10年越しの再始動〈リビギンズ〉   作:ヘイドラ

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11 炎、別れ、記憶

「ったく、心配かけやがって。今日一日どこにいやがったんだぁおめーら?」

 

ズカズカと家に上がってきた元太が、辺りをキョロキョロと見回しながらコナンに尋ねる。

 

「そうだよ、コナン君も哀ちゃんもなんの連絡もなく学校休むし電話もメッセも繋がらないし……。例の事件のことだってあるから、あたし達心配であちこち探し回ってたんだよ?」

 

「それは……すまなかったな……」

 

「つーかコナン、ひっでー顔してんなおめー。うんこでも漏らしたのか?」

 

元太が怪訝な顔でコナンを見る。

 

「いや、これは……」

 

確かに、ついさっきまで全身の水分を出し尽くす勢いで泣き叫んでいたのだから、さぞかし酷い顔になっているのだろう。目だって真っ赤に充血しているはずだ。

 

「ねえそんなことより哀ちゃんはどこ? コナン君、知ってるんでしょ?」

 

「灰原は……」

 

コナンは言葉に詰まった。彼らに言えることなど何があるだろう。

歩美と元太はじいっとこちらを見つめていた。一方、大きなリュックを背負って後ろで立っている光彦はずっと無言のまま横目で冷たい視線を送ってきている。

 

コナンは少しの間だけ考え込み、そして何を話すかを決めた。

 

「あいつならもういねえよ」

 

「はあ???」

 

元太が顔をしかめる。歩美も怪訝な顔をしている。

コナンは彼らの反応など意に介さず、努めて明るい声で話を続けた。

 

「おめーらも知ってるだろ? あいつの両親はイギリスに住んでるんだ。長いこと親戚の博士に灰原を預けてたけど、ついに環境が整ったから親子一緒に暮らそうって連絡が来たらしくてな。急な話だったからオレだって驚いたけど、例の事件だってあるから早いとこ出発した方がいいってことになって、ついさっきまで空港に見送りに行ってたんだ」

 

「コナン君、何を言って……」

 

「灰原のやつ、おめーらにもよろしく言っといてくれって言ってたぜ? まあいかんせん急な話だから驚くのはわかるけど、なにも悲しむようなことじゃねーんだ。しばらくは忙しくてなかなか連絡もよこせねーだろうけど、きっとあいつは向こうで幸せに……」その瞬間、コナンの襟首が掴まれ、強引に持ち上げられた。

 

「ぐうッ!」

 

「ちょ、元太君!!」

 

歩美が慌てて元太の腕を掴む。その丸太のような腕は片手でコナンを吊るし上げていた。

 

「おいコナン、ふざけたこと言ってんじゃねーぞ……! 灰原がオレ達に一言も言わずいきなりイギリスに帰った? んなわけねーだろうがオイ……!」

 

「元太君、落ち着いて!」

 

歩美の言葉に応じて、元太はコナンを下ろし開放する。しかしその野太い眼光はコナンを睨みつけたままだった。

 

「ケホ、ケホ……」

 

「コナン君、あたしだってそんな話信じられるわけないよ」

 

歩美もコナンを睨む。

 

「信じようが信じまいが、何も変わらねーよ」

 

「そんな……」

 

「おいコナン、くだらねー冗談はいい加減に……」元太が再びコナンに迫る。

 

元太の感情的な口調が引き金となり、コナンは堰を切ったように叫んだ。

 

「うるせえ!! 灰原はもう、帰ってこねえんだよ!!!」

 

「!!!」

 

3人の表情がショックに染まる。

 

「もし帰ってくるならこんな話はしねえ!!! あいつとはもう二度と会えねえし、声だって聞けやしねえんだ!!!」

 

「それってどういう……まさか哀ちゃんは……」

 

「心配すんな、あいつは生きてる……いたって無事だ。だけどあいつはオレ達に二度と会わねえことを選んだんだ。自分の意思で……オレには、その選択を変えられなかった」

 

コナンは肩を落とし、ソファーに座り込んだ。

 

「だからもう諦めろ。イギリスに帰ったと思ってあいつのことは忘れろ。最初からあいつはこっちの世界に……"日常の世界"に生きる人間じゃなかったんだ。ただ帰っちまうのがずいぶん遅くなっただけだ……」

 

「……コナン君は、それでいいの? 二度と哀ちゃんに会えなくてもいいの?」

 

「いいわけねえ……いいわけねえよ……だけどもう、どうしようもねえんだ」

 

コナンはうなだれたまま言葉を続ける。

 

「あいつはオレ達を守るためにこの町を離れることを選択した。その意思を尊重してやれ。普通に日常を生きることだけが、あいつに対してできる恩返しなんだからな」

 

しばらくの間、誰も何も言えなかった。沈黙が場を支配した。

その静寂を破ったのは、鈍い打撃音だった。

 

頬が痛みを感じてから一瞬遅れて、コナンは顔を上げた。

そこに立っていたのは、予想とは違う人物だった。

光彦がコナンを見下ろしていた。空虚に冷え切った目で。

 

「オイオイ光彦……キャラが違うぞお前」と元太が冷や汗を流す。

 

光彦は少し痛そうに手首を振った。まともに人を殴ったことなど、おそらく生まれて初めてなのだろう。

 

「コナン君……君には心底がっかりしましたよ。君に灰原さんを任せたのは完全な間違いでした」

 

「……おめーにゃわかりゃしねーよ」

 

「ええ、わかりませんね。君がこんなにもあっさり灰原さんを見捨てるなんて。わかりたくもないですよ」

 

「見捨てたわけじゃねえ……!」

 

「じゃあなんなんです? 灰原さんが本心から喜んで僕らのもとを去ったとでも? 君の顔はそう言ってませんよ」

 

「やっぱひでー顔してるよなコナンのやつ」元太がうなずく。

 

「コナン君、きみと灰原さんは子どもの頃からずっと何か重要な秘密を共有していた……違いますか? 灰原さんはずっと何かに怯えていて、だけど君のことは誰よりも信頼していた。君達には誰にも入り込めない絆があった。正直言って羨ましかったですよ。僕も君のように灰原さんを守れる強さがほしい、ずっとそう思ってました」

 

「……」

 

「灰原さんを連れ去ったのは、あの頃から彼女が怯えていた何か、なんじゃないですか?」

 

「……そんなことを知ってどうする」

 

「それが彼女の本意でないのなら、連れ戻します」

 

「おっしゃー!! よく言ったぜ光彦!」

 

「そうだよね! あたし達探偵団が連れ戻しちゃおう!」とテンションを爆上げする歩美と元太。

 

「バーロー!! ふざけたこと言ってんじゃねえぞ!! おめーらが今まで相手にしてきたチンピラ犯罪者なんかと同じだと思うな! 奴らに手を出したら確実に殺されるぞ!!」

 

コナンの本気の警告にも、彼らはまるで耳を貸そうとはしなかった。

 

「だったらどうすんだ? ここで一生腐ってんのか?」

 

「あたしはこのまま哀ちゃんとさよならなんて絶対イヤだよ!」

 

「まったく同感ですね」

 

「いいかコナン、オレは少年探偵団のリーダーだ! 仲間を見捨てるぐらいなら一生うな重が食えねえ方がましだぜ」

 

(駄目だこいつら……説得なんて効きそうにねえ。こいつらまで犠牲にするわけにはいかねえってのに)

 

とはいえ、実のところコナンには彼らを説得する必要などなかった。なぜなら哀を助け出すために最も必要な情報がないのだから。

 

「……問題は、灰原さんの居場所がわからないということですが。コナン君、きみは知らないのですか?」

 

「あいにくだが、オレにもわからねーよ」

 

例の倉庫がどこにあるのかもはっきりしないし、あるいは倉庫自体は周辺の景色の記憶を元に探し出すことは可能かもしれないが、いつまでも哀がそこにいるとは到底考えられない。

コナンに場所を見られているということを彼らが理解している以上、今ごろとっくに別の場所に移動していると考えた方が妥当だろう。

 

コナンは念のため犯人追跡メガネのボタンを押したが、案の定発信器の反応はなかった。

 

「あいつにつけた発信器が生きてりゃもしかしたら見つけられたかもしれねーけどな。どっちにしろエリア外だ、見つかんねーよ」

 

「発信器? 灰原さんに発信器をつけたんですか!? 周波数は!?」

 

光彦の顔色が変わる。

 

「だから言ってんだろ、エリア外だって。それにバッテリーだってそろそろ切れてるはずで……」

 

「そのメガネに内蔵されたアンテナは超小型タイプですよ。受信エリアが狭いのは当たり前でしょう?」

 

光彦はそう早口でまくしたてて背負っていたリュックを下ろし、今どきにしては妙にゴツい大型ノートPCを取り出した。そして手早くそれを開いてなにかのソフトを立ち上げ、コナンから聞いた周波数を打ち込む。

 

「見てください、反応がありますよ!!」

 

光彦が指差した先には、地図の中で点滅する点があった。

 

「「おお~~~っ!」」と元太歩美が同時に声を上げる。

 

「そんな……!」

 

絶句するコナンを尻目に、光彦は元太歩美に視線を向ける。

 

「だけど、やはり発信器のバッテリーはもう限界のようです。おそらくあと数時間で完全に信号が消える……そうなったらもう二度と灰原さんの居場所はわかりませんよ」

 

「おおっし、行こうぜおめーら!!!」

 

元太が豪快に自分の拳を叩いて音を鳴らすと、歩美も勢いよく飛び跳ねる。

 

「うん! 行こう!!」

 

「待て!! 早まるなおめーら!!」

 

コナンは必死で彼らを止めようとした。ここで止めなければ、彼らはきっと殺されてしまうのだから。

だけどもう、彼らがコナンの言葉を聞き入れるはずがなかった。

3人はコナンに背を向けて駆け出し、扉の前で歩美が振り返った。

 

「ごめんねコナン君、あたし達、哀ちゃんとこのままお別れなんてできないよ!」

 

「おめーは来ねえっつーんなら別にいいぞコナン。せいぜい引きこもってテレビでも見とけよ」

 

「もう放っておきましょう。今の彼に何かを期待するのが間違いですよ」

 

「ぐっ……あのなあ、殺されるだけだっつってんのがわかんねーのかよ……! おめーらが犠牲になって灰原が喜ぶとでも……」

 

そう言って拳を震わせながらも、コナンの胸の奥はにわかにざわつき始めていた。

まだ間に合うかもしれない――少なくとも、その最後のチャンスはまだ消え去っていない――それを理解した時、一度捨てたはずの希望が再びコナンの心に火を点けようとしていたのだ。

 

(もう一度……あと一度だけ、あいつを助け出せるチャンスがある……そういうことなのか?)

 

その時だった。

大窓の向こうから激しい閃光が差し込み、一瞬にしてリビング全体を白橙に染めた。次の瞬間、轟音とともに窓ガラスが割れ爆風が吹きすさぶ。

コナンは瞬間的な判断で即座に地面に突っ伏し頭を抱え守った。

頭上をガラスの破片が飛び去り、家具や食器が辺りに散乱する。

轟音によって引き起こされた耳鳴りが鎮まるより早く、コナンは身を起こして周囲の様子を確認した。

 

「おめーら、大丈夫か!?」

 

「ふう~、危なかったぁ~……なんだあ今の!?」

 

「あたしは大丈夫だよ~、光彦君は?」

 

「こっちも大丈夫です……かろうじてですが」

 

3人が次々とうつ伏せ体勢から立ち上がり、お互いの無事を確認しあう。どうやら3人ともコナンと同じくとっさに身を伏せて頭をカバーし安全を確保したようだった。さらに元太は自分の巨体を活かして歩美と光彦の前で壁となり、光彦は光彦でリュックを盾にして歩美の頭部を守っていた。

 

(こいつら、あの一瞬で素早く的確に身を守りやがった……。くぐってきた修羅場の数が違うってことか……)

 

確かに、彼らの人生経験はおよそ常人の域ではなかった。若干小学一年生の頃からいくつもの殺人現場に遭遇し、爆破テロや銃撃事件やハイジャックに巻き込まれ、強盗団や殺人鬼どもとの決死のサバイバルを生き抜いてきたのだ。

 

(オレはこいつらのことをいまだにガキだと思っていて……だけど本当はとっくにオレの方がよっぽど……)

 

「見て! 炎が!」

 

歩美の言葉にコナンは後ろを振り返る。割れた窓の向こう側、工藤邸の敷地の外で火の手が上がり始めていた。

 

「あれって博士の……哀ちゃんの家だよね!?」

 

(まさか……! あそこには今誰もいないはずなのに……!)

 

(ちくしょう、オレはどうすれば……!)

 

その時、一瞬下を向いたコナンの視界に、爆風に飛ばされ床に落ちていた写真立てが入り込んだ。

父である工藤優作の肖像写真。

コナンはその瞬間、今は亡き父と目が合ったような気がした。

 

(父さん……)

 

――ごめん父さん。オレ、工藤新一に戻れなくなった

 

コナンの脳裏に、かつての記憶が蘇る。

 

――がっかりしてるだろ? 父さん。絶対に元の姿に戻ってみせるってあれだけ言ってたのに

 

――がっかりする? オレがか? 何を言ってるんだ、そんなわけないだろう

 

――だけどもう、工藤新一は死んだ人間になるんだ。もう父さんの息子は帰って来ない

 

――はっはっは! 何を言ってるんだ。工藤新一だろうが江戸川コナンだろうが、お前はオレの息子じゃないか

 

――え……

 

――いいか新一、いやコナンだとしても同じことだ。何も変わりはしない、お前はお前だ。オレはどんな傑作小説を書いたことよりも、お前という息子を持てたことを一番に誇りに思っている……そのことは生涯変わりはしないさ

 

――お前はこの先、人生に迷うことも分厚い壁にぶつかることもあるだろう。だけどどんな時でも、己がなすべきことをなしなさい。真実を見極め、本当に大切なものを掴み取りなさい。大丈夫、お前にならきっとできるさ

 

父とそんな言葉を交わしたことなど、コナンはずっと忘れていた――いや、もちろん実際には覚えていた。だけど彼は、その記憶を心の奥に押し込め何年ものあいだ見ないふりをしてきたのだ。

奔流のように溢れ出た記憶に背を押されるかのように、コナンはゆっくりと立ち上がりまっすぐ前を向いた。

 

(……ありがとう、父さん)

 

(オレが今なすべきことは……ここで後悔することじゃねえ!)

 

「おめーら先に準備しててくれ! オレは博士んちの様子を確認してくる!」

 

そしてコナンは全速力で駆け出し、割れた窓から飛び出して阿笠邸へと向かっていった。

 

「先に準備しててくれ、だってよ。コナンのやつ、急にちょっといい顔しやがってどうしたんだ?」

 

「コナン君……どうやら、吹っ切れたようですね」

 

 

 


 

 

 

時間を少し遡る。

 

灰原哀はとある小さな部屋でPC画面に向き合っていた。

長大な数式や専門用語がびっしり並ぶ画面を、表情ひとつ動かさず高速でスクロールしていく。

そんな折、部屋の扉が開かれ誰かが部屋に入ってきた。

しかし哀はそちらを一瞥もすることなく作業を続けていた。

 

「どうだい? そのデータを見た感想は。懐かしい気持ちになったんじゃないか?」

 

ジョナスが話しかける。

 

「まだ一通りの確認をしているだけよ。邪魔しないでくれるかしら?」

 

ジョナスは苦笑して哀の隣の椅子に腰掛けた。

 

「変わらないね、君は。宮野志保だった頃と同じだ」

 

「あなたが当時の私を知っているとでも?」

 

哀は決してジョナスと目を合わせることなく画面を見つめている。

 

「知っているさ。まあもちろん君と具体的な親交があったわけじゃない。組織のとある施設で、一度だけ君の姿を見たことがある……言ってしまえばそれだけの縁だよ」

 

相槌ひとつ打たない哀を尻目にジョナスは話し続けた。

 

「ちょうどその時も、君はそんなふうにコンピュータと向き合っていた。僕は遠巻きに君の横顔を眺めていただけだ。わかっていても不思議なものだよ。あれから10年以上経つというのに、君の姿はまるっきり当時のままなんだから」

 

「……」

 

「僕のような"チルドレン"にとって、君はちょっとした伝説のような存在だった。なにしろ君の存在そのものが僕らを育てたプログラムを生んだ理由なんだからね。断っておくが、僕は君を恨んじゃいない。僕の両親は薬物中毒のクズどもだった。あのプログラムがなければ、僕はとっくにクソスラムで野垂れ死んでいただろうさ」

 

「……おっと、話しすぎてしまったね。どうぞ君の作業を続けてくれ。……といっても、どうせ明日には君の新しいIDとパスポートが出来上がるんだ。続きは国外の新しい拠点に移ってからでもいいと思うけどね」

 

ぴくりと哀のまぶたが揺れる。

 

「ここはいい国だが、君にとっては何かと気が散ってしまうだろう? 何も心配はいらないよ。こんな手狭なラボではなく、最先端の研究施設とラグジュアリーな棲み家を用意してあるんだ。夢のようなリゾート地のすぐそばにね。きっと君にも気に入ってもらえると思うよ」

 

「……ありがたいオファーではあるけれど」

 

哀が皮肉めいた笑みを浮かべる。

 

「立派な施設に私を連れて行けばすぐにあの薬が出来上がると思わない方が懸命よ? 最初の試作品を作るまでだって数年はかかるでしょうね」

 

ジョナスは肩をすくめた。

 

「確かにそうだ。君はそうやっていくらでも仕事を引き伸ばすことだって出来る……。もちろん他の人員にも共同で研究はさせるけど、だからって君の貢献を確実に買えるわけじゃあない」

 

その時、ジョナスの目つきが変わった。

 

「だけど僕は根気比べはやりたくないんだ。君に()()()()協力してもらえるよう、僕が本気だということをわかってもらいたいと思っている」

 

先程までの穏やかな声色とは全く違う、冷酷な口調。哀の表情がすぐさま変わった。

 

「ふざけないで!! 私があなたに協力すると同意した時点で、取引は成立したでしょう! 私の大切な人たちには一切手を出さないという約束よ!」

 

「もちろん彼らを始末したりはしないさ。だけどそんなことをしなくても君に明確なメッセージを送ることぐらいはできる……。たとえば、君の帰る場所を消し去るとかね」

 

「……! ふざけたことを……!」

 

「わかってくれシェリー。あそこはもう君の帰る家じゃないんだ。君を保護してくれた老夫婦だって、今はあそこに住んでいない。誰も犠牲にすることなく君の未練を断ち切れるのなら、僕はそうするまでのこと」

 

「……そんなことをされて、私があなたに協力するとでも思っているの!?」

 

哀は、目の前の悪魔に飛びかかりたい思いを必死に抑え込んでいた。手元に何か武器さえあるなら、刺し違えてでも殺してやるのに!

 

「いずれわかるさ。人間は置かれた環境に順応するもの……。僕はただ、君が前に進むためのきっかけを与えてあげたいだけさ」

 

 

 


 

 

 

夜遅く、現場から本庁の自分のデスクに戻った蘭は憔悴しきっていた。

例の事件に重大な進展があったにもかかわらず、事態は解決に向かうどころか謎が深まるばかりだったからだ。

ここ最近の働き詰めで、蘭は精神的にも肉体的にも疲労の限界に近づきつつあった。

つかの間の仮眠を取ろうとデスクに突っ伏した蘭が、うとうとと眠りに落ちかけようとしていたまさにその時、オフィス内が騒然としだした。

 

「米花町の住宅で爆発だって!?」

 

「ガス管の事故か何かじゃないのか?」

 

「でも通報によれば、爆弾としか思えないような異様な爆発だったらしいぞ?」

 

「おいおいどうなってんだ!?」

 

蘭は意識が鮮明に戻ると同時に飛び起きた。即座に奥のデスクの高木に詰め寄る。

 

「警部!! その爆発があったのはどこですか!?」

 

「ど、どうしたんだい毛利さん。ちょっと待ってくれ、今データが上がってきたから……。ええっと、米花町2丁目の22番地、みたいだけど……」

 

蘭は思わず息を呑んだ。その住所には確かに覚えがあった。

 

(それって多分、いえ、間違いなく新一の家の隣……ということはまさか!!)

 

「阿笠博士の家……!」

 

蘭の言葉に高木は目を丸くする。

 

「そうなのかい!?」

 

「警部、私はその現場に急行します!!!」

 

蘭は上司である高木の返事も聞かず走り出す。自分のデスクに置いていたジャケットと拳銃を手に取って。

 

「あ、ちょっと、毛利さん!!」

 

蘭は庁舎を全力で駆け抜け、駐車場の自分の車に飛び乗りアクセルを踏み込んだ。

 

(これは偶然じゃない……! 何かが……何かが確実にあの事件と繋がっている……!)

 

蘭は運転しながら左手でスマホの通知を確認した。コナンからも哀からも、今日送ったメッセージの返事は来ていなかった。

やはりそうだ。彼らに何かがあった。阿笠邸の爆発だってそれに関連しているはずだ。

 

(お願い、無事でいて……!)

 

蘭にとって、この日は長い一日だった。

とある廃ビルで男の死体が発見された。男の身元は元探偵の蛇塚達夫。拳銃による自殺のようだった。

問題は蛇塚の指紋とDNAが、例の連続殺人事件の現場で見つかったものと一致したということだ。

急転直下、事件は被疑者死亡のまま決着するかに思われた。

しかしそれでは説明のつかないことが多すぎた。

 

蛇塚はなぜ自死したのか?

現場では他の誰かを監禁していたような痕跡があるが、では監禁されていたのは誰で、その被害者は今どこにいるのか?

そもそも蛇塚の動機は?

彼のバックグラウンドはすぐに判明した。事業に失敗して探偵事務所を畳んだ後、蛇塚は元妻に離婚を突きつけられ一人娘の親権も失った。

しかしその後その娘に重度の心臓病が発覚し、母親は移植手術のために莫大な医療費の金策に取り組んでいたが一向にうまくいっていなかった。

つまり蛇塚には、カネ目当ての犯罪に手を染める動機がたっぷりとあった――だが、それが例の連続殺人事件となんの関係があるというのだろう?

どうして似たような容姿の女性ばかりを狙っていたのだろう?

 

このままでは事件は決着ではなく迷宮入りしてしまう――そこにこの爆発だ。

何もかもがおかしすぎた。

 

(わからない……何一つ辻褄が合わない……ああ、こんな時に新一がいてくれたら……!)

 

それは全く馬鹿げた考えのはずだった。もう何年も前に死んだはずの元恋人のことなど今さら考えてどうしようというのだろう。

だが蘭には奇妙な予感があった。

その予感は、日に日に抗いがたいものになっていた。

 

新一は、生きている――。

 

 

 

阿笠邸は轟々と燃え上がっており、夜の闇を赤く染め上げていることが遠目からでもはっきりと見て取れた。

蘭は現場前の道路脇に停車して車から降りると、既に駆けつけていた地元の巡査を見つけて警察手帳を掲げた。

 

「警視庁の毛利です! 現場の状況は!?」

 

「はいっ! この通り炎は止まっていませんが、爆発は最初の一回きりのようです。中に人がいるのかどうかはまだわかっていません。いかんせんこの炎が静まってくれないことには……!」

 

消防隊による消火活動は既に始まっていたが、すぐに鎮火されそうな状況には到底思えなかった。

建物だけでなく、庭の木にも火が回っているようだ。

ただ玄関口は消防車によって防がれており、塀の外から中の詳しい様子をうかがうことはできなかった。

 

「……私が様子を見てきます」

 

「あっ、ちょっと刑事さん!!」

 

蘭は巡査の静止を無視し、塀をよじ登って阿笠邸の敷地に足を踏み入れた。

敷地内は酷い煙のせいで数メートル先の視界さえ遮られていた。

 

庭に着地した蘭は拳銃を引き抜き、両手で眼前に構えながら一歩ずつ慎重に歩みを進めていった。

間近で燃え盛る火の熱のために全身から汗が吹き出す。

こんなことをしたところで、誰かが潜んでいると考える根拠はどこにもない。ただ、刑事としての勘が蘭を突き動かしていた。

 

この爆発は決してガスの事故などではない。

もちろん阿笠博士の実験の失敗などでもない――博士は2ヶ月以上も前から海外にいるのだから。

つまり何者かがこの爆発を仕掛けたのだとしても、そのターゲットが博士であるはずもなかった。

となればその標的になり得るのは、灰原哀以外に考えられなかった。

 

もしも蛇塚の犯罪が、より大きな何かの一部でしかなかったとしたら――?

この場所で、その何かが一本の線に繋がるかもしれない。

蘭にはそう思えてならなかった。

 

「ッ!!!」

 

正面から人の気配。

ほんの数メートル先に誰かがいる!

 

蘭が拳銃の引き金に指をかける。

だが、煙の隙間から現れた男の顔は蘭の意表をついた。

 

「コナン君……!?」

 

「蘭姉ちゃん、来てたんだね」

 

コナンは全身ススだらけで、眼鏡もひどく汚れていてほとんど目の形も見えなかった。

しかし蘭がコナンのことを見間違うはずもなかった。

新一と瓜二つのコナンのことを。

 

「……どうしてコナン君がここに?」

 

蘭は拳銃を下ろして問いかける。

 

「念のため確認してたんだ。大丈夫、家の中には誰もいないよ。この爆発に犠牲者はいないし他の爆発物もない」

 

「答えになってないわ……どうしてコナン君がそんな危険なことを? 哀ちゃんはどこにいるの!? これをやったのが誰か知っているの!?」

 

コナンは首を横に振った。

 

「ごめん蘭姉ちゃん。答えるわけにはいかないんだ。オレはこれから、あいつを助けに行かないといけない」

 

「あいつって……哀ちゃんのこと?」

 

「この炎は警告なんだ。もしも警察が動いたら、奴らはきっと見せしめに大勢の人を殺してしまう……博士だってそうなるだろうし、学校のみんなやあいつに少しでも関わりのある人なら誰でも巻き込まれる。もしかしたらあいつ自身だって殺されてしまうかもしれない……だから、オレがやらなきゃいけないんだ。オレが暴れるだけなら、最悪でも犠牲になるのはオレだけだから」

 

「何を……言っているの……?」

 

コナンが言っていることにはまるで現実味がない。なのに彼が何一つ嘘を言っていないということだけはありありとわかった。

 

「オレは間違っていた。こんなことを平気でやれてしまう奴らの所じゃ、あいつは一生笑えない、一生苦しみから逃げられない。オレは一瞬だってあいつを守ることを諦めちゃいけなかったんだ」

 

コナンは微笑んでいた。まるで迷いや恐れをすべて捨てたかのように。

 

「……ごめんね蘭姉ちゃん。オレ、もう行くよ」

 

コナンが蘭に背を向ける。

その瞬間、蘭は銃口をコナンに向けて構えた。

 

「待ちなさい!! 行かせるわけが……行かせるわけがないでしょう!? 私がコナン君を死にに行かせると思うの!?」

 

蘭の指先は引き金にかかっていた。

それなのにコナンは、まるで恐れようともせず振り返って蘭を見つめた。

 

(どうして……どうしてそんな目で私を見るの……?)

 

優しさや悲しみ、あるいは後悔。何もかもがないまぜになったかのような少年の瞳。

 

その瞳を見た瞬間、こんな時だというのに、蘭の脳裏には遠い記憶が去来した。

あの日あのトロピカルランドで投げかけられた新一の言葉が鮮明に蘇る。

 

――ゴメン蘭!! 先に帰っててくれ!! すぐ追いつくからよー!

 

なにか怪しいものを見つけたらしき新一が、笑顔で手を振って去っていったあの日。

新一ともう二度と会えないようなイヤな予感がしたあの日。

 

なぜこんな時にそんなことを思い出したのか、蘭にはふとわかったような気がした。

理屈ではなく、心がそれに気づいた――いや、本当はずっと前から気づいていたのかもしれなかった。

 

「また……私を置いていくの……?」

 

蘭の声が震える。手も瞳も、震えていた。

 

「あの時みたいに、また……」

 

一瞬だけ、コナンは微笑んだ。

そして再び背を向けた。もう二度と振り返ることはなかった。

 

「すまねえ、蘭――」

 

その声は、あまりにもかつての新一と同じで。

 

「オレはもう……、お前を守れねえ――」

 

コナンは歩き出し、そして煙の中に消えていった。

 

消火活動が実を結び周囲が暗く静まるまで、蘭はそこに立ちすくんでいた。

 

 

 

 


 

 

 

 

 

阿笠邸の敷地から裏側の塀を越えて路地に出たコナンは、消防隊の目を盗んで自宅の裏口に辿り着いた。

死地に赴く前には多少の準備は必要だった。

 

突然、白い光がコナンを照らす。

眩しさに一瞬目がくらんだコナンだったが、警戒心は持たなかった。誰が現れたのか、既にわかっていたからだ。

 

「へっ、一人でどこ行くつもりだよコナン。夜遊びでもしてえのか?」

 

バイクにまたがり、ヘッドライトをこちらに向けた大男がそう言って笑った。

その後部座席には元気一杯の少女も乗っている。

 

「コナン君、一人で無茶するのは探偵団のルール違反だよ!」

 

彼らのかたわらでは、細身の少年が大きな荷物を抱えて皮肉めいた笑みを浮かべていた。

 

「ま、抜け駆けは彼の十八番ですからねえ……」

 

コナンの眼鏡が、ヘッドライトを反射して光っていた。

 

「……もう一度言うぞおめーら。こっから先は99%殺されに行くようなもんだってことは理解しとけ。引き返すなら今のうちだ」

 

3人がうなずく。彼らにも、なんの迷いもなかった。

 

「オレは必ず、命に替えてでもあいつを連れ戻してみせる。だけどオレ一人の命じゃあ、どうあがいても足りそうにねえ……」

 

コナンは拳を固く握り、叫んだ。

 

「だからおめーらの命も、オレに預けてくれッッ!!!」

 

 

 


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