのだ。
そう切って捨てて逃げ回っていたサクラだったが、そう簡単には脱出させてくれなかった。
なにしろ、館がべらぼうに広い。どんな構造になっているのか、道を選ぶたびに複雑な迷路のように知らない場所に突き当たる。しかも窓が極端に少なく、景色から内部の場所を確かめる事もできない。赤い壁と床と天井と、決まった規格のドアが連なる、いつまでも代わり映えしない視界に、サクラはだんだんといら立ちをつのらせていく。
(ったく、どうなってるのよこの建物! 魔法でもかかってるの!?)
がく然としているうちに、息があがり、足が重たくなる。終わりの見えない館の中を、つねに追っ手に囲まれて逃げるのは、ただ走るより何倍も体力を消費する。
やがて体力が限界に達し、彼女はぜいぜい言いながら休める場所を探す。そして横手にトイレが見えると、すぐさま飛び込んだ。
さいわい中には誰もおらず、サクラは個室に入って鍵をかける。そして久しぶりに腰をおろすと、必死に頭をひねった。
(考えるのよ……。このまま死ぬなんてゴメンだわ!)
内心で気勢をあげて考えをめぐらせるが、これといった案は思い浮かばない。なにしろこの館に入るのは始めてで道順も分からない上、数えきれないほどのメイドが常にうろついているのだ。少なくともその二点を解決しなければ、脱出はほぼ不可能だろう。
すると、不意に個室の向こうでパタパタと足音がした。誰かが入ってきたのだ。サクラがとっさに口を押さえると、その人物はサクラのいる個室のドアをガチャガチャと動かす。
「あれー? 誰か入ってるのかな……」
年端もいかぬ少女の声。あのメイドたちの一人だろうと、サクラは直感した。その瞬間、彼女の脳裏に恐ろしい発想が浮かぶ。上手くいけば、道順も追っ手も、両方の問題を一気に解決できる妙案が。
メイドが隣の個室へ入ると、サクラは息を殺して腰をあげ、仕切り板に耳をすませる。やがて出て来そうな気配をとらえると、サクラはそうっと個室を出て、隣の扉の前で待ち構える。
直後、ドアを開けてメイドが出てきた。ほのかに気をゆるめた表情の彼女は、サクラを見て息を呑む。そして叫ぼうとしたところで口をふさがれ、元いた個室に押し込まれた。
「んーっ! んんーっ!!」
「騒ぐんじゃないわよ、大人しくしなさい!」
サクラは顔をぐんと近づけて脅迫し、洋式便器にメイドを座らせる形で押しつけると、小さく、しかし低い声でたずねた。
「さて……命がおしければ答えなさい。この館の出口はどこにあるの?」
「出口……? し、知らないっ……!」
「ごまかすんじゃないわ。私は本気よ」
サクラはそう言って、片手でメイドの首筋をつかむ。メイドは小さく声をもらしたが、それでも涙目で首を横に振った。
「言うわけないじゃない……。お嬢様に怒られる……」
「怒られる?」
絞り出すようなメイドの声に、サクラはけげんな顔をする。再び目を見返すが、メイドは冗談など少しも言いそうにない、必死な表情で口をつぐんでいた。
サクラは内心で動揺しつつもメイドに念を押す。
「……アンタ、ふざけてるの? 今この状況で、上司の機嫌なんか気にしてどうするのよ。いいから早く言いなさいって」
しかし、メイドは目をかたくつむり、ガンとして口を割らない。それが三十秒ほど続き、サクラは舌打ちして言った。
「そう……その気なら、仕方ないわね」
言うが早いか、サクラは両手でメイドの首を素早くつかみ、絞めはじめた。メイドがたちまち目を見開き、続けて口を開けてヒュウヒュウと、苦しげな息を漏らしだす。サクラが容赦なく締める力を強めると、メイドの顔は蒼白となり、目があらぬ方向を向いていった。
――
「……はっ……はっ……」
……三十分ほど後、サクラはトイレの流し台で必死に手を洗っていた。冷たい流水をいつまでも当て、皮膚がふやけてもまだ止めない。
彼女はとぎれとぎれに息を吐きつつ、おそるおそる顔をあげる。目の前の鏡には青ざめたサクラの顔が映り、その背後には一人の人物が便座にもたれてぐったりとしている。
三十数分ぶりに振り返るサクラ。その視線の先には、キャミソール姿になって動かないメイドの少女がいた。一見すると眠っているようだが、首には濃い赤紫色の絞め跡があった。
そしてサクラはぶるぶると震える両手を眺め、次に自身を
(これであのメイドたちに紛れられる……。追っ手の問題はクリアね。ただ……)
あとは出ていくだけ。最後に、サクラは動かずにいるキャミソール姿の少女へ近づいていく。そして物言わぬ彼女を、いぶかしげに見つめた。
(……これ、装飾じゃないのよね。なんなのかしら……)
サクラは少女の体の、特に背中の部分を見た。透明な、虫のような大きな羽が生えている。さわっても取れず、明らかに生物のそれだ。
(メイドの誰も彼もに生えていたから、気になってたけど……ワケ分からない)
サクラは羽を一なでし、ため息をついた。
思えば、館で追いかけてきたメイドは、一人残らず目の前のような羽を生やしていた。最初は館の制服なのかと深く考えていられなかったが、こうして間近に見ると首をかしげてしまう。
この少女……いや、メイドたちは人間ではないのだろうか。あのレミリアも怪物のようだったが、こうなると一人残らず人外なのではないかという気がしてくる。
「……狂ってるわね」
サクラはひきつった笑みを浮かべた。そして個室のドアを閉めようとする。
が、そこで少女がかすかにまぶたを動かす。
「う……んん」
「!!」
か細くうなり、うっすらと目を開ける。それを見た瞬間、サクラは眉をキッとつり上げた。
(コイツ、まだ生きて……!)
疑惑を確かめるより先に、手が動いた。サクラは少女の髪をつかむと、トイレタンクの角に頭をガツンとぶつけた。二度、三度。遅れて少女の体がだらりとずり落ち、床に膝をつく。後頭部から首筋にかけて血がすぅっと垂れ、少女が再び動かなくなると、サクラは荒い息を吐きながら少女の体を投げ捨てた。
びたん、という音が反響して少女の遺体は床に突っ伏す。サクラは自分の手が赤く染まっているのを呆然と見ていた。
しかし、そんな彼女の表情も、その直後の光景を見て一変する。
なんと、倒れていた少女の遺体が突如、色が薄くなったかと思うと、煙のように消えて無くなったのだ。
サクラは言葉を失い、彼女のいた場所に手を伸ばすが、触れたのは空気だけだった。少女の遺体は跡形もなく、血痕ひとつない寒々しい床があるばかり。
サクラはまた自身の姿を見る。あの少女が着ていたメイド服は、いぜんとして残っている。では、あの少女だけ、死んでどうなったというのだ?
頭をかかえてパニックになりかけるが、サクラはすんでのところで首をぶんぶんと振り、正気を保つ。
死体が消えたからと言ってなんだ。元より自分は殺人犯ではないか。むしろ、綺麗さっぱり消えてくれた方が、脱出にはちょうどいい。
館から逃げ出すという目的を前に強引にそう考え、サクラは大急ぎでトイレを後にする。
その背後、空になった個室の片隅で、チリのような光の粒が少しずつ集まり、何かを形づくっている事に、サクラは気づかなかった