その男は、モデルのような整った顔立ちとスタイルの持ち主でありながらどことなく危険な雰囲気を持っていた。
自分以外のすべてを見下していて、世の中に恐れるものは何もないという自信を抱いているタイプの男だ。
この日彼は珍しく警戒心を抱いて目的地に向かっていたが、結局はなんとかなるだろうということを疑ってはいなかった。
男は、夜間も営業している広いファーストフード店の中に入ると、注意深く店内を見回した。
するとすぐに、店の奥でノートパソコンを操作中の人物を発見する。細身の男とおぼしきその人物は白いシャツを着て帽子を被っており、その帽子には東京スピリッツのチームロゴが描かれている。与えられた情報通りの格好だ。自分をここに呼びつけた人間であることは間違いなかった。
男はその人物の前の席にどかりと座り、「よお」と声を掛ける。彼はノートパソコンを閉じて顔を上げ、帽子に隠されていた風貌――ごく平凡な、細面の青年――が男に目を向けた。
「時間通りですね」と青年が微笑む。かなり若い顔立ちだ。
「俺を呼んだのはなぜだ? つーかおめえ誰よ?」
男は不機嫌さを露骨に示すが、青年は気にかける素振りを見せない。
「僕はあなたの質問に答えるつもりはありません。あなたが僕の要求に答えるんです」
華奢な青年――円谷光彦――は、静かに、しかし一切のよどみなくそう断言した。
目の前の、とても腕力が強そうには見えない青年にそう言われた男は、ひどく表情を引きつらせた。ここが営業中の店内でなければすぐに殴りかかっていたかもしれないが、少なくとも今この場では動けない。光彦にとってここまでは予定通りだった。
「……おい、ふざけるのも大概にしろよ?」
男がドスの利いた声で光彦を脅す。
「ふざけているのはあなたの方ですよ、大隈徹郎さん。あなたの手口はひどく悪質で趣味が悪い。僕はあなたを許せません」
「はあ?」
光彦は大隈のにらみにも全く動じず、冷静に目線を合わせ続ける。この手の相手には、ガンのつけ合いで譲ってしまうとすこぶる不利ということを光彦はよくわかっていた。
「あなたは甘い言葉をかけて女性を誘惑し、関係を持った女性の隠し撮りや個人情報を使って脅迫するという手口を繰り返していますね。ヤクザと繋がっているなどとくだらない嘘までついて……。そのうえそれだけでは飽き足らず、握った写真や情報を闇で売りさばいてお金を得ている……はっきり言って最低の人間ですよ」
「ほう……」
大隈は動揺したようなそぶりを見せず、光彦をにらみながら椅子に座る。その表情からはかすかな笑みが見て取れた。
「よくそこまで調べたもんだ。だが証拠はあるんだろうな? 俺がそれをやってるって証拠がよ。そもそもお前、いったい誰に頼まれて俺を調べたんだ?」
光彦は大隈の言葉を聞きながら周囲を観察していた。光彦から見て右斜め前の席では、人相の悪い男がちらちらとこちらをうかがっている。バレていないつもりのようだが見え見えだ。体格や風貌からして、かなり腕力には自信がありそうだったが尾行は苦手なタイプだろう。
一方、左斜め前の席では一組の男女がガツガツと食事に夢中になっていた。大隈が店に入ってくる前からずっと食べている。男女のうち、男の方は目を見張るほどの大男で、服の上からでもはっきりとわかる太い骨格とぶ厚い筋肉の主張がすさまじい。女の方は普通の体格だが、どういうわけか男の方と同じぐらいのスピードで食べ物を口に運んでいるので光彦は思わず苦笑してしまう。
光彦は気を取り直し、大隈の問いに答えた。
「名前は明かせませんが、僕の姉の友人だ……と言っておきましょう。調べようと思えば簡単でしたよ。人を騙しているわりに、あなたのネット上のセキュリティはお粗末そのものでしたからね」
「なんだと!?」
「あなたに被害を受けた女性に見せて頂いた写真から、あなたの人相はすぐに割り出せました。偽名を使っていることはすぐにわかりましたが、あなたが女性に吹いていたいくつかのキーワードを元に『本当のプロフィール』を推測してネットを辿れば、すぐに身元がわかりましたよ。人間、なかなかリアルの交友関係を完全には隠せないものですからね。そしてあなたが取引を行っている裏サイトの、表の名前は『激アツ!お宝探偵局』。違いますか? 大隈徹郎さん……ではなく本名の、大隅一郎さん、とお呼びした方が良いですかね?」
「な……な……」
先ほどまでと違い、大隅は明らかに動揺していた。本名もサイトもバレているということは、光彦は全てを知っているということだ。光彦は大隅の額から流れる汗を冷静に観察しながら言葉を続けた。
「僕から出す条件は一つです。あなたが握っているすべてのデータを持って、すみやかに警察に自首してください。洗いざらい供述すれば、そこまで重い罪にはならないかもしれません……僕からすれば気に入らないところではありますけどね」
「ハッ! 従わなけりゃどうなるってんだ?」
大隅が身を乗り出し語気を強める。
「その場合、気は進まないですがあなたの職場と警察にこのことを報告します。あなたの裏サイトのURLとパスワードを添えてね」
顔がひきつった大隈が言葉を返すより早く、光彦は少し目線をずらしてつぶやいた。
「"
光彦の右耳に付けられたワイヤレスイヤホンが、中性的な声で淡々と応答する。
『
Haileyの声は光彦以外には聞こえない。光彦はこの回答を聞いて満足気にうなずいた。
「言っておきますが、今からサイトを削除しようとしても無駄です。パスワードはたった今書き換えましたから。サーバー側の契約者情報も変更しましたから、もうあなたにはどうすることもできません」
そこまで言ってから光彦はノートパソコンを開いて裏返し、大隅に画面を見せた。その画面には大隅の裏サイトのトップページが映っている――ただし、ページの真ん中に「更新停止」というスタンプのような画像が表示されていた。大隅にはもちろん見覚えがない。それは明らかに、光彦がサイトの更新権限を奪っていなければできないことだった。
「てめえ……!!!」
大隅の顔が怒りに歪む。この時点で、大隅の頭に「平和的解決」という選択肢は完全に消え失せた。
店の外の路地裏で、大隅は光彦の襟を掴み背中を塀に叩きつけた。光彦の背中に重い衝撃が走り、ひどいえずきが起こる。既に夜は遅く、大通りからは距離がある暗い路地。人通りがあるようにはとても思えないような場所だ。
「ガキが調子に乗りやがって……のこのこと一人で来るなんざ馬鹿じゃねえのか!?」
大隅はポケットのバタフライナイフを取り出し光彦の顔へと近づける。金属の冷たい質感が、ほんの数ミリ離れた光彦の頬にうっすらと伝わる。にもかかわらず、光彦はまるで動揺したそぶりを見せなかった。
「てめえに呼び出された時、念のため喧嘩自慢の用心棒を呼んでおいたが無駄だったようだな……。てめえみてえなガキ一人なら俺一人で充分だ。さあ、パスワードを元に戻せ! でなきゃ一生治らねえ傷が残るぞ!」
光彦は大隅の目をじっと見つめ、大きくため息をつく。まるで怯えているようには見えない、むしろがっかりしているような表情。大隅には理解できない行動だった。
「なんのつもりだ……?」
「いえ、こっちの話です。ちょっと遅いなと思ったので」
「はあ……?」
その時、大隅は背後から突然声をかけられた。
「おじさん何してるの?」
若い女の声。大隅は(しまった!)と一瞬動揺する。こんなところを見られてしまえばどう言い逃れるか。最悪、目撃者を手にかけるか?
声の方向に振り返った瞬間、大隅のあごに強烈な衝撃が走った。
「ぐはあっ!!!」
大隅は突然の衝撃になすすべもなく尻もちをつく。アスファルトに衝突した尻にもガツンと痛みが走る。わけもわからないまま、目の前を見上げる。
そこにいたのは、なんの変哲もないただの少女だった。
「歩美ちゃん、遅いですよ」
光彦があきれたように言う。
「ごめんね光彦くん! ちょっとお会計に時間がかかっちゃって……元太くんってば食べすぎなんだもん」
「歩美ちゃんも充分に食べすぎてましたよ……」
「えへへ~」
そんなやり取りを見ながら、大隅は怒りとともに立ち上がる。その手にはまだナイフが握られていた。
「おいっ!ふざけたことやってんじゃねえぞガキども!」
腕を伸ばしナイフを突き出す大隅。だが次の瞬間、大隅の手首に強烈な衝撃が走りナイフは宙を舞った。歩美の肘打ちが雷鳴のごとき速さで大隅の手首を打ち抜いたのだ。
「ぐはっ!」
大隅が事態を理解するよりも早く、歩美は右足を軸に回転し大隅の股間に後ろ回し蹴りを突き上げた。金的を打ち抜かれ、桁外れの痛みで大隅の意識がパニックに陥る。
次の瞬間、歩美はうずくまった大隅の腕を取って肘を極めながら背後に回り込み、足払いとともに大隅をうつ伏せで地面に叩きつけた。肘と肩の両関節を極めながら肩甲骨に膝を乗せることで、またたく間に全身を制圧したのだ。
手首を攻撃してからここまで3秒も経っていない。まさに鬼がごとき早業だった。
「おじさん、もう終わりだから諦めてね」
歩美が優しく、しかし有無を言わせぬ声でそう告げる。金的を蹴られ胸と顔をアスファルトに強打した大隅に、抵抗する力は全く残っていなかった。
「がはっ! ごほっ……。ふ、ふざけるな……調子に乗るなよガキども……」
にもかかわらず大隅は強気を崩さない。かろうじて顔を上げた大隅は、鼻血をだらだらと流しながら光彦をにらんで笑う。
「ごほっ……、俺の雇った用心棒……加藤は空手黒帯の凄腕なんだ。体格も、喧嘩のキャリアだっててめえみたいなガキとは桁が違う……。そいつには俺が一定時間帰ってこなけりゃ駆けつけるように言ってある。そろそろ来る頃だぜ……」
「ふーん」
歩美は大隅の言葉に全く興味を示していないようだった。光彦も「はあ……」というやる気のない返事しか返さない。
「てめえらちったあビビりやがれ!!!」大隅が叫ぶ。
その時、店の方向から男がゆっくりと歩いてきた。暗いために顔は見えないものの、シルエットを見て取った大隅がニヤリと笑う……が、数秒後にその笑みは驚愕の表情に変わった。歩いてきた男は加藤ではなく、ぐったりとしている加藤を肩に担いだ別人だった。
「なあ、スゴウデの用心棒ってこいつなのか? すんげー弱かったぞ」
男はそう言って、担いでいた加藤を大隅の目の前に無造作に下ろした。加藤の顔面はボコボコ状態で、すでに失神している。
「か、かかか、加藤!? そんな馬鹿な……!?」
「おめー、もうちょっと強いやつ雇った方がいいぞ」
男は大柄な加藤よりも更に一回り大きかった。単に背が高いというだけではない。肩幅、首の太さ、胸板の厚み、丸太のような腕……およそ日本では滅多にお目にかかれないほどの巨漢である。にもかかわらず、丸みを帯びた温和な顔立ちはまるでぼうっとした少年のようだ。
「元太くん、これはやりすぎですよ」光彦があきれたように言う。
「そうだよ元太くん、もうちょっと気を付けないと!」歩美は大隅を制圧したまま光彦に賛同した。
元太と呼ばれた大男はちょっと困ったような顔をして頭をかく。
「だって俺、手加減苦手なんだよな……」
「やれやれ、もう少し腕力のコントロールを身に着けてほしいですね……。それと食欲のコントロールも」
「あはは~、元太くん言われちゃった~」
「歩美ちゃんにも言ってるんですけどね」
既に3人はすっかりリラックスしている様子だった。まるで大隅がそこにいることなど頭にないかのようだ。歩美に制圧されて全く身動きの取れない大隅だったが、それでもちっぽけなプライドがひどく傷つく光景だった。
「てめえら一体……何者なんだよ!」
大隅が力の限り叫ぶ。光彦は腕を組み、「う~ん」と少し考えてから大隅を見下ろした。
「探偵団……ですかね」
「た……探偵団、だとぉ……?」
元太が嬉しそうに光彦の背中を叩き、光彦がごほっと咳を吐いた。大隅には全く理解のできないノリだった。
ともあれ、大隅が証拠のデータとともに警察に出頭したのはその日のうちのことである。
帰り道、3人は他愛もないおしゃべりをしながら歩いていた。少し会話に間が空いた時、寂しそうに言葉を漏らしたのは元太だった。
「でもよぉ、3人で探偵団ってのもやっぱりちょっと物足りねぇよな」
歩美は両の拳を握って大きくうなずく。
「うん、やっぱり5人そろってる方がいいよね!」
「……その話はやめましょう」
光彦の声は低く静かだった。立ち止まってきょとんとする歩美と元太を背に、光彦はそのまま歩き続ける。
「灰原さんだけならまだわかります……でも」
光彦は立ち止まり、振り返る。その表情はひどく淡々としていた。
「彼にはもう……何も期待しない方がいいですから」