幻想郷で生き残れるか? ~不運にも迷いこんだ者たち~   作:ごぼう大臣

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どこかであなたを

『ミケはね、猫の王国に行ったんだよ。そこでちゃーんと生きてるよ』

 

 飼い猫がいなくなった時、姉はそう言ってなぐさめた。少年が五歳の頃である。

 まるっきり信じたわけではない。寿命が残り少なく、去っていったのだと、薄々わかっていた。後になって思えば、老猫の習性だったのだろう。

 猫の王国など、別の世界などあるはずがない。……そう分かっていても、しばらく信じようとしていた。どこにいても、生きていてほしいから。

 

 だが、それから十年もすると、少年も飼い猫の死を受け入れるようになっていった。別世界などない。それが現実だと。

 

「……しかし、こうして見ると、別世界も信じられてくるかもなぁ」

 

 はるか遠くに沈む夕日と、風にそよぐススキ畑をながめながら、少年、ワダ ハルキはつぶやいた。夕焼けに彩られた風景には、暁雲と、山影と、ススキと、後は雑草が生い茂る大地がひたすら広がっている。西暦2000年以降に生まれた彼にとっては見慣れない、自然のままの景色であった。

 

「こんな田舎に観光に来るなんて聞いてないぞ……。なんだ? 事故? それとも夢?」

 

 ブレザーの制服から取り出した携帯をいじくりながら、ハルキは焦った表情でつぶやいた。短く切り揃えた髪の下で、一粒の汗がつたう。

 携帯の画面には、"電波なし"の表示がハッキリとあった。

 

 ――ハルキは、つい先ほどまで中学の修学旅行で、バスに乗っていたはずだった。菓子を交換したり音楽を聞いたり、まあ普通の日常だった気がする。

 しかし、その平静は突如やぶられた。走行中のバスが不意に、正体不明の白い霧に包まれたのだ。それから何があったのか、彼は分からない。気づけば辺りには誰もおらず、一人で夕方のススキ畑に寝ていた。

 隣には自分の手荷物があったが、どんな役に立つんだか知れない。

 

「ああもう、なんかの間違いで電波が回復したりしねーかな……!」

 

 ハルキは往生際悪くまだ携帯をいじっていたが、やがてあきらめて肩を落とす。そして投げやりな調子であるものを開いた。

 それは、保存した写真の数々。手がかりもなく怪奇をさぐるより、とりあえず何かをながめて心を落ち着かせたかったのだ。

 写真フォルダの中には、家族の画像、友人の画像をはじめさまざまなものがあったが、その内に何枚か、人間でないものがあった。

 

 一つは、一匹の三毛猫。体も大きくなった成猫である。何度か転送した写真らしく、少し色あせていた。またいくつかには、小さな男の子が一緒に写っている。

 それが小さい頃にいなくなった猫、ミケだった。写真を見ていくと、また別の子猫の姿がある。それはミケの後に、新しく飼った猫だ。

 この世に別れはつきものだ。ペットとの別れをペットで癒したいのなら、新しいのを飼うしかない。

 じゃあ、もし弟との別れを癒すならば? その時は新しい弟か妹をホニャララしてもらうべきなのだろうか。姉ちゃん、俺が消えてほんの少しは寂しいと感じる可能性もなくはないかも知れないかとほんのちょっと思うけれど、父ちゃん母ちゃんも年だから、どうか我慢してくれよ。

 

 猫の写真を見つめながら、ハルキはバカな事を考えつつふらふらと歩く。一面のススキ畑をかき分け、沈みかけの夕日をたよりに努めてまっすぐに進んでいく。

 彼はいまだ、あまり切迫感を持ってはいなかった。帰る方法はまるで分からないけれども、死んだわけでないなら現世に戻れるのが道理だろう、そんな甘い考えがあったのだ。

 それに、死といえばかつての飼い猫が見守ってくれているような、そんな感覚もあったのだ。姉の言った猫の王国は信じなかったが、猫というのは霊感が強いなどと昔から言うではないか。

 なんの根拠もないが、いざとなればあのミケの霊があらわれて道案内をしてくれるのでは……と、ハルキはマンガのような幸運を想像した。

 

 そうしてボンヤリしながら、代わり映えしないススキ畑を何百メートルか歩き続けた頃。

 不意に、遠くから「にゃあ」と可愛らしい鳴き声がした。

 反射的に彼は振り向く。思わず飼い猫を想像した。しかし、いたのは別のものだった。

 

「にゃーお」

 

 鳴いていたのは、ただの一匹の黒猫だった。ハルキが我に返ってため息をつくと、ススキの根本をすり抜け、黒猫が駆け寄ってきた。

 

「……お? なんだ、人懐っこいなお前」

 

 足元にすり寄る猫を見ながら、ハルキは頬笑む。しゃがんで喉をなでてやると、猫も目を細めてゴロゴロと鳴いた。孤独の中にあって、つかの間の憩い。

 

「この子、飼い猫なのかな……。でも首輪してないし、いやしかし、こんな場所に人が住んでるのか……」

 

 猫がたやすく見せた腹をなでながら、ハルキは不思議そうに辺りを見渡す。野良猫にしても、山猫とはちがって民家のある場所に住み着くのが自然だ。

 どこかに住みかがあるのだろうか。そう思って周囲を穴の空くほど見つめていると、ススキが風に揺れた瞬間、うっすらと異質な影が見えた。

 彼はその影に目を見張る。少し遠いが、そこには確かに建物があった。それも現代でよく見るビルや一軒家ではなかった。

 木造に瓦屋根という古風なつくりで、四方を囲む塀は普通の家の五、六倍は大きい。まるで歴史博物館のミニチュアが実体化したような、ハルキにとっては馴染みのないものだった。

 

「……お前は、あそこに住んでるのか?」

 

「みゃう」

 

 問いかけても答えるはずがない。怪しい屋敷に行ってみるかと悩んでいると、急に、周囲でざわざわと何かが動く音がした。

 ハルキは驚き、音がしている場所――辺りのススキの陰を見る。するとそこかしこから、何匹もの猫たちが一斉に顔を出した。

 

「うおぉ!?」

 

 ハルキは驚愕と喜びが入り交じったような声をあげる。白、黒、茶、トラ……色とりどりの猫たちが、たちどころに彼を取り囲んだ。

 なんだ? 知らないうちに敵だと思われたのか? ハルキは円になって見つめる猫たちの視線を、苦笑しながら見回した。徐々にその顔に恐怖がにじんでいく。

 その時、彼の目線の少し上から、今度は猫以外の声がした。

 

「あの、どうかしましたか?」

 

「!」

 

 気のせいか。しばらくぶりに聞く人間の声。ハルキがとっさに顔を上げると、12才ていどの見た目の少女と目が合った。

 白ブラウスに、赤い中華風のノースリーブの服と、襟をしめるリボン。そしてフリルつきの赤いスカート。黒のショートヘアの上に緑色の帽子をかぶり、あどけない目で少し警戒ぎみに見つめている。

 ハルキは立ち上がり、その少女をしげしげと眺めた。彼女の頭には装飾品なのか、黒い猫の耳がついていた。さらに、腰の後ろには黒く先っぽの白い、猫のしっぽが二本はえている。

 しかも、一瞬つくりものかと思ったそれらは、よく見ると本物の猫のごとく時おりピクンと動いていた。

 

「もしもし?」

 

「あっ、ああ」

 

 無言でいた為か、それともぶしつけな視線に気づかれた為か、少女は警戒を声にまで含ませる。ハルキはあわてて生返事をした。

 少女はハルキに向けてしばし眉をひそめていたが、ふとそばにいる猫の一匹に気づき、しゃがんで顔を向き合わせた。

 

「……え? 言動も匂いも明らかによそ者? ふーん……」

 

 少女はなにやら猫と話すようにつぶやき、立ち上がってハルキへ向き直り、軽く頭を下げて言った。

 

「とりあえず自己紹介しておきます。私は化け猫の妖獣、(ちぇん)といいます」

 

「ちぇん?」

 

「はい、橙です」

 

 名前を聞き返すハルキに、橙は初めて愛想笑いをした。

 

――

 

「……とすると、ここはマジの別世界って事?」

 

「うーん、これ以上こまかく話すと骨が折れるんですが、まあそんなところです」

 

 ……あれから十分ほど、ハルキは橙と共にたむろする猫たちをなでながら、色々とこの見知らぬ一帯について話を聞いていた。

 橙いわく、迷いこんだ場所は幻想郷といい、現代から見ればまさにファンタジー世界、妖精や妖怪が結界に閉じ込められているのだという。

 橙の化け猫という自己紹介も、断じて本当なのだそうだ。

 

「じゃあ、このたくさんの猫たちは……」

 

「ああ、この子たちは普通の猫です。立派な妖獣になるため、修行中なのですよ」

 

 橙は猫たちをモフり倒しながらすこぶる上機嫌に頬をゆるませていたが、やがてハッとなって立ち上がり、ハルキに言った。

 

「そ、そんな事よりハルキさん! 早く元の世界へ帰らないと!」

 

「……え、戻れんの!? 俺」

 

「そうですよ、早くしないと! ほら立って!」

 

 先ほどまで一緒に猫と遊んでいたのを棚に上げ、橙はハルキを急かす。ハルキはあわてて立ち上がり、不安げに尋ねた。

 

「でも、戻るってどうやって?」

 

「それは、これからある人のところに行って……あーでももうすぐ夜だしなぁ……」

 

 橙は何か言いかけ、それから青紫色になってきた空を見上げて顔をくもらせた。そしてアゴに指を当て、考え込んでしまう。

 

「……(ゆかり)様と(らん)様は出かけてるし……うーん」

 

「……誰の話? いや頼むから、早く事実を教えてくれ」

 

 うんうんと唸る橙を、ハルキは遠慮がちながらも急かす。もしかすると深刻な問題が、と考えかけた時、急に橙が右手をズイと差し出した。

 

「……なに? この手」

 

「ハルキさん。私についてきて下さい」

 

「へ? そりゃいいけどさ……」

 

 大丈夫なの? とハルキが目で訴える。橙は一つせきばらいをし、真剣な面持ちで話しだした。

 

「いいですか。実はこの辺りはマヨヒガといって、幻想郷でも特にややこしい場所なんです」

 

「そ、そうなのか」

 

「だから、絶っっ対に私の後ろをついて来てください。見かけに惑わされないで」

 

「分かった」

 

 橙の口調は強く、ハルキは思わずうなずく。それから橙は顔を寄せ、こうつけ加えた。

 

「……それから」

 

「は、はいっ」

 

「くれぐれも、後ろを振り返らないで下さい」

 

「もし……振り返ったら?」

 

「どうなっても知りません。古くからのジンクスは恐ろしいですよ。結界を抜けるまで、前だけを見る事」

 

 言い聞かせるようにそう言って、橙はハルキの手を引き歩きだす。ハルキも緊張しながら後に続いた。

 しかし、内心では確かに安堵していた。どうやらこのままついていけば帰れそうだ。彼は前を歩く橙の背中を見つめる。

 手をつないで、自分を引っ張っていく姿。それを見て、ハルキの頭にある思い出がよみがえる。五歳のある日――飼い猫のミケがいなくなってすぐの頃、ちょうど今のような黄昏(たそがれ)時に、姉に連れられて帰った事があった。

 

 ――ミケがいなくなり、別世界に言ったのだと慰められてから、一週間後。幼かったハルキは、ミケと会うのをあきらめ切れずに、自分も別世界に行くのだと思い立って、あてもなく町外れをうろつき回ったのだ。

 夕暮れに誰もいない野原で姉につかまり、親のところまで連れ戻された。そうして二人で歩く間中、彼は悲しい声で言い聞かせられた。

 

『別世界に行っちゃったら、私らは二度と会えないよ。でも、きっとどこかから見てるから。泣かないの』

 

 その時のハルキはべそべそ泣いていたが、その言葉だけはよく覚えていた。どこかから、きっとミケが見ていると。

 ……だとしたら。こうして橙に助けてもらえたのは、もしかしたらミケのおかげなのではないだろうか。取りとめもない想像だが、姉の言った別世界と幻想郷とが、なんとなく無関係ではないような気がしていた。

 

(……きっと、ミケと神様の采配だ。きっとそうだ)

 

 ハルキはそう思い、一人ではにかんだ。その浮かれていた時に、ふと――おそらく猫のうちの一匹が発したであろう――「みゃーお」という鳴き声を聞いて。

 

「ん?」

 

 ハルキはつい、()()()()()()()()()

 

「――だ、あれ?」

 

 瞬間、我に返って彼は辺りを見回した。すぐ前を歩いていた橙がいない。見送るように見つめていた猫たちがいない。あの屋敷の影もない。太陽も、とうに姿を消している。

 

「……おい橙。ちぇーーーん!!」

 

 ハルキの声は一面に響き渡った。しかし答える者はいない。闇に溶け、冷気が下りてくる無人の場所に、彼は呆然と立ち尽くす。

 

「……おい、マジなのかよ。誰か来てくれよ!! 助けてくれよ!!」

 

 しばらくして、ハルキは取り乱してもがくように走りだし、空に向かって叫んだ。それでも、何も彼を気にかける事はなかった。

 白く冷たく光る月の下で、ハルキは泣きながら先の見えない暗闇を走り続けていた。

 

――

 

「……あ、間違えた」

 

 ……それから、数ヶ月ほど後。

 現代ではハルキの姉が、夜中に一人、自室で勉強にはげんでいた。机にむかって参考書や問題集とにらみ合い、ひたすらに書き込みと消すのをくり返す。

 するとふと、その手が止まった。そしてため息をつくと、彼女はシャープペンを机に放り出す。

 

「はぁーー……」

 

 長いため息をつきながら、姉は椅子にもたれてうんと伸びをした。そして天井をボンヤリ見つめて、沈んだ表情で言う。

 

「弟を放っておいて、受験勉強なんかできるかっつーの……」

 

 そう、ハルキは修学旅行に出かけたあの日以来、いまだ家に帰っていなかった。両親はしばらく心配していたが、最近では気力も失い、すっかり意気消沈していた。

 家庭は暗い。昼も夜も、悲しい、ふとした瞬間に泣いてしまいそうな空気が充満している。姉も高校生活に終わりが近づいていたが、前途に思いをはせるなど、出来るわけがなかった。

 姉は体を反転し、背もたれに腕を乗せて部屋のすみを見る。そこには丸まって我が物顔で寝る、白い成猫がいた。あのミケの後に、子猫から育てた子である。

 

「ハルキー……私が大学いったら、この子は誰が面倒みるのよ」

 

 すっかり大きくなった飼い猫を見ながら、姉はさびしげに笑う。何年も続く付き合いで、ハルキに一番なついていたのだ。猫の内心など分からないが、それでも心配ぐらいはしているんじゃなかろうか。

 そう思いながら姉が猫を見つめていると、眠っていたはずの猫が突然、がばりと身を起こした。そして一瞬で飛びつくようにしてドアに駆け寄ると、何度も戸板に爪を立てる。

 

「あ、ちょっとモチマル! 何やってんのよー」

 

「にゃーっ! んにゃお、みゃあぁーー」

 

 姉があわてて叱るのも聞かず、猫は鳴きながら盛んに扉を引っかき続ける。何かあるのだろうか。姉も不思議に思って、ゆっくりと戸口に近づく。

 すると、彼女の耳に、かすかな低い声が聞こえた。すきま風のような、しかしかろうじて聞こえる言葉でもって。

 

『……けて、助けて』

 

「…………?」

 

『助けて、姉ちゃん……!』

 

「……ハルキ!?」

 

 姉は息をのんだ。確かにそれはハルキの声だったのだ。彼女はとっさにドアを開け、周囲をするどく見回した。

 ……しかし、何も変わったものはなかった。電気をつけた廊下には、耳鳴りするくらいに静かで、人のいた気配すらなかった。すぐそばにあるハルキの自室は、ぴったりと閉じられている。

 すがるように姉は猫を見てみたが、猫も騒いでいたのが嘘のように、がっくりと肩を落としてしょげている。

 

 結局、気のせいだったのだろうか。彼女はしばらく往生際悪く廊下を左右ににらんでいたが、やがて身を引き、首をさびしく横に振った。

 

「……やめよう。あの子は現実のどこかにしかいない。別世界なんて、あるわけないんだから」

 

 自らに言い聞かせるような重い口調でそうつぶやいて、姉はゆっくりとドアを閉めた。

 彼女が弟の声を聞いたのは、これが最後となった。

 

ワダ ハルキ――行方不明

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