幻想郷で生き残れるか? ~不運にも迷いこんだ者たち~   作:ごぼう大臣

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井の中の蛙

「……あー、もう歩くの疲れたよ……」

 

 太陽が西に傾きはじめた時分、人影のない開けっぴろげの草原を歩きながら、一人の少年がため息をついた。

 ▼▼中学と書かれたブレザーを着て、大きなバッグをかかえてトボトボと歩を進める。明るい快晴の空を見上げる顔色は正反対に暗く、無造作に切った髪の下で卑屈そうな目が細められる。

 背が低く、それでいてヒョロヒョロした体つきの彼は、何を探しているのか、建物一つない一帯をまるで背中に"当てがない"と書かれた紙でも貼ったような雰囲気で一人、歩いている。

 

 彼の名は、ハセガワ シュンタ。中学三年生の、ごく普通の男子である。

 その彼が、何故このような人気(ひとけ)のない場所をうろついているかというと、それにはある理由が――もとい、"不可解な理由らしきもの"がある。

 午前の時間に、シュンタは他の同級生らと共に、修学旅行のバスに乗っていた。しかし、そのバスがとつじょ正体不明の白い霧につつまれ、彼は意識を失った。そして気がつけば、この誰もいない、何もない場所にぽつんと倒れていたのである。

 それが、どういう訳だと聞かれてもこういう訳だとしか答えようがない、災難のあらましであった。

 

「……いてて」

 

 やがて体力が尽きたのか、シュンタはその場に崩れおちる。持っているカバンを見て、彼は小さく舌打ちした。

 

「くそっ、荷物なんて持ってくるんじゃなかった」

 

 そう言ってカバンを放り、彼は足をのばして座り込む。天をあおぐと、ギラギラ光る太陽が見下ろしてくる。

 

「どうすればいいかね、こりゃ」

 

 まぶしさに顔をしかめながら、彼は一人ごちる。いまだ、この辺りがどこなのか、手がかり一つ見つからず、人っ子ひとり見当たらない。携帯は真っ先に調べたが、電波が入っていなかった。

 しかもここに来るまで、電車や車などの乗り物もなく、そもそも道路すら通っていない。舗装もされていない細道や、かろうじてかき分けられた獣道がとぎれとぎれ、目についた程度だ。

 つまりは、自身が動けなければ完全に手詰まりなのだ。せめて天気が雨や強風ではなく、晴れでよかったと思うが、しかし、だからといって何か進展があるワケではない。

 

「…………」

 

 シュンタは疲れが取れるまで、無言で流れる雲をながめていた。そうしていると、はたして現状が危険なのかも分からなくなってくる。

 現代の日常と隔絶されている。それは分かるのだが、こうしてのどかな風景を見ていると、どうしても危機感が薄れてくる。いつも勉強や部活に追われていたのがウソのようで、さりとてこれからどうすれば良いか、見当もつかない。

 要するに、彼はヒマであった。

 手持ちぶさたになり、シュンタは自分のカバンを開け、ごそごそと漁りだす。そこでノートと筆記用具が目に入り、彼の頭にある考えが浮かんだ。

 

(そうだ……どうせなら何か書いておくか)

 

 遭難のドキュメンタリーなどで、せめて記録を残そうと手記を書く人がいる。シュンタはまさか自身がその立場になるとは思わなかったが、何もしないよりはマシと、彼は地面におみやげの箱を置き、それをテーブルがわりにノートを広げて寝そべって書く体勢になる。

 

(……さて、こういうのどうやって書くんだろうか)

 

 いざ始める段階になって、彼は眉を寄せる。さすがに徒然(つれづれ)なるままに、と言ってる場合ではないが、かといって切羽詰まったような実感もいまだ湧かない。

 考え込みながら使い古しのノートをペラペラめくっていると、授業でメモした記述にまぎれ、ページの隅にちらほらと変わったものがあらわれる。

 そこには、マンガのような落書きが小さく、いくつも描かれていた。あまり上手くはないが、少年マンガ風のキャラクターの顔や体の一部が、そこかしこにある。

 

(……思えば、学校で合間合間にやってたなぁ。もう10年以上か)

 

 いつの間にか落書きをながめ、懐かしそうに笑うシュンタ。見返してみると描かれているのは、ほとんど女の子。

 それを判別できるのは、第一にキャラクターの顔のため。そして第二に……。 

 

 おっぱい、である。

 

 そう、おっぱいなのだ。

 彼の落書きには、バストアップや胸部だけを描いたものがやたら多かった。年頃のせいかもしれないが、とにかく改めてながめるとAカップからKカップまで丸みを帯びたそれがいくつも取りつかれたように描き込まれている。

 

(よし、バストアップ描こう)

 

 彼の決断は早かった。いつしか手記そっちのけで、女子(二次元)の体を描くのに注力していった。

 アゴのライン、首の細さ、頬のふくらみ、髪の質感、目のきらめき、まつ毛の並び、肩の張り、腕の肉付き、鎖骨の浮き具合、何より全体の均衡。

 

 そして、おっぱい。

 

 彼はノートにひたすらシャープペンを走らせ、描いては消し、描いては消し、気に入らなくなればページごと破り、時間を忘れて理想の出力に没頭する。

 今のシュンタの頭の中には、学校の事、クラスメイトたちの事、家族の事、自身の安否まで、さまざまな懸念がさっぱり消え失せていた。あるのは、描く情熱、胸おどる(比喩)興奮、ただそれだけである。

 

 いわゆる芸術家肌の人間は、ぞっとするほど不謹慎になる瞬間がある。シュンタも、いつだったか身内の葬儀があった時、めったに見ない死装束や喪服の姿をひそかに観察したりなどしたものだ。

 ともかく、そうして脇目もふらずに好きなものを20、30苦心して描きあげ、そろそろ夕方になるかという時分に、彼はふと、久しぶりに他人の声を聞いた。

 

「おい、何してんだ?」

 

 それは、シュンタより少し年下らしい、女の声だった。それでいてがらっぱちな声色で、口調も無遠慮である。

 シュンタはとっさにノートを閉じ、驚きながら振り返る。足をつりそうなほどに体をひねるその慌てようは、彼が周囲をまるで眼中に入れていないが故だった。

 振り返った先にいたのは、思った通り13、14ていどの少女だった。あどけなさの残る可愛らしい顔つきで、ふんわりとした金髪をのばし、やや頭身が低い。

 そして奇妙なのは、白ブラウスの上に黒のベスト、その下に黒のスカート、そして頭には黒の三角帽子という外見である。金髪も手伝ってか、一見して外国の魔女を連想してしまう。しかも、片手には洋箒まで持っているのだ。

 

 誰だろう。コスプレでもしてるんだろうか。シュンタはいぶかしみながら、その少女をボーッとながめていた。

 すると、少女はずかずかとシュンタに近寄り、見下ろしながら、ぶっきらぼうに言った。

 

「見慣れない格好だな、お前」

 

「……あなたこそ」

 

 少女のぶしつけないい様に、シュンタはムッとする。それを見て少女はハハハと笑い、しゃがんで話しかけた。

 

「悪い悪い。お前、外来人だろ? じゃあ何も知らないのも無理ないや」

 

「……外来、人……とは?」

 

「んーとな、話すと長いんだが……とにかく、今は日が暮れちゃいそうだし、いったん」

 

 少女は何やらつぶやきながら、辺りをキョロキョロと見回す。シュンタはそれを不審げにうかがいつつ、そっと体を起こそうとする。

 すると、手元からノートがスッと離れ、続けてぶわっと風が吹き、ノートのページをばさばさとめくる。シュンタはそれを見てわっと声を発し、少女もつられて振り向いた。

 直後、少女の目に飛び込んだのは、先ほどまでシュンタが描いていた落書きの数々。ページが終盤になると勉強に使っていたスペースはなくなり、余白いっぱいに着物のはだけた女性やら、ビキニを着た女性やら、裸ワイシャツの女性やらが何人も所狭しと描かれている。

 

「おぉ、何だこりゃ」

 

「わっ、わ、わーーっ!!」

 

 少女は興味ありげにそれを拾いあげ、パラパラとめくる。シュンタは真っ赤になってそれを取り上げた。

 

「な、なに勝手に見てるんですか! せめて一言あっても……」

 

「なんだよケチくせぇな。さっきのはアレか? 春画ってやつか」

 

「しゅん……いやそんなものじゃなくて、とにかく何でもないんです! 忘れてください!!」

 

「そう怒るなよ、気になっただけだって」

 

 早口に怒鳴ってそっぽをむくシュンタへ、少女はけらけらと笑う。そして怒る相手などなんでもないという風に、彼女は箒を持ちなおし、シュンタへ言った。

 

「とにかくさ、暗くなったら危ないから、私の家に来いよ」

 

「…………」

 

「さっきの詫びもかねて、色々教えてやるからさ。機嫌なおせって」

 

 シュンタはしばらくすねたように荷物を詰め直していたが、やがて少女の気さくな口調にほだされ、バッグをかついでトボトボと歩み寄る。

 目が合った少女は、はにかみながらこう言った。

 

「私は、魔理沙(まりさ)。普通の魔法使い、霧雨 魔理沙だ。よろしくな」

 

――

 

「……という事は、僕はその幻想郷ってのに迷い込んだって事ですか?」

 

「そうさ。シュンタだっけ? お前だけじゃなくて、多分バスに乗ってた全員がそうだと思うぜ」

 

 ……それから10分ほど後、魔理沙と名乗った少女とシュンタは二人で()()()()()()()()()()()()()()()()。シュンタは時々したを向いてそわそわしていたが、魔理沙は慣れた様子で、それこそ魔法使いよろしく箒を乗りこなしている。

 その箒の上で、魔理沙は色々と事情を話してくれた。

 

 いわく、シュンタのいる場所は幻想郷といい、日本と隔絶され、そのうえ神や妖怪が跋扈する冗談みたいな異境だという。

 にわかには信じがたい話であったが、現に空を飛びながら話されてはウソとも言い切れない。

 シュンタが言葉も見つからず黙っていると、魔理沙はちょいと振り向き、頼もしげに笑った。

 

「ま、心配するなよ。私が知り合いに頼んで、ちゃんと帰らせてやるからさ」

 

「! 本当ですか!?」

 

「おうともよ。それはそれとして……」

 

 魔理沙は笑って答えた後、シュンタがつかまっている腰のあたりをチラリと見て。

 

「お前、もっとしっかり掴まれよ。落ちたら死ぬぞ」

 

「え? いやでも……」

 

「でもも何もない。死んだらお前の描いてた裸の女の絵を全部、幻想郷中にばらまくぞ」

 

「いっ!? そそそれは勘弁して!!」

 

 魔理沙がにやにや笑って脅迫すると、シュンタはあわてて腰にしがみつく。体を密着させると、とたんに肢体がぎくしゃくと固くなった。彼は自分の、異性への緊張しやすさ、しまりの無さ、間の悪さなどに辟易する。性の匂いただよう落書きをいくつもしておきながら、中身はいまだ未熟ないち少年である。

 そんな彼の煩悶を知ってか知らずか、魔理沙は前を向いたまま、こんな言葉をかける。

 

「しっかし、お前も大変だよなぁ」

 

「え?」

 

「え、じゃなくて。唐突に知らない世界に放り込まれて、驚いただろ?」

 

「ああ……そりゃまあ」

 

 ドギマギしていたせいか、シュンタは生返事をかえす。そうしてごまかしの為か、軽い調子で言った。

 

「帰る方法があるなら、結果オーライですよ。クラスの他の奴らなんて、もっと大変でしょう」

 

「変に殊勝なやっちゃなあ。あんまり甘い見通しされても困るんだが」

 

「そんなんじゃありませんよ。……自分が大変だなんて、めったに言えないんです」

 

 言いながら、シュンタはふっと顔をくもらせ、こっそり目を伏せた。そして、「両親がいつもうるさいんですよ。じーちゃんばーちゃんを介護してた時期なんて、そりゃあもう……」と半分ひとりごとのようにつぶやいて、途中でとぎれさせ、押し黙った。

 ため息を、一つ。

 

 ――シュンタの親は、よく「忙しい」と口にしていた。遊んでと頼んでも、一緒に出かけたいと頼んでも、返事はたいていそれだった。いや、少なくともそんな印象を抱く程度には、よく言っていたのだ。

 実際、世相もあって仕事はしんどかっただろう。だが、半分は性格だ。シュンタが大きくなってからも、謝罪も埋め合わせもなく、せせこましい日々を送っている。

 いつも疲れた、無愛想な顔をしている。そんな両親のもとで、シュンタは趣味にのめり込んでいった。上手くもないイラストを何枚も、両親から隠れるようにして何枚も描いた。それが毎日のなぐさめだったが、一方で自分だけが嫌な事から逃げているようで、小さい頃からずっと負い目があった。

 

「着いたぜ」

 

 

「!」

 

 一人で思い出にふけっていたシュンタは、魔理沙の声で我にかえった。思わず眼下を見ると、広く深い森の中に、切り煙突つきの家と庭が切り取られるようにしてポツンとあるのが目に入った。

 ほどなくして箒はスゥーッと下に降り、その庭先に着地した。魔理沙が振り返って言う。

 

「待たせたな。私の家だ。キレイじゃないが、ま、一晩」

 

「あ……ありがとう、ございます」

 

 たどたどしくお礼を言い、シュンタは魔理沙と共に箒から降りる。そして目の前に建つ、奇妙な一軒家をながめた。

 一階だての、部屋数の少なそうな小さな家。材質は木と石がおもで、所々に穴やヒビがあり、ツタやシダなどの植物が侵食している。家の一部が大木によりかかるようにして融合し、その古めかしさ、不気味さに拍車をかけていた。

 まさに魔法使いの家だな、などとシュンタが夕闇に浮かぶその家をぼんやり眺めていると、不意に、鼻先にビリビリとしびれるような感覚が襲った。

 

「うっ……!?」

 

 彼は驚いて鼻を押さえたが、何かついているワケではない。とすると、このしびれは臭いのせいとなるのだが、ワサビとも違う痛みをともなうその感覚は、並大抵のものではない。

 シュンタは焦って辺りを見回す。すると、森のあちこちにシイタケ、ブナシメジ、舞茸などが何倍にも巨大化したような不思議なキノコたちがしげっている。中には赤と白のマーブル柄の、いかにもな巨大毒キノコまである。

 幻想郷の森は、空気まで違うのか。知らず知らずに涙まで流しながら、シュンタは思った。

 

「おーい、何してんだ? 早く来いよ」

 

 気づくと、魔理沙が家の入り口に立って呼んでいる。シュンタは異常な空気から逃れるように、大急ぎで彼女のもとへと走った。

 

――

 

「うおぉ……すごい生活感」

 

「変に気をつかった言い方するなよ……。物が多すぎるのが悪いんだ」

 

 うめくように声をあげたシュンタに、魔理沙は苦笑いを浮かべる。原因は、家の中のそのありさまだ。あらかじめ「キレイじゃない」とは言っていたが、その10畳ほどの狭い空間の散らかりようは、想像以上だった。

 まず目につくのは、書物だ。魔法とやらやに関するものなのか、分厚い本が机の上、床、果てはベッドの上にまでうず高く積まれている。雰囲気からして古い洋書のようだが、こんな姿だと年季も貫禄もありはしない。

 次に乱雑さ。先ほどの本もそうだが、とにかく物の置き方が謎、もとい規則性がない。枕元によく分からない透明な牙があるかと思えば、炊飯器の上に靴下が置かれ、机の上にはさまざまなキノコらしきものが並んでいる。

 しかもそのキノコに関しては、ペトリ皿に破片が置かれたり、ビーカー内に半ヘドロ状になっていたり、また向かいの壁に貼りついてシミをつくっていたりと、ずさんながら研究している形跡がみられた。

 

「どしたんだよ、ボケっとして」

 

 立ったままキョロキョロしていたシュンタに、魔理沙が声をかける。シュンタはあわてて振り向き、こう言い繕った。

 

「ああいえ、研究家っぽい部屋だなぁ……なんて」

 

「よせやい。独り暮らしだから、他にやる事がねえんだよ」

 

 魔理沙はおざなりに言って帽子を脱ぐと、ベッド脇にぼすんと腰かけた。開いた脚から下着が見えるが気にせず、彼女は指をさす。

 

「私はベッドに寝るから、お前は床のそのスペースに寝てくれよ。掛け布団は貸してやる」

 

「普通、客人にベッドすすめませんか……?」

 

「文句いうなよ。寝泊まりできるだけでもラッキーなんだぜ?」

 

 魔理沙はそう言って掛け布団を投げてよこし、自分は本をよけながら部屋のすみへ歩いていく。見ると煙突つきのかまどがあり、そこに火を入れはじめた。夕飯の支度だろうか。

 

「手伝いましょうか?」

 

「いやー、別にいいー」

 

 魔理沙は火起こしと目の前の鍋にかかりきりで、シュンタには目もくれない。ほったらかしにされたシュンタは手持ちぶさたになり、またカバンからノートを取り出し、落書きをはじめた。

 やがて、鍋からグツグツと何かが煮られる音と、コンソメの香りが立ち上ぼりはじめる。それを感じたシュンタが手を止めると、ちょうど魔理沙が振り向き、言った。

 

「お前も熱心だな。絵ってのはそんなに良いもんか」

 

「ええ、まあ僕にとっては」

 

「誰かに見せたりはするのか? つっても、そのスケベな絵じゃ無理か」

 

「……あー、それは……」

 

 魔理沙はからかうように笑ったが、シュンタは苦笑いし、目を伏せてしまう。頭に浮かんだのは、現代での、インターネットの存在。

 シュンタの時代なら、その気になれば誰でもイラストを全世界に公開できる。それこそわざわざ探すまでもなく、性的な満足度も、そして実力も、シュンタには到底およばない者たちが無数にいるのだ。

 シュンタは描きかけのノートをちらと見て、苦笑したまま答えた。

 

「いやぁ、実は僕らの時代は今、エッチすぎる絵を大っぴらにしたらうるさく言われるんで、他人に見せるのはとんと……」

 

「本当かぁ? 何かウソくせーな」

 

「うっ」

 

 魔理沙がニヤニヤと疑いの目を向けてくる。ふざけた調子だが、目はまっすぐだった。おそらく本気になった経験があるからこその、確信。

 実際、シュンタの言う事はウソではない。しかし、絵を公開しない理由にはほぼ関係なかった。

 シュンタも常日頃、学校でクラスメイトに隠れながら(女子には特に)おっぱいやら太ももやらおっぱいやら描いている身だ。彼なりにマナーはわきまえている。

 ただ、他人に見せず内にこもるのは、単に彼が臆病だからに過ぎない。彼とて自分の絵は愛している。不出来ならばかえって消してしまうくらいに愛している。しかし、だからこそ怖いのだ。他人が示しうる無関心さと社交辞令、あるいは偏狭さと口汚さが、どんなものか。

 

 自分で言ったごまかしにシュンタはくもった表情でいたが、ふと顔をあげると、魔理沙は何て事ない顔をして鍋に向き直っていた。おたまでスープをかき混ぜながら、「おーうまそー」などと笑っている。

 それを見て、彼は不満げに口をとがらせた。他人に見せるのは二の足を踏むが、それはそれとして歓心を買えないと物足りない。面倒な芸術家肌のサガである。

 「いや、でも描くだけでも大変なんですよ」、シュンタは思わずそう言いそうになった。評価されたいという気持ちが先走ると、つい"苦労"を売り込もうとしてしまう。やれ機材が買えないだ、やれ時間がないだ、そう言い訳して自尊心をごまかそうとするのを、彼はすんでのところでこらえていた。子供ながらにあんまりみじめで、恥ずかしい。

 

「よし、出来たぜ」

 

 彼が煩悶していると、魔理沙が折り畳み式のテーブルを持ってきて、部屋の中央にドンと置いた。気づいたシュンタはとっさにノートを脇に置き、魔理沙は鍋からよそったスープを二皿もってくる。玉ねぎ、キャベツ、キノコなどが入ったそれを一つ差し出し、魔理沙は笑った。

 

「悪ぃな、温めなおしたヤツしかなくてよ」

 

「そんな、十分ありがたいですよ」

 

 「いただきます」と一言口にして、スプーンを取る。キノコのせいか独特な風味のあるスープを味わっていると、魔理沙が話しかける。

 

「うまいか?」

 

「ええ。なんか不思議な味ですが」

 

「よかったぁ、普段から自分の分しかつくらないからよ」

 

「そういえば、さっきも独り暮らしだっておっしゃっていましたね」

 

 先ほどの会話を思い出し、シュンタは何の気なしにそう言った。魔理沙はスプーンを止め、両手を床について伸びをする。

 

「ああ、ちょっと実家と色々あってな。こんな森の中で気ままに過ごしてるのさ」

 

「そう……だったんですか」

 

 魔理沙の笑顔がさびしそうなそれに変わる。悪い事を聞いたかとシュンタが気まずそうにしていと、そのせいか魔理沙は話題を変える。

 

「そのおかげで、とんでもない魔法も開発し放題だぜ。家じゃ危なっかしくて出来やしない」

 

「魔法の、開発?」

 

「そ。あすこにいじくったキノコがあるだろ? あれからたまーに花火みたいな反応が出るんだ」

 

 魔理沙は机上のペトリ皿やビーカーに入ったキノコを指さす。

 

(あらためて見ると……あんなのから魔法なんて出来るのかな?)

 

 その素人の菌糸の研究みたいな見た目に、シュンタはつい眉をひそめた。そして、軽く聞いて見る。

 

「そういえば、魔理沙さんの魔法ってどんなのなんです? さっきの、空を飛ぶ以外にもあるんですか?」

 

「ああもちろん。むしろ派手な攻撃魔法が本領だぜ。見せてやろうか」

 

 魔理沙はそう答えると、食事中にも関わらず立ちあがり、スカートの中から何かを取り出した。その手のひらに収まる、六角形の金色の物体をかかげ、彼女は自慢げに言った。

 

「こいつは"八卦炉"といってな、こいつが無いとはじまらねえ。まあ見てろ」

 

 そして席から離れて窓をあけ、外に向かってその八卦炉をつき出す。シュンタが遠慮がちに脇からのぞくと、直後に炉から、まばゆい光がはしった。

 

「うわっ!?」

 

 シュンタは思わず顔をかばう。炉から一瞬にして光の矢のようなものが放たれ、暗くなった森の中に消えていった。光がかすめた木がへし折れ、動物たちが一目散に逃げ出す。反動で部屋の中に風が巻き起こり、窓がガタガタと揺れる。窓から吹き込んだ風に乗って、星屑のような光がまたたいて軌跡をつくる。

 魔理沙は平然と窓を閉め、絶句しているシュンタに言った。

 

「へへ、どうだ? 今のが本気の100分の1って所だな」

 

「…………」

 

「周りからは雑だのなんだの言われるが……ちょいとしたもんだろ。あちち」

 

 煙を吹いている炉をスカートの中にしまい、魔理沙は食事の席にもどる。ところがシュンタはその場に立ち尽くし、呆然としている。その表情は、見惚れていたそれにも見えた。

 

「何してんだよ、スープ冷めるぞ?」

 

 魔理沙が話しかけると、シュンタはボソリとこんな事を言った。

 

「……魔理沙さん。さっきの魔法、何年くらいで覚えたんですか?」

 

「あん?」

 

 唐突な質問に魔理沙は首をかしげたが、数秒考えて答える。

 

「んー……3、4年かな……。どうしたんだよ」

 

「……そんな短期間で……あんな技術を」

 

 魔理沙の言葉に、シュンタは何やら悩ましげにつぶやく。魔理沙は顔色をいぶかしんでか、立ち上がって取り繕うように言った。

 

「いや、別に大したもんじゃないぜ。その気になれば大抵……」

 

「あんなのが大したもんじゃないワケ、ないじゃないですか!」

 

 魔理沙の言葉をさえぎり、シュンタはとつじょ大声を発した。驚く魔理沙であったが、彼の目はどうやら、真剣である。

 魔理沙の見せた魔法。光きらめく幻想的なそれが、シュンタには見た事のないほど美しいものに見えた。事実、現代においてはありえない、科学には及びつかぬもの。

 幻想郷においては別に抜きん出たものではない、普通の魔法だったのだが、シュンタは到底おいつけない域にあるものだと決めつけた。直感が判断したのである。

 

 彼は魔理沙をジッと見つめる。自分より背の低い、年下であろう少女。その少女がたった3、4年であれだけのものを扱う。そう思うと、シュンタの内心にふつふつと醜い感情が芽生えた。

 嫉妬、である。

 

「……そんな見た目で、まるで人外ですね。すげぇや、真似できない」

 

「はぁ?」

 

「僕なんかと、大違いだ……」

 

 戸惑っている魔理沙をよそに、シュンタは床に置いた自分のノートを見る。つい先ほどまで描いていた、ある意味げんざいの自己ベストが記されたノート。その消し跡や迷い線が残っているありさまを思い出し、彼は猛烈な恥ずかしさを覚えた。

 魔理沙の実力は、仮にイラストの世界にたとえるなら、ネットで世界を股にかけて活躍するレベルだろう(と、シュンタは思っていた)。目の前の少女と自分が、まるでワニとトカゲのような別次元の存在に思えて、シュンタはいっそ消え入りたい気分だった。何も知らず、絵を熱心に魔理沙の目の前で描いていたのを、憎々しいとすら思った。

 

「おーい、シュンタ? 大丈夫か?」

 

 心配そうに魔理沙が肩をゆする。シュンタはその手を振り払い、テーブルを迂回して、玄関の扉に飛びついた。

 

「……夜風に、あたってきます」

 

「は……? おい!」

 

 魔理沙は止めようとしたが、それより早くシュンタは外へ飛び出した。日が沈んで冷たくなった風が、ひゅうと吹き込む。

 

「おいコラ、どこに行く!?」

 

 魔理沙が後を追いかけて叫んだが、シュンタの姿はあっというまに森の中の闇に消えていった。魔理沙の家から遠のけば明かりはなく、モノクロ写真を墨で覆ったような景色が、どこまでも続く。

 

「くそっ……!」

 

 魔理沙は舌打ちまじりに、一目散にシュンタが去った方角へ走り出した。同時に、周囲の森が一般人にとってどれだけ危険か、教えていなかった事を後悔した。

 ……この森は『魔法の森』と呼ばれ、いたる所に生えた奇怪なキノコたちが特殊な胞子を放っており、吸えばたちどころに体を冒され、最悪、死んでしまうのだ。

 

――

 

 ……一方、シュンタは一寸先も見えない藪の中を、何も考えずがむしゃらに走り続けていた。

 

(……くそ、くそ、くそっ!!)

 

 内心でしきりに毒を吐いた。他の誰でもない、自分に対してだ。

 魔理沙が魔法を見せ、飾り気なく笑ってみせた時に覚えた、嫉妬の感情。それと同時に、彼の中では無数の言い訳が浮かび上がり、あふれ出ようとしていた。

 勉強で絵ばかり描いていられない。親がいい顔をしない。家族が毎日ストレスをかけてくる。現代社会のストレスが、君に分かるか……と。

 魔理沙は自慢など、ましてやシュンタをさげすんだりなど、しなかった。なのに聞かれてもいない言い訳をして、見栄を張る事ばかり考えて。

 自分の幼稚さ、卑小さに吐き気がした。やりきれなかった。

 

 シュンタはふと、両親以外の家族の顔を思い浮かべた。小学生の、たった一人の弟。

 

『時代はデジタルだよ、兄ちゃん!』

 

 そう言って無邪気に笑っていた顔が忘れられない。年下だけあって、ネットへの馴染みも早かった。

 思えばその時も、シュンタは「まあ、そのうちにな」と言ったきりだった。それからも弟は、シュンタがセーラー服を描いていようが、スポーツウェアを描いていようが、全裸を描いていようが、楽しそうに見守り、からかってきた。

 

 あの時に、広く公開してやろうと割り切ればよかったのかも知れない。弟のように観賞する者たちの、あるいは魔理沙のような傑物に出会う機会の、数が、規模が増えるだけの話だ。

 元をたどれば、これも臆病だからだ。勇気がないのだ。実力不足を再確認し、新たに感動するのを恐れなければ、いくらでも殻を破れただろうに。

 

 かくして、今の実態はどうだ。幼少から描いてきた絵を愛していると言いながら、胸の内に抱えるのは嫉妬だの、羨望だの、言い訳だの、おっぱいだの、色欲だの、羞恥だの、劣等感だの、恐怖だの、不信だの、逃避だの、甘えだの、自家撞着だの、怠惰だの、プライドだの、おっぱいだの、ああいけない。

 シュンタはひたすらに走りながら、自らの頭を粉々にしてやりたい衝動にかられた。不意に、激しく交換していた息がかすれた音とともに止まる。

 

「っ!?」

 

 勢いそのままに、どうと倒れ込む。胸が焼けつくような感覚をおぼえながら、シュンタは鈍く身をよじり、血を吐いてもだえた。背中一面の冷や汗で、シャツがはりつく。

 何が起こったのだ。そう焦りながら、彼は目をむいて眼球だけを動かして前を見た。もうろうとしていく意識の中で、彼は視界いっぱいに広がる紫色の蝶を見た。

 

「……あ、いやがった!」

 

 眠るように倒れていたシュンタを魔理沙が見つけたのは、それから10分ほど経ってからであった。

 

――

 

「……霊夢、努力ってのはつくづく、恐ろしいもんだな」

 

 ある別な日、魔理沙は親友の巫女、霊夢が暮らす神社の縁側で、二人ならんで茶を呑んでいた。

 霊夢が茶をすするのを止め、目線をよこす。魔理沙は目を合わせず、うつむいたまま一人で語りだした。

 

「努力ってのはな、回数をこなすだけじゃダメなんだよ。自分がどう未熟で、どう成熟したいか、それをしっかり分かってなきゃいけない。そこからは理想との戦いだ。上手くいかない事ばっかりで、上達しても誉められないかも分からん。貶されるかも分からん。聖人になっていくワケでもない。それでも、自分の意志で進んでいかなきゃいけない。逆に成果をあげても、止まれと言われても止まる事はできない。身を切るようなツラさだぜ、これは。お前はあまり、覚えがないだろうが」

 

 独り言のようなセリフを、霊夢は黙って聞いていた。ようやく口を閉じ、それから後味悪そうにため息をつく魔理沙へ、霊夢はたずねる。

 

「ひょっとして、まだ気に病んでるの? 彼の事」

 

「……まぁ、ちょっとは」

 

 魔理沙が仕方なしに笑うと、霊夢は遠くを見ながら言った。

 

「もう忘れなさいよ。勝手に飛び出したその子がバカなんだから」

 

「つってもなぁ。せめてもっと早く見つけてたら……」

 

「気にしてもしゃーないって」

 

 未練がましく唇をかむ魔理沙へ、霊夢は少しだけ強い口調で言い放った。そして、自らも後味悪そうに、またそれを振り切るように、乱暴に言った。

 

「……生きて帰れただけマシよ。それで話は終わり」

 

――

 

 ……それから数年間、現代のある病院にシュンタは入院していた。

 修学旅行の途中で行方不明になっていた間に、なんらかの幻覚作用のある物質を吸引したらしく、幻覚、妄想、記憶障がいなどの症状が出ているという。

 しかも医学的に調べてもハッキリした原因が分からず、何年も病院に収容され続けていた。

 

 朝から晩までボンヤリとし、会話もせず、言葉を発したかと思えば要領を得ない独り言や空笑ばかり。

 それでも、家族にくわえ、同じく行方不明になって生還した同級生たちが、何度も面会に来ていた。ただ、家族は何があったのかを何度もたずねたのに対し、同級生らはそれに不気味なほど触れなかったのが対照的だった。

 

 いずれにしろ、シュンタの症状は回復せず、具体的な経緯はつかめなかった。だがある日、一人の女子生徒が面会に来た時に、珍しくシュンタが、こうしゃべりかけた。

 

「……君も、大変だね」

 

「えっ」

 

 すでに高校の制服に身を包んでいた女子は、ハッと顔を上げた。シュンタは微笑しながら、平坦な声色で、しかし優しく言う。

 

「僕は今、とっても気楽だよ。辛くない。大変じゃない。何もない。分かるでしょ?」

 

「う……うん」

 

 もしや学校の事を言っているのだろうか。その女子にとっては、すでにシュンタが世捨て人のように見えていた。

 すると、シュンタの目線がふと、やや下に向く。女子が眉をひそめると、彼はつぶやいた。

 

「……でも、何か大切な事を忘れた気がする。とても大事な……」

 

「……えぇ、どこ見てんの?」

 

 シュンタの目は何故か、女子の胸元をずっと見つめていたという。

 

ハセガワ シュンタ――生存

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