幻想郷で生き残れるか? ~不運にも迷いこんだ者たち~ 作:ごぼう大臣
その日は濃い灰色の雲が空をおおい、むんとした湿気がそこら中にただよっていた。どこを歩いても日が差さず、それでいて生暖かい空気がゆったりと流れている。
今にも雨が降りだしそうな天気の下では、人通りは少なく、あっても足早に帰路につくような者がほとんどである。
しかし、ある場所に、雨具もなく立つ一人の少年がいた。
そこは曇天のもとでいっそう暗くなる、鬱蒼としげる竹やぶの一角。周りは人影どころか整備された道すらなく、ただただ背の高い草やタケノコがあちこちで顔を出し、それを見下ろすような細長く高い竹がえんえんと列をなしている。
そんな場所で、少年はかたわらに自分の荷物らしき旅行かばんを置き、▼▼中学と書かれた制服を着て、息をきらしている。
160センチほどの背丈で、眉と耳が隠れるほど髪を伸ばした彼は、見るからに非力そうなやせっぽちだった。そんな彼の手には、何故かさびついたボロボロの斧がにぎられている。
そして、彼の目の前では、黒い体毛を生やした四つ足の獣が荒い息を吐いていた。大型犬のような体躯で、熊の顔に豚鼻がついたような容貌。額からはヤギのような角を生やし、鷹のように鋭い目をつりあげ、肉食獣そのものの牙をむいてヨダレをたらしている。
(なんだコイツ……? こんな動物見たことない……)
少年は斧を持つ手が汗ばむのにも気づかず、その獣をいぶかしげに見つめていた。
気がつくといつの間にか見覚えのない竹林にいた。それだけならまだ理解が追いつくが、この熊や犬が合わさったような獣は、彼のパニックを引き起こすには十分だった。
ワケの分からぬ少年の前で、獣が太い前足を踏みしめる。カギ爪で土がくずれる音がし、少年がそれに肩を震わせた瞬間、獣が猛然と彼に飛びかかった。
「うわっ!?」
少年は悲鳴をあげ、ほとんど本能的に横へ飛びのいた。獣の爪が服の表面をかすめ、ブレザーが音をたてて張り裂ける。
獣はそのままの勢いで二メートルほど先に着地した。一瞬おくれて、通りすがりにあった竹が何本もまとめてへし折れ、バラバラとなぎ倒される。
「ひ、ひいぃっ!」
少年は甲高い悲鳴をあげ、ズタズタになったブレザーを投げ捨てた。そして頼みの、竹林に偶然落ちていた斧を持ち直そうとする。
しかし、彼が体勢を立て直すより早く、獣は再び襲いかかってきた。
「ぐぅっ!」
少年はなすすべもなく押し倒される。人間の何倍あるかと思わされる重みが、押さえられた体にのしかかってくる。
目の前で、得体のしれない獣が顔を近づけてくる。敵意に満ちた目、腐臭のもれる口。今まで見たこともない恐怖に迫られた少年は、必死で斧を持った手を振り上げた。
「この……このっ! があぁ!!」
半狂乱になりながら、押し倒された姿勢から斧を獣の胴体に振り下ろす。ガツンと音がし、しびれと反動が腕に伝わる。
しかし、獣の表情はいっこうに動じなかった。まるで蚊でも止まったかのように、少年の抵抗を気にもかけない。
獣がいっぱいに大口をあけ、吠えた。生暖かい息が少年の顔に浴びせられ、同時に赤黒い口内があらわになる。喉奥が震えて低く激しい咆哮が耳に突き刺さった。
目の前の光景に耐えられず、少年が思わず目をつむった時。
「おい、頭さげろ!!」
ふいに、彼の頭ごしに声がした。若干低いが、若い女の声。少年が反射的に後頭部を地面につけると、刹那にのしかかっていた獣の背中一面に、視界が一瞬で染まるほどの火の手があがった。
「うおっ!?」
顔面を熱風がなで、少年は苦しげに目をつむる。まつ毛が焦げるかと思うほどの近距離で、炎にまかれた物体がこの世のものとは思えない悲鳴をあげる。
そして、獣が身をよじって少年の上から飛びのいた時、彼はとっさに体を起こし、だめ押しのつもりなのか獣に向けて斧を振るった。
「ギャンッ!!」
火傷を負っていたせいか、斧が肉に浅く食い込む感触がした。獣は甲高い声をあげて一目散に竹林の奥へと走っていった。
「……っ待て!!」
煙をあげながら逃げる獣を、少年は斧を片手にとっさに追いかけようとした。しかし、獣は脱兎のごとく竹林の中に消え、すっかり見えなくなってしまった。
「……はぁ、はぁっ……」
少年はその方角をにらみ、斧を持ったまま呆然と立ち尽くしていた。先ほどまでの緊張のためか、息が乱れて足が震える。命の危機が去ったという実感がわかず、思考がまとまらない。
ただ、感情の方はブレーキがきかず、妙な高揚感が身体中にみなぎっている気がした。
「おい」
「!」
そんな時、ぼうっとしていた少年の背後から、あの女の声が聞こえてきた。少年があわてて振り返ると、気だるげな顔をした少女が、じろりと少年を見つめる。
その少女は雰囲気からして高校生ていどだろうか。すらりとした体に白いワイシャツ、サスペンダーつきの赤い
少年はその瞳の威圧感に少しまごついたが、気を取り直してあわてて頭を下げた。
「あ、ありがとうございます。助けてくれて……」
「運がよかったな。私が来るのが一秒おそけりゃ、お前は今ごろあの妖怪の飯だぞ」
少女はそう言いながら遠慮なく近寄ってくる。少年は彼女の見慣れない格好などをチラチラとながめていたが、ある言葉が気に留まり、眉をひそめた。
(ん……妖怪?)
聞き間違いかとついつい少女を見返すと、彼女はなおも話しかけてくる。
「お前、名前は?」
「あ……ハヤト。ミヤベ ハヤトです」
「ハヤトか。私は
妹紅と名乗る少女はおもむろに右手を差し出してくる。ハヤトがその手を取るとあっさりした握手を交わし、彼女は背を向けて歩き出す。ハヤトはあわてて後を追った。
「お前さ、外の世界から来たろ?」
「外の……世界?」
「ああ、つまり……ここがどこだか、お前分からないだろ? 気がついたら知らない場所にいて、途方にくれてた。違うか?」
「あ、まあ……その通りです」
状況をぴたりと言い当てられ、ハヤトは困惑する。妹紅は振り向きもせずに話し続ける。
「ここは幻想郷っつってな……。お前みたいのがたまに迷い込む別世界なんだ。大抵はさっきみたいな妖怪に食われちまうんだよ」
「また妖怪……それに別世界ですか……」
ハヤトは困惑しつつも相づちを打つ。初対面の妹紅が語る非現実的な内容になかなかついていけない。
しかし思い返してみれば、あの奇怪な姿をした獣はまさに"妖怪"と言われて納得できるものだった。
くわえて、獣を突如つつんだあの炎。口ぶりから察するに少女がしかけたであろうそれも、どこから発生させたのか見当がつかない。少女は燃料のたぐいなど一切持たず、火の気といえば口にくわえているタバコぐらいだった。
「妹紅さんは何者……っていうか、幻想郷ってどんな場所なんです?」
「名前だけ知れば十分だろ。幻想郷ってのは、一言で言やあ危ない場所。だから安全なところまで案内してやろうっての」
「はあ……どうも」
「ここは迷いの竹林っていってな……景色がややこしい上に普段だれも来ないんだ。はぐれるなよ」
妹紅はちらりと振り返って念を押し、また元のように歩き出す。ハヤトはまだ聞きたいことが山ほどあったが、妹紅のぶっきらぼうな口ぶりにとりあえずは黙ってついて行くことにした。
竹林は暗く、静まり返っている。妹紅といるせいか先ほどのように妖怪が襲いかかってくることもなく、たまに鳥のさえずる音が聞こえてくる。
そんな中を、二人は並んで黙々と歩き続けた。足音だけが平坦なリズムをきざむ。ハヤトはどうにも退屈になり、妹紅の背中にたずねた。
「あの、妹紅さん」
「んー?」
「安全な場所まで案内してくれるのは有難いんですが……そのあと俺はどうしたら?」
右も左も分からぬ場所で置き去りにされたら、と危惧しての質問だった。妹紅は「ああ」と思い出したようにつぶやき、事もなげに答える。
「心配すんなよ。向こうに私の知り合いがいるから、そいつにパスすりゃあとは問題ない」
「ぱ、パス? 本当に大丈夫なんですか?」
「大丈夫だって。私よりよっぽどしっかりしてる」
妹紅はまた前に振り返り、新しいタバコを取り出して吸い始めた。一体どうやって火をつけているんだろう、とハヤトは気になったが、それ以前に妹紅を信用していいのか、少し不安になった。
歩きながらそんなことを考えていると、ついつい不安をまぎらわそうと口を開いてしまう。
「そういえば、幻想郷ってこの竹林以外にはどんな場所があるんですか?」
「色々だよ。里があったり、でかい花畑があったり……あとは、あの世につながる道なんかが」
「へぇ……なんだか面白そうですね」
「バカいえ」
ハヤトが軽い気持ちでこぼすと、妹紅はぐるりと振り返って声をあげた。くわえていたタバコをつまみ、真面目な顔をして言う。
「さっきも言ったろ、危ない場所だらけだって。ゲームじゃねえんだから、滅多なこと言うな」
「あ……すいません」
低い声で詰め寄られ、ハヤトはぺこりと謝った。しかし内心で(そんな怒らなくても……)などと反発してもいた。
それを見透かしてか、妹紅はため息をついて語りかける。
「まだ実感わかないかもしれないけどな、今のお前は本当に死と隣り合わせなんだぞ?」
「…………」
「外の世界のこたぁよく知らないけど、少なくとも毎日死ぬ心配しなくて済むんだろ? 幻想郷なんて興味もつな。忘れちまえ」
強い口調で言われ、ハヤトは押し黙ってしまう。妹紅はそれを了解と受け取ってか、また前を向いてタバコをふかしはじめた。竹林に再び二人の足音が鳴りはじめる。
ハヤトはしゅんと俯き、大人しくなったように見えた。しかしそうではない。頭の中で、ふつふつといら立ちが沸き上がっていたのである。
――ハヤトは元々、小さな頃からクラスの主流ではなかった。背は高くなくやせっぽちで、健康上の問題はないものの、スポーツなどが不得意だった。しかし勉強ができるかといえばそうでもない。
そんな彼がたどり着いたのが、マンガやゲーム、小説、映画などの世界である。フィクションの世界は彼にとって、現実とは違った刺激にあふれた、面白い世界だった。
周りからはなんとなく陰気に見られ、つるめる友人も限られてくる。それでも彼は友人らと共に趣味を楽しんでいた。
ただ、それでも真に満たされることはなかった。ゲームでモンスターを狩っても、人を轢き殺し、撃ち殺しても……どこかで物足りなさが襲ってくる。
はっきり言って"退屈"だった。ゲームにいくら熱中しようと、画面を見れば目の前には真っ暗な画面があるばかりで、親が勉強だなんだとお小言を口にする。
うんざりだ、この日常から外れた、とびっきり面白いものが欲しい。中学生という年頃もあって、彼はそんな思いを日に日に募らせていった。
(けど、どうやって?)
ハヤトは、手に持っている斧に目をやった。妹紅と会ってから、なんとなく捨てずに持ち歩いていた斧。
わずかに付いた血と、ずっしりと手にかかる重みを意識すると、妖怪に振り下ろした時の感触がよみがえってくる。肉に食い込み、全体に伝わる反動。獲物の叫び声と、逃れようとする体の動き。
銃のたぐいはもちろん、日本刀、サーベル、レイピア、ランス、マチェット、ファルクス、ファルシオン、エストック、鉈、ダガー、ククリ、サバイバルナイフにいたるまで……ゲームであらゆる武器を手にしながら、実際に持ったことのない彼にとって、斧を見舞った感触は得がたく、新鮮なものに思えた。
(もしかしたら、退屈が晴れるかもしれない)
「妹紅さん」
ハヤトはおもむろに口を開いた。妹紅が面倒くさそうに振り向く。
「あー? 今度はなんだよ」
「俺が生まれる前の話なんですけどね……日本中に大ブームを起こしたとんでもない小説が一つ、あったんですよ」
「……へぇ?」
脈絡のない話をはじめたハヤトに、妹紅は眉をひそめる。ハヤトは気にもせずしゃべり続ける。
「中学生……つまり、俺らと同じ年頃の何十人かが、バスに乗ったまま拉致されるところから話がはじまります」
「…………」
「そのメンバーらはある無人の孤島に連れてこられ、訳も分からず軍人と教師におどされ、あることを命じられます。……何を命じられたか、分かりますか? 妹紅さん」
妹紅は、ハヤトが話すうちに饒舌になるのを見て、顔をしかめた。そして戸惑いながらも答える。
「いや、知らん」
「彼らが命じられたのはですねぇ……"殺し合い"ですよ。それぞれ武器を渡され、島の中で最後の一人になるまで戦うんです」
ハヤトが顔をゆがめ、ニヤリと笑った。それを不気味がりながら、妹紅は小さく毒づいた。
「悪趣味だな、オイ」
「ふふ、確かに当時も物議をかもしたらしいですよ。でも俺、そんなことより思ったことがあるんです」
言いながら、ハヤトが斧を両手に持ち替える。それを見て身構える妹紅に向けて、彼は一歩ずつ近づいてゆく。
その目つきが、これから侵そうとしている"最大のタブー"に興奮しているなど、妹紅には考えつかなかった。
(
「実際に、同じような状況に放り込まれたらぁ……」
ハヤトがゆっくりと斧をかかげる。
「案外、楽しいんじゃないか……って!!」
「のわっ!?」
反射的に飛びのいた妹紅の髪を、ハヤトの斧がかすめる。白い髪の切れ端が宙を舞い、斧の刃が重い音をたてて地面に食い込む。
「お前、急に何すんだ!?」
「見りゃ分かるでしょう、見りゃあ!!」
ハヤトは悪びれもせずに怒鳴り返し、再び斧を振り回す。面食らいながら避ける妹紅のそばで、竹が幾度もへし折られて地面に転がった。
「やめろ! 気でも違ったのか!?」
「とんでもない、俺は正気ですよ。だから分かるんです……日本じゃこんな事できませんよ!!」
戸惑いつつ止める妹紅に向けて、ハヤトは笑いながら尚も斧を振り続ける。彼の中には憎悪も思想もない。ただ、暴力への渇望だけがあった。
「……っ野郎!」
逃げる足を止めた妹紅が、ハヤトに向けて腕で払うようなしぐさをする。
その瞬間、ハヤトのすぐ隣で、彼の身長ほどの火柱があがった。妹紅がやったのだろうか。ハヤトは頭のすみでそう考えたが、意に介さなかった。
生き物を攻撃し、傷つけるあの感覚。彼が現代で久しく味わえなかったそれを、人目を気にせず、罪にも問われずに得ることができる。それで思考はいっぱいだった。
「ぐあっ!」
ハヤトはついに妹紅の片手を切り落とす。肉と骨があらわになり、妹紅とハヤトがそれぞれ苦悶と歓喜の表情をうかべた。
しかし直後、驚くべきことが起きた。あらわになった腕の断面から火が吹き出し、その火の中からは元通りに手が伸びたのだ。
「……あ?」
その光景に、ハヤトが動きを止める。その隙に妹紅が組みつくと、彼の体と斧をがっしりと押さえつける。
「いい加減にしろ、このガキ!!」
「!? は、離せ化け物!!」
ハヤトは我にかえってもがき、顔を突き合わせて怒鳴りあう。その時、妹紅と目が合った彼は、ハッと息をのんだ。
妹紅の、さっき斬った人間の目が間近にある。
ただそれだけの事であったが、彼の動きが一瞬、ピタリと止まる。
見つめてくる目は、叫んでくる口は、つかんでいる手は、間近にある肌は、間違いなく生身のものだった。体温があり、血の通った生き物が、自分に怒りを向けてくる。押さえつけられ、彼はそれを今さらのように実感した。
自らの手で他人を傷つければ、何事もなしではいられない。他人事にはならない。なまじ『人を人とも思わない』ことが出来なかったハヤトは、とたんに全身から冷や汗が噴き出し、狂ったように暴れだした。
「離せ! 離れろよ!! 近寄るんじゃねえ!!」
「暴れんな! とにかく斧を離せ!!」
「うるっせえぇーーっ!! く、やだ! いやだぁ……っ!」
ハヤトはかたくなに斧をつかみ、子供のようにわめき散らした。武器を手放せばどうなるか分からない。自分のしでかしたことがどのように返ってくるか。それが怖くてしょうがなかった。
「とにかく落ち着けって、私は……」
「があああああぁーーっ!!!」
静止しようとする妹紅の言葉も聞かず、ハヤトは強引に体を引き剥がそうとした。その時、反動で持っていた斧が大きく彼の手前側へと振られた。
「がっ……ぐ!?」
「あっ……」
突如、ハヤトの口からくぐもった悲鳴が漏れる。彼の首もとには、内側に向いた斧の刃が半分ほど、大きく食い込んでいた。言葉を失う妹紅の目の前で、噴水のような血がほとばしる。
彼はそのまま白目で宙を向いたままフラフラと後ずさり、妹紅のつくった火柱の中へと倒れこんだ。
妹紅はあわてて駆け寄ったが、彼の体はまたたく間に炎にむしばまれていった。すでに意識が無くなっているのか、悲鳴一つあげない。
人影のない静かな竹林で、ハヤトはまるで火葬のように火に包まれ、ゆっくりと焼かれていった。やがて黒い煙のあがる先から、ポツポツと雨粒が降りだした。徐々に空気が冷えていくのを感じながら、妹紅はぼそりとつぶやいた。
「バカか、お前は……」
ハヤトの内心を知らない彼女には、それしか言葉が出なかった。
ただなんとなく、妹紅――不死の体を持ち、気も遠くなるような年月をすごしてきた彼女は、殺しに浮かれ、慣れていなさそうな彼のことを、ある意味うらやましく思っていた。
「いっそ、最初に不死の化け物だって伝えとくべきだったかな……。"人殺し"がしたかったならさ」
彼が最後に見せた、怯えるような目つきを思いだし、タバコをくゆらせながら妹紅はその場を後にした。
ミヤベ ハヤト――死亡