幻想郷で生き残れるか? ~不運にも迷いこんだ者たち~ 作:ごぼう大臣
「そっち行ったわ、捕まえて!」
「待ちなさい、二人とも!!」
広い館内に、何人もの少女の声が響く。叫んでいるのは皆西洋の使用人を思わせる制服を着た、メイドたち。
彼女らは、二人連れで逃げ惑う少女を躍起になって追いかけていた。逃げる少女はどちらもブレザーの制服を着た中学生。名はユリ、アヤメである。
「ねえ、サクラちゃんとはぐれちゃったよ!」
「そんな事言ってる場合!? とにかく逃げないと!!」
後ろを走るアヤメが息をあらげながら叫んだが、ユリは振り返りもせずに怒鳴った。真ん中分けのロングヘアがわずらわしくなびく陰でユリが視線をめぐらせると、どの廊下からも四、五人のメイドが飛び出し、追っ手に加わる。
「きゃっ!?」
「ユリちゃん!」
廊下を曲がりきれず、ユリが足をもつれさせ、倒れる。すぐに立ち上がろうとするが、足でもくじいたのか苦しげにうめいている。
そんな彼女を、アヤメはとっさに助け起こそうとするが、同時に後方から多数の足音を聞きつけた。
追っ手だ。そう思ったアヤメの頭に、ある懸念がわき起こる。
このまま、負傷したユリを連れて逃げきれるだろうか。一人きりならまだしも、出口も分からない状態で、一緒に……。
アヤメはすばやく、横手のドアに手をかける。開けると、さいわいそこは空室となっていた。そしてユリを引っ張り、有無を言わさず部屋に押し込んだ。
「や、ちょっと!」
「ここに隠れてて! あの人たちはなんとかするから!」
床を這う姿勢のまま、ユリは驚いた顔をする。対してアヤメは戸口のすき間から少しだけ顔を出して、小声で言った。
「鍵をかけて、足音がしなくなるまで待って。とにかく、さとられないように」
「そんな……それじゃ、アンタは」
「必ずもどってくるから!」
「ま、待って! 一人にしないでよ!」
アヤメはメガネの奥の目を一瞬、悲しげに細めると、すばやく戸を閉める。そして「こっちよ! 捕まえてみなさい!!」などと叫ぶ声がしたかと思うと、数十人ぶんの足音が騒々しく響き、波のように引いていき、あとは、しぃんと静まり返った。
「…………」
部屋の中に取り残されたユリは、部屋の鍵をかけるのも忘れ、扉を見つめて呆然としていた。
不安に頭が真っ白になり、あたりの静けさが耳鳴りを起こす。そんな時、彼女は今まで何が起こったかを自然と思い返していた。
ユリと先ほど別れたアヤメと、はぐれたサクラの、計三人の少女は、中学の修学旅行に参加していた折、移動用バスに乗っていた途中で突然白い霧に巻き込まれ、気づけば見知らぬ場所にいた。
目の前には、コンクリートではなく石でつくられた、古めかしい、そして真っ赤な洋館。
その館が何なのか分かる前に、彼女らは住人らしき者に捕まり、小さな少女の前に差し出された。館の主人であり"吸血鬼"と称する少女は、この世界を幻想郷なる異界だと語り、そこでのイレギュラーかつ被捕食者であるユリたちへ、あるゲームを課した。
それが鬼ごっこ。何十人もいる館のメイドおよび住人たちから逃れ、館を脱出してみろというものだった。
やがて、ユリはおそるおそる戸を開け、目の前の廊下をキョロキョロと見回す。先ほどアヤメがかなりの人数を引っ張っていったせいか、閑散としている。
「に、逃げなきゃ……とにかく……」
ふるえる声でつぶやいて、ユリは廊下をそろそろ歩いていく。曲がり角でおっかなびっくり左右を確認し、すみかを追われたネズミのごとくチョロチョロとメイドたちの目を盗んでいく。
彼女は動悸の止まらない胸をおさえ、へたり込みそうになるのを必死にこらえた。捕まったら殺されるという恐怖にくわえて、心細さが濃い悪寒となって体をこわばらせていく。
恐怖に塗りつぶされていく頭のすみで、ユリは現実逃避のためか、いつしか思い出にふけっていた。
「こんな風に一人きりになったのは、久しぶりだなぁ」と。
――コモリ ユリは小さな頃から、いつも誰かと一緒にいる子だった。とはいえ、単に友達が多かったという意味ではない。
始まりは、保育園時代により大きな女の子グループに流れていった事だった。幼稚園より拘束時間の長い保育園では、なるべく多数の園児といなければ寂しくなりやすい……という理由からだ。
少なくとも、最初は。
保育園から小学校へ上がるまでに、彼女は"多数派に属する有利"をおぼえた。常に何人かでつるんでいれば男子のチョッカイなどもはねのけられる。グループ同士で対立が起こっても、非を認めずに済み、しかも矢面に立つ必要すらない。万が一ユリ本人が何かで責められたとしても、相手が先生や親たちでもない限り横からかばってくれる者ができるのだ。
小学校以来、そんなグループのリーダー格だったのが、今ははぐれているサクラだった。もう一人、口出しはしても対立はしないアヤメと共に、腰ぎんちゃくのような立ち位置にユリはいた。
だが、そんな立ち位置がいつまでも楽かというと、そんな事はない。学年が進めば仲間意識でのかばい合いも通用しなくなり、恋愛や勉強に打ち込む子も増え、強い態度で他人を動かしていたサクラは、逆にクラスで浮くようになっていった。
そんな中で、ユリは今度は自主性のなさが災いし、サクラたちに見切りをつけられずズルズルと腰ぎんちゃくに甘んじた。そしていつの間にか、惰性でサクラに付き合うしかクラス内でやっていく方法はなくなっていた。
サクラからは昔から変わらず家来か使い走りのように扱われ、今さら他のグループに近づこうにも連れ戻されるのが常だった。一緒にいるアヤメが時々いさめたり、静止したりするが、それも本気でサクラに食ってかかるほどの迫力ではなかった。
せめて、アヤメがもう少し強く口ごたえしてくれたら、自分も絶交しやすくなったのに。苦い過去を思い出しながら、ユリはそんな他力本願な事を考える。三人でつるんでいたのが巡り巡ってまとめて捕まり、こうして逃げ回るはめになった。昔からの後悔の数々はそんな思考に結実し、彼女は内心で次々と悪罵を吐いた。
(あのデコッパチ! あいつにすり寄ったせいでとんだ災難よ! アヤメも、半端にいい子ぶるヒマがあるなら、サクラをハブっちゃえばよかったのに! そうしたら私もよそのグループ行ったのにさ!!)
逃げ回る焦りはいら立ちに変わり、身勝手な悪口に拍車をかける。もはや動物的な勘だけでメイドをよけて立ち回っていたが、なんの幸運か、次第に館の光景の既視感がへり、迷わずに進んでいる実感がユリに出始めた。
そして何十枚目かの扉をくぐった後、ついに……。
「……あ、あった!」
二階につながる渡り廊下がついた階段、そこから下に広がるエントランスホールの壁際に、大きな扉と、それを守るように両脇に立つメイドの姿が。
おそらくあれが出口だろう。そう思ったユリは見つかるのもかまわず駆け出した。いいかげん屋敷を歩き回るのに疲れていたのである。
「あ、ちょっとアンタ待ちなさい!」
「止まれーっ!!」
扉のそばのメイドが驚いた顔で叫ぶ。ユリはそれを無視して扉に体当たりすると、開く勢いそのままに外へ飛び出す。
「逃げちゃうわ!」
「あなたは追いかけて! 私は
ユリの背後で、メイドたちがあわてふためく声がする。ユリはその声も、眼前の日光のまぶしさも一切かまわずまっすぐに走る。その先には、鉄製の高い門扉があった。
(しめた! あそこまで行けば!!)
ユリは勢いこんで門扉につかみかかると、渾身の力で前に押す。しかし返ってきたのは、重い手応えと金属音だけだった。
「あ、あれ?」
門が開かず、ユリはガシャガシャと何度も押したり引いたりした。しかし相変わらず門は動かない。鍵がかかっているのだ。
「うそぉ」
ユリが情けない声をあげる。その直後、背後から脇をかかえてつかまえる者がいた。
「きゃっ!?」
「逃がさないわよ、このっ!」
捕まえたのは、先ほど追いかけてきた方のメイドだった。ユリがジタバタともがいて後ろを見ると、もう一人のメイドと、背の高い銀髪の、あのレミリアと話していたメイドが歩いてきた。
「咲夜さん!」
「まさかここまで逃げられるなんてね。よく頑張ったわ」
咲夜はにこりともせずにそう言い、メイドに代わってユリの腕をつかむ。見下ろしてくるその鋭い目つきに、ユリは背筋が冷えるような感覚がし、とたんに半狂乱になって暴れだした。
「いや、やだ!! 離して離して離してっ!!!」
「暴れないでよ。捕まるまでの勝負だって、最初に言われたんでしょう?」
「知らないわよそんなの! 家に帰して! 私だけでもいいから、さっさと帰らせてよぉ!!」
ユリは髪を振り乱し、泣きださんばかりに叫び続けたが、咲夜は眉ひとつ動かさずに腕をつかんでいた。ユリの空しい抵抗は1分ほど続き、かえってそばにいたメイドの方で心苦しそうに同情しだした頃。
「むにゃ……どうかしたんですか?」
不意に、門の外、ちょうどユリたちから見て塀の陰になる場所から、一人の女性がぬっと顔を出した。緑色の中華服に白いズボン。紅い長髪の上に"龍"と描かれた星のついた帽子をかぶっている。
表情はボンヤリとし、今までの騒動を知らないのかうっすらと笑みさえ浮かべている。
その女性を一目みて、咲夜はあきれた顔で言った。
「……
「んあっ!? ちち違います! 休憩してたんですよ!!」
「ヨダレたれてるわよ」
「あ、はいっ! すいません!!」
美鈴と呼ばれた女性は、咲夜に言われて恐縮した笑みを浮かべてペコペコと頭を下げる。そのしぐさは彼女の立場が高くないのを分かりやすく示していた。
気の抜けるような、のんびりした光景。いま捕縛と抹殺の危機にあるユリはそれを見て、温度差についいら立ってしまう。
その時、咲夜がユリの腕をぐいと引っ張った。
「とにかく行くわよ。諦めなさい」
「へっ!? いや、やめてよ! 私まだ15なのに!! こんな所で死にたくない!!」
ずるずると体を引きずられ、我にかえったユリはまた必死の悲鳴をあげた。涙を流し、声を枯らし、体をやたらめったらによじり――それでも、咲夜は無言でユリを館に連れ戻そうとする。
そんな中でただ一人、門の外から美鈴が遠慮がちに声をかけた。
「あのー……」
「ん?」
「その子はいったい……」
美鈴がユリの方を見ながら尋ねる。咲夜はため息をつき、声を張りあげた。
「あなたね、一度見たでしょう? あの三人組の外来人の一人よ」
「三人組……あ、あー……なんとなく覚えてます」
「で、いま一人目を捕まえたの。あなたも逃げ出さないようにきちんと門番してなさい」
「は、はい……うーん」
ぴしゃりと言われた門番、美鈴はしゅんと肩を落としつつ、ユリの方を見る。その視線はどこか同情するような、いたたまれないものだった。
その視線を見た瞬間、ユリの口が勝手に動いた。
「お願いします! 助けてください!! 何でもしますから許して、生かして帰してえぇ!!」
道理も見栄もなく、ただすがるような言葉が飛び出し、天にまで響く。咲夜はうるさそうな顔をしていたが、それには目もくれずにユリは美鈴に向かってわめき続けた。
「あなたからもお願いしてください! 私はただ、ぐうぜん迷い込んだだけなんです!! 死ぬような道理なんてない、分かってください!!!」
さらに言いつのろうとして、かはっ、と苦しい息を吐き、ユリは咳き込んだ。助けて、許してという哀願が言葉にならず、喉につっかえて空気中に散っていく。
さすがに見るに堪えなかったのか、咲夜が腕を振り払うとユリはそのまま地面にくずおれる。うつむいたまま涙ぐんで嗚咽をもらしていると、門の外から呑気な声がした。美鈴である。
「あの、咲夜さーん」
「……なに?」
「その子、チャンスくらいあげられませんかね?」
美鈴は気弱な笑顔で言った。すると咲夜はジッと冷徹な視線を向け、鋭く返した。
「何言ってるのよ。この子は勝負に負けたの。この上どうして私たちがチャンスをあげなきゃならないの」
「それはそうですけど……やっぱりホラ、可哀想といいますか……」
「可哀想だから何よ。だったらあなたの食事を減らしましょうか」
「いやそんな、もうちょっと考えてくれても……」
美鈴は怖じ気づき、後ずさった。あきらかに咲夜は提案を受け入れる気はない。しかし美鈴は笑みを消さずに、ぎこちない口調ながら食い下がった。
「しかし、人間はもう何人も貯蔵していましたし……そう躍起にならなくともいいのでは」
「決めるのは私じゃないわ。お嬢様よ。直接言ってきたらどう? 言えるなら」
「うぅ、そんな殺生な……」
それでも美鈴は劣勢であった。もう一人いたメイドは気まずい雰囲気を察してか、すでにコッソリと館に逃げてしまっていた。
咲夜の態度はかたくなである。しかし、ここを逃せば生き残るチャンスはない。そう思ったユリは泣きはらした顔をあげ、美鈴に言った。
「……お願いします。見逃してください。見逃してください……!」
「うーん……」
「美鈴」
「あ、えっと」
「ダメです!! 堪忍してください!! こんなの嫌っ!!」
「……咲夜さん、やっぱり」
「くどいっ!!」
「うっ」
ユリの哀願と咲夜のプレッシャーに挟まれ、美鈴は頼りない笑顔のままうろたえだす。しまいには咲夜から低い声でしかられ、身を硬くした。
黙り込んでしまう美鈴。少しだけ無言の時間が流れる。ここまでか、とユリが唇をかんだ時。
「あ~、そういえば……」
美鈴が、さも今しがた思い出したかのように言った。そして、うんざりした様子の咲夜へ話しかける。
「ここ最近に来た人間って、みんな荷物を持っていたじゃないですか。何故かは分かりませんけど」
「……それが何?」
「私たちの知らない道具とか、紹介してもらったらどうでしょう。もしかしたらお嬢様も気に入ってくれるかも」
「…………」
美鈴の提案に、咲夜はやれやれという風に頭をかく。意図は見え透いている。現代の道具を紹介させ、もし彼女らの主人、レミリアが喜べば、ひょっとすると気まぐれでユリを見逃すかもしれない、という事だ。ユリもうっすら察したのか、暗かった瞳がわずかに光る。
咲夜は、深い息をつき、観念して言った。
「……分かったわ。そうしましょう」
「本当!?」
「立ちなさい」
希望をもって顔をあげるユリを、咲夜は強引に腕をつかんで立たせる。そうして館に連れられていく姿を、美鈴は心配そうに見つめていた。
――
……さて、それから数十分後、ユリはあのレミリアと対面した部屋に通され、また床に座らされていた。最奥の椅子には以前のようにレミリアがおり、ユリの隣には見張るように立つ咲夜が。そしてユリの目の前には、彼女のものらしい大きめのバッグが置かれている。
緊張して固くなっているユリへ、レミリアが退屈そうに問いかけた。
「あなたたち、そろいもそろって大きな荷物を持っているのね。修学旅行……だったっけ?」
「は、はい! 有名な観光地に行って、お土産も買うんです! きっと面白いものがありますよ!!」
「それは楽しみね。たとえばどんな物が?」
「えーと、ちょっと待ってくださいね」
ユリはやけに媚びた声色でバッグを開ける。しかしその直後、中をのぞいてサーッと顔を青くした。
(しまった……お土産ってほとんど宅配たのんでたじゃん……)
バッグの中には、千葉のあるテーマパークで買った小物などが、申し訳ていどに詰め込まれていた。大きなものは持ち運ぶのが大変なので、あらかじめ家に送ってもらうよう頼んだのだった。
しかも、手元にあるお土産もどれだけ興味を引けるか分からない。というのも、宅配の手続きをする際、送料をケチったサクラが「私のとまとめて送らせて」と言ってきたのだ。おかげで料金も送るお土産の容量も分割、それにともない買う物もいくらか我慢をし、そうした末の残り物が今ある品の数々だったのだ。
「……どうしたのよ。早くしなさい」
「あ、はっ、はい!」
レミリアに急かされ、ユリはとっさにバッグの中から適当なものを引っ張り出した。それは、キャラクターもののタオルであった。
「こ、これ! かわいらしいタオルです!
「……確かに可愛いけど……ただの布じゃない。目立った特徴とかないの?」
「……それは、その」
レミリアのしらけた反応に、ユリはつい言葉をつまらせてしまう。なにも件のタオルが安い代物なわけではない。ユリ自身に、「これは良いものだ」と言いきれる熱意がなかったのである。
修学旅行でクラスメイトと連れだって買い物をする時など、誰かが良いと言ったものを、皆がなんとなくつられて買う事がある。ユリなどは特にその傾向が強かった。
それを裏付けるかのように、ユリの商品のすすめ方は上滑りそのものだった。キャラクターの帽子を取ればキャラの名前をド忘れし、キーホルダーを取れば飾るメリットを答えられず、雰囲気に流されて適当に買ったキャラクターグッズにいたっては、とうとうキャラの名前を言えなかった。
不出来な紹介の数々に、レミリアは次第に不快さをつのらせていく。場のプレッシャーが高まる中で、ユリは「何故こんな物を買ったのだろう」と後悔しきりだった。
それでも何かしら興味を引けなければ、ユリの命はない。彼女は藁をもすがる思いで、バッグをめちゃくちゃに混ぜっ返した。
すると、小さな筒状のものがコロリと転げ出る。ユリが見ると、それは唇に塗るリップグロスだった。
それを見た瞬間、ユリの脳裏に買い物をした時の記憶がよみがえる。サクラ、アヤメと一緒にいた際、サクラが「これキレイじゃない?」などとませた事を言ってリップグロスを手に取ったのだ。
実は、三人の中で唯一の長髪だったユリは、ちょうどヘアゴムを欲しいと思っていた。しかしサクラの発言でそれもあきらめ、三人で同じものを買ったのだ。
思い出したとたん、ユリの全身から逆恨みの感情がドロドロとあふれ出す。いつもそうだ。サクラが近くにいたために、私は損ばかりしてきた。いつもいつも、手下みたいにつれ回されて、15にもなってしまいには、殺される。冗談じゃない。冗談じゃない!!
「……もういいわ。見込みなしね」
「は、え?」
ユリがハッとして顔をあげると、レミリアの飽き飽きした視線がぶつかった。いつの間にか無言でいた事に気づいたユリは、あわてて立ち上がって訴えた。
「ま、待ってください! まだ何かが……」
「咲夜、連れていきなさい」
「や、やだ!! 許して! 助けて! こんなの嘘、嘘よぉ!!」
咲夜に引きずられながら、ユリは喉が張り裂けんばかりに悲鳴をあげた。嗚咽のまじった慟哭が部屋に反響し、あわれな泣き声で空気が震える。
ユリはもはや、自分で何を言って命を惜しんでいるのか、分からなくなっていた。口では必死に助けを求めていて、実は心の奥底で、走馬灯のようにさまざまな事を思い出していた。
たとえば、サクラとの思い出の記憶――否、今まで押し殺してきた、数えきれないほどの恨みの数々を。
オレンジ色のランドセルをバカにされ、
両親の共働きを小バカにされ、
夏休みの宿題を借りパクされかけ、
夏祭りで着物をじろじろ見られ、汚され、出店で何度も奢りをさせられ、
秋の運動会では走るのが遅い、髪を切れと文句を言われまくり、
冬にははなはだ値段の釣り合わないプレゼント交換をし、バレンタインには好きな男子を無理やり聞き出された。
思い出すだけで腹がたつ。今までさんざんサクラたちの集団に属し、恩恵を享受しておきながら、彼女の胸のうちにあるのは空しい恨みと、そして後悔だった。
「ふざけないでよ! こんな人生、認めない! 私は死なないわ。帰ってみせる。私は――」
ユリの言葉は、部屋のドアが閉まるとともに無情にも途切れた。誰もいなくなった部屋には、レミリアだけが残る。
レミリアは、床に置き去りにされたバッグとお土産をちらと見て、ユリを初めて見た時の姿を思い出した。
見るからに恐怖し、自らの保身のためにかしこまった口調で話し、地に足が着かず他人の顔色をうかがう、浅ましい姿……。
「……コウモリ女め」
コッソリとそうつぶやいて、レミリアはくつくつと笑った。
――
「あちゃー、じゃあやっぱりあの子は死んじゃったんですか」
「ええ、けっきょく不興を買ってしまったわ。分かっていたけれど」
日がとっぷりと沈み、美鈴も門番の役目を終えた頃。彼女は館の庭で咲夜と立ち話をしていた。
「うーん、もしかしたらと思ったんですけど」
美鈴はやりきれない様子で、うん、と天をあおぐ。満点の星空が、街灯もろくにない幻想郷に光の粒をちらしている。
咲夜は肩をすくめ、こう返した。
「本人がああじゃ、どうしようもないわよ。話して面白いタイプじゃないわ。芯がないもの」
「そうですかねぇ、そういう子も必要だと思いますよ。智に働けば角が立つ、意地を通せば窮屈だ、とね」
「……なんでそんなに肩入れするのよ」
咲夜が、怪訝そうに尋ねる。美鈴は軽く頭をかき、笑いながら答えた。
「なんとなく分かるんですよ。その子の気持ちも」
「……ふぅん」
咲夜がつまらなそうに頷くと、美鈴は苦笑し、館の方を見た。本館の隣にある倉庫の屋根の、てっぺんに立てられた風見鶏がかすかな夜風に吹かれ、心細く揺れていた。
コモリ ユリ――死亡