キリシュタリア・ヴォ―ダイムの愉快な冒険   作:廓然大公

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第2話

 それは悪夢だった。

 

 

 戦争に勝利した。百年にもわたる争いが終わり、そして私たちはその勝利の川岸に立っていた。順調だったはずだ、成功したはずだ、終了したはずだった。一兵卒として参加していた彼もその一端を担った彼であってもその終わりを予感していた。元のように家へ帰り、家族とともにいいさな食卓を囲むはずだった。来年のための麦をまき、友とともに語らい、年かさの母とともに祈る。愛する妻を想い、そしてまだ小さい息子たちに寝物語を聞かせる。

そのために戦って来た。

そうなるはずだった。

それだけだった。

それなのに。

この光景は何なのだろうか。

 

 

燃える。

燃える。

 

 

 消えることのないその火勢は衰えることなく、破裂するように広がるその赤色は触れたとたん隣にいたはずの盟友を焼いた。火傷ではない。指先にたどり着いたその赤色は揺らめき、蝕むように彼の体を登っていった。燃えにくい人の体を、まるで乾いた薪のように、いいや、油でも塗られたように一瞬で伝い、そして瞬きの間に真っ黒く焦がす。肉は焼け、血は乾き、骨を残す。語らっていた男は呼吸一つの最中にはまるで朽ち果てた煤のように、石墨の様に黒く砕かれていく。地面へと落ちたその遺骸はたやすく砕け、肺の中にわずかに残った木炭と大差ないほどの砕かれる。元が何かであったかなど分かることはない。知られることはない。残すことはない。

手向けられることなどなく、弔いなどなく、そしてそれはもはや人間ではなく、人の死に方ではなく。

それが視界一杯に広がる。

炎は猛り、

人は焼けた

残るものはなく、残すことはなく、残ることもない。

熱のせいなのか、耳を埋める叫び声のせいなのか、それとも震える子の右手のせいなのか、現実感は遠く、しかして嫌に喉が渇いていた。

槍を振るう。

炎の中から向かってくる飛竜の目をつぶした。

ひるむそれに向かい倒れた誰かを走らせる。

けれど空を覆う、同じ形の蜥蜴が視界を埋める。

戦線などもはやない。

向かうものなどなく、死は鼻さきにも嗅ぎ取れる。

横からなぎ倒される。

飛竜が私を押し倒すように激突し、地面へと組み伏せる。

動くことはできず、槍は折れた。

蜥蜴を伝い炎は私へと覆いかぶさる。

そして

 

 

その時私は流星を見た。

 

 

 

 

 

 

 

それは時として外敵の一手を封じ、攻勢を挫き、倒れ伏した輩を抱える。

目にとどまるのはただ白い残像と消え去った一瞬後の死、出血は免れない、しかし致命には程遠い。その程度の小さな助力。塵芥のような、しかし明確な分水嶺を超える一手、二手、十手、百手。防衛が失敗するのは決定事項、しかし、それがだんだんと彼方へと遠ざけられてゆく。塵も積もれば山となるように、小さな雨の一滴が街を押し流す氾濫となりうるように、戦場が白く染まり始めたころ、ようやくかの黒き邪龍はその存在に気が付くだろう。取るに足りない羽虫のようなその存在に、白く、ただ白くかける流星となったただ一人の人間の存在に。

 そうして、ようやくただ無差別な蹂躙が止まる。そして始まるのはただ一人への視線。礫時に刻まれた頂点たる幻想樹からの殺意の視線。ただの人間ならば消し飛ぶほどの呪。

呪は炎と形を変えてその人間へと襲い掛かる。津波にも似たその赤い壁を白い星は動くことなく、しかしその波は彼を取り巻くように分かたれ、彼を押し流すことはない。押し流す大河のようなその紅い濁流の中を浮かぶ小舟のように、ゆられ、煽られる。しかしそれでもその白い星はその場から流されることはなく、ただあり続ける。

ゆっくりと引きゆくその濁流しかして、その白い人影はただそこにあり続けた。

ちっぽけなただの人影が残っていた。

 

 

「いやはや、やはり黒のほうがよかったか、少しばかりすすで汚れてしまったな」

「ファヴニールの様子を見に来てみればなんですか、これは。まだ外壁も壊せてないの」

 

止まった邪龍の足元に声が響く。先ほどまで何もなかったはずのかの邪龍の足元には二つの人影が現れた。一つは紺の法衣のような衣の男だった。見開かれた大きな両目とは対照的にやつれたようにこけた頬と黒く塗られたようなくまはその男を幽鬼のように不気味に映す。しかし同時に聖人のように微笑むその表情がさらなるちぐはぐさを印象付けてきた。

「ふむ、ただの人間に止められるべくもないと思っておりましたが、いささか予想外の人材が混じっているようですねぇ」

芝居がかったように、歌うように告げるその声、背中をなめられたような悪寒、それはその大きな目にはこの城壁の人間を観ていないからだろうか。

「つまらない

つまらない

つまらない

つまらない。

ああ、つまらないわ、ジル。人間は蹂躙されるもの、人類は焼却されるもの、そうでしょう、ジル」

答えたのはもう一人の女だった。

黒い女だった。

邪龍と同じ真っ黒な鎧と焼け残ったような羽織に残った傷は嫌に生々しく映る。不様に切りそろえられたような髪は燃え残った灰のよう、真っ白な肌はすでに息の通わぬ死人のよう。女は退屈そうに呻く。一歩、また一歩とその歩を進める。灰の中から生まれたとでもいうべき黒き女は確かに技巧を凝らした芸術品のように美しく、そして同時に悪辣に歪んでいる。その視界には誰も入ってはいない。

 

 

「ジャンヌ・ダルクだっ。やっぱり魔女ジャンヌ・ダルクが地獄から帰って来たんだっ」

兵士の中、誰かが言い放つとまるで口火を切ったように戦線へと伝播する。あるものはその存在に驚愕の色を浮かべ、またある者は奇異の視線を送る。しかしその中で最も多く寄せられたのは恐怖の色だった。

 

「そうね、そうよね。貴方たちが私に向ける視線は其れでなければならない」

 

女は笑った。

女は嘲笑った。

 

「国をかどわかし混乱に陥れた魔女、汚らわしき裏切者、淫売なる悪逆の徒」

 

その声はまるで少女のように

流行り歌に乗り踊る少女のように、

 

「ああ、ああ、そうね、国を裏切った魔女なんだから、そんな魔女が何をするかなんてわかり切ったことよね」

 

彼女が手を振る。軽く、横に一筋、線を引くように。

救われぬ誰かへと誰かへと手を差し伸べるように。

 

「よけろっ」

 

その声とともに彼は地面へと組み伏せられる。一瞬の後彼の頭があったはずの場所には業火が躍る。地獄のようなその炎は空気すらも焼くように盛り、そして消えた。

 

「あら、避けるのね、あなた」

 

魔女の声に色は無くただつまらなさそうに倒れこんだ二人を見下ろしていた。

 

「早かったなカドック、一歩遅かったら死んでいたところだった」

「そんな大事なことを簡単に言うなっ、大体前線に真っ先に突っ込んでいく指揮官がいるかっ、お前が死んだらどうするんだよっ」

 

自らも崖から飛び降りてきたらしい青年、もともと血色がよいとは言えなかったその表情は蒼白を通り越し黒くなっているようにも見える。

 

「別に私は指揮官ではないさ、それに」

 

その言葉を言い切る前に再び熱波が迫る。すんでのところで地面を転がるように避ける。

 

「白い服が随分と汚れたのね」

「洗えばいいだけさ、いかようにも変えが効く」

「なら」

 

振り下ろした魔女の手、咄嗟に彼は手にしていた魔杖を地面に突き立てた。魔女から放たれた紅炎は彼を襲うことはなくしかし、その上を通り、城壁前に控えていた兵士たちを襲う。しかし、小さく、ガラスの割れる音とともにその火勢は方向を変え、城砦へと突き刺さり、石壁を焼く。城砦は揺れ、兵たちはその光景をただ震えながら見つめている。

 

「随分と余裕そうね」

「そうでもないさ、予想としては消失させるはずだったんだけど、着火点を変えるだけしかできないとはね」

 

彼の手にしていた魔杖に細粉された意匠、小さなガラス玉には一つひび割れが入り、半分ほどが欠けて無くなっていた。

 

「それにどうやら天は私たちに味方してくれたようだし」

 

彼の視線の先、それは小さな白い人影、白き御旗を掲げる姿。彼女の登場と存在によって魔女の目が逸れた一瞬、邪龍たちを囲むのは星の光、出ることはできないその光の中で魔女は高らかに笑い始めた。

 

「ああ、そうね、そう来なければね。そうでなければ。ああ楽しみね、待ち遠しいわ、あなたもそうでしょう」

 

それを彼女はただ見つめていた。

 

 

 

 

 

「私はあなたを殺しに行くわ、ジャンヌ・ダルク」

 

そして、彼らは光とともに消え去っていった。

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