懐玉―慧眼の呪   作:hrd

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伍 護衛任務三日目 ②

 

 襲撃者の名は伏黒(ふしぐろ)甚爾(とうじ)

 術師殺しを専門とする任務達成率100%の殺し屋。

 呪術界御三家の一つ、禪院(ぜんいん)家の出身であり、天与呪縛(てんよじゅばく)により生まれながら呪力が全く無い稀有な人物。故に禪院家では隠匿された存在。

 羽田空港にて家の者から渡された報告書を読むにつれて覚は目を細めた。

 三条河原家の当主に連絡した覚は、術師殺しの調査と呪具の貸与を依頼した。それに承諾した当主は、家を挙げて伏黒甚爾について調査した。

 

 天与呪縛とは、本来持って生まれるはずだったものを天に奪われる代わりに同等の対価を与えられる神の愛(呪い)である。

 伏黒甚爾は持ち得るはずだった呪力と術式を天に奪われる代わりに、類まれなる身体能力とセンスを与えられた。

 禪院家に非ずんば呪術師に非ず。呪術師に非ずんば人に非ず。

 呪力が無く、術師に成れず、家から人間扱いされなかった人物。そして覚の父親と同じ境遇の人間。

 家庭を持ち、一度は呪術界から逃れたにもかかわらず、呪術師に妻を殺されたのを機に再び呪術界に戻ってきた亡霊。

 血縁関係のある息子が一人。名は(めぐみ)。再婚し、女が連れた女児もいる。

 

 

 

 

 

 覚の携帯電話が鳴り響く。相手は家からであり、伏黒一家の所在を突き止めた旨の報告だった。包囲は既に完了しており、殺害もしくは拉致の最終判断を覚に仰ぐ。

 

「見つけてくれてホンマありがとう。それめっちゃ欲しかってん。でも一緒に買いに行きたいからそのまま見といてくれる? また後で電話するわ」

 

 筵山麓の鳥居を潜りながら覚は耳から携帯電話を離す。

 

「キッショ。つーか今日電話多くね?」

 

 苛立ちを隠しもせずに五条は覚を睨みつけた。数時間の休息を得たとしても、六眼の酷使による疲労は五条の精神を尖らせていた。

過剰なストレスと疲れは精神を不安定にさせる。覚はそれを理解しているからこそ、五条の苛立ちを発散させるように挑発的に笑った。

 

「新しい彼女できてん」

「そいつ趣味(わっる)。いくら貢がせんだよ」

「寂しんぼ乙。自分と彼女どっちが大事なんってか?」

「違ぇし。オッエ゛」

「照れんなや。どっちか一人しか助けられへんのやったらお前選んだるさかい」

「俺は女取る」

「ハイ、絶交。うっすい友情やったわ。お吸い物か」

「違うよ、覚。悟は覚なら自分で何とかするって信頼してるんだよ。ちなみに私も覚は見捨てる」

「見捨てる言うてるやんか。お前らほんまクズやな」

「抗う術を持たない方を助けるのが力ある者の使命だよ。その点、覚の答えの方がクソだ」

「ハイハイ正論乙。説法説くなら頭丸めてからにせえっつーの。高専卒業後はハリボテ仏閣の僧侶にでもならはるおつもりですかァー? 稼ぎ時の夏なんに忙しすぎて油売れますなぁ」

「ウッゼーよお前ら。つーか覚は空港でなに刀もらってんだよ。最近木の棒だったじゃねーか」

「木の棒ちゃうし、棍やし。小さい子がチャンバラごっこで振り回すのと一緒にすんなや」

「合ってんじゃねーかよ。小さい子ってオマエのことじゃねーか、傑もそう思うだろ」

「悟、爆弾処理は自分でしてくれ。それに覚はもう伸びいない身長を気にしてるんだからからかうのは気の毒だ」

「お前ら泣いて詫びんなら今やで」

 

 軽口を叩きながら一同最後の鳥居を潜る。全員の足が高専の結界内に入り、覚を除く全員がほっと息を吐いた。ゴールのテープを切ったように張りつめた空気が一気に緩む。

 もう大丈夫。もう安全だ。

 この先を知る覚以外は皆、顔にそう出ている。

 

「皆お疲れ様。高専の結界内だ」

 

 夏油が柔らかい声で天内、黒井、五条、覚へと視線を投げかける。一人一人を労わるその瞳は、この先の結末を見届けるには優しすぎる目だった。

 

「これで一安心じゃ」

「……ですね」

 

 黒井の相槌に覚は心の中でカウントを始める。

 

 ──5

 

「悟、本当にお疲れ」

 

 ──4

 

「二度とごめんだ。ガキのお守りは」

 

 ──3、2

 

「あ? んだとコラ」

 

 ──1

 

 フッと五条は術式を解いた──同時に覚は術式を奔らせ五条の背後に厚い木の盾を出現した。

 カッと刃が盾に刺さる。

 

「あ゛あ?」

「泣いて詫びても許さへんで、おっさん」

 

 射抜く視線に伏黒は嗤う。

 

「馬鹿が。詫びる気なんざさらさらねぇよ」

 

 転瞬、伏黒が動きだすよりも速く術式が奔る。木が伏黒の足を拘束し、夏油の呪霊が頭から呑み込む。

 辺り一帯に轟音が鳴り響き、土と木片が舞い上がる。

 伏黒を拘束していた木は呪霊により粉砕されたが、覚にとっては都合が良かった。

 

「ぼさっとしてんなや。どんくさいやっちゃな」

 

 視界が晴れると共に覚は五条を睨みつけた。喝を入れるようにバシンッと背を叩き、制服の襟に木片を仕込む。

 未来を見た後から覚は考えていた。呪力ゼロの伏黒がどんな手を使って五条悟を殺したのか。

 伏黒甚爾の強みは身体能力とステルス戦術である。ならば五条を伏黒の土俵に引きずり込むことができれば勝つ可能性は上がる。

 だが、五条はバリアの様に触れるものを阻む無限を現出することができる。それがある限り、五条悟に触れることはできない。

 そこで重要となるのが呪具である。

 伏黒が対夏油戦で使用した短刀の呪具に覚は目をつけた。伏黒は短刀で呪霊の呪いを消し、夏油を一閃すると共に呪霊自体を消した。

 短刀を最後まで使用しなかったことから、それは伏黒にとって切り札であると推察される。そしてその情報だけで三条河原家は呪具を特定した。

 

 特級呪具──天逆鉾(あまのさかほこ)──

 効果は発動中の術式の強制解除

 

 殺害方法は想像となるが、天逆鉾が五条悟殺害の要であることは確かである。そしてきな臭いことに、その入手ルートの特定には至らなかった。

 五条は強い相手が現れた時、一人で戦いたがることを覚は知っている。五条の心の奥底にある『全力で暴れたい』という雁字搦めに縛られた本能が、己を解放しようと動き出す。

 だからこそ未来視の五条は一人で残った。慧眼を使いこなす覚とならば、連携して戦うことができるにも関わらず、五条は一人で戦った。

 覚と殺し合う時とは違う、本気の命の取り合いを五条は望んだ。

任務(天内)優先」は耳触りの良い建前でしかない。

 故に覚は初めて賭けに出た。五条と伏黒の戦いを想定し、木片に呪力を付与して命じる。

 

『五条悟に触れる呪力を阻め』

 

 一度ならば成長した木片が五条の身代わりとなる。その一度を五条悟は無駄にしない。

 五条を信用しているからこそ、”死なない程度に殺さ れる”ことを期待して覚は運の要素が強い図面を引いた。

 幼い頃からその背中を追い、全力で競い合ってきたからこそ言い切れる絶対的な信頼があった。

 成功すれば覚は追われ、失敗すれば死ぬ。いつもの三人は「バカじゃねぇの」と呆れるそんな図面だったが、覚に後悔はなかった。

 

「お前、ここに残るつもりやろ」

「ああ、覚達は天内優先。アイツの相手は俺がする。先に天元様の所へ行ってくれ」

 

 「死んでんじゃねーぞ」覚は天内の腕を引っ張り駆け出した。「油断するなよ」「誰に向かって言ってんだ」未来視通りの夏油と五条の掛け合いに覚は目を伏せて、五条との今生の別れに笑った。未来(本来)を失っての現在が、今、構築されはじめていた。

 

 

 

 

 

 薧星宮に続く扉を開け、高専最下層、薧星宮参道に4人は辿り着いた。

 黒井と覚は足を止めて天内と夏油を見据える。

 

 「私はここまでです」高まる感情を見せまいと頭を下げて別れを告げる黒井を天内は強く抱きしめた。

 「大好きだよ」と泣きながら強く抱きしめ合う二人を横目に、覚は夏油に硬い声を上げる。

「単独犯やと思うけど他がおるかもしれへん。ここに残るわ」

「わかった」

「傑」

「ん?」

「後は頼んだ」

「分かってるよ」

 

 ──『まだお別れも言ってないのに……!?』

 もう一生合うことができないから、最後はちゃんとお別れを言いたい。

 

 嘗て天内が言った言葉を思い返す。二人の別れは、覚にとって神聖な儀式のように見えた。

 決して一方的な想いを相手に託すのではなく、各々の道を進むために、互いの気持ちに区切りをつけることが正しい別れの挨拶なのだと悟る。

 だが、それを悟ったところで今の覚にはそれを実践することはない。

 

 二人は一頻り抱き締め合った後、体を離して涙を拭った。黒井は未だ潤む瞳で精一杯の笑顔を向け、天内はその気持ちを汲むように穏やかにほほ笑む。

 「行ってきます」柔らかい声を上げて歩き出す天内の後ろ姿を黒井は嗚咽をかみ殺して見送り続けた。

 

 刻一刻と近づいてくる時間に覚の精神が凪ぐ。

 覚が今からする行動は、夏油のように称えられる無欲の善行ではなく、私利私欲を追及した行動である。

 

「黒井さん」

「はい」

「すんません、ちょこっと眠ってくれはりますか」

 

 何かを発する前に黒井は崩れ落ちた。覚は木箱の中に黒井を閉じ込めた。

 

 

 

 

 

 隙間なく密生した樹木は光を遮りほの暗く、生温いじっとりとした湿った空気が肌に纏わりつく。むき出しになった木の根や苔が地を覆い、水を含んで滑りやすい。陰陰滅滅とした樹海がそこに広がっていた。

 薧星宮に通じる昇降機が動き出し、扉が開く。

 樹海と化した参道に伏黒は瞠目した。

 

「あ? ああー……まぁ肩慣らしにはちょうどいいか」

 

 盛大な歓迎に伏黒は鼻で嗤う。頭の中ではこのダンジョンをどう攻略していくのか既に分析が始まっている。

 

 覚は疑似の領域展開(りょういきてんかい)を参道に展開していた。

 結界内に呪力を具現化して構築した環境を生得領域(しょうとくりょういき)といい、生得領域に術式を付与した術を領域展開という。大量の呪力を消費する代わりに己のステータスを向上させ、自由自在に必中攻撃を放つことができる。

 領域に引きずり込まれた場合、脱出することはほぼ不可能である。領域を作り出した術師本人が解呪もしくは死亡、またはより洗練された領域に引きずり込むことにより脱出することが可能となる。だが、それは理論上はという意味である。現代において、領域を展開する域に達した術師もそれを破った術師も存在しない。領域展開は呪術戦の極致であり、術師にとって奥義である。故に決戦を意味する。

 

 覚は参道中に術式を付与した植物を一つ一つ作り出した。結界も張られておらず、部屋の中に呪力を持った植物が混生しているだけである。それは与えられた呪力が尽きるまで自動(オート)で攻撃し続ける空間を作り出したに過ぎない。

 縛りにより、慧眼と草木呪術を同時に展開できないからこその策だった。

『不完全な領域展開』というにもおこがましい代物であったが、覚が今できる呪術戦の限界だった。

 予想していた人物が姿を現し、覚は刀を構える。

 

「いらっシャインマスカットってところやろか、禪院甚爾さん。あぁ、すんません、今は伏黒さんやったな。ここまで来はったってことは、悟は負けたんやな」

「ああ、五条悟は俺が殺した」

「へぇ、そうなんや」

 

 地を這う声と射殺す視線が伏黒に向く。

 負けたとしても死んではいない。五条悟はどこまでも負けず嫌いで、どこまでもしぶとく、最後は必ず勝利をもぎ取る人間である。

 覚はそれを確実にするために、充分なお膳立てもした。そうまでされた五条悟が死ぬはずがない。伏黒との戦いを経験に変えて、虎視眈々と反撃の準備に徹しているはずである。

 殺した余韻に浸ってろと肚の中で舌を出す。

 覚は慧眼を起動した。数秒、数十秒先の未来を視ながら自身にとって都合の良いストーリーへと誘導する。

 

「僕と取り引きしません?」

「あ? 何言ってんだオマエ」

「僕は投降します。なので天内理子を差し出します。そんで2つ依頼します。天内理子を生きたまま依頼主の元へ連れて行くことと、僕の暗殺から生涯手を引くこと。金額は言い値でええですよ。あの子が生きてた方が都合ええんとちゃいますか? 付加価値ついて色つけてもらえますし」

 

 今朝視た未来視の通りであれば、伏黒は天内理子の暗殺の他に覚の暗殺依頼も受けている。

 だが、伏黒は覚の話を聞く必要はない。一度受けた依頼を理由もなく下りた場合、業界での伏黒の評判は下がり同業者に仕事を喰われる。業界は常に信用第一である。故に覚は、その依頼を反古にする程のメリットを伏黒に提示しなければならない。できなければ覚と天内は死に、死体はその後何者かに利用される。

 

「ねえな。盤星教の依頼は暗殺だ。それに死体んが運びやすい。仮に生きたまま連れていったとして、オマエは俺とあっちの取引が終った瞬間に星漿体連れてここに戻ってくる気なんだろうが、そん時はもう同化には間に合わねえ。詰みだ」

 

 覚は堪えきれず鼻で嗤った。いやいやいや、ちょお待てと、腹を抱えて嗤い、濁った瞳で毒を吐く。

 

「同化のために、ここに残うてるてホンマに思うてはるんですか? おもろい冗談やな。俺がここに残ったんはそんなんちゃいますよ。呪術界を壊すチャンスを掴むためにここに居んねん。……この世界、ずっと壊したかった。五条悟も慧眼も三条河原も呪霊も呪術界も、飼い慣らそうとしてくる上層部()も! 全部消えてなくなってしまえばええってずっと思うてたわ。ええやんか天元が暴走しても! それで全部消えんなら!  最っ高やんか。……それが俺の本音です」

 

 伏黒甚爾はなぜ呪術界(この世界)にいるのか、覚はずっと考えていた。呪力に解放された伏黒が、術師殺しをしてまでなぜこの世界にしがみついているのか。表の世界で世界チャンピオンにでもなってろよと思わずにはいられなかった。

 表の世界。

 覚にとっては呪術界が裏の世界。

 嘗ていた世界を表の世界と認識する覚に対し、裏の世界である呪術界が伏黒にとっては表の世界。

 

 二人はどこまでも対照的だった。

 幼少時に与えられた親の愛。泣いて縋ると抱きしめてくれた温もり。期待による苛烈教育。眼を抉り、切り落とそうと見つめ続けていた自分の手。自分を変えた存在に出会い共に歩み続ける現在。

 伏黒甚爾の人生はその逆である。

 一般家庭から必要とされて迎え入れられた覚と、有力家系から不要とされた伏黒。

 

 ──自分を見つけないでほしかった。

 

 ──自分を見てほしかった。

 

 そんな存在に出会い、覚は皮肉にも嗤った。

 

 ──俺は、アンタが羨ましかったよ。

 

 瞳を閉じて、瞳を開ける。息を吸い、息を吐き出す。不自然にならないように、伏黒が興味を引く言葉を紡ぎ出す。

 

「アンタにもメリットありますよ? 天内理子の追加報酬と俺からの依頼料。ほんで、人類の敵になった天元に絶望する呪術界と術師達の姿です。因みに、俺を使うてギャンブルさせれば一生金に困ることはないですし、俺は必ずギャンブルで勝ち続けて生涯にわたって依頼料を払い続けることができます。才能ある術師を金で縛って一生扱き使うんは、おもろないですか?」

「ハッ、そりゃあ面白れえ。本当にできんならなッ!!」

 

 踏み込んだ伏黒の脚は地面を咆哮させ──消えた。

 転瞬、刀剣がぶつかり合い凄烈な火花が散る。

 コンマ2秒で距離を詰めた伏黒に覚は身構えるが、フィジカルの差により塵のように吹き飛ばされる。

 

 ──クソ速っ! 

 

 未来視により予め来ると分かっていてもその一撃は重く速い。強化された天性のフィジカルと経験を積んだ無駄のない身のこなしは達人の域を超えていた。

 分かっていても対処できない攻撃は覚にとって相性が悪い。そして質の悪いことに、伏黒はまだ本気を出していない。

 

 ──これで暖機運転かよっ! 

 

 実力差に思わず舌打ちする。心臓に冷水を浴びせられたようなぞっとした恐怖を抱く。

 だが、不思議と勝てないとは思えなかった。

 覚は未来の事象を見ることから、必然的に他者よりも失敗した事象を多く見る。そこから学ぶことは多く、それ故成長速度が著しく速い。

 だがそれ以上に、未来視で戦った伏黒との経験は、現実の覚へと経験値として引き継がれていた。

 次第に伏黒の速さに目が慣れ、見えなかった姿が見え始める。

 

 覚は息を吐き、膜を纏うように全身から刀の先まで呪力を均一に循環させた。

 足を踏みしめ、突進する。

 0.5秒先には伏黒の回転蹴りが頭に入る映像が視える。

 姿勢を落とし、伏黒の強靭な右趾脚(みぎしきゃく)が覚の頭上を掠める。続く左踹脚(ひだりたんきゃく)を弾丸のように身体を旋回させて躱す。

 コマ送りのようにコンマ1秒先、毎秒先の伏黒と樹木の乱舞を視ながら銀閃を放つ。

 伏黒は脊髄反射で飛び退く──だがその退路には鋭利な木の槍が待ち構えていた。

 伏黒は体を捻り回転した。回転しながら天逆鉾で槍を切断し術式を解除する。遠心力を利用して、追撃を打ちこもうとする覚を一閃する──筈だった。

 天逆鉾で消したはずの槍が伏黒の肩を掠めた。

 

 ──術式が解除されてねえ?! 違ぇ、別個体か。

 

 覚は森を生み出したのでなく、数多の木々や植物を生み出し樹海を作り出した。粘土のように巨大な呪力の塊を抓んで植物を生やしたのではなく、大量の植物を一つずつ作りだすことによって森を形成した。

 全ての植物は繋がっておらず孤立している。従って、木を一本切ったならば木一本分の術式が解除されるだけであり、樹海を消失させるならば参道中の植物を天逆鉾で斬りつけなければならない。

 木の葉を隠すなら森の中というクリシュの言葉に則るならば、木の葉を消すために森を消さなければならない。

 

 刃を伏して躱し、地を踏みしめ、雷鳴と共に飛び上がる。黒雷を纏う刃が一閃する。

 

 シン・陰流(かげりゅう)──簡易領域 抜刀・黒閃

 

 飛び上がる勢いと共に神速の一撃が走る。

 だが、伏黒甚爾は神に愛されすぎていた。珍しい天与呪縛でも伏黒は天からの呪縛()を一際強く受けていた。それはもはや愛情という名の執念であった。

 覚の会心の一撃を伏黒は天性の反射神経で受け止めた。一瞬の鍔迫り合いの間に覚を蹴り飛ばし、手榴弾の如く轟然な蹴りが覚の脇腹に入る。

 覚は衝撃を受ける瞬間に呪力で脇腹を強化したが、それでも肋骨が数本折れた。だがその痛みを感じない程戦いに集中していた。伏黒との戦いを通じて覚の中で何かが開花しようとしていた。

 

 体は樹をへし折り、スピードと威力を殺しながらも飛ばされ続ける。壁に叩きつけられる直前、覚は体勢を立て直し壁に着地した。足に力を籠め、反射を効かせてピンボールの如く斬りかかる。

 

 シン・陰流──簡易領域 五連抜刀

 

 本来は展開した領域に侵入した者を迎撃する抜刀術であるが、覚は領域に触れた者を神速で連撃する技へと改変した。

 

 数秒先の未来視では、伏黒は連撃を刀で相殺し、その隙に植物から毒の鱗粉と種子の弾雨が降り注ぐ。伏黒の意識が術式に逸れると同時に覚は一撃入れるつもりであった。

 だが──類まれなる伏黒の第六感がこの斬撃を受けてはならないと導く。

 

 伏黒は簡易領域に触れる直前に飛び退き、地を駆けて植物の攻撃から逃れた。樹海に身を隠し、居場所を悟らせまいと円を描くように高速移動しながら銃を発砲する。

 狙撃手の如く寸分狂わぬ弾が全方位から覚を襲う。

 伏黒は呪具と呪霊を収めており呪力を追って探すことはできない。

 伏黒を攻撃する樹木から居場所を割り出そうとするが、伏黒の動きが速すぎて植物の攻撃が当たらない。次第に植物は犬が己の尾を追うように円を描きだす。

 数秒先の未来視では、伏黒を追跡していた樹木は覚を囲む要塞と化していた。姿の見えない壁の向こうからの狙撃により覚は全身を赤く染めている。

 地の利を生かして戦っていたはずが、地を利用される未来がそこにあった。

 

 覚はすかさず森に飛び込み伏黒を追走する。

 5秒先を視た後、覚は慧眼を解除して術式を奔らせた。前方にいる伏黒に向けて葉の斬雨を降らせ木に飛び移る。

 伏黒は呪霊を吐き出し天逆鉾を取り出した。

 落雷の如く地を踏みしめ、一気に加速する。降り注ぐ葉刃を完璧に振り切り、追撃する寸鉄を弾く。間髪入れずに地面から尖突する槍を飛び退いて躱し、ハンマーの如く殴打する大木を銀閃で消す。

 その瞬間を「待ってたよ」と言うように、覚は背後から毒を纏った刃で一閃した。

 

 シン・陰流──居合・夕月(ゆうづき)

 

 鋭刃な横薙ぎが伏黒の頚を斬る筈だった。純粋なる戦闘センスの差がそこにあった。

 伏黒は即座に左首筋に刀を立てて横薙ぎを防いだ。刀が纏う毒を解除し、続いて裏拳を鳩尾に入れる。刀を逆手に持ち換えて胴を一閃し、斬った胴を抉るように豪然たる脚で覚を蹴り飛ばした。

 肉を裂かれると共にミンチとなって飛び散る破壊力があった。吹き飛ばされた覚は壁に叩きつけられ呼吸が止まる。

 数秒間意識が飛び、それが何時間にも渡って途切れたように錯覚した。

 覚の集中力は途切れた。斬られた腹は焼けるように熱く、疲労も襲い掛かる。慧眼により脳が焼かれてもはや何も考えることができない。

 

 ──何でこんな必死なっとんやろ。

 

 霞む瞳が辛うじて近づいてくる奴を映す。

 伏黒はその間も樹木を着々と消していく。

 

「もう終わりか?」

 

 伏黒の口が動いたが、何を言われたのか覚には分からなかった。

 

 ──死ぬんかな。まあ、ええか。なんか疲れたし。

 

 疲労で投げやりになる覚に、誰かが必死の声で訴える。

 

 ──生きたい!! ──

 

 その瞬間、なぜだかじわりと瞳に涙の膜が張った。

 記憶にある天内が言ったのか、覚の深層心理が叫んだのかわからないが、ただ、戦っている理由を覚は思い出した。

 想いの強さだけでは人は強くならないが、執念は深くなり粘りが生まれる。

 五条と天内の死を阻止し、裏で糸を引く人物を見つけ出して殺す。

 自分にしか見えない敵は、自分にしか撃ち落とせない。自分本位の殴り合いを途中で放棄してはならない。

 それでも体は思う様に動くことはなく、吐き気がする程の頭痛は収まらない。ただ、そんなことは戦う前から計算済みであった。

 

 何のために伏黒の奇襲を阻んだのか。今までの覚ならば、五条を餌にして伏黒の殺害計画を立てていた。不確定要素の強い運や人に任せた図面など引きはしなかった。

 ただ、そうするとあの最悪な未来の中でも唯一変わってほしくない箇所が変わる気がした。

 覚は天内にもう一度『生きたい』と言わせたかった。それだけだった。

 

 覚はポケットから仙豆を取り出した。立ち上がりながら鼻血を拭くふりをして嚙み砕く。

 途端に斬られた腹の傷が癒え、身体の痛みも消える。疲労は去り、呪力も十分に漲る。今朝起きた時よりも身体の調子が良い。

 覚は前を見据えた。挑発するような瞳で伏黒を射抜き、薄気味悪く笑う。

 

「まだまだこれからやろ?」

 

 鏡のような瞳には、歪んだ自分の顔が映っていた。

 伏黒は反転術式かと一瞬疑うが、呪力も回復したことからその可能性を消す。瀕死まで削ったと思いきや突如回復した覚に舌打ちする。

 術師のこういうところが心底むかつくのだ。

 幼少期からの嫌な記憶が蘇り、悔しさと苛立ちが同時に押し寄せる。

 

 家は呪術界を牽引する御三家の一つ。呪力があって当然の世界で呪力が無いイレギュラーな自分が生まれた。禪院家相伝の術式を引き継ぐ者は人生をゼロからスタートできるが、それ以外の術式を刻む者は落伍者としてマイナスからスタートする。そんな環境の中で呪力が完全に無い伏黒は、呪術師としてのスタートラインに立つ以前に人間としてすら認められなかった。

 

 ──禪院家に非ずんば呪術師に非ず。呪術師に非ずんば人に非ず──

 

 誰の瞳にも映ることのない透明人間のような存在だった。都合の良い時だけ、落伍者(雑魚ども)の自尊心を高めるための道具にされた。

 だから家を出て術師殺しになった。自分よりも術式(才能)を持つ恵まれた存在が呪力も持たない下位()に殺される光景は眺めが良かった。

 

 そんな過去ばかり呪っていた伏黒に手を差し伸べた人物が一人だけいたが、その存在はもうこの世にはいない。酷いことに、伏黒に幸せを教えて死んだ。

 伏黒の絶望だった人生が、幸せを知り、再び絶望に落ちた。幸せを知る前は絶望を絶望とは知らなかったのに、絶望を知ってしまった。

 

 そうしていつのまにか鬱憤を晴らすようにこの世界に戻っていた。

 何重にも包んで捨てたはずの承認欲求が顔を出す。六眼を殺し、慧眼を追い詰めた今、そいつは今か今かと箱から出る機会を窺っている。

 

 伏黒は覚を睨みつけた。腹の中で渦巻く嫌悪感を蹴り飛ばし、覚の提案に向き合う。

 三条河原覚を暗殺する依頼よりも三条河原覚の依頼を受ける方が金という指標に於いて利益がある。芽生え始めた自尊心を踏みつけて見なかったことにすればいいだけの話しだ。

 

「ああ、クソだる。止めだ止めだ。割に合わねえ」

 

 ──一生使ってやる。

 

「お前の依頼の方が楽に稼げる」

 

 その一言に、覚と伏黒の契約は成立した。見えない糸に縛られた様な気持ち悪い感覚が胸に渦巻いた。

 

 

 

 

 

「帰ろう、理子ちゃん」

「……うん!!」

 

 「みんなの元に帰って、いろんなものを見に行こう」夏油は手を差し出し、天内に柔らかくほほ笑んだ。

 涙を拭う天内の手が夏油に触れる──筈だった。

 天内は消えた。

 夏油の目の前で、天内は拐われた。

 必死に伸ばす天内の手を夏油は指先すら掴めない。

 夏油の瞳に天内の顔が焼きつく。涙は弾け、恐怖に染まり、助けてと必死に縋る顔だ。

 夏油は瞬時に呪式を奔らせたが、男は拳銃を発砲し初手を阻む。

 銃弾が肉体を穿つ直前、夏油は呪霊を盾にした。

 天内の息が止まる。自分を助けるために傷つく夏油を見るのが怖かった。

 

 ──やめてっ!! 

 

 心は斬り裂かれ、血を流すように悲鳴が上がる。

 その甲高い叫びに男は面倒くさそうに顔を顰めた。男は天内の延髄を叩き、意識を落とす。がくりと人形の様に気を失った天内を抱え、参道へと通じる通路まで飛び退いた。

 こんなもんかと、夏油を評価するように男は気だるげに吐いた。

 

「ハイ、お疲れ。解散解散」

 

 夏油は目を見開いた。男は五条を刺した襲撃者だった。

 

「なんで、オマエがここにいる」

 

 冷静になろうと己を律するが、声には困惑と怒りが滲み出る。

 ここに辿り着くには五条と覚がいたはずである。男がここにいるということは、二人は男に下されたということになる。

 脳が焼かれる音を聞いた。焦げた残骸が頭の中を埋め尽くし、地に伏した友の姿を見せる。

 心臓が急激に収縮し、胸に痛みが走る。夏油はそれを顔に出すことなく、ゆっくりと息を吐いて狂気を胸に宿した。

 

「あ? なんでってそりゃ──」

「俺が通したからや」

 

 玲瓏な一声に、静寂が訪れる。

 場を制する声に、頭をひどく殴られる。

 声の主は、おもちゃのように夏油の精神を弄び、焼け焦げた脳みそを嗤いながらかき混ぜた。

 思考がぐちゃぐちゃになり、繰り返し同じ質問を投げかける。『嘘だろ』と『何故』が何度も何度もループする。

 想像する人物を必死に否定するが、残酷な現実は変わらない。

 そんなこと、あるわけ──ないだろ。そう思うのに、夏油の願いを嘲笑うように、参道と通じる通路からは見慣れた靴が、脚が、刀が、制服が、光に晒される。

 最後に顔が晒された時、夏油の心は血を流した。

 夏油は停止した。呼吸も、瞬きも忘れて止まった。それは残酷な瞬間だった。

 声の主は襲撃者の隣に立ち、向かう夏油をひたと見据える。それは何を考えているのかわからない視線だった。

 

「──ッ!! 覚ッ!! 何故だ!! 」

「すまん、これしか思いつかへんかったわ」

 

 申し訳なさそうに笑う覚に、夏油の中で困惑、苛立ち、怒りの波がどっと押し寄せる。

 

「いつからだ。いつから私達を裏切った!!」

「ついさっき。もう詰みやし。死んだら終わりやろ」

「あ゛?」

 

 覚は視線を夏油から伏黒に移し、話の続きを促す。

 

「ああ? ああ、ハイハイ、五条悟は俺が殺した」

「やって。悟殺されたならしゃーないやん。切り替えてこーや」

 

 言いようのない怒りの波に夏油は溺れた。伏黒の言葉に、覚の言葉に、脳が焼かれて殺意に染まる。

 禍々しい呪力が夏油の周りに流れ始める。

 怒りに溺れた夏油を見て、覚は未来視の自分と重ねた。

 

 ──ごり押しの正面突破じゃあかん時もあんねん。

 

 他が為を想う夏油の理想と、己が為を想う覚の理想はあまりにも違う。そしてそれを実現させる過程は真逆である。実力さえあれば正攻法で実現できると思っている夏油に対し、覚はどこまでも邪道だった。育ちの違い、未来視の有無、見てきた世界の深さが違った。たった一年、呪術界に身を置いただけの表層を見た術師とは見てきた地獄が違う。理想を実現させるために使えるものは全て使う、裏から手をまわす方法を身につけるしかなかった。

 故に覚は夏油を一つずつ追い詰めていった。

 

 夏油傑は術式だけでなく体術や頭の回転の速さも特級品である。だからこそ、一つずつその品位を落としていく必要がある。

 心を折り、立ち上がる脚も砕く。

 術式は天逆鉾で無価値に。体術は伏黒甚爾に絶望を。頭脳は怒りと動揺で妨害し。精神は五条と天内で亀裂を。そして最後に、覚と夏油に繋がる糸を断つ。

 目的達成の為ならば、覚は平気で嘘を吐く。その代償がなんであれ、究極の願いが叶うならば迷わず使う。

 覚は夏油を見た。怒りに染まる、傷ついた少年がそこにいた。

 覚はオ゛エッと嘔吐き鼻で嗤う。

 

「術師のくせに友情ごっこかよ、キッショ」

 

 夏油の中で何かが壊れる音がした。言葉は意味を無くし、心は血を流す。同時に感情が消えた。

 闇に呑み込まれた瞳が覚を見つめる。心臓を突き刺すような鈍痛はもはや常態化し、痛みとして感じない。

 

「覚、もう一度だけ聞く。何故そこにいる」

天内(コイツ)売った。以上」

「そうか、じゃあ死ね」

 

 初めて聞く、温度の無い声だった。

 伏黒は覚に天内を投げた。

 獰猛な牙を振り上げて突進してくる虹龍に、伏黒は迫り、覚は退く。

 そこから先の戦いを覚はじっと見つめていた。

 滑稽な夢を見ているように、事象が淡々と流れていく。

 

 伏黒が長刀で虹龍を切り裂き、夏油はすかさず仮想怨霊を放つ。

 天逆鉾により呪霊の攻撃は消え、伏黒はそのまま流れるように夏油の胸を二閃した。

 呪霊が消え、夏油は地に伏せる。

 夏油は朦朧とする意識の中で覚を見たが、その瞳はただ冷たく鏡のように見返しているだけだった。

 

「術師なら死なねぇ程度に斬った」

「へー、術師殺しが優しぃな」

 

 揶揄する声に伏黒は呆れた視線を向ける。

 

「オマエ分かって言ってんだろ。式神使いなら殺したが呪霊操術となるとコイツの取り込んでた呪霊がどうなるか分からん。ここで面倒ごとは避けたい」

「面倒な依頼受けといてよう言うわ」

「タダ働きなんてゴメンだ」

「金で解決すんなら楽やわ」

 

 夏油の頭を蹴る伏黒を置き去りにし、覚は天内を抱きかかえ歩き出した。

 

「親に恵まれたな。だが、その恵まれたオマエらが呪術も使えねぇ俺みたいな猿に負けたってこと長生きしたけりゃ忘れんな」

 

 ──どんだけ自分を役割()に縛ってん。

 

「あー! 恵ってそうだったそうだった。俺が名付けたんだった」

 

 喉に引っかかっていた小骨が取れたように、伏黒はスッキリとした声を上げた。そのまま軽快な足取りで覚の背後を歩き始める。

 覚は表情の見えない伏黒に毒を吐き捨てた。

 

「ホンマ恵まれ(呪われ)てんな」

「オマエにはわかんねぇよ」

 

 テメエに言われたかねぇよ。肚の声は、空を漂うことなく覚の奥深くに落ちて霧散した。

 




思いついたけど入れられないシーン集

「なーおやくんさよなーらー
「さよーならなーおやくん
「またあーうひーまーでー」
ズドーンッ!

・釘崎野薔薇に出会った場合
「五条悟人形に釘打たへん?」

・「テメエらゼーレと違って障子越しに居るってわかってんかんな」

・伏黒恵に出会った場合
「三大魔獣って知ってはる?脱兎の増殖と大蛇の丸呑みかけ合わせて大兎創らへん?」
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