プロローグ
ごつごつとした岩肌の隙間にいくばくかの雑草が茂る小高い丘の上で、コナンはポケットに両手を入れたまま立ちつくしていた。丘の下の、少し前まで頑強な建物があった場所から、身を焦がすような熱気がここまで届いている。見下ろす限りの一面が赤く燃えている。炎は夜の闇を照らし、無数の火の粉が風に舞う。時折小さな爆発音と、男たちの怒声が遠く響く。冬の夜だというのに、全身から汗がしたたり落ちていた。
コナンはしばらくじっと眼下の炎を見つめていたが、ふとかたわらで座り込んでいる少女に振り向き、悲しみとも慈しみともつかない視線を向けた。
「大丈夫か、灰原」
「ええ、出血はほとんど止まったわ」
哀はうつむいていた顔をコナンに向け目を細めた。膝に巻かれた包帯には血がにじんでおり、手や足首も軽く負傷している。顔に外傷はなかったが、すすや土の汚れはそのまま残っていた。ただ、表情が冴えないのは怪我のためというよりも疲労が原因だろう。この日は長い、長い一日だった。
「もうすぐこっちに救援が来る。病院に行けばすぐに治るさ」
コナンは哀を優しく見つめ、微笑んだ。彼自身も額や腕に怪我を負ってはいたが、出血はさほどでもない。
「何もかもありがとう工藤君……。でも、これで良かったの?」
「どういう意味だ?」
炎を照らし揺らめく哀の瞳は、コナンに何かを訴えかけていた。そしてそれが何であるかは推理するまでもなかった。
「あの薬の……APTX4869のデータは失われてしまった。もう……あなたは工藤新一には戻れない」
哀は目を逸らし、丘の下の炎を見つめる。コナンは拳を固く閉じうつむいた。
「どうしようもなかったじゃねえか。もうデータを回収する時間なんてなかった。そんなことをしていれば、二人とも逃げ遅れて御陀仏だったさ」
「
「バーロー!!!」
コナンは力の限り怒鳴った。哀はビクッと身を震わせコナンと目を合わせる。
「くだらねえこと言うんじゃねえ……! そんなことするわけがねえだろうが!!」
「だけど……!」
哀は少しふらつきながらも立ち上がり、子供の自分と背丈の変わらないコナンに向き合う。哀の表情も声色も、今にも壊れてしまうそうなほどに痛々しい。
「本当にこれで良かったの!? やっと組織を滅ぼせたのに、全て終わったのに、元の姿に戻れないなんて……蘭さんの元に帰れないなんて。あなたは、それでもいいの?」
「……いいわけねえだろ」
今度はコナンが顔を背けうつむく。
「蘭は……あいつはずっとオレの帰る場所だった。いつか必ず工藤新一に戻ってあいつのところに帰るんだって、ずっと疑いもしなかったさ」
炎が少しずつ弱まりだした。何台もの消防車が到着し、大規模な消火活動が始まりつつあったからだ。
「きっとオレはこれからも後悔し続けるだろうさ。夢にだって見るかもしれねえ。……だけど」
コナンの声は徐々にか細くなっていった。
「もう、終わったんだ」
哀は何も言えなかった。しゃがみこんで力なく遠くを眺めるコナンの横顔を見つめ、胸をつまらせた。
「終わったんだよ、全部」
それから数時間、彼らは無言のままだった。
そして時は流れ――