幻想郷で生き残れるか? ~不運にも迷いこんだ者たち~ 作:ごぼう大臣
「くっそ、ショウゴのやつどこ行ったんだよ!?」
雷雨が絶えず降りかかる山中で、シュンスケは天をあおいで叫んだ。
洞窟を飛び出したショウゴを追いかけ、マコトを置き去りにした彼は、いまだ見知らぬ山道をあてもなく走り回っていた。
また、視界に光が明滅し、一瞬おくれて雷鳴がとどろく。シュンスケは思わず耳をふさいだが、続けて雷が鳴りやむと、どしゃ降りの中でジッと耳をすませた。
雑多な嵐の音に包まれていると、つい感覚が鈍くなってしまう。彼はそこで、精いっぱい周りの音を聞き逃さないようにつとめた。
聴覚に届くのはほとんど雨音か、風にざわめく木の葉の音だったが、それでもたまに、不穏な音が拾えるのだ。たとえば、一人でない大勢の足音、話し声、枝を乱暴に叩き伏せる音……。
それらに感づくたびに、シュンスケはすばやく音から遠ざかった。なにしろ彼と、先ほどまで一緒にいた友人らは追われているのだ。正体の分からない、狼やカラスを思わせる異形の者たちから。
ついさっきなど、狼の遠吠えのようなものが聞こえたばかりだ。山ではうかつに危険に近づくな、と山好きな祖父から何度も言われていた。
したがって、何度も慎重に逃げ回ってシュンスケは今に至るのだ。おかげで出口は見えないが、ケガ一つせず日が沈んだ山をやりすごしていた。
「……しっかし、ライトでも持ってくるべきだったかな」
制服の袖で額をぬぐって、シュンスケはつぶやく。なにしろ明かり一つない野山の真ん中だ。急に電気を消された子供のように、そばの木をつかみ、足元を確認しながら、彼はそろそろと歩みを進める。
(焦っちゃダメだ。最悪でも朝まで生きてれば逃げる望みも出てくる。滑落したら一巻の終わりだ)
腹の底からせり上がってくる緊張をおさえ、彼は慎重に歩き続けた。そんな時。
パシャ
一度、聞きなれない音がした。
雨音に埋もれてしまいそうな、水たまりよりも軽い音。
シュンスケはそれに振り返り、音のした暗闇をにらんだ。聞き間違いではない。この山に来てからずいぶん新鮮に聞こえる、機械的な音。
カメラの音だ。
シュンスケは音の方角から目を離さず、落ちていた木の枝を拾ってかまえる。いざという時はそれを武器にするつもりだった。撮影されるというのは、少なくとも注目されているということだ。
すると、またパシャ、とカメラの音がし、誰かがゆっくりと彼に近づいてくる。
「あやや、そんなに警戒しないでくださいよ。とって食いやしませんて」
そう言って現れたのは、白ブラウスに黒いミニスカート、黒いショートカットという見た目の、シュンスケと同じくらいの年頃にみえる少女だった。
雨除けか黒のマントをはおり、古めかしい番傘をさしている。もう片方の手には、シュンスケが子供の頃に何度か見た、黒地のデジタルカメラがにぎられていた。
「な、なんですかあなた」
「ふふ、だから警戒しないでくださいってば。といっても外来人なら仕方ないかもしれませんが」
眉をしかめて木の枝を突きつけるシュンスケに、少女は無遠慮に近づいていく。風にはためいたマントの下から、背中に生えた黒い翼がのぞいた。
面食らうシュンスケに、少女はくすくすと笑って口を開く。
「はじめまして、私の名前は
「は……カラス、てんぐ?」
「はい。ちょうどあなた方の世界で言う、妖怪というものに当たりますね」
文と名乗る少女はうさんくさい笑みを浮かべてそう言った。妖怪、その言葉に混乱するシュンスケに向けて、文は笑ったまま問いかける。
「驚いた顔ですねぇ。でもよく思い出してみてください? 今まで見たこともないような動物を目撃したり、しませんでしたか?」
「…………」
シュンスケははたと固まり、この山で会った異形の者たちを思い出した。
白い狼のような耳と尻尾を生やし、大剣を持って追ってきた者たち。
また、上空から監視しているように飛び回っていた、背中に黒い翼を生やした者たち。思えば、今目の前にいる文にそっくりだった。
「まさか……天狗、妖怪なんて本当に……」
「それがいるんですよ。この"幻想郷"にはね」
そう切り出して、文は得意げに説明をはじめた。日本から結界で隔絶された世界のこと、妖怪や神、妖精がひしめいていること。
そして、シュンスケらのような外から迷いこんだ者は、かっこうのエサであること。
シュンスケはそれを聞き終えると木の枝を取り落とし、ぶるぶると震えだした。
「じゃ、じゃあ何だ……? ショウゴやマコトは……同級生の連中は、みんな食われちゃうってのか!?」
「え、そんな沢山いるんですか? うーん、例外をのぞけばそうでしょうねぇ。いわんやあなたも、このままじゃ危ないですよ?」
信じられない、という表情で声をあらげるシュンスケ。対して文は人差し指をつきつけ、事もなげに忠告する。その後に無言の時間ができると、文はついでのようにシュンスケの顔を撮影した。
「ま、そこで私から一つお話があるんですが」
「話?」
「そうです。頼み……というか取り引きと言いましょうか」
文は一つ咳払いをし、カメラを顔の前にかざして言った。
「ちょっと、取材をさせていただけませんか?」
「……は?」
取材、その言葉が予想外だったのか、シュンスケはぱちくりとまぶたを動かす。それを見て、文はまたペラペラとしゃべりだした。
「いや実は、私個人で新聞を発行しておりまして、たまには外来人のネタもいいかなーと思ったんですよ。たとえば、『外の世界で事件か!?』とでも銘打って、あなたの言う同級生の方々が
「…………」
「ああ、あなたにもメリットはありますよ。まずは天狗のテリトリー外まで運んであげます。そうすれば手出しできませんから。くわえて、大々的に記事をうてば、あなたのお友達の手がかりが出てくるやもしれません」
文が媚びの入った笑顔でしゃべり続けるのを、シュンスケは黙って聞いていた。しかし、彼の胸の内では、言い知れない怒りの感情がうずまいていた。
幻想郷? 俺たちは何の理由もなくそんな場所に放り込まれたのか? ほとんど中学生だったんだぞ。危ない目にあう謂れがどこにある? 親は、兄弟は、周りの人々がどんな思いをするか。
それにこの文という少女、言うにことかいて新聞だと? 俺たちはそんな個人の都合ついでで助けられるのか? ショウゴが、マコトが、パニックにおちいってるのを現に見て、もう一度言えるか?
「どうですか? ここは騙されたと思って……」
「そんな訳に行くかっ!!」
気づけば彼は怒鳴り声をあげていた。驚いた文が言葉をつまらせるが、滑り出た怒りの言葉はもう止まらない。
「そんなメチャクチャな話があるかよ! よく分からないまま迷いこんで、しかもエサにされる? それ平気で言ってんのかよ!?」
「そうは言いましても……じっさい、事実ですし」
「冗談じゃない! お前らの勝手で助けてもらうなんざできるかっ! 俺は一人で仲間を探す!!」
理不尽さに反発するがままにわめき散らし、シュンスケはくるりと背を向ける。そして振り返りもせずに走り出した。
「あ、ちょっとー!」
背後から文が呼び止める声がしたが、彼は無視した。ムキになって泥を蹴る彼の頭の中に、いつかの祖父の言葉がよみがえった。
『シュンスケ、遊び半分で山に入ってはいかんぞ。山にはどこかに、自然を侮らぬように見張っているモノが必ずおる。神か、もしくは妖怪か……。だからな、必ず畏れ敬う気持ちを忘れてはいかん』
(くだらない……! 天狗なんて実際みれば、勝手な思いつきで人をふりまわしてヘラヘラしてるじゃないか。あんな奴らのために死んでたまるか!)
ずんずんと駆け下りていくうちに、シュンスケはどんどん憤然やるかたない様子になっていく。
そんな彼の目前に、突如、文が目にも止まらぬスピードで回り込んできた。
「……っ!?」
「何を意固地になってるんですか。死んだら何にもなりませんよ? これでも好意で言っていますのに」
文は不思議そうにシュンスケの顔を覗き込んでくる。彼は一瞬うろたえたが、すぐに怒りの顔にもどる。
「どいてくれ!」
そう言って文を押しのけ、彼はまた走り出す。背筋に、じわりと嫌な汗がにじんだ。
先ほどのスピード、確かに人間らしからぬ素早さだった。妖怪というのは本当に恐ろしいのかもしれない。
しかし、シュンスケはどうしても納得したくなかった。あの、"取り引き"、"好意"と口にした時の顔がちらつくと、自然と胸の内がざわついてくる。
(ふざけやがって。他人を助けるってのは、そんな利害でやるようなもんじゃねえだろ! こっちの仲間は今にも死にそうなんだぞ!?)
全身を濡らす雨も気にならないほど、体を熱い感情が駆けめぐる。
しかし、次の瞬間、ある疑問とともにすぅっと熱が引いてくる。
(……待てよ。じゃあ俺は何故、マコトを置き去りにした?)
彼は自問し、はたとその場に立ち止まった。
最後に見たマコトの姿を思い出す。暗い洞窟の中でふるえ、不安げに目を泳がせていた姿。そんな友人を、彼は置いて飛び出した。
もう一人の友人、ショウゴを探してくると口では言った。しかし、本当はもっともらしい理由をつけて、その場を離れたかっただけではないか?
シュンスケは立ち尽くしたまま、体中にすきま風が吹くような自責の念にとらわれていた。彼にはそれをはね除けることが出来なかった。
心当たりがあるのだから。気づきたくなかっただけなのだ。
今、二人はどうしているだろう。山中で倒れてのたれ死んでいるかもしれない。洞窟で誰かを待ったまま、一人きりで凍死しているかもしれない。
彼らが死体となり、ほの暗い瞳を向けてくるさまが浮かぶ。青白い肌はまるで作り物のようで、腐りもしないのではないかと錯覚する。
ふと、二人の動くはずのない口が動いた。ぼそぼそと、唇のすき間から、低い声が不思議なほど大きく聞こえてくる。
"ギゼンシャ"
「…………っ!」
その言葉が脳内に響いた瞬間、シュンスケは息がつまったように胸を押さえ、ジッと目をつむる。そのしぐさは、外界など意識になく、自身の葛藤に苦しんでいるようだった。
「あのぅ、もしもし……?」
遠巻きに見ていた文が、固まっている背中に声をかける。彼女には、シュンスケが意味もなく突っ立っているようにしか見えなかったのだ。
しかし、そんな文の視線が、ふと上に向く。
人間より何倍も優れた動体視力を持つ天狗の目が、上空にある兆候をとらえる。その瞬間、彼女は反射的にカメラをかまえていた。
刹那、遥か上の暗雲から、一閃の雷が降り注ぐ。その白い光は空を裂くように、地上にいたシュンスケを直撃した。
またたく閃光。ほとばしる地面。声をあげる暇もなくシュンスケはのたうつようにして手足を震わせ、煙をあげて倒れ伏した。直後に龍がうなるような重い音が空にこだまする。
「あらら……山って雷が近いんですよねぇ……」
すかさずシャッターを切っていたカメラを下ろし、文はそうつぶやいた。
――
……数日後、文は自宅の暗室で、写真の現像をしていた。シュンスケが雷にうたれて
ところが、現像した写真をながめて、文はふと目をしばたかせる。そこには、見覚えのないモノが二つ映っていたのだ。
光に包まれ、黒い人形のようになって棒立ちしているシュンスケ。その両脇に、まるで彼を助けようとするかのように手を引っ張る、不自然に薄暗い二つの人影があったのだ。
おそらく彼の友人だろう、と文は察した。あの夜、他に同じような格好の人間が二人死んだらしい。死んだ時刻はバラバラで、幽霊か生き霊か知らないが……どちらにしろ、シュンスケの死に際にそれらが現れたのだ。
「よっぽど慕われていたんですねぇ」
その心霊写真を見ながら、文は感慨深げにうんうんとうなずいた。死の直前、仲間を探すと意地になっていた彼の気持ちが、分かるような気がした。
……しかし、あの時急に立ち止まった理由だけは、彼女には見当がつかなかった。
ウエムラ シュンスケ――死亡