お夜食を、どうぞ   作:tete

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イナダの照り焼き

 

「私がやっつけちゃうんだから!」

 

 何やら物騒な掛け声で気合を入れ、まな板の上の魚と相対するのは吹雪だ。

 しかし、エイヤと勢いよく包丁を突き立てようとしたところで、彼女の横合いから制止の声が掛かる。まずはウロコを落とすのよと、初めての魚の三枚おろしに挑戦する吹雪に指示を出すのは鳳翔だ。

 ああそうだったと、最初から手順を間違えた事に気付いた吹雪は赤い顔だ。誰しも始めはそういうものだと諭す鳳翔の言葉に気を取り直し、吹雪は大きな魚に再び相対する。

 

 まな板に鎮座する大ぶりな魚――イナダの表面に包丁の背を当て、ジョリジョリと鱗を剥がしていく。全て取れたら表面を洗い流し、これでようやく包丁の刃の部分の出番がやって来る。

 吹雪は鳳翔の指示に従い、まずはイナダの頭の付け根あたりに包丁を入れて落とす。次に肛門から腹沿いに包丁を入れ、切り開いた腹からワタを取り払う。

 

「う……やっぱりグロい……」

 

 切り落とされた頭とハラワタという魚調理初心者のトラウマ筆頭に吹雪は怯む。しかし、これが調理であると自らを奮い立たせる。ワタを抜いたイナダの腹に手を突っ込み、血合いを水でよく流す。これを怠ると臭みが残るのだという鳳翔の言葉に、丁寧に血合いをこそぎ落とす吹雪の顔にもう怯えはなかった。

 

「さて、次はいよいよ……」

 

 "三枚おろし"というからには、3枚に切り分けなくてはならない。吹雪は意を決してイナダのむき出しの背骨に包丁を宛がう。背骨に沿うように包丁を進め、尻尾のあたりで身と骨を切り離す。同様に、残った反対側の身もだ。

 無事三枚におろせた吹雪を鳳翔は労うが、たくさん身の残ってしまった中骨を見て、吹雪は微妙な表情だった。

 

 

「じゃあ、これをお刺身にするから、見ておいてね」

 

 吹雪と鳳翔は場所を入れ替え、今度は鳳翔の調理を吹雪が見て学ぶ形になる。しかし、そこから先は吹雪にとっては勉強を通り越して、ひとつの技を目の当たりにしたような感覚だった。

 刺身包丁を手にした鳳翔の動きは流れるようだ。腹骨をすき取り、小骨を抜き取り、そして皮引きする。柵になった身をやや厚めに切り分け、皿に盛り付けていく。これで平造りの出来上がりよと鳳翔が言葉を発するまで、吹雪は息もつかせず見入っていた。スゴイですと感想を述べる一方で、動きが流麗すぎて逆に参考にできないという事を結局吹雪は言い出せなかった。

 

「じゃあ、これとお銚子、お出ししてあげて」

「はい!」

 

 

 

「いやー、しかし千歳達もついに改ニかー」

「皆さんのおかげですよ、何度も何度も改装して慌ただしい中を支えていただいて」

「なぁに、改装の度に祝いとかこつけて飲めるんだからアタシは満足さ。 お、吹雪こっちこっち!」

 

 イナダの刺し身と銚子を盆に載せた吹雪を出迎えたのは千歳と隼鷹だった。よく見れば千代田と瑞鳳も居るようだが、どうやらいち早く出来上がってしまった千代田に瑞鳳が絡まれてまさぐられている。吹雪はあちらとは目を合わせないようにしようと素早い決断を下した。

 本日は千歳と千代田の改ニ祝いの宴会だった。空母・軽空母達で集まりささやかなお祝いをしようという名目、今はその0次会といった風情だった。ところがその場に居たのが艦隊屈指の飲兵衛たる隼鷹千歳揃い踏みだったのが運の尽き、早々にピッチは上がり、姉ほど酒に強くない千代田は早くも出来上がり、居合わせた瑞鳳が被害担当艦という憂き目に遭っていた。

 

「キタキター、刺し身とはいいねぇ!」

「あらお銚子も丁度切れてたのよ、流石鳳翔さんは気が利くわねぇ」

 

 飲兵衛二人は来たばかりのお銚子を早速注ぎ始める。吹雪はこの二人の飲酒ペースまで完全に把握しているのは付き合いの長い鳳翔の年の功なんだろうかと思いつつ、自分もどこかの被害担当艦のように絡まれる前に退散しようと踵を返すのだった。

 

 

 

――――スパーン!

 

「わわわ、ごめんなさい! 年の功だなんて失礼しましたぁー!」

 

 調理場の暖簾をくぐった瞬間耳に入る大きな包丁の音に、吹雪は動転して口走る。しかし、吹雪の動転の理由が分からない鳳翔は、二つに割ったイナダの頭とアラに塩を振りながら吹雪にどうしたのと尋ねる。瞬時に自分の失礼な想像が無関係だったことに気付いた吹雪は愛想笑いで必死に誤魔化し、次の指示を乞う事で場を流そうと画策する。鳳翔はなんだか釈然としないながらも、吹雪に合わせ調味料作りを任せる。

 

 酒、味醂、醤油を等量ずつに砂糖を半量。和食でお馴染みの甘辛い合わせ調味料を混ぜ終えた吹雪は鳳翔にそれを差し出す。この味付けなら次の品目はあれだろうと、経験の少ない吹雪ながらも薄々想像がついた。

 鳳翔はイナダの切り身に薄っすらと片栗粉をまぶし、フライパンで皮目から焼いていく。皮目に色がついたところでひっくり返し、吹雪から受け取った合わせ調味料を回しかける。ジュワっという音と甘辛い香りが辺りに広がり、汁がタレになる程度煮詰めれば完成だ。吹雪の予想に違わず、イナダの照り焼きだった。

 

 

「うっひょー! ぶり照りだー! これがまた酒と合うんだよなぁ!」

 

 照り焼きは大喝采で飲兵衛ズに迎えられた。同時に追加されたお銚子にももう手が伸びている。この二人は本当にペースが早い。

 

「そういえば千歳、なんで今日は鰤じゃなくてイナダにしたんだ? お前さんのリクエストだって聞いたけど」

「だって、鰤だと出世おしまいじゃない? どうせなら今後もまだ改装あるかもって思いたいじゃない」

 

 鰤は出世魚だ。ワカシから始まりイナダ、ワラサ、ブリと大きくなるにつれて名前が変わっていく。

 千歳がイナダを選んだのは、まだまだ今後も成長して役に立ってみせるという彼女なりの決意表明だった。そう告げた時の彼女の瞳は、酒の虚ろではなく見据える未来を写すように澄んでいた。

 吹雪は一瞬ハっとしたが、最近増えた体重を気にして鰤より脂の少ないイナダにしたんだろと茶化す隼鷹と、心当たりがあるのか目を泳がせた千歳を見て、なんだか締まらないなぁとひとりごちた。

 

 

 調理場に戻った吹雪の目に大鍋の前に立つ鳳翔が映る。

 今度は何をと尋ねるまでもない、イナダと言っても鰤は鰤、ぶり大根の仕込みに決まっている。

 大鍋に湯を沸かし、厚手のイチョウに切った大根と米の砥汁を少々加え下茹でする。鰤の身と先ほど塩を振ったアタマとアラは熱湯にさっとくぐらせ、水で身を締める。

 

 中落ちが魚の醍醐味よねと鳳翔は上機嫌で調理を進める。吹雪が中骨に残してしまったイナダの身も、鳳翔にかかれば立派なごちそうでしかない。吹雪としては、自分の失敗も全てが掌の上のようで、なんだか肩の力が抜けてしまった。

 

 下処理をした大根と鰤を鍋に敷き詰めたら、先ほどの照り焼きの合わせ調味料の余りに生姜汁を加え、だし汁で伸ばしてひたひたになるまで注ぐ。あとは煮立たせた後に火を止めて、味が染みわたるまで小一時間ほど予熱を通せば出来上がりだ。

 

 

 

「なんや、もう殆ど揃ってるんかいな」

 

 陽気な龍驤の声に食堂に会した皆が返事を返す。これからやっと一次会が始まるのだ。

 卓上には鳳翔作の様々な料理が並び、宴の開始を今か今かと待ち侘びるかのようだ。最後に、食い気の人用にと大きな桶に入ったちらし寿司がお目見えし、食堂の一角から歓声が上がる。

 どうやらこれにて準備は整ったようだ。胡散臭い咳払いをして幹事の隼鷹が立ち上がり音頭を取る。

 

「今日は千歳千代田の改ニ祝いだよ! なんかもう片方潰れてるけど気にすんなって! ―――それじゃあ!」

 

 

 

とある鎮守府の、とあるささやかなお祝い事のお話

 

―――――"乾杯"

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