1431年5月30日 一人の少女が死んだ。
どこにでもいるただの農夫の娘
神の声を聞いた救国の聖女
下を向くだけの劣勢の国を数った
魔女と罵られくべられる彼女を救わなかった
文字すら知らぬ無垢なる乙女は立ち上がった
知を知る者は彼のものを貶め弾劾の席へとついた
世界は救われた
彼女は救われなかった。
ならば
ならば彼女に救われ彼女を救わなかったものは
次は何に救われぬのだろうか。
「やっぱり、魔女が帰っていたんだ、地獄から戻ってきたんだ」
誰かが言い、誰かが叫んだ。
そして一度燃え広がった言葉は邪龍が消え去った後も消えることはなく燃え広がる。あたりに残ったのは焼け焦げ、固まった黒い土と、それに付随するかのような黒き炭と煤。うめきごえは絶えることなく、誰かの鳴き声も途絶えることはない。それでもそのささやきは熱病の様に伝播していく。黒き魔女と邪龍は消えて尚、白き少女の存在を認めることはできない。
そういうように、何かにそういわれているように。
それは来訪者たちへの礫へと変わる。その表情に余裕などなく、応答などなく、まるで懇願するように放たれた礫に力はなく、ただ悲鳴にも似た風切りの音が彼らを襲う。
「ヴォ―ダイム、ここはいったん引くぞ、町は傷つけられないっ」
「ならばこちらへ」
彼女に誘われ彼らは城壁を後にする。聖女は振り返ることはなかった。
「レイライン、というのはあまりよく知りませんが魔力だまりのようなものでしたらこのあたりでどうですか」
「どうだい、カドック」
「悪くはない、これならカルデアとの通信くらいなら安定できる、物資とか、その他もろもろまでの転移は厳しいだろうが」
「そこまでの幸運は期待していないさ、通信だけでも大きな一歩だろう」
それで、とレイラインとの接続準備をし始めた青年にも聞こえるように彼は少し大きな声で彼女へと問いかけた。
「貴方は、我々の味方、と考えてもいいのだろうか、聖女ジャンヌ・ダルク」
城塞都市より離れた小さな丘陵に彼らの姿はあった。彼らの敵となるものも、そして味方となってほしいものもそこにはいない。人影はなく、ただ遠くに見える小麦畑が見えるのみ。そこには倒木へと座り、一息ついた救国を成した年若き聖女、ジャンヌダルクと名乗る少女の姿があった。
『そんなはずはないっ、そこは確かに1431年の七月だっ、本来の歴史ならジャンヌダルクはすでに火刑になっているはずじゃないか』
通信が開始したのかカルデアにいるはずのロマニ・アーキマンの声が驚いたような声が聞こえてくる。調整に失敗したのだろうかそれを耳元で聞いたらしい青年が何やらロマニへと説教をしている。
「はい、確かに私はこの時代の人間ではなく、英霊の座によりこの特異点へと現界したサーヴァントです」
「しかし、あの黒い魔女といっていた女もあなたと同じ顔をしていたぞ。同一特異点に同じサーヴァントが召喚されるものか」
手にした通信機をいじくりながら言い放った青年の声には微かに疑念の色が浮かんでいる。敵対者に向けるものほど鋭くはなく、しかし同胞に向けるにはいささか重い。
「我々としてもあなたの言葉を信じるのはやぶさかではない、しかし、あの魔女があなたとあまりにも似通っていることも事実として存在する事をわかっていただきたい」
「でも」
懇願するような彼女の声を彼は受け取った。
「だから、まずは話しましょう、すべてはそこからだ」
事の発端は聖女ジャンヌダルクが火刑に処された数週間後のことだった。
フランス各地の村が焼かれるという事件が起き始めた。休止中とはいえ英国との戦争のさなかであればそれもありうることなのだろう。しかし、
『黒い聖女が竜を引き連れて襲って来た』
そう、生き延びた村人は口を揃えていった。どの襲撃現場も凄惨の一言に尽きるその光景、攻城兵器でもなければ突破されないような破砕の跡、そこへと敵軍が攻め入った証拠もなければそこへ攻め入る戦略的な意味もない。しかし事実として残されたのはまるでおとぎ話の邪悪な竜の仕業のような大きな爪の後。依然として止まらない襲撃とよみがえった復讐の聖女の噂はフランス中へと広まっていた。
「私が召喚されたのはその頃でした。既に多くの村が焼かれた後、止めるには如何に英霊となったこの身でも力及ばずに」
『相手は竜種だ、如何に英霊とはいえ無策で出ていったとしてもこっちがやられるだけだ』
頷く彼女に彼は小さく考え込むように腕を組んだ。
「貴方のいた時代なら、貴方とともにあった仲間へと連絡を取ることはできなかったのかな。貴方がかけられた裁判が如何に偏った判決とはいえ、それがすべて国民感情というわけでもあるまい。反対した同志もいたはずじゃないか、ジル・ド・レェとかラ・イルとか」
その言葉に彼女は少しうつむき、小さく首を振った。
「無理だろうさ」
地面にレイライン接続のための魔法陣を描きながら青年は言う。
「この時代の宗教裁判の判決に異を唱えればそれこそどんな聖人君子であろうともその命はない。それが歪められたものだとしてもだ」
その言葉に彼女は苦笑を浮かべる。
「それに彼女が召喚されたのがもうすでに地獄から戻ってきた竜を従えた黒い魔女の被害が広がり、噂がたってからだ。そこへ死んだはずのジャンヌダルクが戻ってきたからといって受け入れられるはずがない。あの魔女とのつながりも否定はできないし。感情はどうあれ殉教ではなく魔女として火刑にかけられた事実がある」
「しかし、実際ジャンヌダルクが二人存在しているんだ、漫画みたいに正義のジャンヌと悪のジャンヌの光と影の戦いとは思わないか。事実あの黒い魔女の行動は生前の彼女の行いとは真逆であるのだし。彼女を信じる者も少なくないのではないか」
青年は彼の言葉に少し驚いたようにこちらへと視線を向けるも、すぐにまたいつもの仏頂面に戻り魔法人の構築を始める。
「確かに信じる人はいるかもしれない。しかし、信じていたからこそ、彼らには負い目がある」
「何を負うのですか、むしろ被害にあっているのは彼らの方だというのに」
そういう少女を青年は不愉快そうに一瞥した。
「聖女を救わなかった、見殺しにしたという負い目さ」
青年の言葉に少女は少し驚いたように、そして少しだけ納得したように眉をひそめて笑った。
「そこへ救わなかった自分たちへの復讐のためによみがえった黒き魔女とそれでも自分たちを救おうとよみがえった白き聖女。既に被害を出している前者と、魔女とのかかわりも分からない不審な後者。一般人がどちらに納得し対立するかそれとも協力するか、天秤にかけるまでもない」
その言葉が事実なのか、少女はやはりうつむくのみ。
「カドック、君は女性の扱いをもっと勉強したほうがいいと思う」
長考の末、彼が零したのはそんな言葉だった。
「仕方ないだろうっ、僕は客観的事実を言ったまでだっ」
「でももっと言い方があるだろうに、ああ、素敵なお嬢さん、どうか私めにその白百合のような顔をお見せください」
彼女の前で彼は膝立ちになるとどこから取り出したのか小さな白百合の花を一輪差し出した。
「え、ええっと」
「彼女も戸惑ってるじゃないか、それになんだそのいきなりな気障なキャラはっ」
「まぁ、いきなり大声を出して、これだから男の人って野蛮でいけないわ」
「だからなんでおねぇキャラなんだ、ペペかっ。今までの貴族面はどこに行ったっ」
「怪人百面相とでも呼んでくれてかまわないぞ明智君」
「誰が呼ぶかっ」
得意げな彼にかみつく青年、その光景に彼女は小さく笑う。
「随分、愉快な方々ですね」
「もちろん、キリシュタリアとゆかいな仲間たちとお呼びください」
「誰がゆかいな仲間たちだ、誰が」
彼の確信に満ちた声と、青年の怒声もそして彼女の小さな笑い声とともに初めての夕日が暮れていった。
「キリシュタリア君も外に出ると案外愉快になるものだね」
「いいや、案外あっちのほうが素に近いんじゃないのかな」
カルデア内部、指令室の中、所長代理のロマニアーキマンは傍らに控える技術顧問、ダヴィンチへと語り掛けた。
「そうかな、時計塔のでもトップクラスの家柄っていうし、貴族様ならもっと高慢ちきな人だと思ってたんだけど。」
「今、カルデアの所長をやっている人も随分とゆるふわを自称しているくらいだからちょうどいいんじゃないかな」
言い淀んだロマニにダヴィンチはメインモニタに映し出され続けている二つの点を眺める。レフライノールの爆破事件を生き延び、世界の命運を背負った二人の存在証明。今はただ木陰で休息をとる彼らの姿を。