コナンが退院を許されたのは、3週間以上も経ってからのことだった。
最初の数日間は自力で食事を摂ることさえできない重症だったのだから、それも当然だった。
元太と歩美も同じ病室で入院していたが、揃って二日で退院してしまった。おめーもっと牛乳飲んどけよと元太は笑った。
退院を済ませ、コナンは自宅への帰路についていた。まだ右脚はギブスで固定されていたが、そこ以外は見た目上ほとんど健康体に戻っている。
コナンの隣では、他ならぬ蘭が車のハンドルを握っていた。
「……ええっと、その、ありがとう、せっかくの休みの日にわざわざ来てもらって」
「別にいいのよ。ちょうど担当していた事件がひと段落着いたとこだしね」
「うん……」
それからまた沈黙が車内を支配した。
入院中、刑事としての蘭からはたびたび聴取を受けていたが、その時は事件の話にしかならなかった(それも結局、肝心なところはほとんど黙秘することになった)。
今日蘭に何を話すべきか、コナンは何度も頭の中でシミュレーションしていたのに、いざその時になると何も言葉にすることができなかった。
結局お互いほとんど口を開かないまま、車は目的地にと到着した。
あの日阿笠邸の消火活動のあおりでびしょ濡れになっていた工藤邸は、一部が焼け焦げていることを除けばすっかり元通りになっていた。(というより、元からボロ屋敷だから大して違いが分からないというべきか)
蘭は先に車を降り、後部座席から松葉杖を取り出して助手席のコナンに手渡した。
コナンはようやく使い方に慣れてきたその松葉杖に体重を乗せ、ぎこちなく立ち上がった。
「大丈夫? 歩ける?」
「うん、大丈夫だよ。……ありがとう」
コナンはそう言って微笑んだ。
蘭も微笑んでいたが、その表情はどこか寂しげでもあった。
そして、コナンの言葉を待っているようにも見えた。
言わなくちゃ、とコナンは思った。
今言わなければ、一生言えなくなると。
コナンは少しうつむいてから、もう一度顔を上げ、蘭の目を見つめた。
「あのさ、……オレ、ずっとずっと、言えなかったことがあるんだ」
「え……」
「オレ……」
コナンの唇が震える。
「オレ、本当はずっと、本当はオレ……」
目から涙が溢れだした。もっとクールに、キザっぽく決めるつもりだったのに、とてもそんな風にはできなかった。
ただ涙が、次々と溢れだした。
それでも彼女に、みっともない顔を見せたくはなかった。
だからコナンは笑った。
ぼろぼろと涙をこぼしながら、精一杯笑った。
「オレ……蘭姉ちゃんのこと……ずっと好きだった……!!」
蘭が微笑む。昔と同じ、誰よりも優しい笑顔で。
「うん……知ってた」
コナンはぐしゃぐしゃの顔でまた笑って、それから二の腕を顔に押し付けてごしごしと涙をぬぐった。
何度かそうやって、ようやく涙が止まってから鼻水をすすった。
「もう行かなきゃ。みんな待ってるから……」
コナンは松葉杖をついて一歩進みだす。
「またね、蘭姉ちゃん」
「うん、またね」
コナンが工藤邸の敷地内を進み玄関のドアを開けて家に入っていくまで、蘭はじっとその背中を見届けた。
コナンの姿が見えなくなってから、蘭はぽつりとつぶやいた。
「またね、コナン君。そして……さよなら、新一」
「「「コナン君、退院おめでと~~~う!!!」」」
クラッカーが一斉に鳴らされ、紙吹雪が目の前を舞った。
コナンは一瞬たじろいだが、すぐに状況を理解した。
壁にはカラフルな手書きで「退院おめでとう」と書かれた横断幕がかかっていて、色とりどりの折り紙で作られた輪っかの鎖飾りがあちこちに垂れ下がっている。ダイニングテーブルの上にはケーキやらローストビーフやらたくさんの料理が並んでいた。……ついでにうな重も。
「待ちくたびれましたよ、コナン君」
「なにぼーっとしてんだよコナン、おめーが主役だぜ!!」
「ほらほらコナン君、こっちに来て! 哀ちゃんや元太くんがいっぱいお料理作ってくれたんだよ!」
「あ、ああ……」
歩美に袖を引っ張られ、コナンはテーブルの前に進む。
そこにいたのは、誰よりも会いたかった人だった。
「灰原……」
哀は妙にそわそわしていた。コナンも同じく、なぜか妙に落ち着かなかった。
なんと声をかけたらいいのか、突然わからなくなってしまった。
(んん~~? なんで灰原相手にこんな緊張してんだオレ???)
たっぷり数秒は沈黙が流れてから、哀が微笑んだ。
「……おかえりなさい」
「……ああ、ただいま」
二人は、じっと見つめ合った。コナンは照れくさそうに笑い、哀も同じ顔になった。
突然、コナンはやたら視線が集まっていることに気づき慌てて後ろに振り返った。
「な~んだ、キスするんじゃないんだあ」
「ちぇっ、つまんねーの」
「まったく、少しは度胸を出してほしいものですねえ……」
「お、おめーらなあ……」
三人そろってブーブー言ってるのに対して、コナンはこめかみをヒクつかせる。
哀の顔は少し赤くなっていて、自分の口を手で覆い隠して視線をさまよわせていた。
「お~い、みんな並ぶんじゃ、記念写真を撮るぞ~~~」
「博士!」
昔より少し痩せた阿笠がコナン達に向かって手を振る。その隣には阿笠と結婚したフサエ女史、そして車椅子に乗った有希子がいた。
優しい瞳で息子を見つめる有希子と目が合い、コナンは微笑みとともにこくりとうなずいた。
(オレはもう大丈夫だよ、母さん)
その言葉が聞こえたかのように、有希子もまた表情をほころばせた。
「おお~し、久しぶりに少年探偵団、全員集合だぜ!」と元太が拳を握る。
「はいはい、哀ちゃんとコナン君はこっちだよ! もっとくっついて!」
「あ、ちょ……」
コナンと肩がくっつくぐらいの位置に強引に立たされ、哀の頬がまた少し染まる。
少しだけためらってから二人は横目で見つめ合い、微笑み合った。
手の甲同士がささやかに触れ合い、どちらからともなく指と指とを絡ませる。
「よ~し、みんなカメラを見るんじゃ。いちに~の、さん!」
「「「イエーーーイ!!!」」」
――オレはかつて、高校生探偵・工藤新一だった。
幼なじみで同級生の毛利蘭と遊園地に遊びに行って、黒ずくめの男の怪しげな取引現場を目撃した。
取引を見るのに夢中になっていたオレは、背後から近付いて来るもう一人の仲間に気付かなかった。
オレはその男に毒薬を飲まされ、目が覚めたら……
体が縮んでしまっていた!
工藤新一が生きていると奴らにバレたら、また命を狙われ周りの人間にも危害が及ぶ。
阿笠博士の助言で正体を隠すことにしたオレは、蘭に名前を聞かれてとっさに江戸川コナンと名乗り、奴らの情報を掴むために、父親が探偵をやっている蘭の家に転がり込んだ。
それから、いろんな事がありすぎるぐらいあった。
大勢の人と出会い、数々の困難に立ち向かい、悲しい別れもあった。後悔も苦しみもいくらでもあった。
だけど今なら胸を張ってこう言える。
たとえ人生が巻き戻っても、オレはもう一度あの取引現場に行って江戸川コナンになることを選ぶだろうと。
世界で一番会いたいやつが、その先にいるからだ。
オレは灰原の手を強く握りしめた。
もう二度とお前を失わないという想いを込めて。
本作はこれにて完結です。
ああでもないこうでもないと書き直しているうちに、そこまで大長編でもないのにえらく長い時間がかかってしまいました。
個人的には彼らの更なる冒険を描く続編なんかも書けたらいいなあと思っているのですが、残念ながら具体的なストーリーはまだありません(笑)
感想、評価などいただければ大変うれしく思います。
最後まで読んでくださった皆様、ありがとうございました。