幻想郷で生き残れるか? ~不運にも迷いこんだ者たち~   作:ごぼう大臣

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あがいた先に

「なるほど、そうやって君はここへ流れ込んだと」

 

「……まぁ、そうだよ」

 

 時刻は3時のおやつ時。木の机を挟んで、見た目15歳ほどの少年と少女が椅子に座って話していた。

 少年の方は、ブレザーの制服に身をつつんだ、背の高い男。うなじともみあげを刈り上げたツーブロックに、大きくギラついた目が印象的で、少しいかつい雰囲気をかもし出す。

 一方、少女の方は木蘭色の髪がミミズクのように左右にとがった、変わった髪型。紫色の大きな耳当てをつけ、線の細い体をノースリーブのシャツとスカーフ、紫色のスカートという衣服でつつんでいる。

 

 彼らの周りには同じような机と椅子が規則正しく並び、恋人、友人、あるいは家族かと思われるような組み合わせの人々がそれぞれ座しておしゃべりしている。手元には羊羮(ようかん)、あんみつ、わらび餅などの菓子があり、木造の大部屋の戸口には、"甘味処"と書かれた暖簾(のれん)とのぼりがはためいている。

 店内がにぎわう中、耳当てをつけた少女は練りきりをつついていた手を止め、微笑を浮かべて話しかける。

 

「カムロ ソウガ君、でよかったですか?」

 

「呼び捨てでいい。なんだよ?」

 

「いえ、手が止まっているようでしたから」

 

 少女は少年ソウガの手前にある皿を指さす。皿に乗ったくずきりは、一口ぶん切り取られたきりになっていた。

 

「お口に合わなかったですかね?」

 

「違う。トヨサト……ええと、アンタの話が突飛(とっぴ)すぎて……」

 

神子(みこ)でいいと言ったじゃないですか。豊聡耳神子(とよさとみみのみこ)と名乗ったでしょう」

 

「……ふん」

 

 神子と名乗った少女がからかうように目を細めると、ソウガは面白くなさそうにくずきりをかっ食らった。

 2、3回立て続けに菓子を呑みこみ、平らげてから、彼はけげんな顔をあげる。

 

「……あのさ、俺は、修学旅行のバス乗ってる最中から記憶がないワケだけど」

 

「ええ、存じています」

 

 急に、穏やかでない話の切り口。にも関わらず神子は動じずに相手へ視線をそそいでいる。

 さらに、ソウガは突拍子もない事を口にする。

 

「そこから異世界に飛んできた……と?」

 

「厳密には異世界ではありませんが……そんなところです」

 

「……マジかよ」

 

「お店の外を見てごらんなさい。こんな街並みは珍しいのでは?」

 

 涼しい顔で言われ、ソウガは暖簾はためく戸口の外をにらむ。街路は舗装されておらず土がむき出しで、周りには同じような木造の家が立ち並び、その前を着物姿の人々が往来している。

 ソウガの知る江戸○代村に少し似ていたが、目の前の風景はつくりものには見えなかった。

 ソウガは椅子に背をガックリとあずけ、ため息をつく。そしてまだ疑り深そうに、神子に向き直ってたずねる。

 

「で、この迷い込んだ場所が何だって?」

 

「幻想郷」

 

「忘れ去られた妖怪やら神やらが実在するって……本気かよ」

 

「あなたは信じていないのですか? このお店の中にもいるじゃないですか」

 

 クスクス笑いながら、神子は周囲の座席をながめる。視線に気づいた何人かが、からかうように笑い、あるいは隠れるようにして顔をそらす。

 

「まあ、この街の中では安全ですよ。妖怪もああやって、人間のふりをしている」

 

「…………」

 

 ソウガは、神子が話している間も妖怪やら神やら――会ってから甘味処で聞かされた話――を信じきれなかった。

 しかしそれでも、目の前の神子にただならぬ不思議な力があるのは、彼もありありと肌で感じていた。物静かなたたずまいは警戒心を自然とほぐし、一方で琥珀のように光る瞳は嘘を見透かされるような緊張をあたえる。

 ハッキリ言って、表面上はそっけない態度を取りながらも、彼女の雰囲気にソウガは内心で堅くなりっぱなしだった。

 

「しかし、そんなのよく平気だな……。俺には耐えられない」

 

「それはあなたが外の世界に育ったからですよ。国や文化で、どうにでも価値観は変わります」

 

 一般論を述べて平然としている神子。その顔を見てソウガはなんとなくムッとした。立ち入るなと言われたような気がしたのである。

 それを察したのか、神子は店の外へ目を向けて苦笑いをする。

 

「まあ実際のところ、危ないバランスではあるんですけどね。お互いに制約があって、それでいて不平等もある。難しいものですよ」

 

 そう言って、肩をすくめる神子。ソウガは神子と目を合わせず、店外の往来ばかりをジッと見つめた。

 並んで歩く街娘、幸せそうな家族連れ、のんびりとした老夫婦、笑ってはしゃぎ回る子供たち。

 一見、幸せな風景に見える。しかしこの風景は、街を一歩出たら消えてしまうらしい。あとは人の手が入っていない厳しい自然が広がり、恐ろしい妖怪とやらがうようよしているという。

 

 彼らは、幻想郷の外に出たくないのだろうか。ソウガはふとそう思った。思えば、現代においても似たような部分を感じる。表面上は快適でありながら、メディアを通じて感じる貧富の差、給金の格差、蔓延する悪質な労働など、ソウガ含む少年少女らは常に将来の不安におびえている。教育現場とて聖域ではなく、いやむしろ直接に身を置いているぶん、ソウガらは幼少から今の年齢まで不安をすりこまれ、追いたてられ、ゆとりの無さにあえいでいるのだ。

 それでいて、普段はつとめて明るく、軽薄に、苦しみから目をそらし、笑っている。

 

 幻想郷の人間たちも、本音では逃げ出したいのではなかろうか。自分の境遇を重ね合わせてみると、ソウガはそう思えてならなかった。

 

「気になりますか?」

 

「えっ」

 

 不意に、神子が見透かしたような目つきで微笑みかける。ソウガはぎょっとして、それでもすねたような態度で咳ばらいして言った。

 

「……別に」

 

「隠さなくてもいいですよ。大体わかります」

 

「何の根拠があって」

 

「少し特別なんです。()()()()

 

 神子は得意気に、自身の耳を指し示し、耳当てをコツコツとつついた。けげんな顔をするソウガへ、彼女は目を細めて言う。

 

「私には、人の欲望を聞き分ける力がありましてね。思考も、多少は読めるというワケです」

 

「……お前も人間じゃないのか」

 

「ええ。ついでに言うと、元男です」

 

「嘘ぉっ!?」

 

 本気で驚いたのか、ソウガは身を乗り出して目を丸くする。そのさまを見て神子は押し殺した笑みを浮かべ、茶をすすった。

 そして、「それはさておき」とソウガをまっすぐ見つめて口を開く。

 

「気持ちは分からないでもないですがね。あなたは生きて帰る事だけを考えるべきです。幻想郷の事は幻想郷でなんとかします」

 

「けど……」

 

「それに、あなた一人に何ができます?」

 

 神子の言葉に、ソウガは眉間にシワを寄せてにらんだ。それを気にするそぶりも見せず、神子は続ける。

 

「あなたはたまたま迷い込んだだけの、一般人ではありませんか。不特定多数の人間を、それもほぼ異世界の住人を憂いても、仕方ありません」

 

「なんだよ、その言いぐさ……!」

 

「私見を述べたまでです。実際、解放者気取りの秘密組織もあるにはありますが、成果はなきに等しい。いわんや外部の他人が、です」

 

「くっ……」

 

 ソウガは歯がみし、大人らしくなりつつあるその顔をゆがませた。一方で、それを見つめる神子は神妙そうな表情をつくりながら、内心ではなんともいえない妙味をかみしめていた。

 ……十代なかば、ソウガくらいの年齢の子は、得てして子供から大人になろうと自意識が変化していく。恋愛や性に関する興味から、親への反発、世間への懐疑、果ては生死の問題に、政治の事まで。はたからは想像できないほど、さまざまなテーマに背伸びして目を向ける。

 ただ、その時期のエネルギーは、同時に危うさをはらむ。周囲への認識が変わる反動で、まるで現実のすべてが不条理に満ちていると錯覚したり、目新しい情報や神秘性に安易に飛びつき、盲信したりするのだ。

 またその危うさは、ともすれば自分は特別な、他人とは違った才覚や運命を背負っているなどといった自意識過剰にもつながりかねない。今、ソウガが過酷な環境にいる幻想郷の人間たちを思い、反発心を抱くのも、そうした自負心がまじってのものだろうと、神子は察していた。

 青臭い、おそらくは本人さえも無自覚な、偏狭な正義感による情熱。それを滑稽で、かつ可愛らしいと言ってやりたくなるのを必死にこらえて、神子はすました顔で立ち上がった。

 

「まあ、とりあえず移動しましょう。現代に帰してくれる人に会いに、ね」

 

「……どんな奴なんだ?」

 

「見てのお楽しみです」

 

 なぜか楽しげに言った神子を不思議そうに見つめながら、ソウガは後をついていった。

 

――

 

「……で、ソイツが迷い込んできたヤツってわけ?」

 

「ええ、ソウガ君といいます」

 

「呼び捨てでいいって」

 

 一時間ほど後、そろそろ太陽が西に傾きはじめるかという時間帯。ソウガと神子は街から東の方角の、小高い丘の上の神社にいた。

 長い石段をのぼると、丘のふもとからでも目立つ赤くものものしい社がある。それをくぐると小ぢんまりとした庭のような境内と、奉納殿、そして母屋がある。

 それらを背にして、ソウガらを一人の少女が面倒くさそうな顔で見つめていた。

 身長は150センチほどで、やせ形。紅白に色分けされて脇を露出した、奇抜なデザインの巫女服姿で、セミロングの黒髪をリボンで留め、草履を履いている。顔は不機嫌そうにしかめられ、細い眉や小さな鼻がその均衡をくずしている。

 しかし、笑顔でなくとも分かるほどに顔立ちは端正で、よどみのない目の光は、見る者を物怖じさせる鋭さがあった。

 博麗(はくれい) 霊夢(れいむ)。その巫女はそう名乗った。

 神子は相変わらず微笑しながら、ソウガの肩をたたいて言った。

 

「見かけは威厳ないですが、こう見えても幻想郷の秩序をあずかる存在です。心配はありませんよ。これでも由緒ただしき神社の……」

 

「よけいな事は言わなくていいわ」

 

 霊夢はぶっきらぼうに言い放つ。しかしソウガの方は、先ほどの神子の言葉に眉をかすかに動かした。

 秩序をあずかる存在。それはすなわち、幻想郷において一種の権威であるという事だ。普段ならば、同年代のこんな蓮葉(はすは)な雰囲気の少女など気に留めないのだが、彼はなんとなく、霊夢から独特な、謎めいた空気がただようのを感じていた。

 巫女など現代ならバイトでもできるが、昔は神聖な職業であったというではないか。

 知らず知らずのうち、ソウガは霊夢をジッと観察していた。そんな彼に霊夢は目をうつすと、軽い口調で言った。

 

「じゃ、さっそくだけど儀式の準備をしましょうか。現代に帰してあげるから」

 

「…………」

 

 まるで手続きでもするかのように言って、霊夢は背を向けて歩き出す。見るからに早く済ませたいようで、ソウガも長くとどまる理由はないはずだった。

 しかし、ソウガはふと目を伏せ、しばし考え込んだかと思うと、霊夢に向かってこう言った。

 

「…………待ってくれ」

 

「は?」

 

「ん?」

 

 霊夢は怪訝そうに眉をひそめる。神子も笑みをくずしてソウガを見た。

 ソウガはしばし歯切れ悪く目を泳がせると、霊夢にこんな事をたずねた。

 

「……あのさ、一晩だけここに留まれないか? 明日にはちゃんと出ていくからさ」

 

「なんですって?」

 

 考えが読めないという風に歩み寄る霊夢に、ソウガはこう続ける。

 

「なんつーか……幻想郷ってのがどんな場所か気になってさ。すぐ帰るのもったいないなって」

 

「何よそれ」

 

 霊夢はバカにしたようにそう漏らす。一方でソウガは思い詰めたような目をずっと向けていた。

 その様子を横からながめていた神子は、昼間の一件を思い出す。

 幻想郷に住んでいる人間は、幸せなのかどうか。外から来たソウガには、どうしても気にかかるのだろう。具体的に何をするかなど考えているかは知らないが、早々に出ていってしまうには決心がつかないに違いない。

 

「霊夢、一晩泊めてあげたらどうです?」

 

「ええ? 本気?」

 

「いいじゃないですか。外来人の一人くらい」

 

 神子はさりげなく助け船を出す。顔をしかめる霊夢とは反対に、実に楽しそうな笑顔で。

 神子の笑顔と、ソウガの期待するような顔を交互に見て、霊夢はしばらく迷っていたが、やがてはぁとため息をついた。

 

「……まあいいわ。何だか知らないけど、寝床くらいなら貸してあげる」

 

「すまん、助かる」

 

「……ふふ」

 

 おざなりに頭を下げるソウガを見て、神子はこっそり笑みをこぼした。

 彼が霊夢へ向ける目はけわしく、警戒心がにじんでいた。みずから幻想郷に留まりたいと言ったにも関わらず。

 あれはきっと、霊夢を人間であると同時に権威として見ているからだろう。人間を小さな街に閉じ込めて管理する、幻想郷の権威。概念と言ってもいいかもしれない。

 それはきっと、冷酷な、巨悪のように見えるだろう。ちょうど無知な者が、政治家を個人ではなく概念としてとらえ、一緒くたにして唾棄するように、ソウガは概念として霊夢を嫌っている。

 神子は思わず笑い声をあげそうになった。具体的な世の中の仕組みも、思想もおぼろげにしか知らず、方策もなしに、感覚的な正義感で"エラい人"と敵対せんとする。いかにも若者らしいではないか。

 よろしい。大いに悩め、葛藤せよ! 神子は心の中でそう激励した。未熟ながらあがいている姿を見るのが、面白くてたまらなかった。

 

「では、私はこれで」

 

 神子は表面だけでも澄まして、さっさと立ち去った。残りの二人はその背中をしばらくながめていたが、霊夢がソウガへ振り向くと、言った。

 

「とにかく中へ入りなさい。何もあげるものはないけど」

 

「ああ」

 

 ……そうして彼は、居間らしき畳部屋へ通され、霊夢の食事を分けてもらった。「明日の朝ごはんのつもりだったのに」と言われながら、麦飯と、味噌汁と、たくあんとメザシを食べる。

 その最中に、霊夢はバサリと新聞を広げ、流し読みしていた。文々。(ぶんぶんまる)新聞という、天狗が発行しているものなのだと、彼女は言った。

 すると、ソウガは顔を近づけ、こうたずねた。

 

「一体どんな事が書いてあるんだ?」

 

「どーでもいい事よ。河童が何かを発明しただの、吸血鬼が何かを手に入れただの。……見る?」

 

 ソウガも受け取って読んでみたが、なるほどつまらない記事ばかりだった。社会の動きや著名人の発言を記し、批評する……彼のイメージしたような箇所は、見つからなかった。まるで週刊紙の三文特集だ。

 

「……冷めるわよ? ごはん」

 

「ああ、悪い」

 

 新聞をていねいに畳んで置き、ソウガは食事にもどる。直前までの失望に満ちた彼の目は、新聞に隠されて霊夢には見えていなかった。

 

 その後に風呂をすませ、ソウガは寝室、もとい使っていないらしい部屋に案内された。障子からもれる月明かりをのぞけば光源のない、暗い部屋。

 ソウガが布団をしいていると、白い襦袢を着た霊夢が、一抱えもある見慣れない箱を持ってくる。木の枠の内側に、白い薄紙が張ってあるものだ。

 

「こいつは?」

 

「行灯よ。知らない? この中に火が入るの」

 

 霊夢はそう言って、行灯の内部へ手を入れた。ソウガが覗き込むと、巫女ならではの力だろうか。素手から内部のろうそくへ、何も無いのに火がともった。

 

「……へえぇ」

 

「消す時は自分でやってね。私ももう寝るから」

 

「おう……」

 

「あ、それと風が入ったら普通に消えるから。その辺はただの火だから、安心して」

 

 霊夢はそう言って、さっさと自分の部屋へ引っ込んでいった。その時、行灯に照らされたソウガの顔は、陰影のせいか不気味にゆがんでいた。

 そして、行灯の明かりをまじまじと見つめる。暗闇の中で目をぎらりと光らせるその姿は、なにやら恐ろしい考えでもあるようだった。

 

「…………」

 

 数秒して、彼はいそいそと布団にもぐった。しかし、相変わらず目をむいて、表情をはりつめさせている。眠るつもりがないようだった。

 

(風が入らないなら……よそ者が無理にでもやるしかないじゃないか)

 

――

 

 ……それから、数時間後。

 眠っていた霊夢はふと目を覚まし、瞬時に胸騒ぎを感じた。危険。天性の勘がそれを肌でとらえる。

 直後に、鼻をつく焦げくさい臭いと、視界に広がる燈色の光に気づく。それが夢ではなく現実だと分かった瞬間、霊夢は飛び起きた。

 部屋が、赤々と燃えている。畳からは膝丈ほどの高さの炎が、すでに布団を取り囲むようにして燃え広がり、ふすまや柱など、部屋のあちこちが火に舐められている。空気が熱に満ち、ガスの悪臭が焼けつくように全身を包む。

 

 霊夢は袖で口をおおい、炎をウサギのように飛び越えてソウガの部屋へ急いだ。すでに炎が高くなっている廊下を駆け抜け、半分が焼け落ちている部屋のふすまを力任せに蹴破る。

 

「ソウガ!! 起きなさい!! 火事……よ……」

 

 ゴオゴオと止まない炎のうねりに負けないようにして霊夢は怒鳴ったが、部屋の内情を見て、ポカンと言葉を失った。

 ソウガの布団には誰もおらず、それどころか燃え上がって一部が黒くなっている。よく見ればあの行灯から、畳、障子、柱に天井の一部まで……その部屋のありとあらゆる物が、いっとう酷く燃えている。

 先に逃げたのだろうか。そう焦りながら部屋を見回すと、霊夢は部屋の片隅にあるものを見つけた。

 薄く灰色の紙片が燃え、炭化している。炎の光のおかげで正体はすぐに分かった。新聞だ。

 

「……!」

 

 居間にあったはずの新聞が落ちている事から、霊夢は瞬時に何があったかを推察する。そもそも何故この部屋が一際はげしく燃えているのか。この部屋にわざわざ新聞を持ち込めるのは誰か。布団脇の、行灯の火をいじれるのは誰か。

 そして、霊夢に火事を知らせもせずに部屋からいなくなっているのは、誰か。

 霊夢は一足飛びに障子へ体当たりして突き破り、縁側から外へと脱出する。そして庭から神社の全容を見て、がく然とした。

 

 神社が、すでに半分ほどを炎に喰われ、燃えている。原型をとどめている骨組みからあふれ出すように、音をたてながら炎が空へと伸びている。残骸を支えている柱は炎に呑まれながら、あわれに細くなった影をギィギィと揺らしている。

 のどかな星空のもとで、燃え上がるそれが境内を真昼のように照らしていた。

 

「なんだ、起きちまったのか」

 

 立ちすくんでいた霊夢の頭上から、つまらなそうな声が降ってくる。声色で分かる。霊夢は顔をあげて叫んだ。

 

「……ソウガっ!! これはなんのマネよ!?」

 

 視線の先には、神社の屋根に立って見下ろすソウガの姿があった。シャツに短パン、はだしという部屋着すがただったが、炎に照らされているせいか、姿が黒く浮かび上がって見える。

 ソウガはにやりと笑い、肩をすくめて言った。

 

「いやぁ、神社が燃えたら、もしかしたら騒ぎになるんじゃないかと思えてね」

 

「はぁ!?」

 

 理解できないという顔で叫ぶ霊夢。その目を見ながら、ソウガは敵意のにじんだ表情で続けた。

 

「聞けば幻想郷(ここ)は、人間は妖怪とかに閉じ込められてるそうじゃねえか。そんなの聞いて黙ってられねえよ。ぶっ壊してやらなきゃと思ったんだ」

 

「それでなんで、私の家を燃やすのよ!?」

 

「分からないか? エライ巫女さんのおわす神社なんだろ? そんなの、みんな気にするだろうよ」

 

 話すうちに、ソウガの声色にも怒りが混じりだす。濃くなった敵意をぶつけられ、霊夢はおぼろげながら彼の考えを理解した。

 おそらく彼は、今の管理された幻想郷の姿を"悪"ととらえたのだろうと。特に人間たちは不満を溜め込んでおり、霊夢などの影響力のある人物が派手に死ねば、なんらかのアクションを起こすに違いないと思っているのだ。

 

 迷い込んで間もないうちからの、あさはかな思い込み。しかしソウガは目に一点の迷いもなく、使命感すら帯びた顔つきで霊夢をにらんでいる。

 その短絡さ、理不尽さに霊夢が思わず言い返そうとした時、彼女の肩を誰かがたたいた。

 

「何があったんです?」

 

「神子……!」

 

 振り向いた霊夢の視界には、あの昼間に会った神子がいた。彼女にはめずらしく、表情に焦りと困惑が浮かんでいる。

 

「それが……アイツが、神社に火を……!」

 

「火……?」

 

「いよう、神子。いやミコミコってややこしいな、ははは」

 

 指さす方向を見上げる神子に、ソウガが笑いかける。その笑みはおだやかではなく、達成感のあるそれに見えた。

 そこからただよう欲望を耳でとらえ、そして昼間の言動を思い出し、神子はつぶやく。

 

「……テロル、か」

 

「は? なんて……」

 

 隣で霊夢が口をはさもうとした時。

 不意に、人を押し流すかのような突風がどうと吹き荒れた。同時に上空で風の荒れ狂う音が響く。三人が空を見上げると、いつの間にか暗雲がたちこめ、その向こうで雷の轟きが聞こえた。

 そして何の前触れもなく、無数の雨粒が矢のように素早く地上に降り注ぎはじめる。それはまるで滝のように木々を、地上を、人を濡らし、気温までまたたくまに引き下げた。

 

「きゃっ!?」

 

「くっ……」

 

 悲鳴をあげる霊夢を、薄着の神子がとっさにかばう。身体中をあっという間にずぶ濡れにする二人の頭上で、天を割るような音と共に稲妻が光る。

 いきなりの天候の変化に、ソウガも戸惑ったように空を見上げていた。その瞬間、何かに気づいた霊夢が、雨風の中で声を張りあげた。

 

「ソウガ! さっさと下りなさい!」

 

「っ……なんだ急に!」

 

「この気配……龍神様がくる!!」

 

「……龍、神……!?」

 

 龍神様、そう口にした霊夢は、今までとは比較にならないほど血相を変えていた。隣の神子も、ハッと顔色を変える。

 

「龍神様ってのは……幻想郷を創った神様なの!! 何が起きるか分からないわ。早く来なさい!!」

 

 よほど恐ろしい存在なのか、霊夢は必死にソウガへ呼びかける。そうしている間にも風雨は勢いを増し、ソウガの足元で瓦が数枚はがれていった。

 しかし、ソウガは屋根にはいつくばりながらも、何やらヤケクソな笑みをたたえ、空を見ながら言った。

 

「神か……。面白い、こうなりゃ直接文句を言ってやる!」

 

「ソウガ!!」

 

 とんでもない事を言い出したソウガに、霊夢は金切り声をあげる。その直後、空から低く、巨大な、鼓膜をしびれさせるような轟音が鳴り響いた。

 それは今までの雷の轟きとは違っていた。上空にありながら地の底から響くような、重く長い、うなり声に似た音。

 三人が見上げた上空の、ほんのわずかな暗雲のすき間から、蛇の腹に似た、しかし日本の東西に横たわるかと思えるほどに大きく太い、まがまがしいモノの一部がのぞいた。星をかすめるように空を泳ぐ姿を、周囲の稲妻が照らし出す。

 その異形をキッとにらみつけ、ソウガは挑戦的に叫んだ。

 

「俺は今宵、神と対面する!!!」

 

 大真面目にそう言った。その瞬間、ぱっと稲妻が光り、空一面が真っ白に染まる。ソウガ、霊夢、神子がそろって思わず目をつぶると、一瞬おいて、光が消えた。

 

「……あれ?」

 

 薄目を開けながら、ソウガがふと間抜けな声をあげる。前は見えないが、肌で分かるほどに周囲がすっかり様変わりしていた。

 叩きつけるように降っていた豪雨がやんでいる。体にむかって弾けてきた水滴たちは打ち止めになり、ぽつぽつと徐々に垂れ落ちていく。

 津波のような勢いだった強風が消えている。ソウガを今にも屋根から振り落としそうだった風はすっかり消え失せ、おだやかなそよ風が吹いている。

 ソウガはいぶかしみながら、おそるおそる目を開けた。

 すると、東からの太陽で白んでいた空が目に入った。あの暗雲におおわれた天気も、またたいていた雷もウソのように、さわやかな水色の夜明けが広がっている。あの絶大な龍神も見当たらず、ただ一部とすげ替わるようにして空には薄い虹がかかっていた。

 ソウガは、ハッとなって下を見た。自分が火をつけ、燃やそうとした神社。しかし雨のせいで、すっかり火は消し止められていた。ところどころ炭化して崩れてはいるが、せいぜい半焼というところだ。

 

 朝になったのだ。いつものように。濡れネズミになりながらヨロヨロと立ちあがり、ソウガはそれを実感した。

 幻想郷の要所たる神社に火をつけ、巫女の抹殺はかなわなかったが龍神とやらが図らずも出現して。何かが変わるような気がしていた。自分が変えられるような気がしていた。具体的に何が変わるのかはよく分からないが、とにかく重大な事を成し遂げられるような気がしたのだ。

 しかし今のありさまは、シャツに短パン姿で雨に濡れ、焼け残りの神社の屋根に突っ立っている、あわれな少年。革命家でも、英雄でもない。それどころか放火殺人未遂の、考えなしのバカ者だ。

 朝方の冷風にさらされ、ソウガが呆然としていると、霊夢が下から怒鳴った。

 

「コラ! いいかげん下りて来なさいよ!」

 

 その声は憎しみをたたえていたが、どこか呆れたような響きがあった。俺を見下す気か、あわれむ気か。我にかえり、自分でもはかり知れない屈辱と後悔に体を震わせ、ソウガは怒鳴りかえした。

 

「うるせえっ!! これで終わりだと思うなよ。まだ……」

 

 ソウガは霊夢をにらみ、拳をにぎる。こうなれば体を張って勝負してやる。そんな意気込みが突如として、ムラムラと湧きだした。

 思えば、そんな事をして何の意味があるのだろうか。ソウガにも分からなかった。しかし、自分が何もできない、無力な人間なのかと思うと、意味がなくとも派手な所業をしでかしてやりたくなるのだ。

 

 フラフラと屋根を歩くソウガの、その危険な色をした瞳を見て、霊夢が身構える。神子も顔色をけわしくした。

 一歩ずつ、斜めの濡れた屋根を進んでいく。その時、ソウガは足をすべらせた。

 

「わーーーーっ!!」

 

 長い悲鳴をあげながら、彼はあっさりとバランスをくずし、変な格好で境内に落下した。ドスン、ゴキッ、と妙な音がして彼は地面に倒れ伏す。

 霊夢たちはしばらく、動けなかった。数秒ほどして我にかえり、バタバタとソウガのもとへ駆け寄る。

 しかし、神子が血のついたソウガの顔や首をすばやく探ると、静かに首を横に振った。

 

「……ダメですね。打ち所が悪かったようだ。首が折れている」

 

「……そんな」

 

 神子は冷静に言うと、霊夢はしばし戸惑い、八つ当たりのようにつぶやいた。

 

「……全く、私が一体何をしたってのよ。死ぬかと思ったわ」

 

 そう言って彼女は鼻を鳴らしたが、神子は何故だか深刻な顔をして、ソウガの死体を見やった。

 

「……いえ、霊夢は悪くありません。私も、この子のこじらせっぷりを甘く見ていました」

 

「はぁ?」

 

 眉をひそめる霊夢。神子はソウガをかがんで見つめ、苦笑して続ける。

 

「この年頃の子は、とにかく行動が突拍子もないですからね。もう少し慎重になるべきでした」

 

「……いい迷惑よ。大人しくしてくれれば何も起きなかったのに」

 

「そうはいきませんよ」

 

 神子は立ちあがり、笑ったまま霊夢を見た。まごつく霊夢に、彼女は静かに語りかける。

 

「とにかく、どこかへ埋めてしまいましょう。今回の事に、政治的な意図などなかった。単なる不審火です。そうでしょう?」

 

「……それは……」

 

「その方が()()()()()。ね?」

 

「…………」

 

 愚痴る霊夢をなだめすかし、神子はソウガの死体を二人で運び出す。生気のない重みを感じながら、神子は独り言のようにつぶやいた。

 

「しかし、"神と対面する"とは、なかなかの大言壮語ですよねぇ、あはは」

 

「……実際に会えたじゃない。このバカは不満だったみたいだけど、あんな事しといて何を期待したのかしら」

 

「そりゃあ、向き合って欲しかったんでしょう」

 

 神子があんまり当然のように言ったので、霊夢は思わず足を止めてしまう。神子は小さく笑って、こう語り出した。

 

「人間、親や周りの大人や、友人や、恋人や、みんなにリアクションを求めるものです。この年頃は、特に激しい」

 

「私の神社もそれで燃やされたっていうの?」

 

「ええ、社会へのアプローチの一種と言えるでしょう。結局は社会どころか龍神様に会ってさえ、満足は得られなかったようですが」

 

 神子は脇に視線を流して笑う。霊夢は深いため息をついた。

 

「ワケ分かんない……。大体、満足って何よ。どうすりゃいいのよ」

 

「そこなんですよねぇ。一概には言えませんが、この年頃の男の子って、大体……」

 

 神子はいったん言葉を切り、薄笑いをして言った。

 

「『俺はすごい事ができるぞ! どうだ!』ってなもんじゃないですか?」

 

「はぁ?」

 

 霊夢が声と方眉をはね上げる。神子は笑ってせきばらいをし、たしなめるように言った。

 

「いやいや、下らないなどと言ってはいけません。皆そうなんです。行為はともかく、気持ちは分かってやらねば」

 

「冗談じゃないわ。私は家が丸焼けで、そのうえ死にかけたのよ!?」

 

「うーん、冥福だけでも祈ってやってくれませんか」

 

「お断り。迷惑にもほどがあるわ。祈るならアンタ一人でやりなさいよ」

 

「分かりました。そうしましょう」

 

 そう言って、神子は静かに合掌した。霊夢に奇異な目で見られながら、彼女は"迷惑"という言葉を、もっともだと思いつつもなんとも悲しく、ソウガを悼んでいた。

 

カムロ ソウガ――死亡




――「俺だって生きてるんだ」と彼は腹だたしげに言う。

「おめえは死ね。おめえなんか、もう死んじまったっていいんだ。だが俺の方はそうはいかねえんだ。これからいくらでもやることがあるんだ」

「何をやるんだ」

「そんなことは子供にゃわからん。だが俺はすばらしいことをやるんだ」

彼は私より五、六歳の年長者だが、私より十歳もふけて見えた。そしていじめつけられて暮した、若者の陰気なニヒリズムが、荒々しい性慾と反抗心の澱みに影を落していた。――

武田 泰淳著 『異形の者』より
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