懐玉―慧眼の呪   作:hrd

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参 護衛任務二日目

 ──迷いながらぶつかりながら揺れながら過ごした日々をいとしく思う。

 

 

 三条河原家に入った覚を待っていたのは、礼儀作法の再教育だった。畳の歩き方から食事の仕方へと徹底的に容儀を正され新たに自分を創り変えられていく。

 四六時中緊張を強いられる環境下は、覚をロボットへと変えていった。言われたことをインプットして実行する。プログラミング通り寸分違わず実行すれば叱責を受けることはないのだと幼い覚は学習した。

 礼儀作法の教育が終われば呪力操作と術式の苛烈(スパルタ)教育が始まり、並行して道のつく習い事を詰め込まれていった。

 そこでもまた覚は言われたことを寸分違わず実行していった。そうして自分を殺す方法を見つけ、そういうものだと納得した。従うことに慣れ始め、相手の理不尽に呑み込まれていた。

 学校へは通えなくなった。家庭教師を呼び、家から出させてもらえなくなっていた。

 そうして心のよりどころをなくして追い込まれていき、覚は三条河原が望む装置となり始めていた。

 

 転機が訪れたのは、三条河原家に入って初めて年を越した日だった。

 次期当主のお披露目と新年の挨拶を兼ねて覚は初めて呪術界の御三家、宗家である五条家を訪問することとなった。

 

 車の後部座席の窓から過ぎる街並みを横目に、覚は五条家に向かう。

 

「あと15分で着きます」──気ぃ引き締めなはれ。

 

 運転手の口調は柔らかいが言葉の裏が聞こえてくる。

 流れ過ぎる街並みは過ぎる時間と重なる。覚は眼に呪力を込めて2時間先までの未来に意識を飛ばした。

 

 映像は旅館と思う程の立派な日本家屋を映している。広い和室に通され、並んで座る五条家に三条河原家の当主が挨拶する。その後順に挨拶の口上を述べていき、覚も叩きこまれた台本を読み上げた。

 次期当主の紹介及び新年の挨拶は厳かに進み会食へと移る。ここまで粗相は何一つない。食事のマナーもプログラミング通り実行されている。

 会食も終わり、各々歓談に花を咲かせている時にそいつは動きだした。

 いつの間にか覚の目の前に五条家次期当主、五条悟が立っていた。その瞳は冷たく、別の世界からこちらの世界を見ているようだ。

 

「さっきから見てたけどクソつまんねえ奴だな。ロボかよ。まあ、呪術の才能はある方かもしれねぇけど、呪力操作はまだまだだしこれなら呪骸といる方がましだな」

 

 賑わっていたはずの部屋がしんと静まり返る。

 近くにいた三条河原家の者が何とかしろと目で訴えるが、こんな時の対処方法を覚はインストールしていない。

 

「ガチでロボかよ」

 

 悪魔は興味が失せたように部屋から出ていった。残された覚は、両家から発せられる落胆の溜め息に押しつぶされていた。

 

 ──「本家の方々、特に御当主と(ぼう)には失礼のないように」

 

 びくりと体が跳ね、意識が現実に引き戻される。

 清水のような声をもつ使用人に「承知している」と口角を上げたが、その瞳は呪うように流れる景色を見つめていた。

 

 

 

 

 

 黒井奪還劇は五条、夏油、覚の三人の特性を生かした華麗な連係プレーで幕を下ろした。

 22:00-22:00(24時間分)の未来を視た覚が指揮を執り、五条、夏油を筆頭に窓や家入に指示を飛ばして障害を摘み取る。次に五条が六眼を使い、飛行機の乗客乗員および機内外を事前にチェックして安全を確保する。最後に、夏油が飛行中に呪霊を飛ばして常時外からの攻撃を防ぎ4人は無事に沖縄の地を踏んだ。その後も一行は覚の指示に従い難無く黒井を奪還した。それはできすぎたストーリーの様に、何の障害もなく見どころのない劇だった。

 

 そして5人は現在、帰りの飛行機の時間まで沖縄のビーチを満喫している。

 五条、天内、覚は浅瀬でナマコやヒトデを投げ合い幼子の様に走り回っている。同化を控えた天内には最後の海、家に囲われていた五条と覚にとっては約10年ぶりの海である。それぞれの感情が込み上がり三人の周りは変なテンションと化していた。

 そんな三人を夏油と黒井は保護者の様に温かく見守っている。

 

「悟!! そろそろ時間だよ」

「あ、もうそんな時間か」

「あー、楽しかった。じゃ、帰んで」

 

 天内、と覚は振り向きその表情を見て失敗したと思った。

海を踏む天内はあまりにも寂しそうにしている。

まずいと思った時には遅かった。

 

「傑、戻るのは明日の朝にしよう」

 

 最悪、と五条の提案に覚は目を覆う。

 冷酷で非道にもなれるくせに、人間の根幹が優しい五条は最後の願い(こういうの)に弱い。

 

「……だが」

「天気も安定してんだろ。それに東京より沖縄の方が呪詛人(じゅそんちゅ)の数は少ない」

「『僕はキメ顔でそういった』とか言うなよ」

「もう少し真面目に話して」

 

 手刀を入れて窘める夏油に五条は最もらしい建前を吐く。

 

「飛行中に天内の賞金期限が切れた方がいいっしょ」

 

 ──明日消滅する天内に、最後の沖縄を満喫させたい。

 

 それは 「お願い」というように聞こえた。五条を理解している夏油と覚はその聞こえない声が聞こえてしまう。そして夏油は五条よりも優しい。優しいからこそ、天内と親友の数少ない言葉にできない思いを叶えようとする。

 覚はそんな夏油の優しさを理解しているからこそ、その想いを冷たく断ち切った。

 

「あかんで。絶対に帰んで」

 

 有無を言わさない雰囲気に二人は眉を寄せる。

 

「……覚、何か起きるのか?」

「別に、何も。けど、あかんもんはあかん」

「はっ、お前らしくねぇ言い分だな」

「わかっとるわ。そやから正面から言うとんやろ。帰るで、絶対や」

 

 刀を突きつけるようお願いする覚に、五条と夏油は見えない不安を抱く。未来を唯一視ることができる覚がここまで言うならば、それに従う方が得策だと理性が肩を叩く。

 

 そんな二人の陰る瞳をよそに、紫の瞳は対処できる未来を視ていた。

 那覇空港や飛行中は安全であるが東京に着陸した途端大規模な襲撃を受ける。その後も高専までの道のりはラストスパートかの様に呪詛師に襲撃され続けるが、高専には無事到着し、天内は手厚い保護を受ける。

 未来をより都合よく変えるために覚は、呪術師、窓、三条河原の人間を派遣して先手を打った。その任務完遂の報告も既に受けており、五条や夏油が想像するような危険は訪れない。在るのは掴むことができない覚の中を漂い続ける不安だけだ。

 

 二日前に慧眼が見せた瞬間的な映像がフラッシュバックして不安が拭えない。

 しかし、それは今日の22時までの未来には含まれていない。その未来が現実の『いつ』を切り取ったのかわからないことが覚の心を更に重くした。

 楽観的な考えがその未来はもう変わっていると耳元で囁いてくる。一瞬だけ見た映像が記憶からどんどん薄れていき些細な手掛かりが消えていく。

 未来視に録画機能がついていれば何回も再生して解析し、より確実に未来を変えることができるのにと、できないことばかり考える。

 

 覚は帰り支度をする4人の背中を見た。その背は寂しいと言うように手を伸ばして縋りついてくる。覚はその手を一度だけ見たことがある。三条河原の家に行く時に両親が伸ばしていた心の手だ。

 

 ──『幸せに生きて』

 

 顔も忘れた両親の声がこんな時に聞こえてくる。

 

 ──幸せとはなんだ? 

 

 幼い頃から考え続けていた呪いの言葉が首に巻きつく。

 

 ──このまま高専に帰って同化を迎えた場合、天内は最後に幸せだったと言えるのか? 

 

 普段の覚であれば想像もしないことを今の覚は想像している。夏油や天内、両親の声に影響されて築いた足元に靄がかかる。他人を慮る考えが覚の肩を掴み、それでいいのか?! と力いっぱい体を揺さぶる。

 

『顔も知らん他人のために自分が犠牲になって何もない生活(その利益)を当たり前のように享受されるとか最悪やん』

 

 二日前に言った言葉が胸を刺し、ゆっくりと首を絞め上げる。

 未来は万全だ。最悪な未来は訪れない。何も訪れないからこそ、考えに余地を生んでしまう。

 

 ──天内を犠牲にして、当たり前にその利益を得ていいのか。アイツの生きる意味は同化だけでいいのか。

 

 覚は、天内に抱く嫌悪感の正体に薄々気づいていた。この少女を見ていると、三条河原家の装置になろうとしていた過去の自分と重なるのだ。

 体を這うように不快な暗い手が覚の心臓をぎゅっと掴み、痛みを与える。

 

「覚? 何やってんだよ。飛行機遅れんぞ」

「……わかっとるわ」

 

 ──わかっている、自分は愚かだと。

 

 覚は瞳を閉じて嗤った。

 4人を追い抜き、今からしようとする未来を視る。

 それは、宝石の様にきらきらとした、良い思い出となる良い一日だった。

 覚はゆっくりと瞳を開けて振り返った。挑発的だが、温かく慈愛に満ちた眼差しだ。

 

「悟、傑、黒井さん、今から天内さんと美ら海水族館行ってくるわ」

「「はぁ!?」」

「「え゛?!」」

 

 嫌そうな声をだした天内に、何か文句でもあるんか? と覚は絞め上げる視線を送る。天内は脱兎のごとく黒井の後ろで震え上がり、覚から目を逸らした。

 

 

 

 

 

「沖縄言うたら美ら海水族館やろ。ジンベイザメやろ。なんや知らんのか? 人生損しとんな」

「そ、そんなことないもん!! というか、何で?! さっきまで──」

「つーわけで、ちょっくら二人で行ってくるわ」

 

 覚は夏油に視線を向けて決定事項を告げる。夏油の了承さえ得られれば煩い五条も少しは黙る。

 

「二人で? それはいくらなんでも駄目だよ。危険だ」

「大丈夫。襲撃されへんし、ちゃんと戻ってくるわ。帰ってきたらみんなで観光しようや」

「だがなぁ……」

「それにな傑、黒井さんを休ませなあかやろ。いくら何でも昨日から緊張しっぱなしやん。誘拐されとんやからストレス溜まっとるやろ。最低でも2時間くらい寝かしたりや。そしたら護衛が一人おらんとあかんやろ? 悟を黒井さんの傍に置いたらコイツ黒井さん襲いそうやからな、傑がコイツ見張ってくれへん?」

「はあ?! お前ふっざけんなよ!! 大体俺の理想はなあ──」

「悟、言わなくていいから」

「傑、頼んだ。お前だけが頼りやねん」

 

 ──少しでいいから悟を休ませてくれ。

 

 覚もまた建前を吐いて夏油に目配せする。

 五条は護衛任務に就いてから一度も術式を解いておらず、睡眠もとっていない。術式の発動から既に24時間は経過しており、消費した呪力量、睡眠不足、緊張による体力と精神の乱れを夏油と覚は察知していた。本人は普段通りに振舞っているが、それは高すぎる自尊心によって保たれている部分が大いにある。本人が自覚している以上に五条は削られている。

 覚にとってはそれもまた建前であるが、その思いを汲み取ることができる人物は、疲労により覚の本心に気づくことはない。

 

「そうだな。万が一ということがあるから私が悟を見張っておこう」

「襲わねえよ!! なら傑と覚が黒井さんを護衛しろよ! 俺が水族館に行く!」

「お前が行っても役に立たんわ。呪詛師が来てみ? 悟が術式ぶっ放したら水槽割れて天内さん水死や。傑の呪霊も似たようなもんやからな、常に未来を視ることができてスマートに殺れる僕が適任やな」

「アイツむかつくな!!」

「奇遇だな悟、私もだ」

「そういうわけで天内さん行くで!」

「おい、ちょっ、ちょっと待つんじゃっ!!」

 

 引きずるようにして天内を連れて行く覚に、夏油は素直じゃないなと笑みを零した。

 

 

 

 

 

 青に輝く世界を薄暗い世界から覗く。水は光に反射してきらきらと輝き、差し込む陽光は尊く天使の梯子を下ろしている。それは生物の生態を教えるだけでなく、心の奥底にトポンと落ちたと錯覚する。

 

「自由と不自由の共存やな」

 

 覚は嫌味のように零した。水槽を覗き込む紫の瞳は、青を反射し濃い紫に変わっている。此処にいるのに此処を見ていない。鏡の瞳は水槽内の光景を魚に見せるように見返していた。

 天内は覚のその瞳が苦手だった。その目で見つめられると、心の奥底に追いやった何かが這い上がってくる気がするからだ。

 

「ど、どういう意味なんじゃ?」

 

 緊張から声が硬くなる。

 三条河原覚は三人の護衛の中で最も厳しく、天内が本気で睨み、全力で平手打ちをした相手だ。そんな人間と二人っきりで水族館を観て周るのはひどく気分が重く、石を呑み込んだように胃が痛い。

 これが五条であれば喧嘩しながらも観て周れ、夏油であれば馬鹿にされながらも楽しむことができただろう。彼らは天内で遊びながらも接し方は友好的だ。

 対して覚は、二人と比べて交流が少ないことも挙げられるが、それ以上に彼から発せられる棘というものを天内は感じていた。

 好かれていないことは分かっている。それでも天内は覚と仲良くなりたかった。黒井に大切に育てられ、翌日に同化を控える天内にとって、人との関わりを自ら放棄する選択はない。繋がりを大切にしたかった。話しかけないという選択肢はなかった。

 

 ──何か話題となるものはないか。

 

 小さな世界に目を向けて頭を回転させる。海、魚、食べ物と取り上げては取り下げてを繰り返し、やがて覚と海に共通する美しい青に天内は辿り着いた。

 

「そ、そういえばお主が白髪と話す時はなんだか前髪と話す時とは違った雰囲気じゃが付き合いは長いのか?」

「言い方……。そんな気ぃ使わんでええけど、そうやなぁ、(アイツ)とは7歳からの付き合いやな」

「幼馴染というやつじゃな!!」

「なんで目ぇ輝いてん」

「あ奴は昔からあんなけしからん奴じゃったのか?」

「そやな、初めて会った時からあんな感じやったわ。悪魔かと思ったわ」

 

 覚は嫌なことを思い出したと顔を顰めるが、その声はどこまでも柔らかい。

 天内はほっと息を吐き、少しだけ緊張が解ける。

 

 ──もう一歩、踏み出せるだろうか。

 

 水槽に薄く映る覚を盗み見ながら天内は綱を渡る。綱から落ちればこの先の時間は地獄と化すが、渡ることができれば距離は縮まる。

 覚との会話はまだ緊張し、目を合わせて話すにはハードルが高い。天内はここが水族館でよかったと思った。魚を見ていれば沈黙が続いても不自然ではなく、水槽に反射する姿を窺うこともできる。水族館は天内に味方していた。

 

「ど、どんな出会いじゃったんじゃ?」

 

 おずおずと会話を広げる天内に覚は苦笑した。

 

「そやなぁ、コイツ絶対泣かしたるって思ったわ」

「え゛っ?!」

 

 水族館は海の中の生態を見せる。そして海の中は人の心の中に似ている。浅く、深く、冷たく、温かく、殺伐としているところがあればそうでないところもある。きれいで、汚いところもある。

 覚は小さな世界に目を向けて、海深く自分と対話するように話し始めた。

 

 

 

 

 

 次期当主のお披露目および新年の挨拶は滞りなく進み、会食へと移る。酒が入り場の空気は次第に砕けていくが礼儀作法が崩れることはない。

 覚は笑顔の仮面を被り続け、会う人全てに会話の花を咲かせた。次第に本来の顔を忘れ、顔が仮面に乗っ取られていくが、周囲にそれを悟らせはしない。気を緩めて理想の姿から外れた場合、躾が再開されるのは目に見えている。大人は忙しいふりをして暇を持て余し、ストレスを発散する捌け口を常に探している。覚は自身を物として見ていたが、それを甘んじて受け入れるほど己の価値を見誤っていない。

 

 パチン、パチンと感情のスイッチを切っていく。その分求められる行動に全力を注ぎ聞き分けの良い装置になる。

 そんな覚を五条は観察していた。

 パライバトルマリンの瞳からはもともと無い興味が更に消え、軽蔑、嫌悪、失望が一匙ずつ投げ込まれ胸の中で混ざり合う。

 

 ──人形遊びなんて趣味じゃねーんだよ。どいつもこいつもクソつまんねぇただの言いなりじゃねーか。

 

 瞳に侮蔑を込めて五条は顔を歪めた。

 会食が終わり、大人の気が緩んだ隙を見計らい五条は獲物をしとめる肉食獣の様に覚に近づいた。その瞳を覗き込み、嫌悪を交えて挑発する。

 

 ──つまんねーままなら用は無え。

 

「お前、クソつまんねえ奴だな。ロボかよ。まあ、呪術の才能はある方かもしれねぇけど呪力操作はまだまだだし、これなら呪骸といる方がましだな」

 

 覚は一瞬、目の前が真っ白になった。衝撃が走り、ガツンと殴られた気がした。

 五条は実際に覚を殴ったのだが、その衝撃は感覚器官が感知した振動のみならず、電撃の様に覚の奥深まで感電した。

 

 ──何やコイツ。何で俺殴られてん。

 

 呪術界に入って多くの理不尽を体験した。そして今日、五条悟から二度にわたって理不尽な扱いを受けた。コップの水が溢れ出すように、ストレスが溢れ出し覚の中に広がる。

 

 ──コイツに何かしたか? してへんな。

 

『本家の方々、特に御当主と(ぼう)に失礼のないように』

 

 ──知らんわド阿呆。そう言うて甘やかすからこんなクソが出来上がんねん。

 

「ガチでロボかよ」

 

 溢れ出すストレスは五条に向き、覚は怒りの弓を引く。

 

 ──コイツ、絶対泣かしたる。

 

 瞳に暗い怒りを宿し、覚は五条を睨みつけた。

 未来の映像から言われるよりも実際に本人から言われた言葉は、覚の心に遥かに重くのしかかり装置としての機能を狂わせた。

 

「……可哀想に、坊は人形遊びしか知らんのやな。自分のフィールドしか知らんとかホンマ可哀想やわ」

「あ? 何だって?」

 

 考えるよりも先にぺらぺらと言葉が溢れてくる。

 

「呪術でマウントとるんやったら次はこっちや。攻守は入れ変わらなフェアやない。ええか! ポケモンを一匹でも多く言えた方が勝ちや!」

「はぁ?! お前何言ってんだ? そんなガキくせぇことするわけねぇだろ」

「絶対に勝てるって自信がないからやらへんの? あ、ポケモン知らんのやったら堪忍な。前の学校の友達はみんな知ってたから”坊”も知ってると思うててん。すんませんなぁ」

 

 わざとらしく『坊』という言葉を強調して覚は眉を下げた。

 五条はポケモンを知らない。当時から習い事や修業で忙しく、娯楽を楽しむ時間など無かった。子供たちの間でも五条は大人ぶっており、その手の話題に加わることはない。だからこそ、少なからず周りが知っている中で自分だけが知らないという状態はコンプレックスであった。

 覚は知らないうちにそれを暴き、大人達の前にぶちまけた。大人はそれをしげしげと眺めて通り過ぎ、五条悟の情報としてインプットする。五条にはそれが耐えられなかった。

 五条の中に羞恥、屈辱、怒りの感情がどっさりと投入され、火をかけてぐつぐつと煮えたぎる。

 

 ──コイツ絶対(ぜってぇー)泣かす! 

 

「いいぜ!! 5分後に勝負だっ!!」

「今からやないんかい! まあ、せいぜい気張りや」

 

 結果は覚が圧勝した。五条も5分間で驚くほど多くの名前を覚えたが、覚はポケモンの名前を歌にのせて歌い続け五条を唖然とさせた。

 それは五条悟にとって初めての敗北であり、同時に三条河原覚という人間に興味を抱いた瞬間であった。

 

 二人の勝負は続き、いつの間にか交互に内容を決めて競い合うようになっていた。最終決戦は呪術での殴り合いとなり、両家見守る中、五条家の庭で二人は呪術合戦を始めた。

 覚は五条よりも弱い。術式、式神、結界術といった呪術の扱いや体術は五条よりも圧倒的に修業期間が短く戦いも慣れていない。そんな不利な状況でも覚は五条悟を相手に劣勢ではあるが闘いを成立させていた。

 慧眼を使って攻撃を躱し、呪力を込めた打撃を打ち込む。対して五条は、格の違いを見せつけるために無下限呪術を多用した。

 五条家相伝の無下限呪術は、難易度が高く六眼を併せて初めて使いこなすことができる。五条はその二つを持ち併せているが、使いこなす域には達していなかった。そこに僅かなタイムラグが生じる。

 覚はそれを見逃さなかった。勝機はそこしかなかった。

 絶対に勝ちたい。その思いが覚を鋭利に研ぎ澄ませた。

 

 相手は格上。何もかも敵わない。ただ一つだけ敵うとするならば、未来を視て自分の望む方向へ現実を変えていくことだけだ。それは覚しかできない強力な武器であり、一人を除いて誰にも気づかれることのない透明な武器であった。それでも五条と闘うには力が足りなかった。故に覚は慧眼に縛りを作った。

 一つ、慧眼を発動している間は草木呪術を使用しないこと。

 一つ、未来の情報を他人と共有しないこと。

 一つ、通常時よりも二倍の呪力を消費すること。

 これらの条件により、覚は毎秒先の未来を観測する力を得た。

 

 覚を的に砂利が弾丸となって襲う。

 数秒先を視ていた覚は、砂利が弾丸と化す直前に走り出し五条に正拳突きを撃つ。すぐさま地を這うようにして姿勢を低くし、五条の顎を蹴り上げ追撃する。

 脚で頭を挟み五条を地面に叩きつけようとしたが、五条に脚を掴まれて地面に叩きつけらる未来を視た。

 覚は瞬時に離れ、その未来を回避する。

 慧眼を使いながらの闘いは、覚が想像するよりも遥かに呪力と体力を消耗した。呪力は次第に底が見え、未来は倒れる覚が占めていく。

 

 ──負けたくない。でも勝てる気がしない。

 

 ただ負けるのは嫌だった。負けても勝ちたかった。五条に一泡吹かせたいという思いが覚の中で膨れ上がる。

 覚は勝負に勝つことを諦める代わりに、五条に勝つ悪戯を思いついた。

 突如、覚は慧眼を解除した。コマ送りのフィルムの様に時間が引き延ばされゆっくりと見える。

 負ける3秒前。覚は地面を撃ち、土石を舞い上げて距離を取った。

 負ける2秒前。呪力を全て使い、地面を花畑に変えた。五条は煙幕を薙ぎ払い術式順転『蒼』を放つ構えをする。

 1秒前。「あけましておめでとう」一輪の赤い椿を差し出し、覚は意識が途絶えた。

 五条の術式に吸い寄せられる直前、覚は青い瞳が驚きに開いたのを見た気がしたが定かではない。

 それから一週間、覚は眠り続けた。

 

 

 

 

 

「そ、それがあ奴との出会いなのか?! 子供の戯れにしては度が過ぎるぞ!?」

「ホンマやな」

 

 カラカラと笑う覚に、天内は歴史的瞬間を目にしたように目を見開く。嘘くさいほほ笑みや厳しい表情ばかり見てきた天内にとって、今の覚の笑顔は本物のように感じた。

 

「何アホ面してん」

「ア、アホ面じゃないもん!!」

「『もん』て……今時の中学生は大人っぽいて思うてたんやけどな。ちゃう奴もおるんやな」

「喧嘩なら買うぞコラァ!!」

「負け戦は借金増えるだけやで」

 

 覚は水槽内の魚に目を向けながら、機嫌よく歩き出した。

 

 

 

 

 

 そこはそれまで見てきた世界よりも広く、壮大で深い青の世界だった。

 水族館が目玉とする巨大水槽を目にし、覚と天内は足が止まる。

『人は美しすぎるものを目にすると涙が出る』という言葉を覚は唐突に思い出した。そこは胸が締めつけられるほど美しく、心の底から込み上げてくるものがあった。

 

「ホンマ、なんや知らんけど泣けてくるわ」

「そうじゃな……」

 

 三匹のジンベイザメは水槽内を漂うようにゆっくりと優雅に泳いでいる。群を成して突き進む小魚、飛翔するマンタ、それらが陽に向かって泳ぐ姿は神々しく胸を切なくさせた。

 覚は懺悔するように呟いた。

 

「悪かった」

「え?」

「黒井さんの事。間違うたことは言うてへんと思う。けど、天内さんを傷つけることは言うた」

「……妾も悪かったとは思っておる。散々助けられて、守られて、それなのにあんな言い方して。じゃがあの時、黒井が本当にいなくなってしまうのが怖くて、どうしてもいられなくて、素直に言えなくて。……引っ叩いてすまなかった」

「そんなら今日、君を利用したんでチャラにしたるわ」

「なんじゃと?」

「まぁ、怒んなや。黒井さんもやけど、ホンマは悟を休ませたかってん。アイツ僕がおったら休もうとせんし素直に言うことも聞かんしな。親友()の言うことならブツブツ文句言いながらも少しは聞くやろ」

 

 「ホンマ手がかかる」そう言いながらも穏やかにほほ笑む覚に天内は嬉しさが込み上がる。未だ綱の上でバランスを取り続けているが、一歩一歩距離が近づいているように感じた。

 「大変じゃの」思わず笑いながら覚を見た。

 

「何笑うてん。ホンマ大変なんやで」

「じゃが、それでも妾は今日ここに来られてよかったと思っておるぞ。こんな心揺さぶられるものを最後に見ることができてよかった」

 

 「素晴らしいものを見させてくれてありがとう」その表情は晴れやかで、思い残すことは何もないというような死を迎える者の笑みだった。

 覚は水槽に目を向け、かねてから思っていたことを紡ぐ。

 

「水族館や動物園の生き物って野生よりも快適に暮らしとるやん。自然を駆けまわる自由を対価に手厚い保護を受けてな。そこで生まれた奴は外を知らんしな」

「等価交換みたいなやつじゃな」

「等価とはちゃうけど、まあ、そういう何かを得る代わりに何かを失うって世の中に溢れとうと思うねん。人は何かを得る一方、逆側の何かを常に落とし続けとる。呪術師は呪いが見える代わりに逆側の見えへんもん、人の心を落とし続けてん。善い人間(やつ)は必要以上に善い人間(やつ)であろうとして心を壊していくし、優しい(まともな)奴から死んでいってクソが濃縮されていく」

 

 海の中を見せる水族館(この場所)が覚の心の中を天内に見せる。

 

生き物(こいつら)は生きたいと思って生きとるわけやない。本能に従って生きとるにすぎん。外敵からの脅威がない場所で、飯食って、ただ生きる。お客さんに感動をとか思うてへんし、何かのために生きるとかの理由もないやろ。そんな理由をつけたがるんは多分人間だけなんやろうしな」

 

 覚は水槽の中を呪うように見つめている。

 

「それと同じように、僕は人を救おうと思って呪術師をやっとるわけやない。呪いを祓った結果、そいつはたまたま生き延びた。それだけや。生き延びたことに関して見返りも称賛も求めてへんし犠牲が出ても罵詈雑言は受け取らん。呪う奴がおったら呪われる奴もおるし、それを祓う奴もおる。呪われた奴は運悪くその確率に当たって災難やなって思うだけや。何度も言う。僕は人を救うことを目的に呪術師をやっとるわけやない。自分の目的のために呪術界(ここ)で生きとう。それだけや」

 

 その言葉は傍若無人の塊だったが、生まれた時から我慢を強いられてきた天内には、自分の目的のためだけに生きる覚が羨ましく見えた。

 天内は目線を水槽から覚に移した。

 鏡となった紫の瞳は、情けない顔をした天内を映している。

 

「天内さんは、何のために生きてはる?」

 

 その瞳は天内の根幹に問いかけた。

 ぽとりと落とされた一石は、天内の奥深くまで沈み込み、誰も到達したことのない弱く柔らかい部分を抉った。

 心の奥底に追いやり開かないように縛りつけていた紐が緩み始める。それは黒井にも話したことのない、自分も忘れていた恥ずべき想いだった。

 

「……私は、生まれた時から星漿体(とくべつ)で、みんなとは違うって言われ続けてきた。……私にとっては星漿体(とくべつ)が普通で、危ないことはなるべく避けて生きてきた」

「……うん」

「お母さんとお父さんがいなくなった時のことは覚えてないの。もう悲しくも寂しくもない」

「うん」

「だから同化で、みんなと離れ離れになっても大丈夫って思ってた。どんなに辛くたって、いつか悲しくも寂しくもなくなるって。……でも、やっぱり、もっとみんなと一緒にいたい」

「うん」

「もっとみんなといろんなところに行って、色んな物を見て……もっと!!」

 

 ──生きたい。

 

 絞り出た声は、生を渇望する必死な声だった。

 鼻の奥がツンとし、目の前が滲みだす。泣いてたまるかと思うと余計に涙が溜まり、それはあっけなく零れ落ちた。雫はとめどなくぼろぼろと落ち続け、天内はしゃがみ込み静かに泣き続けた。

 ここが水族館でよかった。誰も泣いている天内を気にすることなく水槽の中の神秘に夢中だ。

 

「寂しい……。本当は、まだ生きたい……」

 

 覚もまた隣にしゃがみ込み、天内の頭にぽんと手を置いた。

 

「そうか。よう言うた」

 

 その言葉に天内は涙が止まらなくなった。

 覚の優しさを見た気がした。例え『優しいね』と声をかけたとしても『そんなことはない』と目を伏せて首を振る姿が目に浮かぶ。今はただ、黙って隣に居てくれるその優しさがありがたかった。

 

 

 

 

 

 呪術合戦に覚は負けた。

 しかし、五条悟、五条家、三条河原家との戦いには勝った。五条悟に花を持たせ、健闘した覚は三条河原に泥を塗ることなく優雅に負けた。

 二人の闘いは両家だけでなく呪術界にも広まり、翌年から二人の呪術合戦はお正月の両家恒例行事となった。

 

 

 目覚めると青があった。

 きれいだなと、起きたばかりのぼやけた頭でも覚は思った。

 

「あ、起きた。お前起きるのおっせーよ、マジ寝すぎ」

 

 心の底からこのザコがという顔をする少年に、覚は「なんで居んねん」と本音をぶつける。目の前の少年はすぐさまむっとしたように口を尖らせたが、その目は反対にきらきらと輝いている。

 

「……泣いてんの?」

「はあ?! 泣いてねぇよ。目おかしんじゃねえの? 眼科行けよ」

「青やから、そう見えた」

「意味わかんねぇし。どーでもいいけど俺は泣いてねぇ。わかったか!」

「はい」

「あーもう、そういうとこ!! 別に敬語とか使わなくていいし! あん時みたいにお前らしくフツーにしろよ。お前ってさ、本当はクソガキなんじゃねえの? 家の奴らの言うこといちいち聞かなくていいし、必要以上に良い子になろうとして都合のいい奴になってんじゃねぇよバアアアカ! 俺はそのままのお前と、と……連みてえのっ! いちいち言わせんなこの馬鹿が!」

「バカでもお前でもなくて”覚”な」

「うるせぇよ! 俺はお前がお前らしくねぇとつまんねーし、覚は覚らしく、そのまんまのお前でいればいいんだよ。お前は呪骸じゃねえだろ?!」

 

 「いつまで寝てんだ。オラ起きろっ」差し伸ばされた手は荒々しく横暴であったが、覚にとってその手は救いの手に見えた。

 いつのまにか目に熱が集まり、雫がはらはらと落ちる。

 自分を肯定されたことが嬉しく、能力や家のしがらみを取っ払って自分を見てくれたことが覚を更に泣かせた。

 

「ほら起きろよ」

「……う゛ん」

 

 ぶっきらぼうに差し出された小さな手を覚は掴んだ。

 

 




入れたかったけど入れられなかったセリフ集

・「(コイツ)、雪代縁意識してっから」

・「年中花粉症になる呪いかけたろか?」

・「自分を除いて(自分ら三人)治安悪ぃなあ」(五条、夏油、家入を見ながら)

・7年後:「クソを下水で煮込んだ性格って悟のことじゃね? 絶対(ぜってぇー)この子よりお前の方がクソやん」(ヒロアカを見ながら)
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