幻想郷で生き残れるか? ~不運にも迷いこんだ者たち~   作:ごぼう大臣

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遠くにいる子

「はっ、はっ、はっ……っ!!」

 

 雨がざあざあと降りしきるほの暗い天気のもと、一人の少女が走っていた。周囲はうっそうと木々が茂った、寒々しい林。辺りは人影がまるで見当たらない。草木と土が濡れる景色がえんえんと続く。

 少女はその道なき道を、一人で走り続けていた。背丈はまだ中学生ていど。荷物もなく、ブレザーの制服を雨に存分にさらしている。ぬかるんだ土を蹴るたびに泥が飛び散り、靴にソックス、スカートまでを汚す。

 少女の息があがりはじめ、ついに立ち止まる。膝を折ってぜえぜえ息をしていると、びしょ濡れの髪が上気した頬にはりつき、長さめいっぱいに背中を這う。ややこしい三つ編みのハーフアップが重たく、髪型を後悔した。

 動かずにいると、まとわりついていた水分が一気に体を伝う。気持ち悪い湿気に顔をしかめて、少女――サエグサ ミズキは頭の隅で、今までの記憶をたどった。

 

 学校の修学旅行に参加して、二日目に移動用のバスに乗っていた。たどれる平常な記憶は、すでにここまでだ。

 いくらか走行して突然、バスは白い霧に包まれた。周りは驚く者、戸惑う者、またボーッとしていた者とさまざまであったが、それからミズキが意識をとりもどした時、その他の者たちは一人残らず、さっぱり消えていた。

 気づけば、彼女はただ一人、雨の降る林に寝そべっていたのだ。

 

「なんなのよ……もう……」

 

 怒りのまじった涙声をあげて、ミズキはまたトボトボと歩き出す。雨はやむ気配がなく、むしろどんどん勢いを増す。体から湧いてくる寒気をこらえながら、彼女は天をあおいだ。

 

(……帰りたい……)

 

 止まりはじめる思考の中で、ミズキはふと子供のようにそう願った。近頃は受験のために塾や自習室に居着いてばかりだったが、このように見知らぬ場所に一人でいると、否応なしに恋しくなるものだ。

 「行ってらっしゃい」と告げた母親の顔を思い出す。別にうれしくもない挨拶だったが、これほど懐かしく思い出されるとは思わなかった。

 それでも、単にさまよっている状況なら、まだ帰ろうと苦闘しただろう。しかし、ミズキには少し事情があった。

 

「……うっ!?」

 

 突然、ミズキはその場にしゃがみこむ。そして忌々しげに自分の右足を見る。

 そこには、大きく無惨なひっかき傷が一つあった。膝からふくらはぎを通って足首まで、三筋の裂け目からダラダラと血が垂れている。ソックスがめくれ、にじんで真っ赤になっていた。

 ミズキは苦しげに顔をゆがめ、その傷を負った時の事を思い出した。忘れもしない、雨の中で目が覚めてパニックになっていたところで、奇妙な生物にあったのだ。

 

 姿は猫のようだったが、体は何倍も大きく、足は六本あった。その怪物じみた姿にミズキが戸惑っているうちに、その怪物は彼女の足に爪をたてた。

 またたく間に焼けるような痛みが襲い、ミズキは状況も分からずに恐怖にかられ、持っていた荷物を投げつけて逃げ出した。さいわい逃げられたが、彼女はしばらく、右足にある大きな傷を現実のものだと信じられなかった。

 しばらく痛みを引きずって歩くにつれ、傷口はぱっくりと開き、雨がしみてきた。彼女は夢の中にいるかもしれないという望みをじょじょに失い、代わりに得体の知れない絶望感を覚えはじめた。あのような怪物がいつまた姿をあらわすか分からない。クラスのみんなとまた会えるか分からない。自分の家にはたしてまた帰れるか分からない――。

 混乱したまま林をさまよい、疲労は蓄積して、いつしか彼女は惰性で歩を進めるだけとなった。雨天では明るさで時間を判断する事もできず、雨に打たれて体力とともに思考力まで削れていく。

 

 ついに、ミズキはぬかるみの中にバッタリと倒れた。全身を泥に沈めて口づけまでし、ばしゃりと音をたてて足が水たまりに浸かる。

 傷口が泥水にひたり、妙な生暖かさが伝わる。うつぶせになった体を、足先から順に倦怠感が襲ってきた。

 

(…………)

 

 顔を土まみれにしながら、ミズキはボンヤリと地面を見つめ、うっすらと思いにふけっていた。

 

(母さん、また怒ってないかな……? 父さんも気が弱いから……せめてリサがワガママ言ってなきゃいいんだけど)

 

 頭に浮かんできたのは、また家族だった。母に、父に、幼い妹。思春期になった辺りから心なしか距離を置くようになっていたが、やはりこんな孤独の中にあると思い出してしまう。

 うるさ型の母、尻にしかれる父、そして生まれてから事あるごとに自分より大事にされてきた妹。

 

 最近は、めっきり話す回数が減ってきていた。ちょうど母も受験について口うるさくなっていたので、それでかまわないと思っていた。

 ただ、だからといって本気で家族を疎んだりはしない。いざとなると、かえって見守るような目線で心配するようになる。ミズキ自身も、今日はじめて自覚する事だった。

 

「…………」

 

 考えているうちに、頭がぼうっとしはじめた。雨に濡れすぎたのだろうか、頭が熱くなり、背筋がみるみる寒くなった。思考がまとまらなくなる中で、ミズキは胸中でだけため息をついた。

 よりによって、こんな不条理にあって親より先に死ぬとは。行方不明にでもなったら、ただ死ぬよりもよほど迷惑をかけるだろう……。

 などと、彼女が半分あきらめて寝そべっていると。

 

「……ねぇ、大丈夫?」

 

 不意に、頭上から声が降ってきた。ミズキが顔を上げると、見た目15ほど、ミズキと同じくらいの少女が心配そうにのぞき込んでいた。

 白いブラウスの上に青色のベスト、水色のスカートという格好。足には白い靴下と、ミズキには珍しい下駄をはいている。

 顔は水色のショートヘアに、赤と青のオッドアイ。幼い顔つきの真ん中で、二つの色の瞳がきょときょと動いている。

 そして、何より目立つのは少女が持っている傘だった。それは現代でよく見るビニール傘や折り畳み傘ではなく、古めかしい番傘だったのだ。竹の柄に大きく広がる骨組みと、そこに張られた紫色の和紙。そして異様なのは、和紙についた巨大な目玉と裂けたような口、そして飛び出る巨大な舌。

 それらは決してただの装飾ではなく、ぎょろぎょろとした目玉や奥行きのある口に厚みを感じる舌など、それぞれに不思議と生気があった。

 傘の異形に目を見開いているミズキへ、少女はしゃがみ、その傘を差し出していた。

 そうしてしばらく見つめあっていたが、少女はふと視線を移し、ミズキの足が血まみれなのに気づいて息を呑んだ。

 

「ちょっと、何その傷! ひどいケガじゃない!」

 

 先ほどとは打って変わって慌てだす少女。もうろうとしているミズキを起こし、泥だらけなのもかまわず肩を貸す。

 

「しっかりして! 今からお医者さんのところに連れていくから!! ね?」

 

 もたれかかるミズキを支え、傘を持ちにくそうにしながら、少女は必死に呼びかける。ミズキは頭痛や全身のだるさをこらえながら、やっとの事で口を開く。

 

「……あなた、は……?」

 

「……!」

 

 うつむきながら、か細い声を出す。その問いに少女ははたと立ち止まり、気を遣わせまいというように笑みを浮かべると、ミズキの目を見つめて、こう答えた。

 

「私は……小傘。多々良(たたら) 小傘(こがさ)だよ」

 

「こが……さ」

 

 その名前をうわごとのように反復して、ミズキの意識はふっつりと途切れてしまった。

 

――

 

「――はっ」

 

 その後しばらくして――意識の上では一瞬のち――、彼女は雨の中ではなく室内で目を覚ました。視線の先には木の天井があり、左右を見渡すとカーテン付きの窓がある壁と、周囲に規則ただしく並んだたくさんのパイプベッド。ミズキがふと重たい上半身を起こして我が身をかえり見ると、同じベッドに寝かされ、布団をかけられていた。

 意識が覚めていくと同時に、右足がズキリと鋭く痛む。あの引っかかれた方の足だ。ミズキがかけ布団をめくると、右足の傷には包帯が巻かれ、服までまっさらな入院服に変えられていた。

 いつの間に着替えさせられたのだろう。そもそも、ここはどこなのだ? 見た限りでは病院のような雰囲気だが……。などとミズキが困惑していると、頭がガンガンと鳴りそうなほどに痛みだす。額を押さえてうめいていると、不意に背後から驚いたような大声が聞こえた。

 

「あ、起きた!?」

 

 そのすっとんきょうな声には聞き覚えがあった。ミズキが振り返ると、あの水色の髪の少女が番傘を背負い、あわてふためいた様子で駆け寄る。

 

「よかったぁー……君、歩き始めたと思ったら急に気絶しちゃって。起きないかと思って心配したよー」

 

「…………」

 

「体は大丈夫? 熱とかない? 喉かわいてたら、お水もらって来ようか。体調くずした時はちょっとした無理が命とりだって先生も……あれ?」

 

 少女、もとい小傘はミズキの手を取りながら早口に気づかいの言葉をかけてくる。ミズキが戸惑ってばかりで無言なのに気づくと二、三度まばたきし、きょとんと小首をかしげる。

 

「……どうしたの? 本当に大丈夫?」

 

「……え、ああうん」

 

「私の名前、覚えてる?」

 

「……多々良 小傘、さん?」

 

「さん付けなんてしなくていいよ。小傘って呼んで!」

 

 名前を呼ばれた小傘は表情をやわらげ、ミズキの背中をバシバシと叩く。ミズキがだるい体を前のめりにして咳き込み、小傘があわてたりなどしていると、出入り口からもう一人、何者かが歩いてきた。

 

「あら、起きたのね」

 

 落ち着いた声でそう言ったのは、小傘より二回りほど背の高い、大人の女性だった。赤と青を左右に二色ずつ塗ったツートンカラーのワンピースと帽子を着て、髪は白色で長く、後ろで三つ編みにしており、小脇に書類がついたバインダーを持っている。一見すれば変な格好だが、場や佇まいの雰囲気から、ミズキはなんとなく医者ではないかと直感した。

 その医者のような女性はミズキを見下ろし、何の前触れもなくこう問う。

 

「……あなた、体調に変化はないかしら?」

 

「え?」

 

「たとえば、体がだるいとか、吐き気がするとか」

 

「あ……えーと、体は、正直だるいです。あとは、頭が痛くて、たぶん熱もあると思います。吐き気は今のところなくて……うぅ、寝て話してもいいですか?」

 

「そうね。楽にしていいわ」

 

「平気?」

 

 ミズキは答えるのもおっくうで、ベッドに背をつける。そばで小傘が心配そうに寄り添う。

 一方、女性はミズキの右足のあたり、包帯のある部分をジッと見つめ、続いてバインダーに何かを書き込み、険しい顔をする。

 

「……やっぱりね。こりゃただで帰すわけにいかないかぁ」

 

 女性はなにやら額を押さえ、深いため息をつく。そのしぐさにミズキが身構えていると、女性が気休めのように尋ねた。

 

「そうだ。あなた、お名前は?」

 

「……サエグサ ミズキ、です」

 

「ミズキちゃんっていうんだ」

 

 今さらながら名前を知り、小傘は小さく笑みを浮かべる。しかし女性はにこりともせず、浮かない顔のミズキへこう続けた。

 

「私は八意(やごころ) 永琳(えいりん)。ミズキ、早速だけどあなたには、聞いてもらわなければならない事があるわ」

 

「……何です? それ」

 

「大事な話よ。そちらからも聞きたい事は山ほどあるでしょうけど、まああなたの今後に欠かせない話だから」

 

「はぁ……」

 

 それから、ミズキが聞かされたのはなんとも現実離れした話だった。ミズキが迷いこんだ場所は幻想郷といい、現代とは違って妖怪、神、妖精などの存在がうようよしているという。しかも、ミズキのようにイレギュラーに侵入した存在は、たいていが妖怪のエサとなるのだという。

 

「え……それじゃあ、私だけそんな、ワケ分かんない目に……?」

 

「周りに人がいたなら、複数人が迷いこんだ可能性もあるけど……助かってる保障はどうにも……」

 

「な、なんとか帰る方法はないんですか!? それが分かれば他のみんなも……!」

 

 ミズキは布団をはねのけ、体を引きずるようにして永琳にすがりつく。しかし永琳は沈んだ顔で言った。

 

「……方法はあるわ。でも、あなたは別の、深刻な問題がある」

 

「問、題?」

 

「……それ」

 

 永琳はミズキの怪我を指さした。そして断定した口調で言う。

 

「そこ、妖怪にやられたでしょ?」

 

「え、いや……まあ妖怪、かな?」

 

「やはりね。傷口を見たら分かるわ」

 

 ミズキは、あの爪で引っかいてきた六本足の大きな猫を思い出す。すると永琳はいくらか浮かない表情になる。そばにいる小傘も眉尻を下げ、押し黙っていた。

 その悲しげな雰囲気にミズキが気づくと、永琳が低い声で切り出した。

 

「その傷ね」

 

「は、はい」

 

「ただ回復にまかせれば治る……ってワケじゃなさそうなの」

 

 歯切れの悪い言い方をして、永琳はまいったという風に空いているベッドへ腰を下ろす。そして、こう続けた。

 

「妖怪ってのはね、あなたたちにとってはもちろん未知だけれど……幻想郷においてもそうなのよ。要は、得体が知れないの」

 

「…………」

 

「どんな菌やウイルスを持っているか分からない。その傷口から一体何が入り込むか……私でも研究しないと分からないの」

 

 それを聞いて、ミズキもいくらか主旨を理解する。長期入院、そんな言葉が頭をよぎった。たまらず口を開こうとした時、小傘が代弁するように言う。

 

「しばらく帰れないって事ですか? まだ子供なのに……」

 

「なるべく善処するけどね、中途半端な状態で現代に帰してごらんなさい。下手すりゃ未知の病気をばらまいて死人が出るわ」

 

 永琳が厳しい顔をして言うと、ミズキも小傘も押し黙る。しばらくして、ミズキはうなずいて言った。

 

「……分かりました」

 

「そ、よかった。まあ今日のところは様子見するから、安静にしておいて。もう少ししたら食事を持ってくるわ」

 

 案外すんなり納得したミズキに、永琳は胸をなでおろす。そして病室の外へそそくさと歩いていった。

 後には、横になったミズキと、相変わらずそばにしゃがんでいる小傘が残る。同情するように見つめる小傘へ、ミズキは布団に入りなおして、思い出したように言った。

 

「そういえば、ごめんね」

 

「え、何が?」

 

「お礼を言ってなかった。助けてもらったのに」

 

「ああ、いいよいいよ。気にしないで」

 

 言われた小傘は困り顔で笑って、ミズキの布団のすそを直したりなどしている。心配だけど何もできない、そんな思いが表情に出ていた。

 会ったばかりの人(?)にそこまで想われ、かえって落ち着かなくなったミズキは、話を変えようとこう尋ねた。

 

「……ねぇ小傘、気になったんだけどさ。その背中の傘……何なの?」

 

「あ、これ?」

 

「うん、なんか……変わってるなって」

 

 紫色、質感のある目玉と舌のついた傘を見ながら、ミズキは遠慮がちに言った。小傘は笑みを明るくし、何でもない事のように答える。

 

「これはね、化け傘。付喪神の私の本体だよ」

 

「つくもがみ?」

 

 ミズキは眉をひそめた。確か、古くなった物に意志が宿った妖怪だっけ……などと考えてから、ハッと目を見張った。

 

「あなたも妖怪だったの?」

 

「ありゃ、言ってなかったっけ? まぁよく間違われるんだけどねー」

 

 小傘は無邪気に笑って、それから窓の向こうを見ながら懐かしそうに語った。

 

「……私、ずっと昔に捨てられちゃってさ。それが原因で妖怪化したんだ。でも、もう恨んでないよ。こうやって人助けもできるんだから」

 

 小さい吐息とともに、ミズキへ微笑みかける。幾度となく笑顔を向ける小傘の姿が、ミズキには心なしか大人びて見えた。

 

「……なんか、ラッキーだったんだなぁ。私」

 

「どうしたの、急に」

 

「いやぁ、見つけてもらえなかったらって思うと、ちょっとね……」

 

 ミズキは幻想郷に来てからの、逃げ惑った記憶を思い出す。

 目覚めた時に持っていた自分の修学旅行の手荷物を、妖怪に襲われた際に彼女はやむを得ず放り投げた。今はどこにあるのだか、思い出せない。

 荷物の中には、両親と、そして妹への、某テーマパークで買ったおみやげが入っていた。父母には少しばかりのアクセサリーや小物ですませていたのだが、小さな妹はその気になればあれもこれも欲しがりそうで、なるべく多めに買ってやると手荷物まで圧迫し、結局は逃げるためにどしゃ降りの下に置き去りにしてしまった。間抜けな話である。

 それを小傘に話すと、小傘はやや残念そうな顔をして、それでも励ますように言った。

 

「まあ気にしなくていいんじゃない? わざとじゃないんだし」

 

「そうかなぁ……でも、もったいない」

 

「その妹さんって、いくつ?」

 

「んー、七歳」

 

「わあ、じゃあ可愛いでしょー。年離れてて」

 

「……まぁね。ちょっとうるさいけど」

 

 ミズキは照れくさそうに笑った。内心で、妹ばかりが両親にかまわれていたのを思い出したが、何も言わなかった。妹の話を聞いたとたんに、子供好きなのかウキウキしだす小傘を、作り笑い半分、親しみ半分で見つめていた。

 

「あら、小傘まだいたの? もう夜よ」

 

 その時、いつの間にかお膳の乗った盆を持って戸口に立っていた永琳が言った。小傘は「あ」と声をあげて立ち上がり、ミズキへ手を振った。

 

「じゃあねミズキ! また来るから!」

 

「……うん、ありがとう」

 

 ぱたぱたと部屋を出ていく小傘を、ミズキはしみじみと笑って見送った。永琳はベッドに備えつけられたテーブルを出し、その上に盆を乗せて、ぽつりと言った。

 

「なんだかうれしそうね」

 

「そうですか?」

 

「ええ。幻想郷に来たら、不安そうにするやつが多いのだけれど」

 

 永琳の言葉にどことなく気恥ずかしさを感じながら、ミズキは料理に箸をつける。頭の中では、さっきまでそばにいた小傘を思い浮かべていた。

 それは、おぼろげではあるが、幼い頃に母親がよりそってくれた時の光景と重なった。

 

――

 

 それから、ミズキの体はやはりというか、さまざまな症状が悪化しはじめた。発熱、悪寒、発汗、怪我した足の痛み。しかも足はただの傷の痛みだけではなく、全体に鈍痛、疼痛(とうつう)、しびれ、麻痺に似たような感覚まであり、ミズキは初日の落ち着きが嘘のように朝からうめいていた。

 さまざまな薬を打たれ、汗をかいて頻繁に衣服を取り換える。立って歩くどころか着替えもままならず、ミズキはどうにでもしてくれと、一日だけで投げやりになりかけた。

 

 しかし、小傘が来るとその気分も少し前向きになった。小傘はいつもミズキのそばに寄ると、心配し、励まし、あるいは他愛ない話などして見舞ってくれるのである。秋の日も、冬の日も小傘は足しげく通い、ミズキも彼女の親切な、人懐こい性格をありがたく思った。

 そうして症状が改善したり、また悪化したりなどを繰り返して、そろそろ三、四ヶ月経とうという頃。なんとかミズキも落ち着いてきたかというある日。

 

「最近は楽になってきた?」

 

「まーね。というか、慣れた。元の感覚とか思い出せなさそう」

 

 季節がめぐり春の風が吹き込む病室で、小傘とミズキはいつものようにおしゃべりをしていた。今ではミズキも上体を起こした姿勢で話すようになり、足もぎこちなくではあるが動くようになってきた。

 

「しっかし、退屈だなぁ……。生きてるだけで儲けモノなんだろうけど」

 

「それは……しかたないよ。永琳先生もいつ治るか分からないって言ってたし」

 

「帰ったら、家族みんなに幽霊あつかいされたりして。あはは……」

 

「もう、やめてよそんな冗談」

 

 さびしい軽口をたたくミズキに、小傘が苦笑いする。すると戸口の方で、誰かがトコトコと歩いてくる音がした。

 

「あ、メディちゃん」

 

「メディスン、来てたんだ」

 

 二人が振り向くと、不自然に頭身の低い小さな少女がいた。金髪のショートに、黒いワンピースドレス。

 それは人形の妖怪、メディスン・メランコリー。永琳に毒草を売って食いぶちを稼いでおり、ミズキたちも何度か、顔を合わせていた。

 

「…………」

 

 メディスンは何も言わず、ただ二人を壁の陰からジッとにらんでいた。このような態度はいつもの事らしく、ミズキは特に気にせず笑顔を向けている。

 そんなミズキに、メディスンは不意に嫌みったらしい口調で言った。

 

「……ずいぶん呑気ね。またぶり返すかもしれないのに」

 

「え? 別にいいじゃない。暗くしてても治るワケじゃないし」

 

 ミズキは気にする様子もなく笑って答える。隣で、小傘がなぜか沈んだ顔をしていた。

 するとメディスンは舌打ちし、さらに憎悪まで含んだ声を張り上げた。

 

「ふん、アンタ以外に迷いこんだ人間なんか山ほどいるのに、いいご身分だわ」

 

「……?」

 

「永琳が言ってたわよ。あんまり幻想郷に長くいたら危ない雑菌が染みついたりして、けっきょく帰れなくなるかもって!!」

 

「メディちゃん!」

 

 小傘がメディスンの声をさえぎる。ミズキがはじめて見る、怒った顔をしていた。

 その顔を見たせいか、メディスンはしばし恨みがましく二人をにらみつけ、音を立てて廊下の向こうへ去った。

 病室に、気まずい空気が流れる。戸惑っているミズキへ、小傘が言いにくそうに口を開く。

 

「……ごめんね、嫌な思いさせて……」

 

「あ、ううん。……けど、どうしたんだろ? 急に」

 

「それが……」

 

 小傘はキョロキョロと周囲を見回すと、声をひそめて話す。

 

「……私も最近知ったんだけど、あの子、友達を亡くしてたらしいの。ミズキが来てすぐくらいの頃に」

 

「へっ……!?」

 

「多分ミズキと同じ学校の人だって。元から陰のあった子だから、私ぜんぜん気づけないで……」

 

 ミズキが言葉を失うそばで、小傘は話しながらどんどんしょげ返っていった。そしてうつむいて力なく首を横に振り、申し訳なさそうに続ける。

 

「……多分、ミズキは病気が治ったら帰れるから、それが悔しいんだと思う。なんであの子だけ……って」

 

「…………」

 

「ごめん、今度ちゃんと謝らせるから……」

 

「いや、いいわ」

 

 小傘の言葉を、ミズキはとっさにさえぎっていた。そして自分で意外そうな顔をした後に、半分あきらめたような表情になって、ミズキは言う。

 

「わざわざそんな事しなくていいよ……。メディスンも辛いでしょ」

 

「けど! あんまり酷いよ。ミズキはなんにも悪くないのに」

 

「いいって。向こうはまだ子供なんだから」

 

 ぷんすか怒る小傘を、ミズキは力なく笑ってなだめる。目が合い、互いにしばらく視線で主張しあうと、とうとう小傘の方が折れた。

 

「……分かったわ」

 

「よかった」

 

「優しいんだね、ミズキは」

 

 感心したような小傘のセリフにミズキは答えず、苦笑だけしてどっかと横になる。表情はろくに見せなかったが、やさぐれ顔。そこには優しさというより、いさかいを避けたい気持ちがにじんでいた。

 「お姉ちゃんなんだから我慢しなさい」と幾度も言われ続け、そのたびに気持ちを押し込めてきた彼女には、慣れっこの顔であった。

 

 やれやれ、という気分で天井を見ていると、不意に頭のてっぺんでこそばゆい感覚がする。

 ミズキが振り向くと、小傘がなぜか、頭をさわさわと撫でていた。

 

「え、ちょっと何?」

 

 気づかれてもなお、小傘は撫でるのをやめない。照れた様子で振り払われると、小さく笑ってこう言った。

 

「えらいなーって思ってさ。これは私からのご褒美」

 

「いらないよそんなん。子供じゃあるまいし」

 

 そう返してむくれながらも、ミズキの顔はどことなく名残りおしそうだった。それに気づいてかどうか、小傘はクスクス笑いながら話す。

 

「えー、そんなに怒らなくてもいいじゃない。減るもんじゃなし」

 

「別に怒ってないけど……」

 

「なんでも平気な顔してたらいいってもんでもないよー?」

 

 目をそらすミズキに、小傘は何気なく、こんなセリフを言った。

 

「まだ15歳でしょ? ぜんぜん甘えていい年齢(とし)じゃない」

 

「……!」

 

 甘えていい。そう言われたとたん、ミズキははたと固まった。そして体を小刻みに震わせ、目にうっすらと、涙を浮かべはじめる。

 

「ど、どうしたの!?」

 

 泣いているのに気づき、小傘は一転してうろたえだす。そんな彼女をなだめながら、ミズキはこぼれる涙をぬぐいつつ、内心でしみじみと考えた。

 

(……ああ。私、無理してたのかな……)

 

 その時、脳内に小さい頃からの思い出が次々とよぎる。と同時にミズキはなにやら、胸の内の重たいつかえが取れていくような気がした。

 

――

 

「ちょっとあなた! たまにはもう少し早く帰ってきてよ!!」

 

「ここしばらく休んでいただろ。そんな余裕ないよ……」

 

 こちらは現代、サエグサ家。ミズキの家庭である。リビングの時計が午後10時半をしめす下で、両親が言い争っている。

 母親の方は目を吊り上げ、ヒステリックな表情をして怒鳴っている。対してスーツ姿の父親の方はしきりにたじろぎ、抗弁も弱々しい。リビングは、床に古新聞が積まれ、ソファや椅子に上着がかけられてそのままになっているなど、だいぶ前から散らかっているのが分かる。

 母親は、その荒れた部屋に似合う叫び声を再びあげた。

 

「なんでよ……ミズキはまだ何処にいるか分からないのに……なんで平気なのよ!?」

 

「俺だって辛いよ。けど、だからって休んでばかりいられないだろ?」

 

「ウソ! あんた、もうどうでもよくなったんでしょう! ここ数年、ミズキとろくに話してなかったもんね!?」

 

「おい、言っていい事と悪い事があるぞ!」

 

 父親もつい語気を強めるが、母親はてんで聞かずに泣きくずれてしまった。床に座り込み、「帰ってきた子もいるのに、なんでミズキは……」などと嗚咽まじりにつぶやいている。

 父親はそんな姿を見下ろして唇をかみ、立ち去ろうとした。しかしその時、リビングのドアにたたずむ人影に気づく。

 

「お父さん……」

 

 そこにいたのは次女、ミズキの妹だった。寝起きらしく子供用のパジャマを着て、寝ぼけまなこに涙を浮かべている。

 

「ああリサ、どうしたんだ?」

 

 父親はとっさに笑みをつくり、次女の頭をなでてやる。しかし次女はその背後で母親が泣いているのを見つけ、眉尻を下げた。

 

「ねえ……お姉ちゃん、いつ帰ってくるの?」

 

 その悲しげな問いに、父親の顔がくもる。目の前の娘は泣きそうな気持ちを隠しもせず、父親をいじらしく見つめている。

 父親は答えに窮した。俺にはどうしようもない。そんな言葉が頭に浮かぶのを必死に打ち消し、また精いっぱいの笑顔をつくる。

 

「……もう少し。もう少しだよ。きっと帰ってくる」

 

「…………」

 

 次女は辛い面持ちのまま、こっくりとうなずいただけだった。

 納得はしていない。ただ、父親の言葉を信じようとしているだけだ。幼い頃のミズキのおもかげが残るその悲痛なしぐさを、父親は重たい気分で見つめていた。

 次女が悪いのではない。家族内で一番幼い彼女が頼ってくるのは当然だ。頭では分かっていても、父親にはその必死の期待が苦しく思えた。

 

 ふと彼は、ミズキの以前の姿を思い出した。次女の不満を受け止めていたのは、思えばいつもミズキだったような気がする。自分たちは小さな次女を可愛がっているようで、いつもミズキに我慢を強いていた。

 「お姉ちゃんなんだから我慢しなさい」、事あるごとにそう言って。

 今さらながら、彼はミズキのありがたさを思い知った。同時に、今の家族の状況にとって、彼女の失踪はただのきっかけに過ぎなかったのではないか、そんな気も、頭の隅でしていた。

 

 ……それから二週間ほど後、父親は夜遅く、あるバーで飲んでいた。隣にいるのは、同じ会社の若い女性社員。

 その社員はグラスのお酒を遠慮がちに飲んで、父親に言った。

 

「なんというか……意外ですね。部長がこうして飲みたがるなんて」

 

「……ああ、今日はそんな気分なんだ」

 

「やっぱり、娘さんの……?」

 

「どうだろうな」

 

 それだけ言って、父親はグラスを静かにあおる。一気に半分ほどが無くなった。

 彼は氷の浮かぶ液体をながめながら、ボンヤリ考えた。また、帰りが遅いと文句を言われるのだろうか。しかし、もうどうでもよかった。いつもいつも家で顔を突き合わせていると、どうしてもどこかで不満が生じる。その不満は積もりに積もって、どこかで噴出する。そうすると、家庭は悲惨だ。恋人のように別れもできず、仕事や収入や子供や世間体や、さまざまなしがらみがぶら下がってくる。

 自分も遠くへ行ってしまえば、家族を懐かしく思えるだろうか。彼はふとそう思った。子供よりも先がなくなった未来を、親としての責任を家庭で果たしながら老いていく。それがひどく苦しく、至難の業のように思えた。

 

 ――子供より親が大事、と思いたい。子供よりも、その親のほうが弱いのだ。――

 

 どこかで読んだ小説のフレーズを思い出し、彼はやけになってまた酒をあおった。グラスが空になり、すぐさま次を注文した。

 

 今夜は、さらに帰りが遅くなりそうである。

 

サエグサ ミズキ――生存(幻想郷にて治療中)

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