天才という言葉はこの子のためにあるような言葉だと思った。元々やや粗いとはいえ全集中の呼吸を習得しており、更に儂の呼吸を見ただけで粗さが一気に消えた呼吸に変える。
身体能力も外見から想像できるものとはかけ離れ、馬鹿弟子が言っていたようにただの包丁で鬼を一方的に切り刻んでいたというのもあながち嘘ではないと思わされた。
更に剣術の才も並外れており、儂が一度演舞として見せただけの水の呼吸の型を見取り、自分の身体に合うように落とし込んで使いこなして見せた。それどころか儂のかつての同期や上司であった様々な育手の呼吸と技すらもただ一度の観察で自らのものとし、自身の技として見せた。
この子は間違いなく天才だ。十年もあれば一角の剣士になれるどころか、今ですら十分な実力を備えている。今年の最終選別に参加させたとしても、危なげなく突破して見せるだろう。それこそ傷一つ負うことなく、必要とあらば藤襲山の鬼を全て斬り殺して悠々と下山してくるだろう。
だが、この子は幼い。若いという言葉では間に合わないほどに。例えこの子が天才であっても、いや、天才であるからこそ妬み嫉みを招くだろう。それを気にするような性質をしていないことはわかっているが、それでも子供が幼いうちから命のやり取りに慣れるというのはよくないことだとわかる。かつて父親だった儂であれば、どれだけの才能があろうとこのような幼子に武器を取らせるようなことはしなかった。
しかし、鬼殺の剣士として生きてきた儂はそれを良しとした。実際に振るう機会が無くとも、鬼がいつどこに現れるのかもわからない以上は最低限の備えとして武器を持たせておきたい。何もできないまま死してしまうのも、何もできない理由が儂の……言ってしまえば我儘としか表現できない物であるというのはどうしても受け入れられない。
あの子はやがて最強の鬼殺の剣士となるだろう。五つにも満たない今ですら、最終選別を乗り越えて多くの鬼を狩ってきた隊士の大半より強い。階級で表すならば既に乙かそれ以上であるのは間違いない。衰えたとはいえ儂だけでなく同期や元柱の育手が同じように、あるいはすでに自分が現役だった頃よりも強いかもしれないとすら言うほどだ。
しかしそれを聞いてもあの子はひたすらに剣を振る。炎の型を、水の型を、岩の型を、風の型を、雷の型を、流れるようにいくつも連結させ、ほんの一瞬も隙のできない連撃を舞うように。
片手で左から右に斬りつける水面斬りから入り、勢いを殺さぬよう刀の振る方向をくるりと変えろと同時に両手持ちに切り替えてその捻りを利用してねじれ渦へ繋げ、その渦の勢いに乗せるように炎の型の昇り炎天で上方に斬り上げ即座に風の型の木枯らし颪、更にはその木枯らし颪そのものを連撃の一つとした雷の型である稲魂へ繋げ、稲魂の最後の一振りを振るいながら一瞬で駆けることで炎の型の不知火へ。
様々な呼吸の型を高速で無限に連ねて繰り返すそれも同じような状態、例えば今は炎の型の突進技である不知火から風の型の突進技である塵旋風・削ぎへと繋げたが、以前は同じように不知火から雷の型の聚蚊成雷へと繋げていた。同じ技、同じ流れから全く違う技へと繋がっていく。一度繋がったからと言って再び繋げない確証はなく、しかしもう一度使うという確証も無い。無制限にひたすら、あの子の体力が続く限り収まることのない剣の舞。それは長い時には昼夜を徹して続けられ、食事も睡眠も一切取らないままに行われることもある。
そして気付かされるのは、呼吸音だ。あの子の呼吸音は今まで聞いてきたどの呼吸の物とも違う。掠れるような風の呼吸でなく、歯の隙間から漏れるような雷の呼吸でなく、洞窟を抜ける風音のような岩の呼吸でなく、燃え盛る炎のような炎の呼吸でなく、当然水の呼吸でもない。しかしそのどれでもない呼吸から様々な呼吸の型を繰り出し、繋げ合わせる。
基礎である五つの呼吸は、この子によって編纂されて完成された。この子の将来が楽しみだ。儂はそんな事を考えながら、夕焼けの中で刀を振るい続けるあの子を眺め続けていた。
次回作
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魔王城でおやすみ
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鋼の錬金術師
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なんか適当に止まってるの
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なんか適当にハマってるの