「あの…おはようございます」
扉の向こうから聞こえる、電の声。
はじかれるように立ち上がり、扉の鍵を外して、恐る恐る数センチ開いた。
一瞬、誰もいない…と思い、きょろきょろと扉の外を見渡す。そこは見覚えのない廊下。例えるなら、学校のような雰囲気だ。
そして、「あの…」という声が、下方から聞こえた。
つられて目を向ければ、自分の目線より20cmくらい下に、薄茶色の髪、そして、見覚えのあるセーラー服に身を包んだ、
『電』が、そこにいた。
「おはようございます、提督。母港への移動準備は…」
言いかけて、電は口を噤んだ。
「…あ、新しい提督さんでしたか。ご着任、ありがとうございます。」
ぺこり、と頭を下げる電。
「何か分からないことはありますか?」
何もかも分かんないよ!ここはどこ!?自分は誰!?
いや、『自分』は分かってるんだけど、さ…。
それ以外のことは、全く分からない。
ここがどこなのかも。どうして、ゲームのキャラクターであるはずの少女が、目の前にいるのかも。
言葉を失う自分に、電は困った顔をする。
「えっと…提督さん?」
「き、君は…」
今日初めて声を出した。
女性の声だった。
ん…?おかしい。喉の調子でも狂ってるのかな。
そういえば、目線の位置もなにかおかしい。常に若干かがんでいるかのような…、ありえないが、身長が低くなったような感覚。
「えっと…」
困惑から、勝手に発せられた自分の声は、やっぱり女性で。
電を見下ろしている自分の身長は、やっぱり低くなっていて。
自動的に目に入った、胸の膨らみ。
そして、股間の違和感。
ん…!?なんだ…!?なんだこれは…!?!?!?
そうか、自分は女性になったのか。
視覚、聴覚、触覚から返ってくる反応は否応なしに事実を突きつけてくるが、頭がついていかない。
理解できない現象に、立ち尽くす。
すると、電が困惑した顔をさらに困らせて、泣き顔になっていた。
「あ…の…電に…何か…」
電は、自分が何か粗相をしたのではないかと恐れている様子で、もじもじと顔の下で指を合わせている。
小さくて可愛い。
じゃなくて!
「ここはどこ?」
「タウイタウイ泊地です」
淀みなく電から返ってくる答え。
艦これのサーバーの1つだ。脳内で知識が自動的に閃く。知っている、知っているぞその地名は。フィリピンの島の1つだ。なんとも僻地だ。せめて漢字鯖…、日本が良かった。
「提督さん、母港へ行きましょう」
小さく、けれどハッキリした声。電は、それこそが自分の使命、いや死命だと言わんばかりに、畏れの表情を浮かべながらもそう言った。
「は、はい…」
言われるがままに扉から出ていこうとする自分を、電が困惑ぎみに手で制した。
「あの…寝巻のままなのです…」
つまり、着替えて出てこいということ。
「す、すみません…」
「い、いえ…」
反射的に謝った自分に、恐縮そうな電。
…これ以上この子を困らすのは、あまりにも可哀そうだ。
今自分に何が起きているのかは分からないが、これ以上この子をここに立ち尽くさせるのは、人道的ではない気がする。客観的に見たら、大の大人が小学生くらいの少女を困らせ切っているのだ。そう考えると、申し訳なくなってきた。
「じゃあ、ちょっと待ってて」
ぱたんと扉を閉じ、息を大きく吐いた。扉の向こうにも聞こえていたかもしれない…と思ったのは、ため息をつき切った後だった。そうだ、電は、自分を『母港』に連れていくために待っているのだ。
とりあえず着替えて出ていかなければ。
決心し、改めて自分の「部屋」を見渡す。見覚えのないワンルーム。先ほどまで光っていた画面は、すでに消失して、ただの壁に戻っていた。
海のさざめきが聞こえる。
音につられて窓辺に近寄ると、クローゼットがあった。扉を開けると、そこには旧日本海軍の白い制服が数着掛かっていた。いや、本当に海軍の制服なのかは定かではないが、漫画や映画で見たそれと酷似している。
…とりあえず、コレに着替えれば良さそうだ。
慣れない自分の肢体にはなるべく目を瞑って、着替えを完了する。
着替えの出来をチェックしようとして、鏡を探す。
窓辺と反対側に洗面台があった。起きた時はノックをされた扉にばかり目を向けていたが、そこには洗面台が置いてあったのだ。
鏡の前に立ち…声を失う。
知らない顔がそこにあった。
物凄く、美人の、女性。
黒い髪を肩くらいまで伸ばし、キリリとした眉と、意志の強そうな瞳。
思わず鏡に手を伸ばす。鏡の中の自分も、同じように手を上げている。
これが、自分。
受け入れるまでに、数分を要した。
顔を洗い、掛けてあったタオルで拭い…もう、悩むのは終わりにしよう、と鏡の中の自分に向かい決意した。
分からないことだらけだが、少なくとも今、扉の外で少女を待たせているのは事実なのだ。
自分は、「提督」なのだ…きっと。
どうして、とか、なぜ、とかは置いておいて。
受け入れて、進まなければ。
「開けるよ」
一応声を掛けて、扉を開く。
先ほどまでと同じように…いや、それ以上に直立不動で、指を体側にぴしっと沿わせた電がそこにいた。
「では、行きましょうか。提督さん」
「うん。行こう」
少なくとも、自分はひとりではない。
それが、とても心強かった。
性格はイケメンのようです。でも打たれ弱い。